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最終章 Avec vous, l'enfer deviendra un paradis.

第二話 ★☆

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 白い砂浜と真っ青な海を横目に、大きな荷物を転がしながら女が歩いている。
 さざ波の音がとても心地良く、この土地に訪れて良かったと彼女は思っていた。
 亜麻色の髪を靡かせながら、髪と同じ色の眼で空を見上げる。
 彼女はたった一度だけで良いから、一人旅を経験してみたかった。
 フランスからセブ島へ渡った彼女は、熱い日差しに照らされてほんの少しだけ疲れている。
 今日はぐっすり眠れそうだと彼女は思っていた。
 
 
 海の前にある小さなホテルに問い合わせれば、一部屋だけ空きがあると快く受け入れてくれた。
 真っ白な白い壁に茶色の小さな扉。可愛らしい少年が出入り口の前で腰掛けていた。
 少年は彼女に愛らしい笑みを振り撒いて、ぱたぱたと手を振る。
 全てが和やかで平和な光景が、彼女の目の前には広がっていた。
 
  
「Please have a drink if you like」
 
 
 部屋の中で涼んでいればホテルマンが気を利かせ、ピンクレモネードを部屋に持ってきてくれた。
 小麦色の肌に黒い目に黒髪の美男は、静かに部屋から出ていく。
 そんな彼に手を振りながら、とても素敵な人だと微笑む。
 彼はまるで物語の中に出てくる、理想の男性そのものの姿をしている。
 汗をかいたグラスにぎっしり氷を詰め込んだレモネードは、疲れた彼女にはとても魅力的に見えた。
 
 
 ピンクレモネードを一気に飲み干して、家具やアメニティの数々を見て回る。
 可愛らしい形のソファーと小さなテーブル。その時背後から嫌な視線を感じた気がした。
 この部屋には自分以外いる筈がないと思いながら、恐る恐るゆっくりと振り返る。
 其処にはとても大きな鏡があった。
 
 
 全身が映るであろう鏡は彼女より少し背が高い。
 見れば見るほどなんの変哲もないただの鏡なのに、どうしても気になって仕方がないのだ。
 鏡に手を合わせてみても何も変わらない。けれど何故か恐ろしいと感じた。
 不思議に思う彼女の目の前が、急にぐらりと揺れ始める。
 それと同時に急激な眠気が襲いかかって来た。
 こんなに身体が辛いのは初めての事だと、彼女は心から思う。
 長旅の疲れが今出て来ているに違いない。
 
 
 彼女は何も疑うことなくそのままベッドに倒れ込む。目を閉じた瞬間、彼女は深い眠りへと落ちた。
 部屋の中ではグラスの中の氷が溶けて、カランという音が鳴る。
 睡眠薬の入ったレモネードは、彼女の身体に予想通りの効果を発揮していた。
 すぅすぅ寝息を立てながら眠り始めた彼女の姿を、鏡が映し出している。
 その時、彼女の眠る部屋の中で異様な物音が響き渡った。
 
 
 鏡が動いて真っ暗な空間が現れ、その中から長い長い手が伸びる。
 真っ暗闇の中からぬっと姿を現したのは、さっきピンクレモネードを運んできた美しい男だった。
 彼は彼女の事を鏡の奥の暗闇に引きずり込むと、何事も無かったかのように鏡を元に戻す。
 そして暫しの沈黙の後で、ゴキッという鈍い音だけが響き渡った。
 
 
 いつの間にこの人はこんな殺し方を覚えたのだろうかと、目の前の玲央を見ながら紫苑は思う。
 首があらぬ方向に曲がった女の身体は、バスタブの上で逆さ吊りにされている。
 その捻れた首元をナイフで一筋傷付ければ、ダラダラと甘い匂いの漂う血が流れてきた。
 この匂いはチョコレートだ。ラム酒の匂いが香る、濃厚なチョコレート。血を身体中に浴びながら紫苑は身体を震わせる。
 発情ヒート期を迎える直前の肉体は、少しの刺激で感じる程に敏感だ。
 生暖かい血が身体の上を通り過ぎていく度に、自分の入り口が溢れてゆくのがよく解る。
 血塗れになった紫苑の肉体に、暗闇から伸びた手が絡みついた。
 
 
「……………発情ヒートの時の紫苑の匂い、大好き………………………」
 
 
 血を身体中に染みつけていくかの様に、玲央が紫苑の身体を撫でる。
 余り日に当たらない紫苑の身体の上に、コントラストの様に玲央の小麦色の肌が這う。
 血のシャワーを身体中に浴びながら、紫苑と玲央は見つめ合った。
 舌を絡ませ合いながら、本能のままに乱れた様なキスを交わす。
 玲央の舌が唇の周りを這って首を通過する時、紫苑は小さく声を漏らした。
 
 
「あっ……も、これ………きもちい………」
 
 
 胸元の突起に舌を絡ませて淡く吸い上げながら、玲央は甘い血を紫苑の身体ごと味わってゆく。
 その度に紫苑の身体から、フリージアによく似た香りが漂った。
 玲央が感知できるΩのフェロモンは紫苑のものだけだ。
 余裕なく息を上げる紫苑を見下ろしながら、玲央が意地悪な笑みを浮かべる。
 人の殺し方を覚えてからの玲央は、少しだけ加虐の性癖が出来た。
 
 
「今紫苑濡れたね……………溢れた……匂いが強い……………」
 
 
 玲央が紫苑の耳元で淡く囁く度に、紫苑の身体がバスタブの中で弓形になる。
 真っ白いバスタブに落ちてゆく真紅は、とても毒々しくて美しい。
 紫苑は血まみれの身体の儘で、身体を屈ませて玲央の方に近付いた。
 玲央のものもとても大きくそそり立っているのを、紫苑はもう解っている。
 自ら舌を這わせて玲央を見上げれば、玲央の目の瞳孔が開いた。
 
 
「紫苑………上手になったね………でも、もっと深く飲み込んでみせて………」
 
 
 紫苑の頭を押さえ付けた玲央が、余裕なく吐息を漏らして腰を乱す。
 喉奥の圧迫感を感じながら、紫苑は理性を吹き飛ばした。
 玲央の腰に腕を回し、頭を振り乱して舌を絡ませる。
 じゅるっという唾液の音を響かせながら、紫苑は悩まし気に眉間に皺を寄せた。
 玲央のものを自分の口から引き抜けば、身体をバスタブの中に倒される。
 すると玲央の指先が紫苑の中に滑り込んで、淫らな音を響かせた。
 濡れている事が解るように、激しく音を立てているのが解る。
 紫苑の身体を知り尽くしている指先は、意図も簡単に華奢な身体を高ぶらせた。
 
 
 
「あ!!玲央………!!も、それだけで………もう………!!!もういっちゃう………から!!!」
 
 
 びちゃり、と水の音が鳴り響く度に、紫苑は意識を飛ばして甘い声を漏らす。
 余裕なく涙を流した紫苑を見下ろしながら、玲央は恍惚の笑みを浮かべていた。
 何度も何度も達し続けて、これでは気を失ってしまうと紫苑は思う。
 けれどこのまま犯し続けて欲しいとも、身体は感じていた。
 
 
 今の玲央はラットになって荒々しく紫苑をなぶるけれど、最中に思わず笑みを溢す。
 このまま我を忘れる程に動物の如くに交じり合い、本能の儘愛し合いたい。
 玲央にだったら壊されたって構わない、と紫苑は思った。
 息を乱して朦朧とした意識のまま、紫苑は玲央をゆっくりと見上げる。
 玲央は昔の様な優しいキスを落として、何時もと変わらない甘い声色で囁いた。
 
 
「ねぇ紫苑………愛してるよ………」
 
 
 玲央の自分への愛は変わらない。人の殺し方を覚えても、優しい眼差しを自分にくれる。
 応えるように唇を重ね合わせながら、紫苑は息継ぎの合間に囁いた。
 
 
「俺も…………愛してるよ……………」
 
 
 紫苑の入り口に玲央の熱が宛がわれた時に、いよいよ玲央が入ってくる覚悟を決める。
 玲央の背中に腕を回しながら、紫苑は刹那を生きていると感じた。
 明日どうなってしまうか解らないままの人生を、長い間送ってきてしまっていると心から思う。
 けれど、もしも明日全てが白昼の元に晒されても、後悔の無いように愛し合いたいと思うのだ。
 玲央の熱が紫苑の中にゆっくりと入り込んで、紫苑の中を拡げてゆく。
 いっぱいいっぱいの状態の紫苑は、一筋涙を流した。
 
 
「は…………ぁあっ………!!!あぁ───────────!!!」
 
 
 紫苑の中が畝って絡み付くのを感じながら、玲央は紫苑をとても愛しいと感じる。
 この幸せを守る為だったなら、何だってしようと心から思っていた。
 紫苑の上に溢れた白濁を指で弄びながら、無邪気に目を輝かせた玲央が微笑む。
 
 
「……紫苑、僕と一緒に狂おう………それでさぁ、一緒の地獄に堕ちようね??」
 
 
 紫苑の世界には玲央以外が存在していない。甘い匂いの漂う血肉と、快楽と玲央だけ。
 それ以外のものは何もない。それにそれ以外に望んだものも無いのだ。
 微笑む玲央に頷いて、快楽の渦に意識を紫苑は放り投げる。
 此処はとても甘い地獄だと、玲央に抱かれながら紫苑は思う。
 チョコレートとフリージアの芳香が漂う中で、二人は動物の様に何度も何度も求め合った。
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