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第十一章 君の居ない世界

第一話

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 大きな窓から見える景色は、何時しか紫から青い空に切り替わる。
 大理石の上に横たわったマリアは、初めて空の色は自分の目の色によく似ている、と自分で思う。
 時折真生が『空の色によく似た瞳が良かった』と語ったが、マリアにはそれがよく解らなかった。
 けれど、今なら解る。自分の瞳の色は、空にそっくりな色をしている。
 
 
「……………マリア、しっかりして…………修理をしよう…………だから、もう少しだけ意識を切らないでくれ…………!!」
 
 
 自分の顔の上に降り掛かる生暖かい液体は、真生の瞳から溢れ出た涙だ。
 マリアは泣きじゃくる真生を見上げながら、初めて出逢った頃と何にも変わっていないと思う。
 最初からマリアの設定は、真生を愛するように作られていた。
 この愛しさと共に、マリアはずっと生きてきた。真生の表情で一番好きなものは笑顔。
 色んな真生の顔を見てきたと、マリアは思う。全ての表情を見てきて、マリアはある事を感じていた。
 
 
 真生は笑顔と泣き顔は、何年たっても変わらない儘だ。それがマリアにとっては嬉しかった。
 
 
「……………折角!!愛してるって!!君にちゃんと言える様になれたのに!!なんでだよ!!!!」
 
 
 泣きじゃくる真生を見ながら、マリアは自分が本当に幸せ者だと思った。
 殆どのアンドロイドは、要らなくなったから廃棄されるのだ。
 けれどマリアは違う。壊れる寸前だって、泣いて縋られて求められる。
 AIアンドロイド冥利に尽きると思いながら、マリアは微笑んだ。
 
 
「ご主人様、私はご主人様の元で生まれて、幸せです…………。きっと私は、世界で一番幸せなAIアンドロイドだと思います…………!!」
 
 
 マリアの視界に時折、砂嵐が入り混じる。もうすぐ視界が遮断されるに違いないと、覚悟を決める。
 真生はマリアのプラチナブロンドの髪を撫で、華奢な体を抱き上げた。
 
 
「はやく、さ、修理しようマリア…………だから、目を閉じないで…………このままじゃ…………君のデータが、壊れてしまう…………」
「…………ご主人様、私の視界、もう今何も見えないんです。だから、今からいう事を覚えていて下さいね」
 
 
 何も見えないと言われた真生は、大きくしゃくり上げながら頷く。
 砂嵐が視界に映り始めているのであれば、AIアンドロイドはもう長くもたない。
 真生はマリアが今から壊れることを、全く信じられなかった。
 
 
「いやだよ、そんなこというなよ…………マリア…………!!」
「リリスは心根が決して悪い子ではないので、どうか彼女の救済を………………。彼女は別の形で出会えていたら、きっと仲良くなれた筈なの…………。
そして、私に意識があるうちに、最期のキスが欲しいです」
 
 
 最期のキス、という言葉を聞いて、真生は更に涙を流す。
 焦点の合わなくなったヒビが入った空色の虹彩で、マリアは優しい笑みを浮かべる。
 真生の喉から今にも慟哭が飛び出しそうになるのを、懸命に飲み込んで唇に唇を重ね合わせた。
 マリアの唇は小さく『ありがとう』とだけ動き、動かなくなる。
 真生は壊れたマリアを抱えたままで、大理石の床に崩れ落ちた。
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