芽吹く二人の出会いの話

むらくも

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深行

11.行き場のないもの

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 太陽の光が眩しい裏庭で、ばしゃんと盛大な音が響いた。
 一瞬何が起きたか分からなくて。晴れてるはずなのにぽたぽたと視界を落ちていく水滴と、目の前の奴が持ってるバケツを認識してやっと、自分が水をぶっかけられたんだって気が付いた。
「どうやってβ様に取り入ったのか知らないが、調子づいて本当に生意気」
 バケツを地面に放り投げたそいつは、忌々しそうにオレを睨んでいた。
 
 
 ――少し前。
 相変わらず生徒会長に絡まれつつ予防活動にも少しずつ慣れてきたオレは、校内を一人散策していた。
 Ωはヤバいと察すると人の居ない方へ逃げる傾向があるらしい。人の居る所は生徒会のβ勢が速攻で走ってくるから、オレはいつもどおりΩが隠れてそうな所を見て回る。
 すると案の定、裏庭の隅っこでうずくまってるΩっぽい生徒を見つけて。
 その時点でかなりきつめの甘い匂いがしてた。ヒートを起こして苦しそうにしてたけど、使い方を教わったカートリッジ式の薬を打ったらすぐ落ち着いて。生徒会に連携しようとしたら、そいつが居た。
 
 自分で手入れしてんのか疑わしいくらいにパリっとした制服を着てる金持ちαの集団の一人。噂の親衛隊ってやつらしくて、会長がまとわりつくようになってから事あるごとに小言を言いに来てる奴だ。
 オレがどうこう出来る問題でもないって何度か状況の説明をしたけど聞いてもらえる気配はなかった。だから文句言わせとけば気が済むだろうと思って、今日も適当に相槌打って流してたんだ。
 そしたら……庭の水やり用か何かで置いてあったバケツの水をぶちまけられた。 
 周りの奴らはにやにや笑いながらこっちを見ている。いい気味だの、夏だから気持ちいいだろだの、好き勝手言って。 
「い、い加減に……しろよ……そんなに悔しけりゃ手伝いの一つでもしろってんだ!」
 瞬間湯沸し器って言われるから皆が居る時は頑張って抑えてたけど、これにはさすがに堪忍袋の緒が切れた。
 
 空気読まずに絡んでくる生徒会長にも腹立つけど、何も協力しないくせに言いがかりをつけてくるコイツらはもっと腹が立つ。
「はぁ? αの僕達にヒートしてるΩの世話しろっていうのか。馬鹿だろお前」
「世話する前に食っちまうよな」
 クスクスと笑う意地の悪い顔。αがこんなんだって知らなかった。入学式でαも大変なんだなって思ってた自分がどうしようもなく馬鹿らしく思えて、それにもまた腹が立つ。 
「世話できなくても生徒会に報告上げるくらいは出来んだろうが! 出来る事すらしない奴らに、取り入っただの媚売ってるだの言われる筋合いなんかねぇぞ!!」
 
 金持ちα集団は何もしない。Ωにあてられるとヒートになるからって手伝いもしない。そのくせエリート意識だけは強くて、何かあったらすぐ文句を言ってくる。
 こっちは鎮静剤飲みながら人助けしてるのに。それをβ様に媚びてるだの取り入ってるだの言われるのは納得いかない。
「このっ……β風情が説教か!」
「認められたいなら出来る事考えやがれ! 他人の足引っ張る事ばっか考えて、使わない頭腐ってんじゃねぇのか!?」
「貴様黙って聞いていれば!」
 ずっと飲み込んできたものが一度溢れだしたら止まらなくなってしまった。
 殴られたら殴り返すつもりで睨み合ってると、かすかに草を踏む音が聞こえてくる。

  
「騒がしいなぁー。何の騒ぎだい?」

  
 少し語尾が伸びた話し方。真ん中で分けた髪は顎の辺りで切り揃えられてて、ザ・お坊っちゃまって感じがする。
「あ……と、藤桜司とうおうじ様……!」
 藤桜司とうおうじかおる。名前だけ見て女!?って驚いたけど普通に男だった生徒会の副会長。でもちょっと体格のいい女に見えなくもない大財閥の御曹司。
 生徒会長がβだから、副会長が実質αの頂点だと目されているらしい――というのは、市瀬からの受け売りだ。
 一応生徒会に生徒会長の手伝いするって挨拶させられた時にも見かけたけど、取り巻きやってるαほど腹が立った印象はない。
「揉め事だと聞いて来てみれば仁科儀の親衛隊じゃないか。やはりβ様の親衛隊は程度が知れているな」
「そ、その様な言い方はあまりにも……!」
 ……いや腹立つのは腹立つな。単にαもβもΩも下々の者は同列だってだけで、言い方は結構嫌味だ。
 さすがに親衛隊も焦ったのか食い下がる。だけど副会長は聞くつもりなんかなさそうな雰囲気だ。
 
「ん? 微かに甘い匂いがすると思えば……そこに居るのはΩじゃないのか。生徒会への通報は終わっているのかな、仁科儀の子分」
 子分ってオレか。あんまり否定出来ないのがムカつくけど。ムッとしながら首を横に振ると、はぁーっと副会長がわざとらしく溜息を吐いた。
「親衛隊の諸君。そこの子分が何をしているのかは知っているんだよね。君達は他でもない仁科儀が精を出している活動を妨害しているという事になるけれど、その自覚はあるのかな?」
「そんなつもりは……っ!」
「君達がどんなつもりかなんてどうでもいい。僕が問うのは結果としてどうか、だ」
 じろりとαの王様に睨まれて、ビクッと親衛隊の面々が体を震わせた。
「……も……申し訳ございませんでした……」
 怒られたのもそうだけど、生徒会長の名前を出されたのもあるんだろうか。さっきまで威勢よかったくせに叱られた犬みたいに元気がなくなってしまった。
 
 急に態度を変えた奴らに戸惑ってると、長身の先輩が走ってくるのが視界に入る。
「藤桜司副会長! お呼びで……おっと、失礼しました」
「ああ、すまないね相楽。頼みたい仕事が変わってしまったよ」
 走ってきたのは生徒会のプリンス、二年の相楽先輩だ。自力で歩けないΩの保護を依頼すると大体この先輩が走ってきて、軽々と抱き抱えて運んでいく。お姫様抱っこしてる所を見た田野原がプリンスって呼び始めて移ってしまった。
 α集団相手に軽くお辞儀をする相楽先輩はβだけど、αの生徒会役員から結構頼られてるように見える。
「そこのΩを保健室へ。僕らも近くにいて平気だから隔離する必要はないだろう。ついでに保護案件データベースにも報告入れておいてくれ」
「はっ、承知しました」
 ……単に便利屋……かもしれないけど。
 テキパキと座り込んでたΩを抱き抱えて歩いていく相楽先輩を見送って、副会長はこっちに視線を向けた。
「お前もいちいち頭に血を昇らせてないで自分の仕事を優先しなさい。何のために仁科儀から目を掛けられているのか、よく考えることだ」
 生徒会長にまとわりついて貰ってる、みたいな言い方にカチンときた。

 目をかけるってのがまとわりつくって事なのか。
 そのせいで水ぶっかけられても悪いのはオレか。
 
「…………そんなこと、頼んでない」
「おっお前! 藤桜司様に向かってなんて口を……!」
「お前達は懐の深さが足りないな。学生相手なんだからいちいち目くじらを立てる事でもないだろう」
「しかし……!」
 副会長は怒る素振りなんか欠片も見せない。オレの反論も何でもないみたいな顔をして流す。それがまた腹が立つけど生徒会長も同じ感じだったし、それがこの人達の普通なのかもしれない。
「そんなことだから金持ち坊ちゃんの癇癪だなんて侮られるんだよ。みっともない」
 というより非難の矛先はα連中に向いてるみたいだ。同じαでやらかしてる方が王様的には問題なのかもしれない。
「そうだ。親衛隊の諸君、ひとつ頼まれてくれないか。生徒会の雑務で申し訳ないのだが」
「はっ、はい! 何なりと!」
 急な提案にも親衛隊連中はぱあっと顔を輝かせて返事をする。誰の親衛隊なのか分かりゃしない。
「じゃあ子分、君の喧嘩相手は借りていくよ」
 そう言い残して、親衛隊連中を引き連れた副会長は優雅に校舎の方へ戻っていった。
 ……もしかして……助けられた、のか。めちゃくちゃ分かりにくいけど。
 
 
 ぽかんと副会長達を見送った先から、すっかり見慣れてしまった顔が走ってくる。
「行家!」
 目の前で立ち止まったのは生徒会長だ。珍しく慌てた様子で息を切らせていて、がっと肩を捕まれた。
「ずぶ濡れじゃないか! 一体どうした!?」
 何でだろう。
 ムカつくのに。腹立って仕方ないのに。
「……アンタのせいだ……」
 ぽつりぽつりと涙が落ちてくる。絶対動揺するもんかってさっきから踏ん張ってたのに。生徒会長の顔を見た瞬間、その力が入らなくなってしまった。
「全部アンタのせいだ! アンタがオレを巻き込むからっ、人前でまとわりついてくるからっ!」
 ほんとは……半分八つ当たりだって分かってる。
 手伝いしてるせいで絡んでくるんだったら、いっそやめてしまえばいい。この状況はオレが続ける選択をしてるせいもあるんだって、頭の隅では理解してる。
 だけど少しずつ飲み込んできた言葉の塵みたいなものが結構溜まってたらしい。開いた隙間から漏れだして収まらなくて、誰かのせいにする言葉に変わって口から溢れるのが止まらなかった。 
「だからやめろっつったのにっ……何でオレがこんな目に遭うんだよ……」
「……そうか」
 だけど生徒会長は何も言わなかった。一言呟いてじっとこっちを見てるだけで。
 
 涙を止めようと必死に足掻いてると、急に腕が伸びてきて。ぎゅっと抱き締められて少し背中が傾いだ。
「ちょっ、やめ」
「誰もいない」
 小さい子供をあやすみたいに手のひらが後ろ頭を撫でてきた。汗かいてる上に水を引っ被った湿気で気持ち悪いのに、その暖かさだけは気持ちいい。
「……服……濡れる……」
「構わない」
 優しい声が一言ずつ返ってくる。いつもみたいにからかってくれたらいいのに。そしたらいつもみたいに反論できるかもしれないのに。
「う、ぅ……ううーっ……」
「よく我慢したな、行家」
 こんな時に限って真面目な顔しかしない。何なんだよ役立たず。
 そうこうしてる内に温かい手のひらと声が必死に押し固めてた意地をぐずぐずに溶かしていって。小さな子供みたいに生徒会長に抱きつきながら、その肩で泣き続けてしまった。
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