事故物件、その五

まるさんかくしかく

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事故物件、その五

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 その案件を引き受けたのは梅雨のある日だった。

 いつもながら、不動産屋から電話があった。
 「また、ややこしい事になって引き受けてくれない?」
 誰かが、また失敗したんだなと感じた。
 「前から言おうと思っていたんですが、僕は拝み屋でもなければ、えらい坊さんでもないので、事故物件に行っても何かする訳じゃないよ」
 「でもさ、他のバイトがしくじった案件のリカバリーをしてくれるじゃない。頼むよ」
 ごねる事、30分。とうとう、今回の案件を引き受ける事になった。


 地下鉄を乗り継いで、そのマンションに着いたのが翌日だった。

 部屋に入ると、整然としていて、何処が事故物件なんだ?と疑問に思った。
 おかしいのは事故物件に入る時、必ず用意されていたテレビ、冷蔵庫、エアコン、冷蔵庫の類のセットがなくて、前に住んでいた住居人のものだった。

 大概、事故物件になった時点で前の住居人の荷物は処分されて、ハウスクリーニング業者の仕事になる。

 それから、事故物件ロンダリングのバイトの私たちの生活必需的な最低限の白家電が搬入されるという塩梅だ。

 だが、今回は違った。

 前の住居人の荷物や電化製品がそのまま残されている。

 早速、不動産屋にその疑問をぶつけると、答えが返って来た。
 「実は、そこで亡くなった人はいないんだよ」
 「?」
 「実は、そこはとある大学教授の仕事部屋で、ご本人はこのマンションに来る途中、地下鉄で虚血性心不全を起こして亡くなってだね。ご親族様の御意向で今月いっぱいまで借りてもらっているだけれど、書類や書籍の整理が上手くいかなくって」
 「何故です」
 「いや、ちょっとした邪魔が入るんだよ」
 不動産屋が言った「ちょっとした邪魔」はすぐ判った。
 部屋に気配は感じなかったのに、視線を感じた。
 「彼女」はいた。
 「彼女」はトラジマネコだった。
 「あ。見えたかい?今回の事故物件の案件のノラさんだ。よろしくやっておくれ」

 その後、電話を切ろうとする不動産屋から、大体の情報は仕入れた。
 詳しい情報もなしに、こういう案件は引き受けられない。
 それを飛ばしてバイトを入れるから、話がややこしくなるのだ。

 その日も大学教授はこの部屋の来るべく地下鉄に乗っていた所、心臓発作を起こし、死亡。通夜、葬儀の慌ただしい中、ハウスキーパー業者にノラの事を伝えるものは家族にいなかった、というか、家族には内緒で飼っていた。家族である全員が猫アレルギーで自宅で飼う事が出来なかったのだ。

 数週間後、玄関先で大学教授を待っていたであろうノラの亡骸が発見された。

 ハウスキーパー業者も大学教授が亡くなった事を聞いて、家族の誰かがノラを迎えに行ったと思っていた。

 そういう落とし穴にノラは落ちた。

 ノラの亡骸はペット葬の業者に引き渡されたが、参列するものはいなかった。
 家族全員猫アレルギーだったからだ。

 異変は大学教授の遺品や研究書類、書籍を分類しようとやってきた大学関係者に起こった。

 ノラが大学教授の遺品に触ろうとすると、現れては威嚇行動を取るのだ。

 例えば、机を動かそうとする。すると、ノラが現れて椅子を動かし関係者を転ばせる。

 書籍を箱に詰めようとすれば、段ボールが裂け、書類の束を整理しようとすれば、書類がバラバラになる。

 鳴き声は出さないものの、一種の化け猫譚だな、これは。

 不動産屋に電話をかける。
 こちらから、電話をかけるというのは珍しい。
 「今回の案件のゴールを聞くのを忘れていました」
 「そうだな。ノラと折り合いをつけながら、遺品整理をしてくれるとありがたいそうだ。大学の関係者もこの手の案件はお手上げなんだそうだ」
 「私は化け猫退治の専門家じゃないんですが」
 「それは知ってるよ。でも、これまで、何とかやってくれたじゃないか」
 人懐こそうな声でねだり始めた。
 「今回の報酬に上乗せするからさ」
 「するからさ、って、何処から手をつければ良いのか…」
 と、話す私を見つめる視線に気づいた。

 ノラが私を見ていたのだった。

 しまったな。これで「彼女」は私を敵認定してしまった。

 動物、特に、ネコ科のものは縄張り意識が高い。
 その縄張りに入ろうとすれば、それなりの「通過儀礼」を払わねばならない。
 私は敵ではありません。あなたより弱いものです。どうか許して下さい。
 それが不可能になってしまった。
 「困ったな、これは」
 私は降り続ける外の雨を見つめながら、ため息をついた。

 ノラとの膠着状態続く中、私は猫じゃらし、またたび、かつお節と色々と思案したが、どれもこの世のものではないノラに不用のものである。
 どんづまりだな、これは。

 その日も雨だった。
 玄関のチャイムが鳴り、ドアを開けると、老紳士がそこにいた。
 「こんにちは。はじめまして。私はーー」
 と、名乗った老紳士はこの部屋の借主のそれだった。
 「はじめまして。私は…」
 「不動産屋から、派遣されたバイトの方ですね。ご苦労様です」
 と、頭を下げた。
 「あの、ここでは何ですし」
 「そうですね、書斎に行きましょう」
 と、借主は玄関を上がると、すたすたと書斎に向かった。
 書斎の椅子に座ると、ノラは主人の膝の上に座った。

 「厄介な案件でしょう」
 老紳士は興味深そうに私の意見を求めた。
 「ですね。私の扱っている案件はそこで召された方がいたという事をなかった事にする不在証明のような仕事なんですが…」
 と、地下アイドルとストーカーの案件を話した。
 「それだと、あなたのような方をがいても、ロンダリングの意味がないでしょう」
 「ですね。最後は拝み屋さんが来たらしいです」
 「それは大変」
 と、言いながら、
 「本当はこういう場合、お茶と茶菓子を出す所なんですが、こういう有様で」
 笑い始めた。
 「で、今日はどういうご用事で」
 「実は、今日が私が逝ってから四十九日でして、今、法要している最中でしす。集まって下さっている方の噂話で私の仕事部屋で化け猫が出たという話が出て、来た次第です」
 「そうなんですか」
 「ノラには悪い事をしました。私が誰かに言伝をしていれば、まだ、生きていられたでしょうに」
 部屋主はノラの頭をなでながら、
 「こんな、雨の日でしたよ。ノラと出会ったのは。あの頃はまだ子猫でそこから見える公園に段ボール箱の中で鳴いていたのですよ。
 ほんとうは家に連れて帰れば、良かったんでしょうが、妻も息子も息子の嫁も猫アレルギーでして、ここで世話をする事にしたんです。」
 「それにしても…」と私が言おうとすると借主はいった。
 「突然のことでしたよ。地下鉄に乗っていたら、胸に激痛が走って、気がついたら。ベッドの上で」
 「助かりかけたですか?」
 「いや、行政解剖の最中でした。興味深かったですよ。それまでの自分の身体が腑分けされていくのは。
おもわず、たーへるあなとみあ!と叫んじゃいましたよ。あはははは」
 インテリの冗談は亡くなっても、ブラックだ。
 「まだ、研究途中の仕事もありましたが、やり遂げた仕事も多い。これで良しとしましょう」
 老紳士はにこやかに言った。
 

 しばらく、談笑を老紳士としていたが、老紳士が立ち上がった。
 「それでは、と」
 「どうかされたんですか?」
 「どうやら、坊さんの法要が終わったみたいです」
 老紳士はノラを抱えると
 「ごめんね、ノラ、寂しかったかい?」
 その時、初めてノラが「ニャー」と鳴いた。

 「それじゃ、お若い方。色々、お世話になりました」
 軽く会釈をすると、ノラと一緒に消えて行った。
 窓の外の雨はまだ止みそうになかった。
 そんな雨を見ながら、明日、止むと良いなと思った。
 
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