嗚呼、なんて薔薇色の人生~フォークのα×フォークのΩの運命論~

如月緋衣名

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第八章 Petit à petit l'oiseau fait son nid

第二話

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 紫苑と一緒に暮らすよりもずっとずっと前に、玲央は女の子と二人で映画を見た。
 それはホラー映画で、主人公はよせばいいのに化け物に確実に襲われる場所に歩いてゆく。
 玲央はそれを見ながら馬鹿だと思い笑い、彼女とは一切ソリが合わずに終わった。
 その時期は一切理解の出来なかった主人公の行動を、たった今玲央は理解している。
 
 
「僕ね、原田紫苑と恋仲だったんですよ………。彼とは番になるつもりでした。
彼に襲い掛かられて、僕、右手を失ったんです………。教祖様は殺害されました………」
 
 
 何があっても絶対に開いてはいけないパンドラの箱を開いたと、玲央はこの時思っていた。
 危険な好奇心によって開かれた罠は、玲央の心を痛ませる。
 紫苑が涙を流していた人が、こんなくだらない人間な事も腹立たしい。
 こんな男の何処が一体良かったんだろうと、玲央は心から思っていた。
 このくだらない男の肉を喰らって紫苑が狂っているとしたら、心の底から赦し難い。
 
 
 けれど彼が嘘を吐いていることだってある。
 彼の様な人間は信頼に至らない。注目をされるための嘘を吐いている可能性もある。
 本当の事は紫苑に聞かなければ解らない。けれどこの時に玲央は、一成を殺したい衝動に駆られていた。
 真実はどうあれ紫苑に愛されたと言える男を、生かしておきたいとは思わない。
 
 
「………へぇ、じゃあ一成さんとはとても深い仲だったんですね?
と、いうか一成さんって、ケーキだったんですねぇ………」
 
 
 玲央は腹立たしい気持ちを懸命に抑えながら、互いに腹を探り合う。
 絶対にこの男には、自分がフォークである事を悟られてはいけない。
 そう思いながらブルーベリーソース掛けのレアチーズケーキの匂いを感じていた。
 
 
「………はい、お恥ずかしながら………。僕はケーキでαです………」
 
 
 ケーキでαという性別に玲央は初めて出逢った。αのケーキというもの程、そそられないものは無いと思う。
 不味そうなケーキだと詰る言葉が、喉奥からポンと出てきてしまいそうだ。
 ケーキの肉を食べてしまったフォークが、ケーキの肉を摂取しなければ狂う事を知ると、身体の一線よりも相手の肉を食う一線の方が重く感じる。
 紫苑を愛し過ぎている玲央からすれば、食われたことのある一成がとても憎く感じた。
 
 
 けれどそれと同時にある事に気が付いた。
 あの日真知子からも玲央は「フリージアの香りがする」と言われていたのだ。
 紫苑の恋人だったこのαが、それに気付いて居ない筈がない。紫苑の香りはとても珍しい。
 恋仲になっているのであれば、紫苑の香りに気付かない筈が無いのだ。
 今まで沢山のケーキもΩも抱いて来た玲央が、紫苑と同じ香りのΩには出逢えていない。
 紫苑はそれだけ特徴のある香りをしていた。
 
 
「義手だったなんて、全然気づきませんでしたよ………最近の義手って造りが丁寧なんですね?」
 
 
 玲央はそう言いながら一成に話を合わせ、わざと手を差し出す。
 すると一成は義手の方の手を玲央の手の上に置く。
 この時に玲央はもう、図られている事に勘付いていた。
 それに今もしかしたら、紫苑がいることを既に察してしまっているかもしれない。
 
 
 この男がこの町に来ている事を、紫苑に伝えなければいけない。
 そう感じながら一成の手と義手の継ぎ目を掴む。
 この男の身体の匂いを意図的に持ち帰ろうと、玲央は思った。
 苺の匂いを感じる事の出来る紫苑なら、微かでも彼の匂いを察する事は出来るだろう。
 この匂いをなるべく早く紫苑の所に持ち帰りたい。
 紫苑の知る匂いであれば、直ぐにでも出る準備をしなければいけない。
 なるべく効率的に一成のフェロモンを手に入れる方法を、懸命に頭に巡らせる。
 その時に義手と皮膚の継ぎ目に目が行った。この場所であれば、汗を採取できるのではないだろうか。
 
 
「悪趣味な事言いますけど…………義手の下、見たいって言ったら怒りますか?」
 
 
 玲央はそう言いながら笑みを浮かべ、一成の目をじっと見つめる。
 ケーキのフェロモンを感じる事が出来る人間は、フォークだけなのだ。
 一成がシリコン製の義手を外した瞬間の手を握れば、仄かに汗の感覚を感じる。
 これだけの体液があれば、紫苑に匂いを届けられるだろうと玲央は確信した。
 被せる形のシリコン製の義手の下には、痛々しい傷がある。
 玲央は傷痕に興味があるふりをしながら、更に話を進めていった。
 
 
「………凄く痛そうですね………」
 
 
 一成の傷痕を指でなぞりながら、レアチーズケーキの匂いを手に擦り付ける。
 この男の目的はなんなんだと思いながら、玲央は同情する演技をしてみせた。
 本気の腹の探り合いと騙し合いを繰り返していた時、携帯から流れる着信音で我に返る。
 慌てて携帯を見れば、それは真知子からだった。
 
 
『ちょっと電話は出れそうにない』
 
 
 通話ボタンを切りメッセージで返答を返す。すると真知子からたった一言だけ返事がきた。
 
 
『早く戻ってきて欲しい。伝えなければいけない事がある』
 
 
 文章の様子を見る限り、それはとても緊急を要する雰囲気を感じる。
 玲央は慌てて財布の中から金を出し、テーブルの上に置いた。
 
 
「………すいません、ちょっと僕もう出なきゃいけないみたいです!!!
今日、有難う御座いました!!」
 
 
 玲央はそう言いながら一成の手を再度握り、荷物を手にして外に飛び出す。
 嵐の様に去ってゆく玲央の背中を見送りながら、一成は小さく舌を打った。
 彼はこの時も、玲央を捕まえる事が出来なかった。
 けれど一成は玲央の表情を見ながら、やはり紫苑が近くに居るだろうと思う。
 玲央の化けの皮を剥ぐ方法を考えながら、ダージリンの紅茶を一口だけ飲んだ。
 
 
 
 
「………何があったの!?!?」
 
 
 息を切らした玲央が真知子の元に辿り着けば、神妙な面持ちの真知子が溜め息を吐く。
 部屋の中には呆然とした紫苑がいた。
 白衣を脱ぎながら深いため息を吐いた真知子が、紫苑の隣に並んで座る。
 真知子はとても不機嫌そうな様子で玲央を睨んだ。
 
 
「何があったのじゃないわよ。紫苑君なんだけど、余り凝った手術出来ないかもしれないわ………」
 
 
 さっぱり状態が呑み込めない玲央は、おろおろとただ困り果てる。
 するととても不安げな表情を浮かべた紫苑が、玲央を見上げてこう言った。
 
 
「三か月だって………俺がちゃんと薬を飲まなかったせいで………」
 
 
 何が三か月なのかよく解らずに、玲央がただ固まる。
 すると痺れを切らしたかの様に真知子が叫んだ。
 
 
「しっかりして玲央!!父親は貴方じゃないとあり得ないんだから!!」
 
 
 真知子が父親という言葉を発した瞬間、玲央の頭の中で薔薇の花が開く感覚がした。
 紫苑が今、自分の子供を身籠っている。
 この華奢な身体の中には、自分の遺伝子が詰め込まれた子供が入っているのだ。
 そう思った瞬間に、愛しさが溢れて止まらなかった。
 孕んだ紫苑は自分の過失をひたすらに悔いて、とても落ち込んでいる。
 けれど玲央はそれが逃亡の足手纏いになるとは、一切思っていなかった。
 
 
「…………僕の子供、此処に居るの…………??
じゃあちゃんと、その子も一緒に逃げ出せる様にしなきゃいけないね?」
 
 
 そう言いながら紫苑の前に座り込み、玲央は微笑む。紫苑は静かに俯いてボロボロと涙を流す。
 能天気な返事を返す玲央に、真知子は小さく舌を打った。
 
 
「………………出産までのあと七カ月間、貴方彼の事隠し通せるの?
逃亡するにもこれじゃ母体も危ないわ………。」
 
 
 真知子がそう云った時、玲央は一成の事を思い返す。
 そして慌てた様子で紫苑の顔を撫でた。
 
 
「そうだ………紫苑ちょっと………!!この匂いの人解る!?」
 
 
 玲央の行動がさっぱり理解できないでいる紫苑の身体に、ブルーベリーソース掛けのレアチーズケーキの匂いが漂う。
 さっき迄妊娠の事で頭がいっぱいだった紫苑の嗅覚に、忌々しい人間の匂いが飛び込んだ。
 嘗て何度も何度も口付けた男の香りに、紫苑は顔を凍り付かせる。
 その紫苑の表情を見ながら、玲央は一成と紫苑との接点を感じた。
 表情を強張らせた紫苑が目を見開き、玲央を見上げる。
 その眼をみた時に、探ってはならないことだったと玲央は気付いた。
 真っ青な状態の紫苑が玲央の胸倉を掴み、取り乱した声で叫ぶ。
 
 
「玲央………!!!!この匂い………!!!一体何処で…………!!!!!」
 
 
 説明をしようとする前に、紫苑が涙をボロボロ流して呼吸を乱す。
 こんなに取り乱す紫苑の姿を、この時玲央は初めて見た。
 身体を支えようと手を伸ばせば、その手を押しのけて胸元を掻きむしる。
 紫苑の身体はこの時に、余りのショックに過呼吸発作を起こしていた。
 真知子が迅速な手付きで紙袋を紫苑の口元に宛がい、懸命に処置を行う。
 玲央はこの時に早くこの場所から、うまく逃げ出す方法を考えなければいけないと改めて思っていた。
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