社内恋愛はじめました。

柊 いつき

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131.Catharsis ④藤澤視点

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30代を幾らかすぎた頃、仕事の分岐点ようなものに差し掛かかる。今いる研究所の業績不振による職場環境の改悪により、実際、田山の転職話を聞いた時、俺も転職を考えるようになっていた。ただ、俺の場合は田山と違い他業種への転職というより同業他社へと考えていたが、会社を退職することには違いない。このままこの会社でいいのかと自分の中で悩み、第三者の意見を聞くためにわざわざ京都まで出向いた。

この第三者というのは大学院時代所属していた研究室で教えを請うたかじ准教授。彼は大学から生え抜きの天才肌の人で、俺と幾つも年齢が変わらないというのに俺が院生の時は既に講師だった。それから数年で名門といわれた大学で既に准教授になり、近いうちに教授になるであろうと噂されている人物だ。社会的立場は違えど同じ分野の学問を探究する人間として彼の意見を聞いておきたかった。

梶さんは俺の今の状況を見るに見かねて大学ウチ来れば?と誘ってくれたものの、それは流石に社交辞令と受け取り、固辞。その代わり顔の広い彼からある会社を薦められる。ここならと彼から薦められた場所は、海外にも国内にもネットワークのある日系企業。今までの会社と規模は似たようなものだったが、俺の専攻する分野において環境が全く違うと梶さんは太鼓判を押してくれた。そうと決まれば話は早い。梶さんから推薦状をもらい、田山と前後して今の会社を退職。

転職後は今まで自分が成しえなかった事を思う存分試せたし、ある程度の実績と結果は残せたと思う。そして、それらがひと段落した時期に日本の支社のある管理職のポストが空席になっている話を風の便りで聞いた。普段は特に肩書きや地位には興味がなかったが、何を思ったかその管理職の試験を受けてみようと気まぐれる。

ただ、日本が恋しくなっただけだろうか?

気がつくとあれから4年の歳月が経ってしまっていた。仕事に打ち込んでいる間だけは、彼女に恋人ができたという事を忘れられていたのだが、何かを確かめないといられない自分がいる。

仕事に私情を持ち込むのは今回だけとそんな不純な気持ちで受けた昇進試験は、予想外にもクリアした。惜しむらくは本社は関西。これに贅沢を言ってはいられなかった。

チャンスの神というものが存在するならば、
それは前髪しかなく、通り過ぎた時には捕まえる事が出来ないらしい。

だからどんな時も逃してはならないのだ。

※※※

赴任先は予想通り関西圏。関西で馴染みがあったのは京都だけだったので住居は京都に決める。引っ越した時期は冬間近の紅葉真っ盛りの秋。もちろん、その時期の京都はどこを歩いても観光客で大賑わいを見せていた。

学生の時に住んでいた場所近くに住居を構えたが街並みが当時とはガラリと変化しており、引っ越したて当初は、学生の時と違った環境を珍しがるように観光を決め込む。

今日は天気が良かったので鴨川あたりを散策。以前にはなかった大手のコーヒーチェーンの店をを見つけ、ぷらっと入店する。ちょうど朝早くて観光客が少なかったせいか、テラス席に運良く座る事ができた。

「ここら辺も変わったな」

独りごちに呟き、淹れたてのコーヒーを口に運ぶ。そよぐ風に髪を揺られながら鴨川の河川敷を眺めると、割と朝早めの時間帯だというのに歩いている人間の多さに舌を巻く。それにここは相変わらずのデートスポットだ。観光客に混じり、若いカップルの姿もちらほら見かける。俺はそのカップルの姿に昔の自分と別れたはずの優里の姿を重ね合わせて見ていた。

...優里は京都とか好きそうだ。なんせ、ここは朱い柱の神社がたくさんあるしな。

別れる間際に行った旅行先での彼女の言動の1つ1つが昨日のことのように脳裏に蘇る。未だに当時の記憶を明確に再現できるのは、俺の中で色褪せない鮮明な想い出となっていたからだ。日本にいなかった時は仕事で結果を出す事が最優先だったから、正直、彼女のことはたまにしか思い出さなかった。

でも、こちらに戻ってからは以前よりも思い出す頻度は確実に増えている。
メランコリー?...ホームシック?いや違う。

これは自分の中での優先順位が変わった為だろうと容易に推測できた。

全然、過去になんかできてないのは俺の方。同じ日本の空の下にいるというだけで優里を思い出してしまう自分の女々しさに呆れ小さく口元だけで笑う。こうして仕事に集中する為に失ってしまった代償は何者にも代えがたく、当時の自分にはその価値に気がつけなかった。

自分が進む道の為に彼女と別れた事に後悔はない。
あの時はそれが最善の策だと今でも思っている。

それでも、戒めの指輪を身につけている間は彼女の幸せを願うくらいいいだろう。

その気持ちが表に出ないように俺はコーヒーを片手に持参してきた学会誌のページ捲り、来週の出張の算段をしてゆく。
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