アンタじゃないとダメなんだ

むらくも

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異変

28.虫の知らせ

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 少しの間、沈黙が落ちた。
 黙ったまま睨むワースラウルと、頑なに冷笑を浮かべるリレイと。賑やかになってきた周囲から切り離された様な静かな空気が、このテーブルにだけ漂っている。
「……お前に聞いている」
 ワースラウルのひどく低い声で、沈黙にふつりと穴が開いた。
「お前は後悔しないのかと、聞いている」
 じっとリレイを見つめる瞳にはハッキリと怒りが滲んでいる。けれどどこか悲しそうな、焦りのような必死さがちらちらと見え隠れしていて。
 どうにかして母親にリレイを会わせたいんだろう。そう思えば、この間の必死な様子も腑に落ちる。
 疑問なのは、リレイの方だ。
 会える家族が居るのに。どうしてそんなに頑なに会おうとしないんだろう。
「……帰れ」
「トール!」
 断固として首を縦に振らない兄貴に、弟は責めるような口調で食い下がる。
「帰ってくれ……」
 そう言ったっきり、リレイは黙りこくってしまった。
 しばらくの間あれこれ言い募っていたけれど、諦めたらしいワースラウルは怒ったように立ち去った。それを見届けて、相棒はやれやれと笑いながらサンドイッチを口に放り込む。
 けれど、一瞬だけ。
 【眼】を通して見つめていたリレイの顔が、泣いている様に思えた。

 
 しばらく酒場で食事をとっていたけれど、さっきの会話が気になりすぎて味が少しも分からなかった。
 宿屋に戻ろうと相棒に訴えて、早いうちに部屋へ戻ったけれど。話しかけるタイミングがつかめなくて、ちらちらとリレイを盗み見る。意を決して顔を覗き込んでみても言葉が上手く出ない。
 聞きたいことが沢山ある。けれどどれもリレイにとって踏み込まれたくない部分なのは予想がつく。何から聞くのがいいのだろう。
「なぁ……ティレニア、って人」
 考えあぐねて、答えの分かっている事を口にしてしまった。
「母親だ。俺が冒険者になる前から弱っていたから、別に不思議じゃない」
 帰ってきたのは表情のない顔と素っ気ない声音。側から見ればとても冷たく感じるけれど。
 【眼】で見つめたリレイは少し違った。
 上がろうとした口角は震えていて、引き結ばれる程度にしかなっていない。笑おうとしているのだろうか。微かに顔の筋肉が動くけれど、どうにも上手くいかないらしい。

 それがどうにも――泣きそうな顔にしか見えない。
 
「リレイ」
「すまない、一人にしてくれ」
 ようやく腹を括って声を押し出したけれど、すぐに遮られてしまった。この話に触れてくれるなとリレイの瞳が言っているようで。
 でも、そういう訳にはいかない。大事な相棒が泣きそうな顔をしているのに、このままになんてしておけない。
「帰ろう」
 ダメ元で提案してみたけれど案の定、リレイは応えない。
 何も言わずに、無表情に見える顔でハーファを見ているだけ。むしろ不機嫌に見えるかもしれない。余計なお世話だと思われているかもしれない。
 でも。
「帰らなきゃダメだ。ずっと会いたいって顔してんじぇねえか」
 何があったのかは知らない。けれどリレイは会えるのだ。会いたい人が生きている内に動かないと後悔する。
 後で会いたいと願っても、この世から居なくなった人は戻ってこないのだから。

 じっと見つめていると、【眼】の向こうのリレイはどんどん表情を崩していった。もう少しで泣き出してしまいそうな顔がハーファを見つめている。
「お前はあの家を知らないから簡単に言える! 俺一人を逃がすのに、あの人がどれだけ……」
 途中で言葉を詰まらせて、目の前の顔が俯いてしまった。
 ……何かあるんだ。リレイが出てきたという家に。
 黒い階級章を持つ上位の魔術師になっても、怯えて背を向けたくなる何かが。それが相棒を泣かせている。大切な人に会いたいという気持ちを押し込んでいる。
「だったら!」
 バチン!とリレイの頬を挟んだ両手が派手な音を立てた。……こんなに強くするつもりはなかったのに。痛かっただろうか。
 けれど目を丸くして固まっている相棒に、手を引くなら今しかないと頭が叫ぶ。塞いでしまっている耳に声が届くのは今しかない、って。
「……オレが連れてく。逃げなきゃいけない所なら、絶対にオレが連れて帰る」
 珍しく無防備な顔でリレイは見つめてくる。いつも大人の余裕みたいなものを振り撒いてるのに。
 目の前の相棒と【眼】の向こうの相棒が、ようやく重なった気がした。
 
 ホッとしながら額をこつんと触れ合わせて、思いのほか強く挟んでしまった頬を撫でる。けれどそれだけでは我慢できなくて、頬を寄せて抱きついてしまった。
「ついて来てくれるよな、相棒」
 少し強く腕に力を入れて、ぎゅうっと抱きしめる。
 単独で難しいならパーティで行けばいい。ハーファが孤軍奮闘していた時、リレイは笑いながら手を差し伸べてくれた。時間を割いて訓練に付き合ってくれた。そんな相棒に自分が手を貸す番だ。
 しばらく背中をゆっくりさすっていると、抱きしめた体がもぞりと揺らぐ。
「……ありが、とう」
 ぎこちない小さな声が鼓膜を揺らして。ハーファを見つめる表情は少しだけ、柔らかくなっている気がした。
 

 いつもの顔に戻った相棒と、ベッドの上でいつもの訓練をすることになった。
 何となく、あの先の話がしづらくて。訓練をしようという提案につい頷いてしまったのだ。
 開いた【眼】を閉じるイメージを、自分の体に伝える簡単な訓練。
 それはいつも繰り返しているもので、最近はすんなり出来ていた。なのに……今日に限って上手く閉じられない。
「調子が悪そうだな。大丈夫か?」
 聞こえてくる声に返す言葉も出なかった。
 リレイの様子が気になって仕方ない。また泣きそうな顔をしてるんじゃないかと思うと、意識するより先に【眼】を開いてしまって。何度も様子を確認しては安堵してを繰り返している。
「リレイ……その、明日」
「…………気を遣わせてしまってるな」
 そっと微笑んだ相棒の手が頭を撫でてきた。ゆっくりとしたその動きが心地よくて、うっかり流されてしまいそうになる。
 
 そんな場合じゃないと思いつつも撫でられたままでいると、ふとその手が止まった。ハーファを見つめるのは少しだけ固くなった相棒の顔。
「明日、出てきた家に少しだけ戻ろうと思う」
 切り出そうとしていた話がリレイの口から出てきて、ふわふわしていた意識がハッと我に返る。
 しまった。自分から切り出すはずだったのに。
 けれど向こうが意思を固めてくれたなら話は早い。何が相棒に泣きそうな顔をさせるのかようやく分かる。明日で上手く解決できれば、あんな顔をしなくてもよくなるはず。
「分かった。ついてくから一緒に行こう」
「……ああ。ありがとう、ハーファ」
 するりとリレイの指が頬に触れる。軽く唇が触れたと思えば、そのまま腕が巻き付いてきて。ぎゅうっと抱きしめられていた。
 これ自体は別に初めてではないけれど――どうしてだろう。妙に心臓がざわざわして落ち着かない。腕の中の相棒を確かめるみたいに、抱き返す腕に力を込める。


 その時のざわつきは予兆だったんだろうか。


 朝起きて隣のベッドを見ると、一緒に眠りについたはずの相棒の姿がなくなっていた。
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