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1巻
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真夏の猛暑日、炎天下の昼下がり。
渋谷、路地裏、陽炎通り。
交差点の向こう側で、私に手を振る人懐こい笑顔。
君はまるで雑踏の中に咲く、向日葵みたいな人だった。
高校生活最後の夏休み後半。
君と共に過ごした夏を、私は一生忘れることはないと思う。
君といた、長くて短い七日間のことを――
DAY1
「なあ、待ってえや」
いや、待つわけないじゃん。
頼むから諦めてよ、ついてこないで、お願いだから……。
私のガン無視にもお構いなしに、横に並びこちらを覗き込んでくる、金髪でツリ目の柄の悪いオニイサン。
さっき出逢ったばかりだというのに、馴れ馴れしいにもほどがある。
絶対に目を合わせないように、前だけを向き歩く。
危険、危険、危険!
この人に関わってはいけないと、頭の中では、ずっと黄色と黒の警告色がチカチカしている。
抑え切れない激しい鼓動が、ドックドックと耳の中まで鳴り響く。
今日の最高気温は三十六度。
体温と同じぐらいの茹だるような暑さだというのに、今は寒気すら感じている。
鳥肌がたっているのに汗が止まらない。
ダラダラと額を伝っているのは冷や汗だ。
それでも前だけを真っすぐに見据え、汗を拭うこともなく涼しげな顔をしてひたすら歩く。ひたすらにだ。
私には何も見えません、聞こえていません!
「そんな急がんでもええやん! あ、そや、喉渇いてるやろ? ねえちゃん、めっちゃ汗かいてんで」
しきりに自分に注意を促そうとしているこの男の目的。
傍から見たら、ナンパじゃないのか? と思われるだろう。
もしくは、私を気遣う優しい男とか?
残念ながら、どちらも多分違う。いや絶対に違う。
「さっき目合うたやん。ねえちゃんもオレ見て笑うたやんか。なんでシカトするん?」
うっ、やはり見られていた……、に決まってるよね。
十七年間生きてきて、モテたことなど一度もなかった。
だから、彼に微笑みかけられて生まれて初めてナンパされたのかと思った私の一瞬の浮かれ顔。
見られてしまっていたのかと思うと何だか腹立たしい。
この馴れ馴れしく陽気そうな男との出会いは、ほんの五分前のことだ。
信号待ちをしていた私のショートパンツのポケットの中、ブルブルとスマホが振動する。
一瞬、そちらに気を取られた時、誰かが呼んでいるような気がして顔を上げた。
横断歩道の向こう側で、同じように信号待ちをする集団の中に彼はいた。
神々しいライオンのたてがみみたいに明るい金髪で、他の人より頭一つ抜きん出た長身は、太陽に向かって伸びる向日葵のように見えた。
私の目には、信号待ちをしている他の誰よりも、彼の姿は鮮やかで輝いて見えて、ハッと息を呑む。
一瞬で引きつけられてしまった。
だがしかし、整った顔立ちではあれど、金髪や切れ長ツリ目のスッとした目つきは、パッと見る限り柄が悪い。
『怖い人かもしれない』という先入観が脳裏をよぎり、彼から目を逸らしかけた、刹那だった。
まるで雷にでも打たれたような衝撃が走る。
バチッと彼と視線が絡んだ次の瞬間、背筋がゾクゾクゾクッと粟立つような、それでいてビリビリと痺れるような、甘く不思議な感覚に襲われた。
目と目が合ったことに気がついたのは私だけではなかったみたい。
金髪の彼は、その細い目を更に細め、大きく横に開いた口元からは人懐こく零れる八重歯と、愛らしいえくぼが、横断歩道の向こう側だというのにハッキリと見えた。
見た目には強面だと思ったのに、想像もしなかった愛嬌ある笑みを浮かべて、一生懸命こちら側に両手を振っている。
一応念のためにキョロキョロと周りを見渡してから、『私だよね?』と確認するようにジェスチャーで自分の顔を指さすと。
『そうそう! 君だよ!』と言いたげに、腕で大きなマルを作ってる。
やっぱり私にだ。それが嬉しいのと彼が可愛らしいなって思ったら、心臓がキュンと弾けるように音を立てた。
顔に気持ちが直結しちゃって、思わず微笑み返してしまう。
きっと私今真っ赤だよね、決して暑いからじゃなくて、ね?
信号が変わったら、私がそっち側に行ったらいいのかな?
それとも待っていた方がいいんだろうか?
どうしよう、と悩んだ一瞬後、信号が青に変わった、その時だった。
「あんたのことずうっと捜しとったんや。会いたかったで」
まるで瞬間移動のように、私の目の前にスッと立っている彼。
いや、瞬間移動というか、スーッと私の真ん前まで浮遊してきたこのイケメンの足元は、道路から数センチほど浮いていた。
ちょっと待って?
私、何も視えてません、視えてないです、はい。
そのまま彼を無視して、スタスタと無表情のままで横断歩道を渡ったのだった。
渋谷から井の頭線で明大前まで十分、そこから京王線に乗り換えて八王子方面に向かう。
特急が停まる駅と駅の間、急行や各停しか停まらない小さな最寄りの駅。そこに着くまでの電車移動は、いつもなら途中までは快速、一つ前の駅で各停に乗り換えて三十分ほどだけれど。
今日は、目の前に停まった一時間近くかかる各駅停車に咄嗟に乗ってしまった。
夏休みの夕暮れ前、人はまばらな車内。端っこの空いている席に座り、ため息をつく。
一体、なんでこうなったんだろう?
ただ目が合った、それだけなのに……。
混乱する私をよそに、金髪幽霊は電車にまで乗ってきてしまった。
まるで私の衛星のように、付かず離れず一定の距離で側を浮遊している。
電車の中では子供のように目を輝かせ、物珍しそうにキョロキョロとあちこち見回している。
その動向に気を取られて彼の動きに見入っていたら、視線に気づかれニィッと笑いかけられた。
もちろん、その度に視線は外すけれど、視えてないフリはそろそろ苦しい。
なぜなら、友達のように私に話しかけてくるからだ。
厄介なのは話の内容が私への質問形式ばかりで、ついついそれに答えてしまいそうになる。
「なぁなぁ、オレって何歳ぐらいに見えとる? ねえちゃんは……そうやな、高校生ぐらいちゃう?」
「これ京王線やんな? んー、乗ったことあったやろか?」
無視、無視、無視! 目を瞑って寝たふりをしようとして、思い出す。
そういえば、さっきスマホ鳴ってたっけ?
ポケットのスマホを取り出し確認すると、メッセージが入っていた。
『斎藤さんの英語のノート、持って帰ってきちゃってるんだけど』
クラスメイトの今野さんからのメッセージには写真が添えられていて、それは確かに私のノートのようだ。
『どうする? 学校あたりで待ち合わせる?』
今野さんの家は、私とは逆方向じゃなかったかな?
確か新宿まで出て、そこからJRに乗り換えて二十分とか。
京王線沿いで各停に乗っても三十分かからない私と比べて遠いな、と思ったことがある。
ただ夏休みだというのに学校まで行くのは、正直面倒くさい。
ならば郵送で送るという手も、と返信しようとしたら、すぐにまたメッセージが送られてきた。
既読になったのに気づいたみたい。
『夏休みできっと忙しいとは思うんだけど、私のノートは斎藤さんが持ってると思うの。だから、なるべく早く交換させてほしい』
……、そういうこと!?
私と今野さんのノート、取り違えてたってことなのか。
多分、夏休み前最後のペアワークの日かも。
あの日、私が今野さんのノートを写させてもらって、終わった後「ありがとう」と返した覚えがあるもん。
今野さんのノートだけなら郵送ですぐに送るね、で済ませられるも、自分のも同じようにとは中々言いづらい。
返信の指を止めたまま、画面と睨めっこしてたら、視界に金色の髪の毛が入ってきてハッとする。
スマホを伏せ見ないでよ、と無言で睨んだら。
「それ、なんなん? みんな、下向いて同じようなの触っとるやろ?」
彼が言う『それ』とはスマホのことのようだ。
私がしていたように、見ず知らずのおじさんのスマホをタップしようとしているが、どうやら物体には触れられないらしい。
もしかして、彼はスマホの存在を知らないの?
気づかれぬようにスマホの歴史をググってみる。
二〇〇七年のアイフォン普及が一般的にはスマホが世の中に出回ったきっかけ、らしい。
ならば、この人はその前に亡くなった人なのかもしれないってこと?
そういえば服装とか?
流行ってあるよね、その年代によって、と彼の服装を確認したものの……。
結果としてわかったことは、『何もわからない』ということだけだった。
だって、彼の着ている服は、年代には関係なさそうなんだもの。
この人は、多分建築関係などの職人さんなんだと思う。派手な紫色の裾広がりになっており、足首でキュッと締めるタイプの特殊な作業ズボン。
この手の作業着って、何年前だろうが変わりないんじゃないだろうか?
上に着ている黒い無地のTシャツからも、年代を推測するのは不可能だ……。
それにしても……。
マジマジと彼を観察していて気づいたこと。
身体つきは細身なのに、ピッタリとしたTシャツの上からも想像できてしまうしなやかな筋肉。
半袖から伸びた上腕二頭筋は太すぎず、かといって細すぎず、実践でついたのだろう筋肉がキレイに露出している。
男性の筋肉をじっくり観察する機会のなかった私は、食い入るように見つめてしまってから視線を慌てて逸らす。
ヤバい、気づいているのがバレたかも! そう思ったのは、また目が合ったから。
どうしよう、筋肉に、めちゃくちゃ見惚れていたかもしれない。
だらしない顔を見られたんじゃないだろうか?
顔が赤い気がして、パタパタと手のひらで風をあおいだ。
「なあ、大事なことやから確認したいんやけど」
不安げな視線で私を見つめる彼にドキッとした。
まるで縋るような大型ワンコの視線。それはズルイ、私は弱い。
どうしたの? なにか困っていることでもあるの?
そう声をかけそうになってしまった次の瞬間。
「今まで彼氏っておらんやんな? 多分、ちゅうか絶対アレやんな? 男性経験のない処じ」
「!!」
瞬間、自分自身の怒りを制御できなかった。
持っていたバッグを、金髪幽霊を殴るかのようにブンッと振る。
だがしかし、バッグは実体なきものを捉えることなく、突如暴れ出したヤバイ女子高生は、電車内の注目を一身に浴びてしまったのだった。
幽霊ってだけでも、絶対に連れて? 憑れて? とにかく連れて帰りたくないものナンバーワンだというのに、デリカシーを生前に置き忘れたような幽霊ってどうなのよ?
純情無垢な女子高生に向かって『処女』かどうかの確認とか本当にあり得ないと思う。それでもかまわず彼は続ける。
「なあ、ほんまに堪忍やで? 事情があってな、そのあたりを聞いてくれたら納得すると思うんやけど……聞いてくれへん?」
聞きたくない、とブンブンと頭を振ってから、反応してしまったことにまた後悔をする。
こちらが本気で怒っているということに、ようやく気づいた彼は、電車から降りた私の後をつかず離れずついてくる。
ああ、やっぱり私に憑いてるんだ。
堪忍、堪忍、と私の顔を覗き込んでは謝っているけれど、絶対に、さっきのことは許してなんかあげない。
どんな事情があろうとも私には関係のないことだもの。
大体、幽霊のお願いなんか聞いたら最後、取り憑かれて私までおかしなことになってしまうかもしれないじゃない。
頼むから、とっとと成仏してほしい。
というより、黙って渋谷に帰れ。引き返してくれ。
能天気な笑顔から、ふんっと顔を背けた。
***
一応東京、だけど二十三区外の私の住む街には、山がある。
天狗が住むと言われている御山も近くにはあって、東京都とは名ばかりの自然が豊かな地区。
駅前にも駅ビルや商店街はないが、小さなお店やスーパーがあるから不便ではないものの。
取り立てて観光するような場所もないし、ショッピングモール? なにそれ? おいしいの?
彼にとっては、見たことのない場所なのか、キョロキョロと辺りを見回しながら、私の後をついてきていた。
改札を抜け階段を下り、交差点を渡る。
秋には紅葉する銀杏並木を山の方に向かって十分ほど歩くと、見えてくる小さなお寺。
住宅街の一番外れにあるそのお寺こそが、私の住む家だ。
帰宅して私が真っ先に向かったのは小さな古い家の玄関ではなく、寺の本堂の方。
夕方のこの時間はそこで経を読んでいるだろう、じいちゃんのところだ。
「お寺さんやん!」
そうだよ、本来なら、君らが眠ってるべき場所だよ。
物珍しそうに墓所を見渡しながら、私の後をついてくる金髪幽霊に、私は返事をしないまま、スタスタと歩く。
墓所に向かい開けっ放しの扉から本堂の中を覗くと、読経するじいちゃんの背中が見えた。
香ってくる線香の煙と匂い、ご本尊様に手を合わせて夕刻の経を唱えているじいちゃん。
遮るのは申し訳ないけれど、こういうのは早い方がいい。
「じいちゃん、お塩お願い。それとお祓いも」
ただいまより先に言い放った私の言葉に、振り返ったじいちゃんはこちらを見て目を丸くし、小さく頷いた。
「確かこの辺りに、……うん、あった」
ご本尊の前にある引き出しをゴソゴソと漁った後、入り口にじっと佇む私のもとへと歩いてきたじいちゃんは、神妙な面持ちで。
「また、か」
「うん、また」
「じゃあ、こっちに背中向けて、はい祈って」
指示通り背中を向けて手を合わせる。
じいちゃんは小声で長々と念仏を唱え、それから私の背中を塩で清めた後。
「破ッ!」
仰々しく気合いを入れて、ジャランッと数珠を鳴らした。
「よしよし、これで大丈夫なはずじゃ」
大仕事をやり遂げたようにニッコリと微笑むじいちゃんには、大変言いづらい報告がある。
何が大丈夫なの? じいちゃんの隣で幽霊が変顔して笑ってるよ。
ミリ単位も成仏なんかしてないし、むしろふざけ倒している。
睨んだ私に首を竦め、一瞬だけ申し訳なさそうなふりをしても、こっちは一部始終あんたの悪ふざけが視えてるんだからね?
じいちゃんには自分の姿が視えてないからって、嬉しそうにアッカンベエとかしてたら本気でバチが当たるんだから。
私の舌打ちに気づいて、ハハッと笑って誤魔化しても無駄よ。
聖職者にそんな態度取ってたら天国になんか昇れないんだからね
じいちゃんのお祓いで彼らが剥がれた例しがなかったし、気休めでしかないのはわかってはいたけど、ダメージゼロな彼のチャラけた態度に眩暈がする。
私の知っている大体の幽霊といえば、黒く不気味に蠢いて、何となく人型を形成している影みたいな感じ。
雰囲気や声などで、男女か老人なのか若者なのかなどを見分けるぐらいで、ぼんやりとつき纏ってくる彼らのことは、視えない聞こえないフリで、やり過ごすことができていた。
そりゃ、いなくなるまでの憑かれている間は、金縛りや、体調不良、声にならない声が聞こえてくるから寝不足になるし、多少の我慢はしなくちゃいけなかったけど、数日のことだからと割り切っていた。
でも彼らは、ぼんやりとしていたからこそ、やり過ごせていた。ここが大事なとこ。
この幽霊もいつか同じようにいなくなるはず、と我慢しようと思ったけれど、こんな能天気なニュータイプは初めてで正直戸惑っている。
そういえば出逢いから、いつもとは違っていた。
なにより、この幽霊はうるさいくらい笑って喋る。関西弁も相まって、まるでお笑い芸人のようだし。
一番ハッキリと違うのは、まるで生きている人間のように私の目には映っているというリアル感だ。
少し日に焼けた肌、腕に残る治りかけの傷跡、左目の下の小さなほくろまで、こんなに鮮やかに視える幽霊なんて初めてだった。
本堂を出た後も側を離れず、私の部屋にまで入ってきちゃった彼を見て、ため息が出る。
だって、突然我が家に若い男が同居しに来た感じなんだもの。
絶対に無視できそうにない女子高生にとっての大問題が、そこに勃発する。
どこまでもついてくる彼に覚悟を決めて、だけど独り言のように脱衣所で伝えた。
渋谷、路地裏、陽炎通り。
交差点の向こう側で、私に手を振る人懐こい笑顔。
君はまるで雑踏の中に咲く、向日葵みたいな人だった。
高校生活最後の夏休み後半。
君と共に過ごした夏を、私は一生忘れることはないと思う。
君といた、長くて短い七日間のことを――
DAY1
「なあ、待ってえや」
いや、待つわけないじゃん。
頼むから諦めてよ、ついてこないで、お願いだから……。
私のガン無視にもお構いなしに、横に並びこちらを覗き込んでくる、金髪でツリ目の柄の悪いオニイサン。
さっき出逢ったばかりだというのに、馴れ馴れしいにもほどがある。
絶対に目を合わせないように、前だけを向き歩く。
危険、危険、危険!
この人に関わってはいけないと、頭の中では、ずっと黄色と黒の警告色がチカチカしている。
抑え切れない激しい鼓動が、ドックドックと耳の中まで鳴り響く。
今日の最高気温は三十六度。
体温と同じぐらいの茹だるような暑さだというのに、今は寒気すら感じている。
鳥肌がたっているのに汗が止まらない。
ダラダラと額を伝っているのは冷や汗だ。
それでも前だけを真っすぐに見据え、汗を拭うこともなく涼しげな顔をしてひたすら歩く。ひたすらにだ。
私には何も見えません、聞こえていません!
「そんな急がんでもええやん! あ、そや、喉渇いてるやろ? ねえちゃん、めっちゃ汗かいてんで」
しきりに自分に注意を促そうとしているこの男の目的。
傍から見たら、ナンパじゃないのか? と思われるだろう。
もしくは、私を気遣う優しい男とか?
残念ながら、どちらも多分違う。いや絶対に違う。
「さっき目合うたやん。ねえちゃんもオレ見て笑うたやんか。なんでシカトするん?」
うっ、やはり見られていた……、に決まってるよね。
十七年間生きてきて、モテたことなど一度もなかった。
だから、彼に微笑みかけられて生まれて初めてナンパされたのかと思った私の一瞬の浮かれ顔。
見られてしまっていたのかと思うと何だか腹立たしい。
この馴れ馴れしく陽気そうな男との出会いは、ほんの五分前のことだ。
信号待ちをしていた私のショートパンツのポケットの中、ブルブルとスマホが振動する。
一瞬、そちらに気を取られた時、誰かが呼んでいるような気がして顔を上げた。
横断歩道の向こう側で、同じように信号待ちをする集団の中に彼はいた。
神々しいライオンのたてがみみたいに明るい金髪で、他の人より頭一つ抜きん出た長身は、太陽に向かって伸びる向日葵のように見えた。
私の目には、信号待ちをしている他の誰よりも、彼の姿は鮮やかで輝いて見えて、ハッと息を呑む。
一瞬で引きつけられてしまった。
だがしかし、整った顔立ちではあれど、金髪や切れ長ツリ目のスッとした目つきは、パッと見る限り柄が悪い。
『怖い人かもしれない』という先入観が脳裏をよぎり、彼から目を逸らしかけた、刹那だった。
まるで雷にでも打たれたような衝撃が走る。
バチッと彼と視線が絡んだ次の瞬間、背筋がゾクゾクゾクッと粟立つような、それでいてビリビリと痺れるような、甘く不思議な感覚に襲われた。
目と目が合ったことに気がついたのは私だけではなかったみたい。
金髪の彼は、その細い目を更に細め、大きく横に開いた口元からは人懐こく零れる八重歯と、愛らしいえくぼが、横断歩道の向こう側だというのにハッキリと見えた。
見た目には強面だと思ったのに、想像もしなかった愛嬌ある笑みを浮かべて、一生懸命こちら側に両手を振っている。
一応念のためにキョロキョロと周りを見渡してから、『私だよね?』と確認するようにジェスチャーで自分の顔を指さすと。
『そうそう! 君だよ!』と言いたげに、腕で大きなマルを作ってる。
やっぱり私にだ。それが嬉しいのと彼が可愛らしいなって思ったら、心臓がキュンと弾けるように音を立てた。
顔に気持ちが直結しちゃって、思わず微笑み返してしまう。
きっと私今真っ赤だよね、決して暑いからじゃなくて、ね?
信号が変わったら、私がそっち側に行ったらいいのかな?
それとも待っていた方がいいんだろうか?
どうしよう、と悩んだ一瞬後、信号が青に変わった、その時だった。
「あんたのことずうっと捜しとったんや。会いたかったで」
まるで瞬間移動のように、私の目の前にスッと立っている彼。
いや、瞬間移動というか、スーッと私の真ん前まで浮遊してきたこのイケメンの足元は、道路から数センチほど浮いていた。
ちょっと待って?
私、何も視えてません、視えてないです、はい。
そのまま彼を無視して、スタスタと無表情のままで横断歩道を渡ったのだった。
渋谷から井の頭線で明大前まで十分、そこから京王線に乗り換えて八王子方面に向かう。
特急が停まる駅と駅の間、急行や各停しか停まらない小さな最寄りの駅。そこに着くまでの電車移動は、いつもなら途中までは快速、一つ前の駅で各停に乗り換えて三十分ほどだけれど。
今日は、目の前に停まった一時間近くかかる各駅停車に咄嗟に乗ってしまった。
夏休みの夕暮れ前、人はまばらな車内。端っこの空いている席に座り、ため息をつく。
一体、なんでこうなったんだろう?
ただ目が合った、それだけなのに……。
混乱する私をよそに、金髪幽霊は電車にまで乗ってきてしまった。
まるで私の衛星のように、付かず離れず一定の距離で側を浮遊している。
電車の中では子供のように目を輝かせ、物珍しそうにキョロキョロとあちこち見回している。
その動向に気を取られて彼の動きに見入っていたら、視線に気づかれニィッと笑いかけられた。
もちろん、その度に視線は外すけれど、視えてないフリはそろそろ苦しい。
なぜなら、友達のように私に話しかけてくるからだ。
厄介なのは話の内容が私への質問形式ばかりで、ついついそれに答えてしまいそうになる。
「なぁなぁ、オレって何歳ぐらいに見えとる? ねえちゃんは……そうやな、高校生ぐらいちゃう?」
「これ京王線やんな? んー、乗ったことあったやろか?」
無視、無視、無視! 目を瞑って寝たふりをしようとして、思い出す。
そういえば、さっきスマホ鳴ってたっけ?
ポケットのスマホを取り出し確認すると、メッセージが入っていた。
『斎藤さんの英語のノート、持って帰ってきちゃってるんだけど』
クラスメイトの今野さんからのメッセージには写真が添えられていて、それは確かに私のノートのようだ。
『どうする? 学校あたりで待ち合わせる?』
今野さんの家は、私とは逆方向じゃなかったかな?
確か新宿まで出て、そこからJRに乗り換えて二十分とか。
京王線沿いで各停に乗っても三十分かからない私と比べて遠いな、と思ったことがある。
ただ夏休みだというのに学校まで行くのは、正直面倒くさい。
ならば郵送で送るという手も、と返信しようとしたら、すぐにまたメッセージが送られてきた。
既読になったのに気づいたみたい。
『夏休みできっと忙しいとは思うんだけど、私のノートは斎藤さんが持ってると思うの。だから、なるべく早く交換させてほしい』
……、そういうこと!?
私と今野さんのノート、取り違えてたってことなのか。
多分、夏休み前最後のペアワークの日かも。
あの日、私が今野さんのノートを写させてもらって、終わった後「ありがとう」と返した覚えがあるもん。
今野さんのノートだけなら郵送ですぐに送るね、で済ませられるも、自分のも同じようにとは中々言いづらい。
返信の指を止めたまま、画面と睨めっこしてたら、視界に金色の髪の毛が入ってきてハッとする。
スマホを伏せ見ないでよ、と無言で睨んだら。
「それ、なんなん? みんな、下向いて同じようなの触っとるやろ?」
彼が言う『それ』とはスマホのことのようだ。
私がしていたように、見ず知らずのおじさんのスマホをタップしようとしているが、どうやら物体には触れられないらしい。
もしかして、彼はスマホの存在を知らないの?
気づかれぬようにスマホの歴史をググってみる。
二〇〇七年のアイフォン普及が一般的にはスマホが世の中に出回ったきっかけ、らしい。
ならば、この人はその前に亡くなった人なのかもしれないってこと?
そういえば服装とか?
流行ってあるよね、その年代によって、と彼の服装を確認したものの……。
結果としてわかったことは、『何もわからない』ということだけだった。
だって、彼の着ている服は、年代には関係なさそうなんだもの。
この人は、多分建築関係などの職人さんなんだと思う。派手な紫色の裾広がりになっており、足首でキュッと締めるタイプの特殊な作業ズボン。
この手の作業着って、何年前だろうが変わりないんじゃないだろうか?
上に着ている黒い無地のTシャツからも、年代を推測するのは不可能だ……。
それにしても……。
マジマジと彼を観察していて気づいたこと。
身体つきは細身なのに、ピッタリとしたTシャツの上からも想像できてしまうしなやかな筋肉。
半袖から伸びた上腕二頭筋は太すぎず、かといって細すぎず、実践でついたのだろう筋肉がキレイに露出している。
男性の筋肉をじっくり観察する機会のなかった私は、食い入るように見つめてしまってから視線を慌てて逸らす。
ヤバい、気づいているのがバレたかも! そう思ったのは、また目が合ったから。
どうしよう、筋肉に、めちゃくちゃ見惚れていたかもしれない。
だらしない顔を見られたんじゃないだろうか?
顔が赤い気がして、パタパタと手のひらで風をあおいだ。
「なあ、大事なことやから確認したいんやけど」
不安げな視線で私を見つめる彼にドキッとした。
まるで縋るような大型ワンコの視線。それはズルイ、私は弱い。
どうしたの? なにか困っていることでもあるの?
そう声をかけそうになってしまった次の瞬間。
「今まで彼氏っておらんやんな? 多分、ちゅうか絶対アレやんな? 男性経験のない処じ」
「!!」
瞬間、自分自身の怒りを制御できなかった。
持っていたバッグを、金髪幽霊を殴るかのようにブンッと振る。
だがしかし、バッグは実体なきものを捉えることなく、突如暴れ出したヤバイ女子高生は、電車内の注目を一身に浴びてしまったのだった。
幽霊ってだけでも、絶対に連れて? 憑れて? とにかく連れて帰りたくないものナンバーワンだというのに、デリカシーを生前に置き忘れたような幽霊ってどうなのよ?
純情無垢な女子高生に向かって『処女』かどうかの確認とか本当にあり得ないと思う。それでもかまわず彼は続ける。
「なあ、ほんまに堪忍やで? 事情があってな、そのあたりを聞いてくれたら納得すると思うんやけど……聞いてくれへん?」
聞きたくない、とブンブンと頭を振ってから、反応してしまったことにまた後悔をする。
こちらが本気で怒っているということに、ようやく気づいた彼は、電車から降りた私の後をつかず離れずついてくる。
ああ、やっぱり私に憑いてるんだ。
堪忍、堪忍、と私の顔を覗き込んでは謝っているけれど、絶対に、さっきのことは許してなんかあげない。
どんな事情があろうとも私には関係のないことだもの。
大体、幽霊のお願いなんか聞いたら最後、取り憑かれて私までおかしなことになってしまうかもしれないじゃない。
頼むから、とっとと成仏してほしい。
というより、黙って渋谷に帰れ。引き返してくれ。
能天気な笑顔から、ふんっと顔を背けた。
***
一応東京、だけど二十三区外の私の住む街には、山がある。
天狗が住むと言われている御山も近くにはあって、東京都とは名ばかりの自然が豊かな地区。
駅前にも駅ビルや商店街はないが、小さなお店やスーパーがあるから不便ではないものの。
取り立てて観光するような場所もないし、ショッピングモール? なにそれ? おいしいの?
彼にとっては、見たことのない場所なのか、キョロキョロと辺りを見回しながら、私の後をついてきていた。
改札を抜け階段を下り、交差点を渡る。
秋には紅葉する銀杏並木を山の方に向かって十分ほど歩くと、見えてくる小さなお寺。
住宅街の一番外れにあるそのお寺こそが、私の住む家だ。
帰宅して私が真っ先に向かったのは小さな古い家の玄関ではなく、寺の本堂の方。
夕方のこの時間はそこで経を読んでいるだろう、じいちゃんのところだ。
「お寺さんやん!」
そうだよ、本来なら、君らが眠ってるべき場所だよ。
物珍しそうに墓所を見渡しながら、私の後をついてくる金髪幽霊に、私は返事をしないまま、スタスタと歩く。
墓所に向かい開けっ放しの扉から本堂の中を覗くと、読経するじいちゃんの背中が見えた。
香ってくる線香の煙と匂い、ご本尊様に手を合わせて夕刻の経を唱えているじいちゃん。
遮るのは申し訳ないけれど、こういうのは早い方がいい。
「じいちゃん、お塩お願い。それとお祓いも」
ただいまより先に言い放った私の言葉に、振り返ったじいちゃんはこちらを見て目を丸くし、小さく頷いた。
「確かこの辺りに、……うん、あった」
ご本尊の前にある引き出しをゴソゴソと漁った後、入り口にじっと佇む私のもとへと歩いてきたじいちゃんは、神妙な面持ちで。
「また、か」
「うん、また」
「じゃあ、こっちに背中向けて、はい祈って」
指示通り背中を向けて手を合わせる。
じいちゃんは小声で長々と念仏を唱え、それから私の背中を塩で清めた後。
「破ッ!」
仰々しく気合いを入れて、ジャランッと数珠を鳴らした。
「よしよし、これで大丈夫なはずじゃ」
大仕事をやり遂げたようにニッコリと微笑むじいちゃんには、大変言いづらい報告がある。
何が大丈夫なの? じいちゃんの隣で幽霊が変顔して笑ってるよ。
ミリ単位も成仏なんかしてないし、むしろふざけ倒している。
睨んだ私に首を竦め、一瞬だけ申し訳なさそうなふりをしても、こっちは一部始終あんたの悪ふざけが視えてるんだからね?
じいちゃんには自分の姿が視えてないからって、嬉しそうにアッカンベエとかしてたら本気でバチが当たるんだから。
私の舌打ちに気づいて、ハハッと笑って誤魔化しても無駄よ。
聖職者にそんな態度取ってたら天国になんか昇れないんだからね
じいちゃんのお祓いで彼らが剥がれた例しがなかったし、気休めでしかないのはわかってはいたけど、ダメージゼロな彼のチャラけた態度に眩暈がする。
私の知っている大体の幽霊といえば、黒く不気味に蠢いて、何となく人型を形成している影みたいな感じ。
雰囲気や声などで、男女か老人なのか若者なのかなどを見分けるぐらいで、ぼんやりとつき纏ってくる彼らのことは、視えない聞こえないフリで、やり過ごすことができていた。
そりゃ、いなくなるまでの憑かれている間は、金縛りや、体調不良、声にならない声が聞こえてくるから寝不足になるし、多少の我慢はしなくちゃいけなかったけど、数日のことだからと割り切っていた。
でも彼らは、ぼんやりとしていたからこそ、やり過ごせていた。ここが大事なとこ。
この幽霊もいつか同じようにいなくなるはず、と我慢しようと思ったけれど、こんな能天気なニュータイプは初めてで正直戸惑っている。
そういえば出逢いから、いつもとは違っていた。
なにより、この幽霊はうるさいくらい笑って喋る。関西弁も相まって、まるでお笑い芸人のようだし。
一番ハッキリと違うのは、まるで生きている人間のように私の目には映っているというリアル感だ。
少し日に焼けた肌、腕に残る治りかけの傷跡、左目の下の小さなほくろまで、こんなに鮮やかに視える幽霊なんて初めてだった。
本堂を出た後も側を離れず、私の部屋にまで入ってきちゃった彼を見て、ため息が出る。
だって、突然我が家に若い男が同居しに来た感じなんだもの。
絶対に無視できそうにない女子高生にとっての大問題が、そこに勃発する。
どこまでもついてくる彼に覚悟を決めて、だけど独り言のように脱衣所で伝えた。
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登場人物紹介
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