お前じゃないとダメなんだ

むらくも

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君の隣に

18.審判と覚悟

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 神殿預かりとなった事件の当事者は、審判のため大神殿に送られる。
 いわゆる国家でいうところの裁判だ。しかし事実確認と当事者の供述聴取までは行われるが、法廷のような場は存在せず、審判官達による審判で沙汰が下されることになる。
 例に漏れず大神殿へ送致されたリレイも、供述聴取を終えてただ審判が下るのを待っていた。

「大人しくしていたね。感心だ」
 静かに部屋の入口が開く。入ってきたのは細やかな金糸の刺繍が目を引く法衣をゆったりとまとった神官。大神殿の審判を司る審判官の一人だ。
 見えない魔力の檻の向こうで巻物を広げる審判官に視線を向け、リレイは沙汰を待つ。
「君の処遇が決まったよ」
「……はい」
 決めるもなにもない。
 審判の過程で改めて聞かされた内容は酷いものだった。離れの建物を倒壊どころか跡形もなく吹き飛ばし、離れの近くを歩いていた使用人達も巻き込んで地面や渡り廊下に叩きつけたのだという。何とかイチェストが人間へのダメージを緩めてくれていたらしいが、それがなければ大量殺人だった。
 誓約を破ったというだけの話ではない。これだけの被害を出した者を放し飼いになどしないだろう。
 
 ――極刑は免れない。
 
 そう自分の中で結論を出していたリレイは、静かに審判官が話し出すのを待っていた。
「トルリレイエ・カルミラ・シスノウェル。魔力暴走による器物損壊および周囲の人間への傷害を貴殿の罪と認定し、恒久的な魔力行使制限の上、神殿所管での経過観察とする」
「はい。…………はい?」
 思っていた処遇とかけ離れすぎていて、リレイは思わず顔を上げた。よほど変な顔をしていたのか自分を見下ろしている審判官は少し高圧的にふふっと笑う。
「ご不満かな? かなり大甘審判だと思うんだけれど」
「いえ、あの……甘すぎるのでは……」
 魔力制限は確かに魔術師としては痛手ではあるけれど、所詮は制限だ。魔力を奪う封印という処置もできるはずなのに。しかも幽閉ですらなく経過観察。それはつまり――大神殿の外へ出られるという事だ。
 しでかした事と釣り合わない。
 そう戸惑うリレイに審判官はゆるりと目を細めた。
「極刑だと自分で決めつけて、そんなに死にたかったかい?」
 鈍い青の瞳に覗き込まれて、思わず視線を床に落とした。
 
 
 強い【眼】の力。未熟なハーファとは比べ物にならないほど無遠慮に、身構える暇もなく自分の思考に踏み込まれて頭がぐらぐらする。
「……いえ……」
「君の暴走は確かに酷いものだけどね。治療も行っている点から若干は軽減の余地がある」
 ただの偶然だ、とリレイは心の中で呟いた。
 あれは自分の意思じゃない。他人を傷つけた暴走と同じように、ハーファへかけようとする治癒の術も抑えが利かなくなっただけだった。自分が傷つけた他者の事など欠片も頭に無かったのに。
「あと、ハーファに感謝するんだよ。文字通り命を担保に君を助けたんだから」
「……え?」
 急に出てきた名前と不穏な言葉にドキリとした。
 動揺するリレイの瞳の奥を覗き込みながら、巻物を元の形に収める審判官は意味深長に笑う。
 
「よく聞きなさい。次に君が暴走するような事があれば、ハーファも死ぬ。そうなるよう呪いがかけられる」
 
「なに、言、って……」
 聞きたくない言葉が耳から頭の中へ流し込まれて息が苦しい。はっきりと自覚できるくらい、明確に頭が理解を拒否している。
「君にこれから刻まれるのは手足の魔力制限と、首の暴走抑止の二つだ。魔力暴走が起きれば暴発する前に呪いが君を絞め殺す。そして同時に呪いが連鎖しハーファも命を落とす事になる」
「どうして! ハーファは関係ないじゃないか!!」
 限界だった。目の前に何があるのかも忘れ、審判官の口を塞ぐべく掴みかかろうとして魔術の檻に弾き飛ばされた。
 
 ……拷問用の術を何度もかけられて、無抵抗な状態で傷つけられて、今度は命まで天秤にかけられるのか。何故ハーファばかり巻き込まれなければならないのか。己が受けるべき報いのはずなのに、どうしてハーファにまで。
 床から身を起こしながら睨むリレイを見下ろして、審判官はにこりと微笑んだ。
「何も悪くない君を殺すのなら、自分も一緒に殺せと喚きながら押しかけてきたんだよ……本当に、あの子はいつまで経っても問題児でね」
「ハーファ、が……?」
 とくりと心臓が大きく脈打つ。
 忘れろと言ったのに。行くなと言ってくれた姿に背を向けたのに。
 追いかけてきてくれたというのか。リレイの実家と大神殿はかなりの距離がある。なのにこんな所まで。
「相棒を返せ返せとやかましいったら。まるで我々が人攫いをした悪の権化の様な言い方をするから、居合わせた信徒達への説明に苦労させられたよ」
 盛大な溜息をこぼしながら審判官は巻物の紐を結び終える。ぱん、と手のひらに音を立てて打ち付ける音と共にすっと審判官の笑みが引き潮の様に消えていった。

 鈍い青がじっとリレイを見る。
「……今回一番の被害者が、君を助けるために命をかけると言ってのけたんだ。情状酌量……というよりも審判が踊り狂って大変だった」
 恐らく最初は自分の予想と同じ展開だったのだろう。
 当事者の命ひとつで収めるはずだったものを真っ直ぐすぎる相棒がひっくり返してしまったのだ。そして策を弄して戦うタイプではないだけに、果たしてそれが言葉の抗議だけで済んだのか少し怪しい。
「ええと…………すみません……」
「そう思うなら二度と此処に来ないでくれ」
 何だかいたたまれなくなって頭を下げると、急にひやりと変化した声が降ってくる。ゆっくりと審判官はしゃがみこみ、完全に笑顔を消した瞳がリレイを再び映し込んだ。
 鈍い青。その光彩には細く鮮やかな水色が混じっている。
 蛇に睨まれた蛙の様に身動きが取れない。先程のように【眼】を使っている訳ではないようだが、どうしても視線を外すことが出来ない。
「私の教え子を、殺さないでやっておくれ」
「……はい」
 その真剣な視線と重々しい声音に、リレイは静かに頷いた。

 
 
 魔力による抑止は、皮膚の奥に術式を刻み込む。
 まるで罪人の入れ墨のようなそれは表皮よりもかなり深い組織に細工をする。普段魔力に曝される事のない部分に干渉するため、体への負荷が大きい。
「う、ぐ……ぅ、ぐぅぅぅ……ッ!」
 まるで獣の唸り声の様な音が喉の奥から溢れ出て、己でも少し驚いた。
 両手首への施術を終えて最後の施術を受けるリレイは、両方の手首と足首に加えて肘、膝、太股の付け根まで拘束されていた。腹や胸は布でぐるぐる巻きにされて口には猿轡がはめられている。それすらも何本ものベルトを絡ませて台に縛り付けられ、全く動けない状態だ。
 
 皮膚の下に入ってくる魔力はまるで刃を入れられているような感覚に陥る。実際は皮膚の上を鋭利さなど欠片もない器具が撫でるように動いているだけなのだが。
 手の時はその様子が見えていたから、施術中の体の中を切りつけられているような錯覚も現実とは違うものだと視覚で否定できた。けれど首の施術は天井こそ見えても自分の首は見えない。
 何がされているのか分からず、己の感覚は首を刃が皮膚を這っていると認識している。
 理性で言い聞かせても本能から恐怖が突き上げてきて上手く抑え込めない。息が上がって体が小刻みに震える。
 猿轡がなければ恐怖に負けて喚き散らすか舌を噛みきってしまっていたかもしれない。えらく大仰な拘束だなと呑気に眺めていたが、当然の処置だったわけだ。
「もう半分終わったよ。あと少しだ」
 すっと首を這う感覚が抜けて、ぽんぽんと肩を叩かれる。酷く安堵した瞬間、体を持ち上げられて視界が反転した。
 
 仰向けがうつ伏せに変わって施術台に押し付けられる。再び施術台に固定された後、後頭部もベルトで固定された。
 ばくばくと心臓が大きく走り回る。まだ仰向けの時は視界の隅に映るものがあったけれど、今はもう施術台のシーツが視界いっぱいに広がるだけだ。腹の底から沸いてくる恐怖感がじとりと全身を包んでいく。
「さ、続けるよ。頑張れ」
 無機質な声と共に、刃物のような魔力の気配が首の皮膚の中を這っていく。
「ふ、ぐ、ぅ……っ……っぅぅ……!」
 ぐらぐらと視界が揺れる。首を切り落とされるのではないかと、ありえない妄想が広がって恐怖が肺を埋め尽くしていく。息が出来ない。意識を飛ばすなと施術前の説明で散々言われたけれど、極度の緊張で段々と意識がぼんやりとしてくる。
「ほー、若いのに我慢強いねぇ。よく失神して失敗するんだよ首は。もう一人の子もよく頑張っていたけれど」
 呑気な声に一瞬だけ息が止まった。
 ……そうだ。ハーファも同じ目に遭っている。自分は何もしていないのに同じ首枷を刻み込まれている。リレイを助けるために、こんな苦痛を耐えてくれている。
 はやく会いたい。失敗してやり直しなんて冗談じゃない。
「っ、う、グ」
 痛みと恐怖で何度も遠退きそうになる意識を何とか引きずり戻しながら、猿轡を強く噛み締める。
 
 何とか全工程を終えて施術台から降りようという瞬間、張りつめていた糸が切れてガクンと意識を手放した。
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