社内恋愛はじめました。

柊 いつき

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152.誰が為に鐘は鳴る⑧

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披露宴会場を後にしてお手洗いに行くとちょうど青山さんが洗面台の鏡の前でお化粧直しをしている。私に気がついた彼女はこの後の二次会に行くのかと問うた。

「...いいえ、今日はこれで」

二次会に参加する意思がない事を伝えると、鮮やかな色の口紅を引き直した彼女は残念と言いつつも二次会の話題に。そこでさっきの披露宴の話も上がった。

「そういえば、同じテーブルにいた...ふじ、なんとかさん。あの人って新郎の大学時代のなのね。てっきりうちの会社の人間かと思ったわ」

青山さんは私と同じ営業部だったけれど、研究職には馴染みのない部署に所属していた。そのうえ、藤澤さんが退職した後に営業部に異動してきた人だったから彼の事を知らなかったのは無理はなく。私はというと彼の苗字を聞いただけで、胸がざわめくのを感じていた。

「...藤澤さん...の事、ですか?」

「そうそう、その人。あら、三浦さんはあの人の事をよく知っているの?」

あの披露宴で藤澤さんは青山さんの興味を引いたらしい。私は彼について知らないふりをすれば良かったと思ったけれど、時すでに遅し。彼女は彼の情報を聞きたがった。

「ねえ、どんな人だったの?」

歳上の青山さんにここまで聞かれて見ず知らずの人と答えるわけにはいかなくなり、とりあえず当たり障りのない事だけを話す。

「...そんなに詳しくはないです。会社に入ったばかりの時に少し話した程度で」

そんな素っ気ない答えを聞くと青山さんはあからさまにがっかりした様子で、洗面台の鏡に自分の顔を近づけた。

「ま、二次会でお近づきになればいいわよね」

彼女が鏡で見ていたのはお化粧直しの出来栄えで、二次会で藤澤さんにアピールする予定みたいだ。それを察してしまった私は彼の指輪について伝える事が出来ない。私の中でもまだ整理がついていない最大の関心事だったからだ。

「...本当、お近づきになれると...良いですね」

つい、青山さんには全く気持ちの入っていない言葉だけを伝えてしまう。そんな自分に自己嫌悪してしまい、すぐさまホテルの自室へと戻る。部屋は田山さんに頼んで予約してもらっていたツインルーム。以前に泊まった事のある部屋と同じタイプの部屋だった。

部屋に戻ってくるとドッと疲れに襲われ、着替えもそこそこに片側のベッドの端に腰掛ける。この疲労感は慣れない披露宴に出たせいではなく、隣の席の誰かをずっと意識していたせい。

「...笑って言えたかな」

手で頰をさすりながら思う事は、藤澤さんの結婚をちゃんと祝福できたかどうか。でも、こんな状況になるなんてここに来るまでは全く予想できなかった...というより、したくなかった。

...5年も独身ひとりでいるわけない...か。

彼が会社を辞めた時点であの手紙の事は反故になっているはずなのに、今日会えて舞い上がって何を期待してしまったのか。あの指輪の前では藤澤さんへの気持ちがすごく邪なものに思えた。

「さっぱりしよ」

再会するまで抱えていた想いを忘れたくて、シャワーを浴びに行く。浴室から戻ってきた私は綺麗さっぱり気持ちを切り替え、持参していた楽な素材のワンピースに着替えて、披露宴で着ていたドレスをキャリーバッグの中へとしまう。そのついでに身につけていたアクセサリーもベッドの上で簡易のジュエリーボックスに入れ、最後にクラッチバッグも片付けようとして躊躇する。中に藤澤さんから貰った名刺が入っていたからだ。あの時、私は名刺を確認することなく放り込んだ。今も見る必要性はないけれど、好奇心に似た感情がフツフツと湧いてしまった。

...名刺の確認くらい、平気だもの。

誰でもない自分に言い訳しながらクラッチバッグから彼の名刺を取り出すと、そこには私の知らない藤澤さんの仕事が記してあった。

...この会社、知ってる。

私の予想に反して彼の勤め先は海外ではなく国内の同業他社。同じ業界の会社であるという事と所属の部署で彼の生活圏が関西にあるのがすぐに分かる。

「藤澤さん、関西にいたんだ...」

同じ日本にいたのなら最後の別れくらいちゃんとしてくれれば良いのにと、名刺の裏面を確認。名刺の表目に記されている情報の英語表記があるのは普通の事だったけれど、その他にある数字が目に付いた。

『090-△×◯□-×◯□△』

これはどうみても後から追加された手書きのもの。確認した表面の電話番号と違うことからすぐに彼のプライベートの回線の番号だと分かる。

...だから、連絡。

既婚者の藤澤さんが元カノの私に何を話したい事があるというのだろう?

最初は素直にそう思ったけれど、連絡して会う事になったらと思うと何かをを求めてしまいそうで怖かった。それに彼もそれを期待していたとしたら?

以前の関係に戻ってしまう事を想像するだけで今の私たちに未来はないと、名刺を細かくちぎってゴミ箱に捨てた。名刺を捨てながらそんな関係に誘おうとした藤澤さんにも少し失望していた。

...時が経てば、誰だって変わるものなのね。

私の好きだった藤澤さんはもういないと、踏ん切りをつけてベッドに入ろうとするとスマホの着信音。相手は挙式を終えたばかりの鈴木さんで渡したいものがあるからとこれから部屋まで届けてくれるという事らしい。既に遅い時間帯だったけれど、わざわざこちらまで来てくれるという事でそれには快諾。ほどなくして来客を知らせるチャイムが鳴る。

「はーい」

私は鈴木さんが来たとばかりにドアスコープを確認せずにドアノブに手をかけ、大きくドアを開けた。すると、そこには鈴木さんではなく予期せぬ訪問者がいて。私が目を見開いたまま固まってしまうと、訪問者は部屋の中に易々と進入していた。

バタンと、私ではない別の誰かが閉めたドアの音が部屋にこだますると、いつの間にか私は壁際まで追い詰められ、私と向かい合う形で訪問者は立っている。そして。

「...優里」

さっきまで「三浦さん」と他人行儀だった藤澤さんの低い声が、何年ぶりかに私の名を呼んだ。
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