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第六章 Les fleurs du mal

第三話 ☆

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 唇に上書きをしてゆくかのように、玲央とキスを繰り返す。
 愛しさに溺れて息が出来なくなりそうな位、玲央とのキスが心地良い。
 
 
「愛してるよ紫苑、世界で一番………」
 
 
 玲央がそう紫苑に囁く度に、紫苑の中で小さな問い掛けが生まれる。
 この人は本当に最後まで、自分の手を離さないでいてくれるのだろうか。
 玲央の優しい手に撫でられながら、紫苑は静かに涙を流す。けれど紫苑はまだ心を人に開ける程強くなっていない。
 人殺しとして世界に放り出された事は、紫苑の心に深い深い傷を付けた。本当に人を殺さなければいけない程に、紫苑は狂ってしまっていた。
 
 
「…………馬鹿な人」
 
 
 玲央は紫苑の頭を優しく撫でながら、今日の紫苑はとても素直だと思っていた。
 触れれば触れるだけその体を震わせて、快楽に従順に乱れてゆく。
 明らかに何時もとは違うとその時に感じていた。口内を舌で弄るだけで、紫苑の身体が小さく震える。
 こんなに素直に感じる紫苑を、玲央は初めて見た。
 花の香りのフェロモンが漂うのと同時に、淡くラットの状態に向かってゆく。
 優しく紫苑の服に手を掛けながら、大切なものを扱う様に服を脱がせる。
 玲央と身体を交えながら、紫苑はとても穏やかな時間にいると感じた。
 初めて自分の心が番になりたいと、玲央に対して呼応している。
 キスの雨を体中で感じながら玲央の背中に手を回す。紫苑は心から玲央と早く身体を繋げたいと感じていた。
 
 
「ねぇ紫苑………一緒に何処か遠いところに行こう。僕、君の為なら別に煌びやかな世界で生きなくてもいいよ?
溝鼠みたいに生きても、君さえいたら幸せだと思ってるんだ」
 
 
 玲央と肌を重ね合わせながら、紫苑と玲央は見つめ合う。紫苑はこの時にそれも良いなと思った。
 玲央と二人で人里離れた場所に向かい、ひっそりと息を潜めて生きてゆく。
 けれど自分の身体はもう、ケーキの肉なしでは生きれない。
 どうしても自分の手を血で汚さない限り、生きていけないのだ。
 
 
「………ふふ、なにそれロマンチックじゃん………夢物語だよそんなの………」
 
 
 自分の心を踏みにじるように返事を吐き出しても、玲央は全く屈しない。
 紫苑の身体を羽交い絞めにするように抱きしめながら、更に甘い言葉を吐きだした。
 
 
「…………地獄に行っても君と、一緒に居たいと思っているよ」
 
 
 懇願するように囁いた時、紫苑の頬が一瞬にして上気する。
 玲央と身体を重ねる時に心が乱れる様な事は、今までだって沢山あった。
 けれどこんなに乱されたのは初めての事だったのだ。
 フリージアの芳香が強く漂った瞬間に、玲央の心の中が一瞬にして満たされる。
 紫苑は目を潤ませながら、小さく吐息を漏らした。
 何も答えない紫苑の中に指を這わせれば、華奢な身体が小さく跳ねる。
 玲央はこの時に、紫苑を海外に連れ出そうと心に決めた。
 国外逃亡さえ出来れば、もう少し捜査網から逃げきれる。最悪一緒に死んでも構わないと玲央は思っていた。
 
 
「っ………あ………!!!馬鹿………!!玲央って本当に、馬鹿………!!」
 
 
 もしも本当に地獄の果てまで逃げてくれるのなら、この身くらいは捧げても別に構わない。
 一人の地獄の辛さを紫苑は良く知っている。
 誰かが隣にいてくれる地獄の心地よさを、紫苑は玲央に出逢って知ったのだ。
 涙目の儘で微笑みながら、玲央の愛撫に素直に体を開いてゆく。
 紫苑はこの時に玲央に対して、愛しさを感じていた。
 
 
「あ………ああ、玲央………も、そこ、だめ………きもち、から………」
 
 
 今日の紫苑は決して顔も背けずに、声を出してくれる。心も一緒に向かい合っていると玲央は感じていた。
 
 
「もっと紫苑の声、聞かせて………幸せ過ぎて溶けちゃいそう………」
 
 
 水音が響き渡ると花の匂いが満ちてゆく。紫苑は玲央にゆっくりと手を伸ばす。
 口を開けば気持ち悪いか馬鹿しか言わないあの紫苑が、誘うように玲央に囁いた。
 
 
「ね、玲央………きて………いっしょにきもちよくなりたい………」
「…………僕、今日死んでもいい………」
 
 
 玲央が思わずそう囁いて、目を潤ませて涙を紫苑に落とす。
 紫苑はその光景を眺めながら、玲央の涙はとても綺麗だと感じていた。
 
 
「一人にしないんじゃないの?俺の事………」
 
 
 紫苑は玲央の首に腕を回しながら、ゆっくりと起き上がり首筋に唇を当てる。
 そのまま肩に手を置いて向かい合う様になりながら、自ら入り口に玲央のものを宛がった。
 ずぶずぶと玲央のものが飲み干された時、玲央は堪えきれずに紫苑をきつく抱き寄せる。
 そして甘い声色で囁いた。
 

「…………絶対に離さない………!!!」
 

 愛しているとは紫苑は今も、決して思ってはいない。
 けれどもう玲央を愛しても良いのではないかと、揺さぶられながら感じた。
 玲央に唇を落としてゆけば、頬を真っ赤にして涙目で微笑む。
 この時に紫苑はフェロモンの魅せる幻想ではない胸の痛みを、確かに体の奥底で感じていたのだ。
 
 
 
 
『大変申し訳ないのですが、諸事情で一週間お休みをいただきます』
 
 
 玲央が送ったメッセージをみながら、ルネが小さく溜め息を吐く。
 前回に引き続き今回も一週間の休みが必要になるのを見ると、流石に休みの頻度が高いとルネは思った。
 玲央に恋をするルネとしては、とてもとても心配になる。
 瓶を拭く手を途中で止めて、ルネは物思いに耽っていた。
 それにほんの少しだけ玲央が今までよりも、毒々しい空気感を醸し出しているような感覚がする。
 その理由が一体何なのかを、ルネは一切解らない。
 玲央は少しだけ変わってしまったような、そんな気がするのだ。
 
 
「玲央さんまた一週間休みか………」
 
 
 そういいながら溜め息を吐く小次郎に対し、蘭丸が心配そうな表情を浮かべる。
 そしてとても暗い面持でこう言った。
 
 
「玲央さん今、とても辛い状態なんじゃないかな………?見た?苺ちゃんの事………」
 
 
 苺。そういえば玲央に引っ付いて歩いていた地雷系の女がいたと、ルネは思い出す。
 ツインテールで何時もフリフリのドレスを着ていた子だ。
 
 
「え?俺、それ知らないけど………どうしたの??」
 
 
 テーブルを拭く小次郎が手を止め、蘭丸の方を見る。すると蘭丸は携帯画面を開いて小次郎に歩み寄った。
 小次郎と蘭丸が携帯電話を覗き込みながら、複雑そうな面持ちで向かい合う。
 この時にルネは、玲央に何か良くない事があったのかもしれないと察した。
 
 
「あの………すいません………玲央さん、なんかあったんですか………??」
 
 
 恐る恐るルネが蘭丸に問いかければ、蘭丸はルネにも携帯画面を差し出す。
 ルネは蘭丸に歩み寄り、画面の中を覗き込んだ。
 その中に書いてある捜索願いの投稿を見て、ルネは思わず言葉を失う。
 そして心から玲央の事が心配になったのだ。
 
 
 
 
「今日は、もう離して気持ち悪いって言わないね?」
 
 
 セックスの後に微睡みながら、玲央の腕に縋る紫苑に揶揄する。
 この日玲央は今までに無い程に満たされていた。
 今日のセックスは性欲処理なんかではなく、確かに愛し合っていたと思う。
 間違いなく心が通じ合っていたに違いない。
 そう思いながら噛み締めていれば、紫苑がゆっくりと身体を起こす。
 そして玲央を真っ直ぐに見つめながら、小さく微笑んで唇を寄せた。
 余りの出来事に玲央が硬直すれば、甘い声色で紫苑が囁く。
 
 
「………傍にいてって、さっきいったろ」
 
 
 玲央はこの時に紫苑から進んでキスをされたのが、初めてだと気が付いた。
 紫苑に顔を覗き込まれながら、玲央は目を思わず涙で潤ませる。
 
 
「…………うん、愛してる………」
 
 
 紫苑は玲央に言葉は一切返さずに、唇を寄せて目を閉じる。
 その行為がまるで愛しているという言葉に対する返事の様な、そんな気がした。
 紫苑と国外に無事に逃げ出したら番になろう。そして絶対に離れない約束を、この身に掛けて誓おう。
 骨ばんだ華奢な身体を抱きしめながら、玲央はそう思っていた。
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