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事故物件、その六

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 その物件に着いたのは夕方だった。

 「いま、暇してるよね。良かったら、手伝ってくれない?」
 不動産屋が難儀な案件を頼む時はいつもそうだ。
 「暇は暇ですが、また、何か変な案件ですか?前から言っていますが、拝み屋でもなければお坊さんでもありません。あまりおかしな案件を頼まれても困るんですが」
 「そこをなんとか」
 電話の向こうで揉み手をするような感じで言った。
 「前の方はどれぐらいだったんですか?」
 「二日、いや、一日半だったか。その前が三日は持ったな」
 平然という不動産屋に答えた。
 「それ、僕が持つわけないでしょう」
 「だから、そこをなんとか」
 何が、どうして、そこを何とかなんだろう?私がこの案件を受けるのを前提で話をしている。
 「今回、止めておきますよ」
 「困っちゃたなぁ。困った。本当に困った」
 困れば良いのである。事故物件に住んでゴロゴロするだけで、報酬がもらえるのはありがたい。だが、そこに付随する怪しげなもの、いわゆる、怪異と対応するのは、バイトの私である。
 「人助けだと思って」
 助かるのは人ではなくて、あなたの会社だろうと言いかけた時、
 「よし、判った。今回の案件が終わったら、正社員として採用しよう。この手の仕事も他のバイトに回して、君を主任として管理する側にする。これでどうだろう?ボーナスも出す、出させていただきます」
 不動産屋の押しの強い勢いに乗せられた。
 この時点で不動産屋の掌の上で踊らされている事を後で、知ることになった。

 部屋の中に着くと、いつものセッティングだった。
 いつものテレビ、いつもの冷蔵庫、いつものガスレンジ、いつものエアコン。
 ただ、違っていたのは、前任者が書いたと思われる壁にマーカーで書かれた文言だ。
 「オレは帰る!!ぜったい、帰る!!」
 「だましやがったな!!」
 「ばかやろう!!」
 と、後は不動産屋に対する罵詈雑言だった。それが壁のあちこちに書かれていて、事故物件に事故物件を上乗せしてしまったような。
 イチゴパフェに生クリーム、ドン!の状態だな、これは。
 ただ、それはありがたくないオプションなだけだ。

 で、困った事に、部屋の中央にイチゴパフェの「苺」が鎮座していた。
 
 かなり古いビスクドール一体。
 
 これがこの部屋の主だった。

 「もしもし、僕です。今、確認しました。今回の物件の『中心』を確認しました」
 スマホで不動産屋に連絡をした。
 「そうなんだよ。それ、というか、『彼女』が今回の『心理的瑕疵』なんだよ」
 「『いわくつき』のものですか?」
 「それが…」
 不動産屋は続けて、こう言った。
 「私にもよく判らない代物なんだよ。まったく、判らない。ただ、ひとつ言える事は、捨てようが、焼こうが、次の日にはそこに座っている。『世界の中心は私だ』と宣言しているように、座っているんだ」
 「壊れた知恵の輪じゃないですか」
 「うまい例えだね。まったく、その通り。壊れているんだ、因縁、因果が。何故、そこにあるのか。そこにいて何が起こるのか。ただ、そこにあるんだ。困った物だろう」
 不動産屋はカラカラと笑った。
 「あぁ、それと前任者のメッセージがマーカーでいっぱいに壁を埋め尽くされていますよ。本当は僕で何人目なんです」
 「きっかり、10人目。呆れたものだろう」
 呆れるのはあなたの方だと言ってやろうかと思った矢先「壁に書かれているメッセージは私に対する罵詈雑言だろう」
 「そうです。よく判りましたね」
 「だって、君で10人目だもの」
 死刑執行人のような声で不動産屋は言った。


 部屋の中央のビスクドールはいつも部屋の外の方を向いている。

 私がトイレに行ってドアを開けると、そこにビスクドールがいる。風呂に入って上がって身体を拭くと、後ろを向くと、そこにビスクドール。ガスレンジでお湯を沸かしてカップラーメンを作っていると、足元にビスクドール。

 身体の中に入った病原菌にまとわりつく白血球みたいなものなんだろうか。

 何をするまでもなく横を振り向くと、ビスクドールが真正面にいる。

 これでは神経がまいって来るのは当たり前だ。

 いつも目の入る所に、ビスクドールがいる。

 先に入った挑戦者(あえて言えば、そうだろう)はこれにやられたのだ。

 何か、こちらに危害を与える訳でもなく、ただ、視線の先にいる。

 虚ろなガラスの眼玉がこちらを見ている。

 目の前のビスクドールに質問する。

 「おまえは何者だ」

 私の声は乾いていた。

 止めよう。こういう問いは堂々巡りを招きかねない。

 ビスクドール自体が動く心理的迷路なのだ。

 不動産屋が言った「壊れているんだ、因縁、因果が」という言葉がリフレインする。

 そうなんだ。

 こいつはスタンドアローンの怪異なんだ。

 何ものにも囚われず、何ものも放さず。

 「我々は何処から来たのか、我々は何者か。我々は何処へ行くのか」

 虚ろな私はビスクドールに問いかけた。

 真正面を向いていたビスクドールは引っ繰り返って仰向けになった。

 まるで、生まれたての赤ん坊が尻もちを付いたみたいに。

 翌日の事だった。

 部屋の中央に陣取っていたビスクドールが南側のサッシの外にいた。

 ここは二階の部屋だった。

 風が吹いたのか、ビスクドールが手を振ったように見えた。

 「我々は何処から来たのか、我々は何者か。我々は何処へ行くのか」

 ビスクドールは自我に目覚めたのだろうか。

 自我に目覚めたビスクドールは幸せなんだろうか?

 ビスクドールが落ちたであろう地面を眺めたが、ビスクドールは見つからなかった。

 ビスクドールは何処に行くのだろうか。

 私はしゃがみながら、ビスクドールの部屋の中央を見つめ続けていた。
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