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30.究極の選択
しおりを挟むグラキエ王子が、帰ってこない。
ヒートを終えて部屋から出られるようになったけれど彼の姿を見かけない。研究所で聞いていた予定日になればいつも帰ってくるのに、今回は何の知らせもない。生誕祭の時みたいに連絡が来ていないだけかと王城のあちこちで聞いてみるものの、まだお戻りではありませんよと皆微笑むだけだ。
観測塔の有人観測は天候に左右されるらしい。雪道が進みづらくなれば期間が延びる事もよくあるようで、今回もそうではないかという話だった。
妙な胸騒ぎに襲われて研究所に出向いて尋ねてみても王城と同じ反応。向こうでまた変な事に熱中してるんじゃないですかねと冗談が飛び出したところで、ザリザリと耳障りなノイズの入った音が聞こえてきた。
『……きこ……て、いるだろうか』
どこか聞き覚えのある声。観測塔と連絡を取るための装置から流れてくるそれに、周囲もざわっとどよめいた。
『報……が、ある。拡張……の、壁面が一部破損』
フロアのあちこちから人が集まってくるにつれ、段々と流れてくる音声がハッキリと聞こえるようになっていく。その内容が聞き取れるようになればなるほど、研究所の空気がぴんと張り詰めたものに変わっていった。
『現在調査チームと一部の待機チームが修理に当たっている。が、入口までの道が塞がれている状態だ』
淡々と話すのは恐らくグラキエ王子の声だ。久々に聞きたかった声が聞けて嬉しいのに、語る内容と周囲の緊張感がその嬉しさを押し潰していく。
『現状では復旧の見込みが立たない。万一に備え、拡張エリアの閉鎖を要請する』
ざわりと、一際大きなどよめきが起きた。一気に騒がしくなったフロア、あちこちに散開して忙しなく動き出す研究員、遠くで聞こえてくる怒鳴り声の様な指示。
王子達に良くない事が起きている――それだけは分かる。
けれど上手く意味が飲み込めず、近くを通りかかった研究員を捕まえて詰め寄った。
グラキエ王子が言っている事の詳細な意味はどういったものなのか。言う通りに拡張エリアを閉ざしたら、向こう側に居る有人観測のチームはどうなるのか、と。
「……拡張エリアで閉じ込められる事になります。復旧がすぐに済めば扉を開けられますが」
「すぐに、終わらなかったら……?」
研究員の苦虫を噛み潰したような表情に、胸騒ぎがどんどん強くなっていく。
「拡張エリアは既存のドームから切り離されたまま、完全に孤立します」
「それは一体どういう……」
普段端的に物を言う人が多いのに、今に限ってはっきりと言わない。目も合わない。どこか泣きそうな顔は床を睨んでいて、唇はわなわなと少し震えている。
「切り離されたドームは、少しずつ外と同じ環境に近付きます。復旧が長引けば観測塔のチームは……全滅するでしょう」
「ぜん、めつ……? それって」
どくどくと、心臓が早鐘のように打ち始めた。
否定してほしい。
選ぶ言葉を間違えたと、意味合いが違ったと、聞こえてきた言葉を全て無かったことにしてほしい。
ぎゅっと研究員の目が閉じる。すうっと息を吸って、吐いて。開いた瞳が真っ直ぐにラズリウを見た。
「…………いずれ死亡する、ということです」
話の流れで、分かってはいたけれど。
改めて聞くとが力一杯頭を殴られたような衝撃が襲ってきて、ひゅっと呼吸が止まった。息の仕方を忘れてしまったように。
嘘だ。
そんなはずがない。
「ぐ……っ、グラキエ王子は王族なんですよ!? 吹雪の中に置き去りなんて!」
いきり立って研究員に掴みかかるラズリウを、スルトフェンが割って入ってきて引き離した。
平民ならまだしも、王族が置き去りにされるなんて祖国ではありえない。国を守る要の一族を犠牲にするなんてありえない。何を犠牲にしてでも救い出すのが臣下の仕事のはずなのに、見捨てるなんてありえない。
けれどここの人達は、それも仕方ないと言うのか。あの人が雪の中で命を落としても構わないと言うのか。
「し、しかしっ! 切り離さなければ破損の影響が他のドームにも広がる可能性があってっ……そ、そうなれば、この国そのものが再起不能になる可能性があるんですっ!」
「だからって……ッ!」
「そうしてアルブレアは生きてきたのです。数多の同胞と人々の生活を雪の下に埋もれさせて。グラキエ王子もそのリスクを知った上で、力と命をお貸し下さっている」
震えながら必死に声をあげる研究員を後ろに庇って、魔法技術フロアの主任研究員がラズリウの前に立ち塞がった。部下の言葉を引き継いで、本人も承諾しているのだからと、ひどく残酷な言葉を吐く。
もちろん本人はそのつもりで承諾するだろう。それでも救い出すのが務めではないのか。彼は何を置いても優先されるはずの命ではないのか。
すぐそこまで出かかっている傲慢な言葉を、身につけた物分かりのいい王子の仮面が何とか押し返す。けれど頭に血が昇ったラズリウの仮面は、バキバキと今にも割れそうな音を立てている様な気がした。
「今日のところはもう城へお帰り願えませんか。申し訳ないが、貴方様をあやして差し上げる余裕は我々にはございません」
「帰るぞ、ラズ。俺達が居ても場所を取るだけだ」
「……ご協力に感謝いたします」
ラズリウの口を問答無用でスルトフェンが塞ぐ。無理矢理一礼させられると、主任研究員も深々と一礼をして立ち去った。
早足で立ち去る後ろ姿を見送って、スルトフェンは小さく溜め息をついた。
「ちっとは落ち着けよ。お前が喚いても何も変わらないだろ」
やけに冷静なスルトフェンの声。
その様子がやけに癇に障って、見下ろしてくる顔をぎっと睨んだ。口元を押さえる手を撥ね付け、文句を言う標的を切り替えた、その時。
ざり、と沈黙していた通信装置から再び音が聞こえた。
『……もし……ラズリ、ウ王子が、……に……と、望、だら』
反射的に駆け出して、誰よりも早く機械の正面を陣取った。聞こえなくなっていただけで、通信が終わった訳では無かったのだ。
『ど……か、自由、に……ブレア、に居られ……よう、に、力を貸して……ほしい……あと』
極限状態に置かれているはずなのに、優しい王子はラズリウの事を気にかけてくれていた。けれどその言葉が苦しい胸をえぐる。
まるで自分が生きて帰る可能性など無いと、暗に言われているようで。
『我儘に、……て、くれて、ありが、とう…………ラズリウ』
――名前。
他国の王子ではなく、仲の良い相手を呼ぶような。ただラズリウの名を呼ぶ声音。
じんわりと耳から染み込んでくる音にぼろぼろと涙が溢れて、止められなくなってしまった。
『……る、と。そう、伝えて……い』
「グラキエ! ぐらきえ……ッ!」
こちらの声が聞こえたりしていないだろうか。応えてくれないだろうか。祈るような気持ちで機械に向かってグラキエ王子の名を呼ぶ。
けれど応答のないまま、ザリザリとした音はぶつりと途切れて。
それっきり……再び音声が聞こえてくる事はなかった。
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