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喋喋喃喃
喋喋喃喃 第一話
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週一回。毎週決まって水曜日。午後15時から19時までの間。俺の元にオグロが訪ねてくるようになり早一月。
最初は正直戸惑いがあったけれど、今となってはだいぶ慣れてきてしまった気がする。
「オグロ、スーツ皺になるぞ?」
俺の身体を抱きしめながら、ベッドに寝ようとするオグロにそう言うと、オグロはほんの少し面倒くさそうな表情を浮かべて俺を放す。
そして自分のスーツのジャケットをハンガーにかけてから、俺の方を見て得意げな表情を浮かべた。
「これでいいか?」
俺がそれに対して微笑めば、オグロは俺に飛びつく。
そしてベッドの上で重なるように倒れてから、オグロは俺の身体を抱きしめた。
オグロはいやらしい事をしない。ただ俺を抱きしめるだけで、それ以上の事をしない。
抱きしめて眠るのか、他愛無い会話をするか。それだけだ。
俺がここ一か月で解ったオグロの事は、思っているより言葉遣いが荒い事と、思っているより一緒にいると良く笑うことだ。
「なぁ、お前なんでオグロっていうの?苗字?」
ほんの少し慣れてきたとは言えど、俺はオグロの事を何も知らない。
気になっていた事を投げかけてみれば、オグロはふふっと声に出して笑った。
「俺の名前は京條が決めた。スペイン語で鬼だ」
鬼。頭に浮かんで消えてゆく、チェーンソーを手にしたオグロの姿。それを思い出せば、確かにその名は合っている。
京條さんがどういった意図でオグロの名前を付けたのか俺は解らないが、何故かしっくりして見えた。
「へー、京條さんとは長いの?」
「もう13年になる。俺が10の時」
「……待って、オグロもしかして俺と同じ年じゃない?」
10の時から今まで13年。その時に俺はオグロが自分と同い年であったことを知る。
そして京條さんは一体幾つなんだろうかと、ふと疑問に思った。
「今年23になる。多分近いと思う。京條は俺にとっては育ての親みたいなものだ」
そう言いながら悪戯っぽく笑うオグロを見ていると、ほんの少しだけ調子が狂う。
もっと怯えなければならない筈の対象が、何だかとても愛くるしくさえ感じてくるのだ。
オグロは俺の目の前では、完全に少年なのだ。良く笑い、良く話す、可愛らしい子供。覗き込めば覗き込むほどに、オグロは謎に満ち溢れている。
そして最初は不気味で仕方なかった顔の傷さえ、可愛らしく思うのだ。
「オグロは俺と歳が近いと思ったから、こうして会いに来ているの?」
そう言って質問を投げかけてみれば、オグロは首を左右に振る。そして形のいい唇の前に人差し指を出して、微笑む。
今日も俺に逢いにきた理由に関しては、教えてはくれなかった。
俺の身体を抱きしめたままで、オグロは目を閉じる。正直この穏やかな表情の青年が、少女の首をチェーンソーで跳ねたとは思えない。
けれどそれは俺の目の前で起きたことなのだから、紛れもない事実なのだ。
「………オグロもケーキの肉を食べるの?」
思わず口から零れて出た質問に対して、オグロが目を開く。
「俺は……ずっと昔に口にしてから……食べるようになった」
オグロがケーキの肉を食べる事位は、正直想像が出来ていた筈だった。
それなのに今目の前にいる穏やかなオグロからその言葉が出てくることは、何となくショックを感じてしまう。
「そうなんだ………まぁそうだよね………」
自分にも言い聞かせるかのように、オグロの言葉に返事を返す。
するとオグロはほんの少しだけ困ったような表情を浮かべ、何かを考え始める。そしてオグロは俺の目を真っ直ぐに見つめながら、甘えたように話し始めた。
「………ゼノは何時ゼノになった?」
そう言いながら俺の事を訪ねようとしてくるオグロを見ていれば、俺の匂いが怯えていた時のものだったことが解る。
多分俺はオグロに気を使わせてしまったのだ。
俺はそんなオグロに少し申し訳なくなり、ケーキの肉に対する話の質問をするのをやめようと思った。
「俺はね、自分で決めたよ。いい名前だろ?パティスリーショップに入る時に自分で決めた」
そう言って得意気にしてみせれば、オグロが嬉しそうに笑う。
「良い名前だ………きっと素敵な意味なんだろうな……」
オグロはそう囁くと俺にぴったりと張り付いた。
俺を抱き締めながら、オグロはすぅすぅ寝息を立てはじめる。
「うん…………素敵な、意味だよ……」
優しい嘘を囁いて、オグロのキラキラした髪を指で撫でる。
眠るオグロに悪戯をしてみれば時折オグロが目覚めて、悪戯をしている俺を少し笑ってまた眠る。
この穏やかな逢瀬では、お互いに普段の激しい日々を忘れる事が出来ている気がしていた。
そして不思議とオグロといる時は、奏太を思い出さないで済む。
起きたオグロの髪を梳かして、身支度を整えさせる。
スーツのジャケットを持って後ろに立てば、オグロが袖に腕を通す。
「………また来週」
オグロはそう囁いて、俺の頭を撫でて去ってゆく。俺はオグロの背中に向かって、小さく手を振っていた。
***
俺が住んでいるケーキ専用マンションから大体徒歩10分の所に、小さなケーキ専用の病院がある。
その病院で診察を受けるようになってから、早五年の時間が過ぎた。
「久しぶりに君の顔を見た気がするな。元気だったかい?」
「浅間先生久しぶり。元気だよ。………モナンと念のためのレストの処方、またお願いします」
久しぶりに顔を合わせる浅間先生は、ほんの少しだけ白髪が増えた。
浅間先生は九年前のあの事件から、ずっとお世話になっている。
五年前に先生は独立して、小さなケーキ専用の町医者になった。
俺は三か月に一回此処を訪れて、モナンとレストの処方をしてもらっている。
先生がパソコンにキーボードで入力をしているタイピングの音が、病院内で流れている可愛らしいオルゴールの音楽に重なる。
「今日珍しいね。ちゃんと診察受けていくなんて。いつも受付で薬貰って帰ってるだろ?」
そう言って笑う先生に、俺は笑い返す。俺はこの日先生に聞いてみたいことがあった。
「………ちょっと、先生に聞いてみたいことがあって」
そういって俯いてみれば、先生が俺の方に椅子をぐるりと向ける。先生と対面する形になった時、先生と久しぶりに目を合わせた。
今日の俺はゼノではなく、加藤涼介として先生を訪ねている。だからなのかその目を見ると、何だかとても恥ずかしい気持ちになる。
それに俺は自分が子供の時から逢っている人には、誇れない人生を今歩んでいる事は解っているのだ。
「なんでも答えるよ。話してみて?」
俺は深くため息を吐いてから、頭の中にオグロの事を思い返す。ゆっくりと言葉を頭の中で紡ぎながら口に出した。
「………ケーキの肉を食べた事があるフォークって、どうなってしまうの?」
俺の質問に対して浅間先生が、難しそうな表情を浮かべる。そしてうーんと唸りながら、ほんの少し言いづらそうに口を開いた。
「ケーキってフォークにとっては、中毒性の高い麻薬みたいなものなんだよ。だけど体液程度だったなら、まだ逃れようがある。
フォークの連続殺人犯は……麻薬の中毒者と近いものがあるんだ」
其処までの知識なら、俺も正直解っている。理解をしている。九年前の事件以来、俺は自分の事を知りたくて沢山ケーキについて調べたから。
でもケーキの肉を喰らったフォークの末路についてだけは、俺も正直知らないのだ。
沢山のフォークに対峙してきた。色んな人に出会ってきた。多分この人はケーキの肉を食べたことがあるかもしれないと、肌で感じた人もいる。
けれどその末路だけは、俺は解らないのだ。
「身体はひたすらにケーキの肉を求めて、そのうちその事しか考えられなくなって、狂ってしまうんだよ。
ケーキの肉を口にしてしまったフォークの未来には、幸せが無い」
頭に浮かんで消えてゆくオグロの笑顔に、胸が痛む。
「そっか………先生ありがと……」
俺はそういって作り笑いを浮かべて、診察室から出て行った。
最初は正直戸惑いがあったけれど、今となってはだいぶ慣れてきてしまった気がする。
「オグロ、スーツ皺になるぞ?」
俺の身体を抱きしめながら、ベッドに寝ようとするオグロにそう言うと、オグロはほんの少し面倒くさそうな表情を浮かべて俺を放す。
そして自分のスーツのジャケットをハンガーにかけてから、俺の方を見て得意げな表情を浮かべた。
「これでいいか?」
俺がそれに対して微笑めば、オグロは俺に飛びつく。
そしてベッドの上で重なるように倒れてから、オグロは俺の身体を抱きしめた。
オグロはいやらしい事をしない。ただ俺を抱きしめるだけで、それ以上の事をしない。
抱きしめて眠るのか、他愛無い会話をするか。それだけだ。
俺がここ一か月で解ったオグロの事は、思っているより言葉遣いが荒い事と、思っているより一緒にいると良く笑うことだ。
「なぁ、お前なんでオグロっていうの?苗字?」
ほんの少し慣れてきたとは言えど、俺はオグロの事を何も知らない。
気になっていた事を投げかけてみれば、オグロはふふっと声に出して笑った。
「俺の名前は京條が決めた。スペイン語で鬼だ」
鬼。頭に浮かんで消えてゆく、チェーンソーを手にしたオグロの姿。それを思い出せば、確かにその名は合っている。
京條さんがどういった意図でオグロの名前を付けたのか俺は解らないが、何故かしっくりして見えた。
「へー、京條さんとは長いの?」
「もう13年になる。俺が10の時」
「……待って、オグロもしかして俺と同じ年じゃない?」
10の時から今まで13年。その時に俺はオグロが自分と同い年であったことを知る。
そして京條さんは一体幾つなんだろうかと、ふと疑問に思った。
「今年23になる。多分近いと思う。京條は俺にとっては育ての親みたいなものだ」
そう言いながら悪戯っぽく笑うオグロを見ていると、ほんの少しだけ調子が狂う。
もっと怯えなければならない筈の対象が、何だかとても愛くるしくさえ感じてくるのだ。
オグロは俺の目の前では、完全に少年なのだ。良く笑い、良く話す、可愛らしい子供。覗き込めば覗き込むほどに、オグロは謎に満ち溢れている。
そして最初は不気味で仕方なかった顔の傷さえ、可愛らしく思うのだ。
「オグロは俺と歳が近いと思ったから、こうして会いに来ているの?」
そう言って質問を投げかけてみれば、オグロは首を左右に振る。そして形のいい唇の前に人差し指を出して、微笑む。
今日も俺に逢いにきた理由に関しては、教えてはくれなかった。
俺の身体を抱きしめたままで、オグロは目を閉じる。正直この穏やかな表情の青年が、少女の首をチェーンソーで跳ねたとは思えない。
けれどそれは俺の目の前で起きたことなのだから、紛れもない事実なのだ。
「………オグロもケーキの肉を食べるの?」
思わず口から零れて出た質問に対して、オグロが目を開く。
「俺は……ずっと昔に口にしてから……食べるようになった」
オグロがケーキの肉を食べる事位は、正直想像が出来ていた筈だった。
それなのに今目の前にいる穏やかなオグロからその言葉が出てくることは、何となくショックを感じてしまう。
「そうなんだ………まぁそうだよね………」
自分にも言い聞かせるかのように、オグロの言葉に返事を返す。
するとオグロはほんの少しだけ困ったような表情を浮かべ、何かを考え始める。そしてオグロは俺の目を真っ直ぐに見つめながら、甘えたように話し始めた。
「………ゼノは何時ゼノになった?」
そう言いながら俺の事を訪ねようとしてくるオグロを見ていれば、俺の匂いが怯えていた時のものだったことが解る。
多分俺はオグロに気を使わせてしまったのだ。
俺はそんなオグロに少し申し訳なくなり、ケーキの肉に対する話の質問をするのをやめようと思った。
「俺はね、自分で決めたよ。いい名前だろ?パティスリーショップに入る時に自分で決めた」
そう言って得意気にしてみせれば、オグロが嬉しそうに笑う。
「良い名前だ………きっと素敵な意味なんだろうな……」
オグロはそう囁くと俺にぴったりと張り付いた。
俺を抱き締めながら、オグロはすぅすぅ寝息を立てはじめる。
「うん…………素敵な、意味だよ……」
優しい嘘を囁いて、オグロのキラキラした髪を指で撫でる。
眠るオグロに悪戯をしてみれば時折オグロが目覚めて、悪戯をしている俺を少し笑ってまた眠る。
この穏やかな逢瀬では、お互いに普段の激しい日々を忘れる事が出来ている気がしていた。
そして不思議とオグロといる時は、奏太を思い出さないで済む。
起きたオグロの髪を梳かして、身支度を整えさせる。
スーツのジャケットを持って後ろに立てば、オグロが袖に腕を通す。
「………また来週」
オグロはそう囁いて、俺の頭を撫でて去ってゆく。俺はオグロの背中に向かって、小さく手を振っていた。
***
俺が住んでいるケーキ専用マンションから大体徒歩10分の所に、小さなケーキ専用の病院がある。
その病院で診察を受けるようになってから、早五年の時間が過ぎた。
「久しぶりに君の顔を見た気がするな。元気だったかい?」
「浅間先生久しぶり。元気だよ。………モナンと念のためのレストの処方、またお願いします」
久しぶりに顔を合わせる浅間先生は、ほんの少しだけ白髪が増えた。
浅間先生は九年前のあの事件から、ずっとお世話になっている。
五年前に先生は独立して、小さなケーキ専用の町医者になった。
俺は三か月に一回此処を訪れて、モナンとレストの処方をしてもらっている。
先生がパソコンにキーボードで入力をしているタイピングの音が、病院内で流れている可愛らしいオルゴールの音楽に重なる。
「今日珍しいね。ちゃんと診察受けていくなんて。いつも受付で薬貰って帰ってるだろ?」
そう言って笑う先生に、俺は笑い返す。俺はこの日先生に聞いてみたいことがあった。
「………ちょっと、先生に聞いてみたいことがあって」
そういって俯いてみれば、先生が俺の方に椅子をぐるりと向ける。先生と対面する形になった時、先生と久しぶりに目を合わせた。
今日の俺はゼノではなく、加藤涼介として先生を訪ねている。だからなのかその目を見ると、何だかとても恥ずかしい気持ちになる。
それに俺は自分が子供の時から逢っている人には、誇れない人生を今歩んでいる事は解っているのだ。
「なんでも答えるよ。話してみて?」
俺は深くため息を吐いてから、頭の中にオグロの事を思い返す。ゆっくりと言葉を頭の中で紡ぎながら口に出した。
「………ケーキの肉を食べた事があるフォークって、どうなってしまうの?」
俺の質問に対して浅間先生が、難しそうな表情を浮かべる。そしてうーんと唸りながら、ほんの少し言いづらそうに口を開いた。
「ケーキってフォークにとっては、中毒性の高い麻薬みたいなものなんだよ。だけど体液程度だったなら、まだ逃れようがある。
フォークの連続殺人犯は……麻薬の中毒者と近いものがあるんだ」
其処までの知識なら、俺も正直解っている。理解をしている。九年前の事件以来、俺は自分の事を知りたくて沢山ケーキについて調べたから。
でもケーキの肉を喰らったフォークの末路についてだけは、俺も正直知らないのだ。
沢山のフォークに対峙してきた。色んな人に出会ってきた。多分この人はケーキの肉を食べたことがあるかもしれないと、肌で感じた人もいる。
けれどその末路だけは、俺は解らないのだ。
「身体はひたすらにケーキの肉を求めて、そのうちその事しか考えられなくなって、狂ってしまうんだよ。
ケーキの肉を口にしてしまったフォークの未来には、幸せが無い」
頭に浮かんで消えてゆくオグロの笑顔に、胸が痛む。
「そっか………先生ありがと……」
俺はそういって作り笑いを浮かべて、診察室から出て行った。
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