お前じゃないとダメなんだ

むらくも

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君の隣に

19.君の隣で

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 ――目を覚ましたのは翌朝だった。
 待っていたのは体調についての検査と刻んだ術が正常に動くかの試験。術で首が絞めあげられた時は流石に身がすくんだが施術に比べればまだマシだ。
 何度目かの簡素な朝食を取り、審判官から今後についての説明を受けた。
 籍はギルドだが身柄は神殿預かりになること。定期的に検査に戻る必要があること。そして保護観察となった以上は神官兵が監督者兼上司としてつく事になることも。
 当然、これからは基本的に神殿の役務をこなすことになる。しかしそれに支障のない範囲であれば、ギルドの仕事や冒険をするのも構わないという了承も添えられていた。
「自由さは減るが……動き回れるだけ御の字だな。寛大すぎる気もするが」
 既に召集されているという監督者となった神官兵と合流すべく、早足で大神殿の入り口へ歩いていく。大きな窓から差し込む光は穏やかで、まるで絵画のような景色のように思える。
 何だか不思議な気分だ。もうこんな日は来ないと思っていたのに。

 
 巨大な門の備え付けられた入り口を出ると石畳の道を挟むように前庭が広がっていた。待ち合わせはもう少し先の中門近くにある詰所だったはずだ。
 さっさと進もうとしたリレイだったが、さあっと射し込んだ陽光に視界を覆われて足が止まってしまった。
「リレイ!!」
 耳に飛び込んできた、己を呼ぶ大きな声。
 戻ってきた視界を声のした方に向ける。まだ全体的にぼんやりとしていて顔はよく見えないが、左手に置かれていた長椅子の側に人が立っているようだ。
 ばたばたと走る音と一緒にその誰かが勢い良く抱きついてくる。
「ハー、ファ……!?」
 ようやくはっきりと見えるようになった姿は、あの日置いてきてしまった相棒のものだった。
「リレイ……本物のリレイだよな?」
「ああ。すまなかった、お前にまで……」
 真っ先に視界へ飛び込んできたのはハーファの首に刻まれた術の跡。くっきりと浮かんでいるそれをそっと指でなぞりながら、リレイは思わず眉根を寄せた。
 
 リレイに刻まれたものと同じ、いざという時に命を奪う術。本来ならハーファに刻まれる事などないはずの楔。
「平気。置いてかれるよりずっといい」
 ふわりと笑ったハーファからは、あの苦痛の跡は少しも感じられない。
 その笑顔のままぎゅうっと抱きつかれて。少しだけ迷ったけれど、そっと背中に手を回して抱き返した。
「リレイが居なくなるなんて嫌だ。ずっと一緒じゃないと嫌だ」
 甘えるような声がリレイの鼓膜を揺さぶる。そっと身を離したハーファがじっと顔を覗き込んできて、真っ直ぐな瞳がリレイを見据えた。
 ゆっくりと顔が近付いてきて、唇が触れる。
 たったそれだけだというのに痺れのような感覚がじんわりと体の中を広がっていく。
「オレを置いてかないで……トルリレイエ」
 吐息交じりの囁きに、何も言葉が出てこない。
 もう出来ないと思っていた。触れることも、見つめ合うことも。二度もハーファを置き去りにしてしまったのに、そんな人間を追いかけて置いていくなと引き留めてくれる。
 ただ無言で、力いっぱい抱き締めずにはいられなかった。

 
「こーらー! 神殿の入り口で甘ったるい雰囲気垂れ流すな――!!」


 からかうような声にはっと我に返る。
 よくよく見ると周りには普通に神殿へやって来たであろう人間達の姿もある。何事かとざわついた人々から向けられる視線が地味に痛い。
 気まずい気持ちで声のした方を向くと、リレイの恩人ともいえる男の姿があった。
「イチェスト……礼もせずすまない。お前のお陰で被害がかなり軽減されたと聞いた。お前が居なければ俺は、ハーファまで……」
「それが盾の仕事なんで。いやぁでもハーファ探してて良かった。俺としては助手も増えるし、結果オーライです」
 助手……とは。
 爽やかに笑うイチェストの台詞がいまいち理解できなかった。困惑するリレイに気付いたのか、目の前の神官兵はらしくなくニンマリと口角を吊り上げる。
 
「二人の監督者たる上司はこの俺のなので! バリバリ任務手伝って恩返しして貰いますよ!」

 どんっと拳で己の胸を叩きながら、恩人殿はどや顔で二人を見る。
 なるほど、だからこうして出迎えに来たという訳かと腑に落ちた。けれどハーファは逆に納得がいかなかったらしい。げぇっと蛙のつぶれるような声を上げてイチェストを睨む。
「神官がつくって言ってたけどお前なのかよ!」
「そーだよ! 遺跡の調査官に昇進したんで報告書作成もガッツリ手伝って貰うからな!!」
 前の調査報告に味しめたっぽいな!とどこか自棄糞にも思える声でけたたましくイチェストは笑う。報告書という言葉に反応したのか、ハーファは思い切り顔をしかめた。
「嫌だ! チェンジ!」
「んなもん認められる訳ないだろ! 潔く諦めろ!」
 ぎゃあぎゃあと騒ぎ始める二人。あまりの声量に知り合いらしい神殿の衛兵が中からすっ飛んできて拳骨を食らわせていた。まるで親のように騒いだ当事者を正座させ、仁王立ちで説教を始めている。
 ……霊験あらたかな大神殿の入り口なんだが。
 そう思ったりもしたけど、微笑ましいのでしばらく見守る事にした。
 
 
 大神殿の公開説教を眺めていると、背後から控えめな足音が近づいてくる。
「トール……」
「ワース。何だ、らしくないな」
 弱々しい声で話しかけてきた弟は、何処か気まずそうな表情でこちらを見ていた。
「すまなかった……俺が軽はずみに動いたばかりに、父さんに勘づかれてしまった」
 どうやらあの男が直にハーファへ接触してきたと聞き及んだらしい。確かに逃げた元息子にすら接触しなかった人間が、あの街に居るハーファへたまたま目を付けたとは考えにくい。
 可能性が一番高いのは……普段と違う動きをしている息子に、気付いたから。
 
 実際どうなのかは分からない。ずっと息を潜めていたリレイがハーファと動き出したのを察知したからかもしれない。二人旅はなかなか賑やかだっただろうから。
 けれどワースは自分の行動で勘づかれたと踏んでいるらしく、叱られた子供のような表情をしてリレイの顔色を伺っていた。
「いや、お前のお陰で母様の魂に会えた。感謝している」
 ワースが食い下がってきたから、ハーファが見かねて背を押してくれた。そうでなければ母の遺した幻影に会うことすら出来ず、未練を心の底に沈めたままにするところだった。
 今回の事件は苦しかった。悲しかった。ハーファを喪うかもしれないと恐怖したし、我を忘れるほどの怒りに駆られもした。
 けれど得たものもたくさんある。逃げてばかりでは見つけられなかったものが。
 
「俺こそお前に面倒ばかりかけてしまってすまない。それに……アルテシア様は大丈夫か?」
 家の跡取りであるワースも、リレイの母の死で第一夫人に繰り上がったワースの母親も、リレイとの一件で手負いとなった当主を支えながら生きていく事になる。
 よりによって自分達親子を慮ってくれていた優しい二人に要らぬ苦労を背負わせてしまった。
「大丈夫だ。あの人は元々看護や介護を仕事にしていたし、医師も派遣されてきた。父さんは動けないし魔力も封じられたから、滅多なことは起きない」
「……封じられたのか。では、もう……」
「魔法騎士の資格も剥奪された。冒険者相手に拷問用の術を使ったんだ、故意に何度も発動するようトラップまで仕掛けて……こうなるのは必然だろう」
「そうか……」
 騎士のしでかした禁術行使は処遇がかなり重かったらしい。こうなるといっそ親子揃って魔力を封じられてもおかしくないようにも思うが、やはり命を張って庇ってくれたハーファの影響が大きかったのだろう。
 
 そんなとりとめのないことを考えていると、それはそうと、とワースが言葉を挟んだ。
「俺もトール達に同行する事になった」
「は?」
 言われた意味が分からず弟の顔を見る。すると後ろからどかっと衝撃が走って、そのまま後ろ抱きにぎゅうっと抱きしめられた。
「はぁ!? 何でお前まで!!」
「暴走事故を誘発した一族の不始末に対する責任を取りに来た」
 威嚇するハーファにワースは呆れたような表情を浮かべている。
 ……つまり父親個人だけではなく、家そのものにも審判が下ったのか。あの事件は父親の置かれた環境にも要因があると、その贖いを家に連なる者に求めている。
「いらねぇ! さっさと家に帰れ!」
 ぐいぐいとリレイとワースの間に割って入ってくるハーファは、あっちへ行けと手を払う動作をする。けれどそれをワースは鼻先で笑い飛ばした。
「グランヴァイパー相手に攻撃が通らなかった奴がよく言う」
「うぐっ」
 そこを持ち出すとは大人げない。
 思わず笑ってしまったのを見咎められて、自分の事だと思ったらしいハーファにむすっとした顔で睨まれてしまった。
 
「そもそも神殿の指示への拒否権など俺達にはない。一族から出てきたのが、俺以外の朴念仁ではなかったことに感謝しろ」
「意味わかんねぇし! さっさと帰れ!!」
「……この阿呆の何処がいいんだ?」
「このっ……!」
 じとっと呆れたような視線を寄越してくる弟の言葉に、ハーファとの関係がばれていると察せてしまって顔が熱い。
 確かに出てきたのが事情を知っているワースでよかったかもしれない。突っかかっていっているが、何だかんだハーファも慣れてきているようだし。
「こういう所がいいんだ。可愛いだろ?」
 最初の頃は気を張っていたのかしっかりした雰囲気だったが今は無邪気に見える。パーティを組むことに抵抗感を持っていたハーファが、ワースが居ても態度を変えていないのは大きい。
 ここに見知らぬ人間が混ざって、また元に戻ってしまうのは勿体ない。
「理解が出来ない」
「それは何より。お前と取り合いになりたくないからな」
「要らぬ心配だ」
 ふん、と弟は呆れた声を漏らして鼻で笑う。けれどその表情はとても穏やかに見えた。
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