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130.Catharsis ③
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「三浦...」
松浦がこんな熱っぽく私の名を呼ぶのを初めて聞く。あと数センチで唇が触れる間近までお互いの顔が近づくと、キスされると思った。私は彼を受け入れる為にゆっくり瞼を下ろしてゆくと唇の感触を首筋で感じる。
...最初に、キス、しないんだ。
藤澤さんと明らかに違う重みを感じているというのに目を瞑ると藤澤さんに愛された記憶しか脳裏には浮かばなかった。
甘く、夢見心地になるような口づけ。
私の身体の曲線を優しく触れる長い指。
私の名前を優しく愛しそうに呼ぶ心地の良い低い声。
どれもこれも藤澤さんとは全く違うというのに私は松浦を受け入れようとしている。着ていたスーツの上着を脱がされ、ブラウスのボタンは幾つか外されていた。耳朶を甘噛みされ、首筋に落ちていく唇の感触は藤澤さんと違うからといって不快感はない。それだからまるで恋人のように指を絡めるように手を握られ、身体を抱きしめられても微動だにしなかった。
...これで忘れられる。
寧ろ、私はそれらを積極的に受け入れようとしていた。
それなのにずっと感じていた松浦の重みがある瞬間にフワリと感じなくなる。絡められていた手もいつの間にか解かれていた。
...なんで?
なにが起こったか分からずそろりと目を開けると、松浦がベッドの端に腰掛け俯いているのが見える。私は開かれ乱れたブラウスを腕で隠しながら起き上がり、彼の背中に問うた。
「...どう...したの?」
「どうしたのって...自分で分からないのか?泣いているのに」
松浦は俯き加減で私を振り返る。
「え?」
指摘されて目元を指先で触れると彼の言う通りの涙触れた。
「あ...」
私が涙の存在に気がつくとポンっと目の前に差し出されたティッシュの箱。それは彼なりの気遣いでそれに手を伸ばせずにいたらいつもみたいな毒舌を吐かれた。
「泣いている女を無理やり抱くほど俺は困っていない。それに今日のお前は何か変だ。主任の話が出てから...」
松浦はそこまで言いかけ何かを思いあたるふしがあったのかそれ以上の言葉を発しない。口元を手で抑えたかと思うと、私の顔をマジマジと見ながら眉をひそめた。
「...もしかして、お前と主任ってまさか本当に?」
藤澤さんとの関係を問われた瞬間にドッと緊張の糸が切れた。もう我慢の限界で、堰を切ったようにポロポロと今まで押し殺していたものが溢れ出してしまう。
「...ごめっ...松浦ぁっ...」
取り乱したように涙が止まらず、しゃくりあげる私。そんな私を何も聞かずに見守る松浦。しばらくそんな状況が続き、ようやく涙が落ち着いた私は手を伸ばしティッシュで目頭を抑えていると松浦は力なく天井を仰いだ。
「はあー、お前の事は前から知っていたけれど。藤澤さんも、案外、不器用な人だったんだな。お前みたいな女と付き合って後腐れなく別れることができていなかっただなんて」
「うん...そうかもしれない」
何事にもスマートに物事を進めて行く藤澤さんへ皮肉った言葉なのに、不器用という言葉がなぜかしっくりくる。松浦は素直に頷いた私に困り顔で問うた。
「お前、これからどうするの?ずっと、藤澤さんだけなのか?」
それにはすぐに顔を横に振り、即答できた。
「ううん、彼との事は忘れる。もう終わったことだし、もともと私には勿体無い人だったもの」
松浦と危うい関係になりそうになり、それがキッカケでかえって藤澤を吹っ切る事が出来た気がする。
もう、2度と彼と会う事はないんだと私の頭がちゃんと理解したんだと分かった。
※※※
結局、広いベッドの端と端に松浦と私は寝て、再び身体を重ねる事なく、その日は朝帰り。
建物の外に出たら朝日が清々しくて。並んで駅まで向かう途中、彼は眩しそうに空を見ながら、欠伸をしていた。
「まさか、三浦とこんな風に朝帰りする日が来るとは学生の時は思いもしなかった」
それを隣で聞いていた私も同じ気持ちで、こんな馬鹿な事をしでかした彼に対し申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「...ごめんなさい」
殊勝な気持ちで謝ると、「気持ち悪い」と笑われてしまった。
「じゃあ、なんて言えばいいのよ?」
流石にちょっとむくれて尋ねると、松浦の顔はぷいっと私からそらされ、あさっての方向を見る。
「謝られるより、お前が元気になってくれればそれでいいよ」
顔をそらされたからどんな顔でそんな事を言っているのか分からないけれども、それは彼の照れ隠しなのかもしれない。私も何となく身の置き所がなく、小さな声で「うん。頑張る」とだけ告げた。
そして、家に帰るなり藤澤さんから貰ったものを机から取り出してフローリングの床に並べる。
初めてのエアメール、記念日ごとにプレゼントされた数々のアクセサリー。どれもこれも、手に取るとその時々のシチュエーションがまざまざと頭に浮かんだ。
それらを一つずつ手にとって、思い出と共に感傷に浸ったけれど、もう、彼は戻ってこないと自分に言い聞かせて。
エアメールは破って捨てた。
元彼からのアクセサリーはネットで調べると思い出の詰まったのものは未練が残るから売るとか、捨てるとか。私はどの方法も取れず、箱にしまって手の届かないところへ。ただ、一つだけなかなかしまえなかった初めてもらったピアスは普段使いのアクセサリーの中に紛れ込ませた。
...このくらいなら、多分、平気。
私は自らの気持ちにたかをくくって蓋をして、その想い出から逃れるように目を閉じる。
想い出は不純物と似ていると誰かが言っていた。
私の持つ藤澤さんとの想い出は、綺麗な想い出は甘く美化されてしまうし、辛い想い出は、切なく思い出すだけでもっと悲しくなる。
そんな彼との想い出を、何も混じり気のない純粋な想い出に昇華させるには少し時間が必要なのだと思う。
松浦がこんな熱っぽく私の名を呼ぶのを初めて聞く。あと数センチで唇が触れる間近までお互いの顔が近づくと、キスされると思った。私は彼を受け入れる為にゆっくり瞼を下ろしてゆくと唇の感触を首筋で感じる。
...最初に、キス、しないんだ。
藤澤さんと明らかに違う重みを感じているというのに目を瞑ると藤澤さんに愛された記憶しか脳裏には浮かばなかった。
甘く、夢見心地になるような口づけ。
私の身体の曲線を優しく触れる長い指。
私の名前を優しく愛しそうに呼ぶ心地の良い低い声。
どれもこれも藤澤さんとは全く違うというのに私は松浦を受け入れようとしている。着ていたスーツの上着を脱がされ、ブラウスのボタンは幾つか外されていた。耳朶を甘噛みされ、首筋に落ちていく唇の感触は藤澤さんと違うからといって不快感はない。それだからまるで恋人のように指を絡めるように手を握られ、身体を抱きしめられても微動だにしなかった。
...これで忘れられる。
寧ろ、私はそれらを積極的に受け入れようとしていた。
それなのにずっと感じていた松浦の重みがある瞬間にフワリと感じなくなる。絡められていた手もいつの間にか解かれていた。
...なんで?
なにが起こったか分からずそろりと目を開けると、松浦がベッドの端に腰掛け俯いているのが見える。私は開かれ乱れたブラウスを腕で隠しながら起き上がり、彼の背中に問うた。
「...どう...したの?」
「どうしたのって...自分で分からないのか?泣いているのに」
松浦は俯き加減で私を振り返る。
「え?」
指摘されて目元を指先で触れると彼の言う通りの涙触れた。
「あ...」
私が涙の存在に気がつくとポンっと目の前に差し出されたティッシュの箱。それは彼なりの気遣いでそれに手を伸ばせずにいたらいつもみたいな毒舌を吐かれた。
「泣いている女を無理やり抱くほど俺は困っていない。それに今日のお前は何か変だ。主任の話が出てから...」
松浦はそこまで言いかけ何かを思いあたるふしがあったのかそれ以上の言葉を発しない。口元を手で抑えたかと思うと、私の顔をマジマジと見ながら眉をひそめた。
「...もしかして、お前と主任ってまさか本当に?」
藤澤さんとの関係を問われた瞬間にドッと緊張の糸が切れた。もう我慢の限界で、堰を切ったようにポロポロと今まで押し殺していたものが溢れ出してしまう。
「...ごめっ...松浦ぁっ...」
取り乱したように涙が止まらず、しゃくりあげる私。そんな私を何も聞かずに見守る松浦。しばらくそんな状況が続き、ようやく涙が落ち着いた私は手を伸ばしティッシュで目頭を抑えていると松浦は力なく天井を仰いだ。
「はあー、お前の事は前から知っていたけれど。藤澤さんも、案外、不器用な人だったんだな。お前みたいな女と付き合って後腐れなく別れることができていなかっただなんて」
「うん...そうかもしれない」
何事にもスマートに物事を進めて行く藤澤さんへ皮肉った言葉なのに、不器用という言葉がなぜかしっくりくる。松浦は素直に頷いた私に困り顔で問うた。
「お前、これからどうするの?ずっと、藤澤さんだけなのか?」
それにはすぐに顔を横に振り、即答できた。
「ううん、彼との事は忘れる。もう終わったことだし、もともと私には勿体無い人だったもの」
松浦と危うい関係になりそうになり、それがキッカケでかえって藤澤を吹っ切る事が出来た気がする。
もう、2度と彼と会う事はないんだと私の頭がちゃんと理解したんだと分かった。
※※※
結局、広いベッドの端と端に松浦と私は寝て、再び身体を重ねる事なく、その日は朝帰り。
建物の外に出たら朝日が清々しくて。並んで駅まで向かう途中、彼は眩しそうに空を見ながら、欠伸をしていた。
「まさか、三浦とこんな風に朝帰りする日が来るとは学生の時は思いもしなかった」
それを隣で聞いていた私も同じ気持ちで、こんな馬鹿な事をしでかした彼に対し申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「...ごめんなさい」
殊勝な気持ちで謝ると、「気持ち悪い」と笑われてしまった。
「じゃあ、なんて言えばいいのよ?」
流石にちょっとむくれて尋ねると、松浦の顔はぷいっと私からそらされ、あさっての方向を見る。
「謝られるより、お前が元気になってくれればそれでいいよ」
顔をそらされたからどんな顔でそんな事を言っているのか分からないけれども、それは彼の照れ隠しなのかもしれない。私も何となく身の置き所がなく、小さな声で「うん。頑張る」とだけ告げた。
そして、家に帰るなり藤澤さんから貰ったものを机から取り出してフローリングの床に並べる。
初めてのエアメール、記念日ごとにプレゼントされた数々のアクセサリー。どれもこれも、手に取るとその時々のシチュエーションがまざまざと頭に浮かんだ。
それらを一つずつ手にとって、思い出と共に感傷に浸ったけれど、もう、彼は戻ってこないと自分に言い聞かせて。
エアメールは破って捨てた。
元彼からのアクセサリーはネットで調べると思い出の詰まったのものは未練が残るから売るとか、捨てるとか。私はどの方法も取れず、箱にしまって手の届かないところへ。ただ、一つだけなかなかしまえなかった初めてもらったピアスは普段使いのアクセサリーの中に紛れ込ませた。
...このくらいなら、多分、平気。
私は自らの気持ちにたかをくくって蓋をして、その想い出から逃れるように目を閉じる。
想い出は不純物と似ていると誰かが言っていた。
私の持つ藤澤さんとの想い出は、綺麗な想い出は甘く美化されてしまうし、辛い想い出は、切なく思い出すだけでもっと悲しくなる。
そんな彼との想い出を、何も混じり気のない純粋な想い出に昇華させるには少し時間が必要なのだと思う。
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