落とし仔

キンカク

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  東京の朝は近年よりも気温が高かった。まだ朝の七時半過ぎだというのにすでに気温が二十六度を超えており、道ゆく人々はポロシャツ姿や半袖Tシャツ一枚で仕事に出勤していた。
  およそ九割の人々がゆっくり歩いている中、残りの一割の人間らが小走りで駆けていた。しかし歩き行く人の中でも一際目立つ男がいた。その男は他とは違い、すれ違う通行人も思わず目を止めてしまうほどの全力疾走で歩道を走っていた。その男が走って行く先には警視庁の本部が目に見えていた。
  朝早くから東京に拠点を持つ警視庁の本部は慌ただしい様子であった。机と机の細い通り道を何人もの人が通り抜けていた。
  まだ七月の上旬にもかかわらず、各部屋の冷房機はゴーッという音と共にフル稼働していた。ニュースでも地球温暖化が世界的において深刻な環境問題として毎日取り上げられており、専門家や芸能人が互いの意見をぶつけ合っていた。
  そんな中、捜査一課長室では横峯 勲(よこみね いさお)捜査一課長がうちわを仰ぎながら、これまでの事件や今現在起きている事件の資料を確認していた。
  横峯がこれまでに捜査した事件には様々なものがあった。足立区で起きた北山一家放火殺人や某人気アイドルの握手会で起きた暴行未遂事件など数知れずの事件を担当してきた。
  特に今年の中で最も凶悪事件であり、大勢の捜査員を動員し捜査を行っていた「東京都立才賀高校女子生徒連続殺人事件」の事件資料を確認していた。つい先月に犯人グループが逮捕され一連の事件は解決したが、横峯は事件の流れを再度確認していた。なぜだか横峯はこの事件にどこか異様なもの絡んでいるのではないかと考え、どうにも気になっていた。
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  第一の事件は品川区で起きた。最初の被害者である浜崎 イチゴ17歳が二月四日、自宅から九百メートル離れた裏路地の中で遺体として見つかった。浜崎は図書館から自宅へ帰る途中に、背後から複数人の男に襲われ、中々帰宅してこなかった娘を心配した両親からの通報を受けてから、二日後に遺体となって発見された。死因は首に残ってあったヒモの跡から首を絞められ窒息死したと断定された。
  浜崎が着ていた衣服や所持していたカバンには何も荒らされた様子はなかった。事件当初、警察は強姦や窃盗の線で捜査を行っていたが、怨恨や無差別殺人の可能性を踏まえた上で再捜査した。  
  しかし浜崎が殺害された現場からは目撃者が誰一人おらず、犯人グループに繋がるものが何も出てこなかった。そのため警察は発見現場をくまなく捜査したが、被害者以外の痕跡は全く残っていないことが判明した。そして事件が難航する中、事件発生から十一日後、二人目の被害者が出た。
  二人目の被害者は坂田 麻衣(さかた まい)18歳。二月十五日に、在籍していた高校から三百メートル離れた公園の公衆トイレで、首を絞められたまま死んでいると付近の主婦から通報があった。
  警察は被害者の殺害方法や事件現場の痕跡の跡がないことから第一被害者である浜崎イチゴ殺人事件と同一犯である可能性が高いと捜査に当たった。さらに二人目の被害者の坂田麻衣と第一被害者である浜崎イチゴの二人が在籍していた高校が東京都立才賀高校だということが判明し、警察は学校内部の犯行を視野に入れた。
  才賀高校は都内有数の進学校としても名が知られており、地方からも特に優秀な生徒が多く集まっている。この高校に在籍していた政治家や学者は少なくない。優秀な人材をこれ以上失いたくないと、教育委員会は才賀高校に在学している生徒に対し、二週間の自宅待機を命じた。
  それから警察は被害者の交友関係や家庭事情をくまなく捜査したが、事件に直接関わるような情報は全く出てこなかった。また被害者の二人とも成績が優秀であり、部活や交友関係にも何ら問題は無かった。そのため警察は怨恨の線を保留にし、無差別殺人ではないかと考え始めていた。
  何の進展もないまま三日後には、第三の被害者の竹内 まり 、その更に七日後には第四の被害者、吉川 花美(よしかわ はなみ)が殺害された。この二人の被害者も才賀高校に在籍していた生徒だった。
  第三、第四の被害者が確認され、マスコミや新聞などで題材的に報じられた。テレビでも犯人の動向や動機などを犯罪心理学者が予測し、議論が重ねられていた。
  しかし警察は第一の事件が起きてから四ヶ月が経っても犯人集団の情報や素性が全く掴めていない状況であった。この事件の最も難点だったものは、目撃者や事件現場に痕跡などが全く残っていなかったことだった。そのため警察内部でも完全犯罪に対し、今後何も物的証拠は出てこないのではないかと考え始める者も少なくなかった。
  しかし事件発生からおよそ四ヶ月後の六月二十四日に事件は思わぬ結末を迎えるのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  見ていた事件資料を机に置き、一息つこうとコーヒーを一口飲もうとした矢先、横峰の元に一本の電話がかかってきた。
  横峯は電話越しに聞こえる声からして、ただごとではないと瞬間的に感じ取った。そして電話の内容を聞き終わる頃には事件の大きさに驚きが隠せなかった。
  「誘拐だと?」
  電話を切ると直ちに部下である青山に連絡を入れた。横峯は動揺を隠せず、激しい貧乏ゆすりをしていた。ようやく殺人事件が解決したにも関わらず次は誘拐事件、横峯は勘弁してくれと囁いた。外から見えるきらびやかに晴れた青空とは違い、横峯の心には暗い巨大な雲がかかっているようだった。
  すぐにドアの方からノックする音が二回部屋に鳴り響いてきた。
  「入りたまえ」
  横峯の返答でドアの中から部下の青山が入ってきた。
  「失礼します。一課長、どういったご用件でしょうか。」
  青山は背中にまるで長い定規でも入っているかのように綺麗な姿勢を保っており、四十八歳とは思えない立ち姿だった。これにはいつも驚きと感心が重なり合っていた。
  「すまないね、こんな早くから連絡してしまって。たった今、所轄の方から連絡が入ってきた。品川区の方で生後僅かな赤ん坊が突如居なくなっていたらしい。通報してきた母親によると寝る前までは乳児と一緒に寝室にいたようだが、 今朝目が覚めるとそこには乳児はいなかったようだ。さらに一階のリビングの窓のドアカギ近くに直径十センチ程の穴が開けられていたことから、何者かが家の中に侵入した可能性が高い。」
  「それはつまり誘拐事件の疑いが高いと。」
  事件の概要を聞いてもなお、青山は冷静なたたずまいだった。
  「あぁ、その可能性が極めて高い。早速だが君と白家で捜査に当たってくれ。新見たちにも後から向かわせる。」
  「はい、直ちに準備いたします。失礼します。」
  青山は横峯に背を向けると伸びた姿勢を維持したまま、一課長室を後にした。
  横峯は椅子にもたれかかると指で両目の瞼を圧迫した。日頃の疲れやストレスからか痙攣を起こしていることに気付いた。
  ふと横峯は先程読んでいた「東京都立才賀高校女子生徒連続殺人事件」の資料の続きに目を止めた。そこには「六月二十四日(木)二十二時三十七分、品川区西王井の住宅街で犯人グループ確保」と書かれていた。そして犯人グループを逮捕した刑事の欄には「白家直也警部補」と書かれていた。
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