はざまの中の僕らの話

むらくも

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1年目

*引き合う【α×Ω】(1)

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 Ωって面倒くさい。
 発情期はくるし。抑制剤を飲んでないととんでもないことになるし。なのに周りはΩだって分かると馬鹿にしたり、腫れ物に触るみたいにしたりするし。今まで普通にしてたのに、急にぎくしゃくしたり縁を切られたりするし。
 好きで発情してる訳じゃないのに。
 こうなりたいって望んでる訳じゃないのに。
 ずーっとそんな事を思ってきた。
 ばれたくなくて、こっそり薬を飲んで、βのふりをして友達に混ざってた。

 でも、その友達の一人が首輪をし始めた。

 そいつはβの恋人が最近できて、その辺りから首輪をしてる。ならその理由は誰でも分かる。
 ……Ωだからだ。
 αにうなじを噛まれてしまわないように、誰とも番にならないように、護身のためにつけているんだ。番にされてしまったら、対のα以外と関係を続けることはできないから。βの恋人以外と事故が起きないように首輪をしているんだ。
 今までβだと思ってたそいつは平然とした顔でΩの印をつけて歩いて、βの友達と普通に笑いながら過ごしている。


「薬?」


「うん、Ωって抑制剤飲むじゃん? ユッキー飲んでるとこ見たことねえなーって思って」
 ユッキーこと行家ゆきいえはキョトンとした顔でこっちを見た。その首元には黒い首輪が襟から覗いている。不良グループならまだしも行家はスポーツ青年な見た目だから、シンプルなデザインとはいえやっぱアクセサリー的なやつは目立つなぁとボンヤリ思った。

 行家はつい最近までβだと思ってた友達だけど、実はΩだった。しかも相手は散々付きまとわれて反発してたはずの一個上の先輩。心境の変化が謎すぎる。
 だけどΩだって分かって、こっそり親近感を抱いている。向こうは俺がそうだって知らないから勝手に抱いてるだけだけど。
 薬のやりくりとか、隠れて飲むのとか、やっぱり大変だし。助け合える部分は友達として助けたいなって思う。
 そう思って振った話題だったけど想定外の答えが飛んできた。
「いや、飲んでる。朝と夜」
「えっ……昼は要らないのか?」
「別に必要ねぇけど……どうした急に」

 ……しまった。食いつきすぎた。

 でも俺は朝昼晩と薬飲んでるし、ヤバイと思った時に追加で飲まないと発情は抑えられない。なのに行家は朝と夜で済むって聞いて驚かずには居られなかった。
 同じΩなのにこの違いは何なんだろう。
「……オレは特徴薄いらしくて。ずっとそれで済んでたし、たまにヒートがきても軽くて一日とかで終わってた」
「え……」
 一瞬だけじっとこっちを見た行家がこぼした言葉は、あまりにも羨ましいものだった。個人差はあるって言われてたけど違いすぎやしないか。ヒート期間中ガッツリそれに悩まされてる俺とは天と地の差だ。

「でも最近キツくなってきて。何か起きたらやだなって思ってさ」
 ヒート事情をあっけらかんと話す様子に正直戸惑いながら眺めていると、ふっと言葉を止めた行家はゆるく微笑んだ。
「あ……えっと」
「気になったんだろ? 急にコレし始めて」
 コレ、と行家が示したのは、黒いシンプルなチョーカー。見せびらかすでも、隠すでもない。そこにあるのが当たり前みたいに触れている。
 少し開いた襟から見えるそれは何だか艶かしく見えて、少しドギマギした。

「べ、βだと思ってたからびっくりして……悪い、探るみたいなこと……」
「別にいい。色んな奴に言われたし。遅い成長期が来たんじゃねー?とか」
 さすがに踏み込みすぎたと反省する俺を横目に、行家はけらけらと笑った。
 同じΩなのにこんなに違う。俺は逃げて、隠れて、誤魔化して、隠れて、隠れて隠れて隠れて。誰にもばれないようにって生きてきたのに。
「……ヤバそうだったら、言ってくれ。緊急抑制剤、持ってるから……」
「そっか。そんときは頼む」
 一瞬きょとんとした顔をして、すぐに行家はにっと笑う。何でそんな物を?とか、お前もΩなのか?とか。教室を出ても、寮に戻っても、行家から言われる事はなかった。
 ほんの少し、本当に少しだけ……ズルいって、痛い目に遭えばいいのに、なんて……酷いことを思った自分が物凄く恥ずかしかった。



 ――きっと、人を呪うような事を思ったからバチが当たったんだ。
「……ぅ、やば……くすり……っ!」
 不定期にやってくる体がぞわぞわする感覚。もう慣れてしまった突発的な発情に、いつも通り鞄に手を突っ込んだ。
 ……んだけど。
 いつも鞄に入れてるはずの緊急抑制剤が見当たらなくて。
 慌てて教室に置いてる予備を取りに戻って、机の奥に隠してるポーチを引っ張り出す。焦るとなかなか開かないジッパーを何とか開けて、ようやくシートを取り出した。
 間に合ったと安心したのも束の間、入り口に人の気配がして体が強張る。

「 何してる」

「に、しな……ぎ」
 変な体勢で机を漁ってた俺が不審に見えたのかもしれない。入り口に立つ仁科儀にしなぎは少し警戒しながらこっちに歩いてくる。
 やばい。やばいやばいやばい。
 よりによって仁科儀だ。完璧なαだって、この学校のα達の中でさえ祭り上げられてる奴だ。
 ここで薬を飲んだりしたらバレるかもしれない。でも、走って巻こうにも体はあっという間にぞわぞわする感覚に飲み込まれてって。焦って悩んでる内に時間切れが近づいてきて。

 どくん、と体の奥で大きな脈が打った。

「あ……っ」

 体が、あつい……。

 どうしよう。
 どうしようどうしようどうしようどうしよう!
 どうしよう間に合わなかった!!
 一気にパニックになった頭はこの状況への対応を放棄してしまったみたいだった。ただただ、どうしよう、どうしようと頭の中で繰り返すだけ。走って逃げるどころか、距離を取る事すら出来ずに身動きが取れなくなってしまった。
「ッ! お前……!」
 驚いた様子だった仁科儀の顔が一気に険しくなって、あっという間に距離が縮まった。驚く暇もなく視界が回って天井が視界に入って。すぐそこに仁科儀の顔。それもあっという間に見えなくなって口に何かが触れた。
 何か言おうとして開けたままだった口の中に、熱い何かが入ってくる。
「ン……ッ!  ん、ンッ! ンン――ッ!!」
 舌入りでキスされてる。押し倒されて、のし掛かられてる。そう認識した瞬間ぶわっと体が熱くなる。
 ちがう、いやだ、したくない……!
 頭はそう思ってるのに、体はどんどん熱くなって違和感が仁科儀のキスに溶かされていく。

 唇が離れて視界に入った仁科儀は、苦しそうな顔をしていた。Ωのフェロモンに当てられて、欲にぎらついた目が見下ろしてて。ばちんと視線が合った瞬間、電気に近いものが体を走り抜けた。
 ――ダメだ、喰われる。
 そう思った瞬間、一気に頭が痺れてって、何も考えられなくて。どんどん熱くなる体にどうしようもなくて。また近付いてくる仁科儀から、目を閉じて顔を背けるので精一杯だった。
「ん、ぅ……!」
「口っ……開けろ!」
「や……っ……んむっ!  ん、んんっ!!」
 舌だけでも拒もうと口を頑張って閉じる。でも強引に顎を押さえられて、無理矢理こじ開けられた口の中にまた舌が入ってきてしまった。流し込まれる唾液と一緒に、少し固い何かが転がり込んできて。
 じんわりと広がる苦い味に、何だか覚えがある気がした。
「ん……っ……!  ふ、っ……んぅ……!」
「飲み、込め…………はやく!  早くしろ!!」
 ふーふーと荒く息を吐く仁科儀に圧されて、ごくんと口の中の何かを飲み込んだ。両手を頭の横に押さえつけられて、ぎりぎりと握りしめられる手首が痛い。

「……っ、クソッ……!」
 目の前で何かを堪えるような顔が苦しそうに息を吐き続けて。何度も首筋に唇が触れるけど、その度に離れていって。
 耐えようと……してくれてる?
 それなのに違和感は容赦なくどんどん増して。体はじんじんしてくるし、下半身が濡れていく。
「どうして薬を飲んでフェロモンが増すんだ阿呆!!」
「しっ、しらな……んぅ!  ん、ふっ……!」
 身に覚えの無い事で怒られながら、ひっきりなしに降ってくるキスに思考がぐずぐずと溶けていく。
 フェロモンがどれだけ出てるとか、知らない。そりゃ出してるのは俺だけど、加減なんて分かるわけない。そもそも好きで出してる訳じゃないのに。
「や、ッだ……!  も、やめ……ッ!」
 何でいっつも、俺ばっかり。
 少しだけ戻ってきたいつもの自分に乗じてじたばたと暴れてみるけど、αの力にはやっぱり叶わない。
 そんなこんなしてる間にどんどんキスが深くなって、仁科儀の舌が口の中を暴れまわって、唾液がぼたぼたと口からこぼれていく。
「キスくらい我慢しろ!  噛まれるよりはっ、マシだろうがっ……!」
「ぁ、う……ん、んっ、んんぅ……!」
 いつも涼しい顔して歩いてる仁科儀の余裕の欠片の無い顔。歯を食いしばって、肩を上下させながらぜぇぜぇと息を何度も吐き出して。俺の首に行こうとする口を無理やり方向転換させて、必死に唇に押し付けてくる。

 ……何でそんなに必死なんだろう。
 Ωと違って、αは番を何人も持てるのに。

 どんどん溶けていく思考の隅っこでそんなことを思っていると、誰かの話し声が聞こえてきた。
「あれ?  秋都しゅうと、何して……イッチ!?」
 ひょいっと顔を覗かせた行家の声に、少しだけ仁科儀の拘束が緩む。
「ぷぁ……!  ゆ、ゆっ、きぃっ……!」
「ッ!  俺をコイツから引き剥がせ!」
 助けて!と俺が声を上げる前に、仁科儀が吠えるように行家に向かって叫んだ。だけど状況についていけてないらしい行家は困惑した表情で仁科儀を睨む。
「はぁ!?  お前が襲っといて何言っ――」
「恨むんじゃねぇぞ!!」
冬弥とうや!?」
 一緒に居たらしい行家の恋人が、それはもう容赦なく仁科儀の脇から回し蹴りを入れた。それをまともに食らった大きな体は吹っ飛んで、突っ込んだ先の机がガタァン!と凄まじい音を教室に響かせる。
「た、助かった……」
「立て市瀬!  走るぞ!!」
「っ! は、はいっ……!!」
 ほっとした瞬間に飛んできた仁科儀先輩(何を隠そう仁科儀の兄ちゃんだ)の声に背中を押されて、何とかうつ伏せに体勢を変えて立ち上がる。かくかくと震える足を引きずりながら、その教室から走って逃げた。



 駆け込んだのは外れの空き教室。
 ついでに仁科議先輩が人払いをしてくれて、ほっと息を吐く事ができた。小柄だけど先輩の背中が大きく見える。
「なるほど、薬飲むのが間に合わなくてヒート状態になってたのか」
 状況が読めてきたらしい行家が頷きながら俺を見ている。その視線がやけに重く感じて、なかなか顔が上げられない。
 ……ずっと隠してきたのに、結局バレてしまった。
 こんな事になるなら、行家と話してた時にちゃんと話しておけばよかった。お前と同じなんだって言えばよかった。
 向こうの事情ばっか聞いて、他人事みたいな顔で黙ったままだった自分を、行家はどう思ってるんだろう。どんな顔をしてるんだろうって思うけど、顔を上げるのが怖い。
 怒ってたら。呆れてたら。

 嫌われたら……どうしよう。

「……いつも鞄に薬入れてたんだけど、なくて……教室の予備飲もうとしたら、仁科儀が来ちゃって」
「あー、だから自分を引き剥がせなんて言ってたのかアイツ」
 仁科儀の事を思い出して、ずし、と心が重くなる。
「……俺に噛みつかないように必死になってくれてた。なのに蹴り飛ばされて、悪いことしちゃったな……」
 あっちはたまたま教室を通りかかって、怪しい奴の様子を見に来ただけだったのに。責任感のある奴が完全にとばっちりを食ってしまったんだ。
 悪いのは俺なのに。
 あんなに、必死な顔で助けてくれてたのに。
「それは仕方ないだろう。アイツもお前も好きでああなった訳じゃない」
「思いっきり蹴り飛ばしたのは冬弥だしな」
「日頃の行いの結果だな。お陰様で躊躇いは一ミリもなかった」
 そう言った先輩の笑い声に、行家が苦笑した気配がする。

 ――蹴り飛ばされてた仁科儀秋都と、その兄である仁科儀冬弥はあんまり仲が良くないらしい。
 仁科儀家は凄いデカくて、αが沢山居る家で。仁科儀家の弟は完璧なαだってα連中がよく話してる。でも仁科儀先輩は長男だけどβだからなーって言ってる奴を見かけた事がある。
 そりゃ捻くれるよな。成績はα相手でもぶっちぎりに上なのに、βってだけでそんな言われ方すんの、腹立つと思う。比べられ続けて仲良く出来ない気持ちも分かる気がする。
 だけど。
「あれは、俺のせいなんだ……バレるかもなんて考えて薬をすぐ飲まなかったから……飲んでたら間に合ってたのに」
 他は知らないけど、俺の事に関しては仁科儀が悪い訳じゃない。バレるかもなんて、あの状況で意味もないのに躊躇った、俺のせいだ。
 アイツが蹴られても仕方がなかったなんて、言えない。
「迷惑かけたこと、仁科儀に謝らないと……」
 仁科儀に押さえつけられてた所が、まだ熱を持っているような気がする。手首を見るとうっすら跡が残っていた。

 あの時間は凄く怖かったけど、何とか耐えようと必死そうだった顔は今でもはっきり思い出せる。
「うーん。どっちかっつーと、助けてくれてありがとう、の方が良くね?」
「えっ?」
「秋都の頑張りで助けられたんなら、ありがとうじゃねぇかなって」
 ぽかんと行家に視線を向けると、凄く真剣な顔でこっちを見ている。
「普段ありがとうマシンみたいに連発するのに、こういう時だけネガ思考だよなぁ」
 ずく、と鳩尾が痛い。
 だって。
 ネガティブだって分かってるから、頑張ってありがとうって言ってるんだ。頑張って明るく居ようとしてるんだ。卑屈なΩの顔を、何とか明るいβの顔にしようとしてるんだ。

「俺……薬飲んでてもヒートが不安定で……ずっと緊急抑制剤握りしめてて」
 行家みたいに朝晩きっちり薬飲んで安定、みたいな生活はした事がない。毎日三回薬飲んで、それでもヒートの気配がしたら慌てて薬を飲んでる。
「今は何となく来るって分かるけど、最初の頃全然ダメで。授業止めたり、学校中逃げ回ったり、襲われた相手突き飛ばして怪我させたり……迷惑ばっかかけて」
 今日みたいに二人っきりって事はなかったけど、似たような事なら何回もあった。その度にこれだからΩは……とか、何でコントロールしねぇの?とか、自分じゃどうにも出来ない事でアレコレ言われて。
 αだった親友に大怪我させて疎遠になったり、仲良かった友達が背中向けるようになったり、色んな人に嫌われたりして。
「もう……迷惑かけてゴメンしか、出てこない」
 ありがとうなんて、どんな風に言えばいいのか分からない。
「イッチ……」
 気遣わしげに伸びてくる手。
 だけど俺は、その手を思わず払ってしまった。

 ぱしん、と乾いた音が俺と行家の間に響く。驚いた顔の行家は、中途半端に手を伸ばしたままの状態で動きが止まっていた。
 ……やってしまった。せっかく手を差し伸べてくれたのに。
 また嫌われるかもしれない。むしろもう嫌われてるかもしれない――そう思ったら、腹の中からどろどろしたものが込み上がってきた。
「ユッキーがうらやましい……Ωなのに平然としてて、皆と上手くやってて。特徴が薄いのもすげぇ羨ましい……」
 Ωのくせに、何で平気でβみたいに振る舞えるんだ。何で俺は必死なのに、行家は何でもないみたいな顔してるんだ。
 しかも何も知らないのに、そうやって人の事に口を挟んでくる。平気でそういう事ができる。ずるい。

 行家は、ずるい。

「Ωじゃなくてβがよかった。Ωでもせめてユッキーみたいだったらよかったのに……こんなしんどい思い、何でしなきゃいけないんだ」
 ようやく治まったどろどろに、少しだけ心が楽になった気がする。だけどちらっと見えた行家の顔は、悲しそうに見えた。
 ざあ、と血の気が引いていく。
「は、はは……助けてくれたのにこんな話聞かせてごめん……もう落ち着いたし、戻る」
 ほんとに、ダメだ。
 自分がスッキリするために、関係ない行家を引き合いに出してしまった。Ωの特徴をどうにも出来ないのは、俺も行家も同じなのに。それで散々嫌な思いをしたはずなのに。
「イッチ……!」
「助けてくれて、ありがとうございました」
 どうしたらいいのか分からなくて、今すぐにでも泣きそうで。言葉を遮るみたいにして慌てて頭を下げる。
 行家の声を振り切って、そのまま走って……後悔から逃げ出そうと必死で地面を蹴り続けた。
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