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39.穏やかな時間
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しばらく無言のまま息子の頭を撫でた後、満足したのか父の手は離れていった。しかしすぐに「とはいえ」と一言を間に置いて、じっとその視線はグラキエの目を見る。
「あの状況だ、心身ともに極限状態であったことは明白。よって一週間は部屋から出ぬこと。そこから二週間は城から出ぬこと。この二つを申し付ける」
それなりに真剣な耳で話を聞いていたつもりだが、内容を理解するのに数秒を要した。
「……は!? いやあの、調査結果をまとめないと」
つまるところ、三週間は城から出るなという事である。帰還した後もやる事は山積みだというのに。三週間は痛すぎる。
おまけに今回はドーム壁の破損があって、その前の調査結果すら整理できていない。破損から復旧までのデータに至っては各々で持ったまま取りまとめられてすらない。
「部屋で好きなだけ纏めればよかろう」
「いや、そういう訳には……! 皆も働いているのに」
グラキエはずっと後方にいた。体力の消耗もなく、本来ならデータの整理をするのが役割であるはずなのだ。だというのに城に引きこもりとは非効率この上ない。
「今回の部隊の者全員には王命をもって謹慎を言い渡しておる。非効率だが、そうせんとお前は止まらんだろうからな」
「そ、そんな……」
どうやら思考を完全に読まれていたらしい。しかしまさかグラキエ一人止めるために王命を持ち出すとは。呆然と見上げた父王の顔は、ほんの少しだけ薄く笑った。
それでも引き下がる訳にはいかない。数少ないドーム破損トラブルからの生還者になったのだから、早々に記録を纏めたいのだ。
何とか食い下がろうと口を開きかけると、じっとやり取りを見ていた長兄が近付いてくる。
「ニクスが魔力を使い果たして倒れているんだよ。それくらい大人しくしていても罰は当たらないんじゃないかな」
そう言われて、はたと次兄が居ない事に今更気が付いた。当然のように婚約者も居ない。この状況の気恥ずかしさで周りを見る余裕などなかったけれど。
思えば真っ先にからかいにくるのは次兄のはずだ。
「あのニクス兄上が……? 何故そんなことに」
一番予想のつかない言葉に、グラキエは目を瞬かせた。
アルブレア王室の三兄弟の中で、第二王子ニクスは最も魔法を操る事に秀でている。文武両道の第一王子も魔法を習得しているし操るが、魔法の才や魔力量においては弟には敵わない。
そんな次兄が魔力を使い果たすとは、一体どんな無茶をしたのだろう。引き際の見極めは得意なはずなのに。
本気で考え込むグラキエに、長兄は苦笑する。
「お前達を助けるために決まっているだろう? 雪を止めるための術式を維持するのにずっと魔力を使っていたんだ」
「……!」
雪を止める魔法。
まさか聞いていた噂が本当だとは思わなかった。
魔法は本来、己の魔力が及ぼせる範囲に変化を起こすものだ。ことに自然現象を操るものは術者の能力に左右されて魔力を消費していく。対象が広がるほどその消耗は大きく、天候に手を出そうものなら下手な術者は命を落としかねない。
古のアルブレアでも、冬の檻となる豪雪を止めるための試みは幾度となく行われたと記録は残されている。山のような魔法使いの亡骸と共に計画は毎回頓挫したというけれども。
「に、ニクス兄上のご容態、は」
まさか危険な状態なのだろうか。他でもない……自分のせいで。
「安心しなさい、危険な状態なら全員でここには来ないよ。ニクスは見極めが上手いから、丁度魔力を使いきった時点で倒れたようだ」
にこりと微笑む長兄に、ほっとひとつ息をつく。
するとラズリウ王子の手がグラキエの左手にするりと重なった。無意識に握りしめて震えていた手を、宥めるようにゆっくりと撫でている。
少しの間じっとグラキエを見つめた琥珀の瞳は、再び濡れ羽色の向こうに隠れていってしまった。
うっかりラズリウ王子の様子に意識がいってしまっていたところに、父王の咳払いが割り込んでくる。ハッと我に返ると、周りはまた何か含んだ目をグラキエに向けていて。
あまりの居心地の悪さに、思わずラズリウ王子をスルツにするようにぎゅっと抱き寄せた。
「復旧作業の間、雪が度々止んでいたそうだな。あの術式は未完成で半ば賭けであったが……効果はあったようだ」
「そう、ですね。帰る前に見ましたが、あんなに晴れた青空は既存のドームでもお目にかかったことはありません」
「そうか。……これはニクスも起きるとやかましくなりそうだ」
やれやれと息を吐く父王は、今度は倒れている次兄をどこまで謹慎にすべきだろうかと長兄と義姉に相談をし始めた。
そんな三人を余所目に母が寝台へ近付いてくる。
「ラズリウ殿下。謹慎の間、グラキエの見張りをお願いできませんか」
「見張りって、子供ではないんですから」
「研究所に入るまで脱走三昧だった問題児が何を言いますか。最近の話ですよ」
「うっ」
それを言われると返す言葉が出てこない。
研究所へ行くという次兄にこっそりとついて行って、魔法技術に夢中になった。あの手この手でテネスからの妨害を掻い潜り、城から脱走して研究所へ入り浸っていたのだ。
そして捕まる度に母の前に突き出され、毎回こんこんと説教をされていたのは忘れようもない。それを長年繰り返した粘り勝ちで晴れて研究員になれたのは、本当につい数年前の話である。
返事に窮するグラキエに溜め息を吐きながら、母はラズリウ王子に声をかけた。
「この通りなのです。逃げ出さないよう、テネスと共に見張っておいて頂けますか」
「は、はい……!」
急な呼び掛けに一瞬びくりと震えたようだったが、すぐに頷き返していた。ふとがっちりとラズリウ王子を抱きしめていた事に気付いて、そろりと腕を緩める。
即座に返された承諾に気を良くしたらしい母はにっこりと微笑んだ。そのままグラキエに視線を移し、ぱんと扇を広げて目を細める。
「お前が逃げ出したら、連帯責任でラズリウ殿下にもお仕置きをします。くれぐれも大人しくしているように」
……今、とんでもないことを言わかなかったか。
他国の王子に息子の不始末の連帯責任を負わせると。あまりにも無茶すぎる。そんな事が南の大国にバレたらどうするつもりなんだろう。
それ以前に、ラズリウ王子に仕置きなんて。
「……卑怯だ……」
「何とでもおっしゃい」
あまりの力業にドン引きするグラキエだったが、母はそんな息子の様子を楽しそうに見つめて微笑むだけだった。
家族が部屋を去り、再びラズリウ王子とスルトフェンだけが残った。
相変わらずグラキエに抱きついたままのラズリウ王子をどうすればいいのだろう。スルトフェンもさっさと引き剥がしにくればいいのに。
そう思ってちらりと見ると、その男は茶を優雅にすすっていた。いつの間にかやって来ていたシーナが淹れたものらしい。まさかのテネスもその輪に加わっている。
これは役に立たないと判断し、そっと濡れ羽色のつむじに向かって声をかける。
「あの、もう大丈夫だ。部屋に戻ってくれ」
「駄目です」
「逃げ出したりしないから」
「……いやです」
ふるふると首を横に降って、ラズリウ王子は離れようとしない。ぽふんとベッドに押し付けられたと思ったら、その上へ寝転んで抱きついてくる。
重石のつもりだろうか。困り果ててスルトフェンを見るが、にーっと若草色の目が笑っただけだった。
「まぁ、好きにさせてやって下さい。ぬいぐるみにでもなったつもりで」
「……正気か……?」
自分の好いている相手が他の男に抱きついているのに。まさかネヴァルストではそんな事もままあるとでも言うのか。
そうは思いつつ振り落とす訳にもいかず、ひとまず満足して退いてくれるまでそのまま時間を過ごす事にした。ふわふわとする香りと暖かい体温が心地よくて……こうしていられるのが少しだけ、嬉しかったから。
それからしばらく時間が経っても本当に微動だにしない。時々甘えるように頬をすりつけてくる程度で、がっちりと捕まえられたままだ。
流石に段々とスルトフェンに申し訳なくなってきてしまった。ちらりとソファに待機している男の様子を伺って――思わず視線の先を二度見する。
和やかなティータイムを終えたらしい従者はソファで眠っていた。うたた寝などと可愛いものではない。肘掛けに頭と足を乗せ、仰向けに横たわって本格的に爆睡している。
それでいいのか。
騎士としても、恋人としても。
他の男に想い人を乗せておきながら随分な余裕である。その態度にもやもやとしたものを心の内に感じながらも、上に乗っているラズリウ王子の背をそっと撫でた。
「あの状況だ、心身ともに極限状態であったことは明白。よって一週間は部屋から出ぬこと。そこから二週間は城から出ぬこと。この二つを申し付ける」
それなりに真剣な耳で話を聞いていたつもりだが、内容を理解するのに数秒を要した。
「……は!? いやあの、調査結果をまとめないと」
つまるところ、三週間は城から出るなという事である。帰還した後もやる事は山積みだというのに。三週間は痛すぎる。
おまけに今回はドーム壁の破損があって、その前の調査結果すら整理できていない。破損から復旧までのデータに至っては各々で持ったまま取りまとめられてすらない。
「部屋で好きなだけ纏めればよかろう」
「いや、そういう訳には……! 皆も働いているのに」
グラキエはずっと後方にいた。体力の消耗もなく、本来ならデータの整理をするのが役割であるはずなのだ。だというのに城に引きこもりとは非効率この上ない。
「今回の部隊の者全員には王命をもって謹慎を言い渡しておる。非効率だが、そうせんとお前は止まらんだろうからな」
「そ、そんな……」
どうやら思考を完全に読まれていたらしい。しかしまさかグラキエ一人止めるために王命を持ち出すとは。呆然と見上げた父王の顔は、ほんの少しだけ薄く笑った。
それでも引き下がる訳にはいかない。数少ないドーム破損トラブルからの生還者になったのだから、早々に記録を纏めたいのだ。
何とか食い下がろうと口を開きかけると、じっとやり取りを見ていた長兄が近付いてくる。
「ニクスが魔力を使い果たして倒れているんだよ。それくらい大人しくしていても罰は当たらないんじゃないかな」
そう言われて、はたと次兄が居ない事に今更気が付いた。当然のように婚約者も居ない。この状況の気恥ずかしさで周りを見る余裕などなかったけれど。
思えば真っ先にからかいにくるのは次兄のはずだ。
「あのニクス兄上が……? 何故そんなことに」
一番予想のつかない言葉に、グラキエは目を瞬かせた。
アルブレア王室の三兄弟の中で、第二王子ニクスは最も魔法を操る事に秀でている。文武両道の第一王子も魔法を習得しているし操るが、魔法の才や魔力量においては弟には敵わない。
そんな次兄が魔力を使い果たすとは、一体どんな無茶をしたのだろう。引き際の見極めは得意なはずなのに。
本気で考え込むグラキエに、長兄は苦笑する。
「お前達を助けるために決まっているだろう? 雪を止めるための術式を維持するのにずっと魔力を使っていたんだ」
「……!」
雪を止める魔法。
まさか聞いていた噂が本当だとは思わなかった。
魔法は本来、己の魔力が及ぼせる範囲に変化を起こすものだ。ことに自然現象を操るものは術者の能力に左右されて魔力を消費していく。対象が広がるほどその消耗は大きく、天候に手を出そうものなら下手な術者は命を落としかねない。
古のアルブレアでも、冬の檻となる豪雪を止めるための試みは幾度となく行われたと記録は残されている。山のような魔法使いの亡骸と共に計画は毎回頓挫したというけれども。
「に、ニクス兄上のご容態、は」
まさか危険な状態なのだろうか。他でもない……自分のせいで。
「安心しなさい、危険な状態なら全員でここには来ないよ。ニクスは見極めが上手いから、丁度魔力を使いきった時点で倒れたようだ」
にこりと微笑む長兄に、ほっとひとつ息をつく。
するとラズリウ王子の手がグラキエの左手にするりと重なった。無意識に握りしめて震えていた手を、宥めるようにゆっくりと撫でている。
少しの間じっとグラキエを見つめた琥珀の瞳は、再び濡れ羽色の向こうに隠れていってしまった。
うっかりラズリウ王子の様子に意識がいってしまっていたところに、父王の咳払いが割り込んでくる。ハッと我に返ると、周りはまた何か含んだ目をグラキエに向けていて。
あまりの居心地の悪さに、思わずラズリウ王子をスルツにするようにぎゅっと抱き寄せた。
「復旧作業の間、雪が度々止んでいたそうだな。あの術式は未完成で半ば賭けであったが……効果はあったようだ」
「そう、ですね。帰る前に見ましたが、あんなに晴れた青空は既存のドームでもお目にかかったことはありません」
「そうか。……これはニクスも起きるとやかましくなりそうだ」
やれやれと息を吐く父王は、今度は倒れている次兄をどこまで謹慎にすべきだろうかと長兄と義姉に相談をし始めた。
そんな三人を余所目に母が寝台へ近付いてくる。
「ラズリウ殿下。謹慎の間、グラキエの見張りをお願いできませんか」
「見張りって、子供ではないんですから」
「研究所に入るまで脱走三昧だった問題児が何を言いますか。最近の話ですよ」
「うっ」
それを言われると返す言葉が出てこない。
研究所へ行くという次兄にこっそりとついて行って、魔法技術に夢中になった。あの手この手でテネスからの妨害を掻い潜り、城から脱走して研究所へ入り浸っていたのだ。
そして捕まる度に母の前に突き出され、毎回こんこんと説教をされていたのは忘れようもない。それを長年繰り返した粘り勝ちで晴れて研究員になれたのは、本当につい数年前の話である。
返事に窮するグラキエに溜め息を吐きながら、母はラズリウ王子に声をかけた。
「この通りなのです。逃げ出さないよう、テネスと共に見張っておいて頂けますか」
「は、はい……!」
急な呼び掛けに一瞬びくりと震えたようだったが、すぐに頷き返していた。ふとがっちりとラズリウ王子を抱きしめていた事に気付いて、そろりと腕を緩める。
即座に返された承諾に気を良くしたらしい母はにっこりと微笑んだ。そのままグラキエに視線を移し、ぱんと扇を広げて目を細める。
「お前が逃げ出したら、連帯責任でラズリウ殿下にもお仕置きをします。くれぐれも大人しくしているように」
……今、とんでもないことを言わかなかったか。
他国の王子に息子の不始末の連帯責任を負わせると。あまりにも無茶すぎる。そんな事が南の大国にバレたらどうするつもりなんだろう。
それ以前に、ラズリウ王子に仕置きなんて。
「……卑怯だ……」
「何とでもおっしゃい」
あまりの力業にドン引きするグラキエだったが、母はそんな息子の様子を楽しそうに見つめて微笑むだけだった。
家族が部屋を去り、再びラズリウ王子とスルトフェンだけが残った。
相変わらずグラキエに抱きついたままのラズリウ王子をどうすればいいのだろう。スルトフェンもさっさと引き剥がしにくればいいのに。
そう思ってちらりと見ると、その男は茶を優雅にすすっていた。いつの間にかやって来ていたシーナが淹れたものらしい。まさかのテネスもその輪に加わっている。
これは役に立たないと判断し、そっと濡れ羽色のつむじに向かって声をかける。
「あの、もう大丈夫だ。部屋に戻ってくれ」
「駄目です」
「逃げ出したりしないから」
「……いやです」
ふるふると首を横に降って、ラズリウ王子は離れようとしない。ぽふんとベッドに押し付けられたと思ったら、その上へ寝転んで抱きついてくる。
重石のつもりだろうか。困り果ててスルトフェンを見るが、にーっと若草色の目が笑っただけだった。
「まぁ、好きにさせてやって下さい。ぬいぐるみにでもなったつもりで」
「……正気か……?」
自分の好いている相手が他の男に抱きついているのに。まさかネヴァルストではそんな事もままあるとでも言うのか。
そうは思いつつ振り落とす訳にもいかず、ひとまず満足して退いてくれるまでそのまま時間を過ごす事にした。ふわふわとする香りと暖かい体温が心地よくて……こうしていられるのが少しだけ、嬉しかったから。
それからしばらく時間が経っても本当に微動だにしない。時々甘えるように頬をすりつけてくる程度で、がっちりと捕まえられたままだ。
流石に段々とスルトフェンに申し訳なくなってきてしまった。ちらりとソファに待機している男の様子を伺って――思わず視線の先を二度見する。
和やかなティータイムを終えたらしい従者はソファで眠っていた。うたた寝などと可愛いものではない。肘掛けに頭と足を乗せ、仰向けに横たわって本格的に爆睡している。
それでいいのか。
騎士としても、恋人としても。
他の男に想い人を乗せておきながら随分な余裕である。その態度にもやもやとしたものを心の内に感じながらも、上に乗っているラズリウ王子の背をそっと撫でた。
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