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第五章 冷たい鉄の塊

第三話

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 頭が半分抉れたエナの顔を見ながら、悲しいという感情を上手く言葉に出来ずに、真生はただ俯く。
 自分の身の回りのアンドロイドが、自分の大切な人に危害を加える事件が起きるのが辛い。
 それにエナは真生にとって、初めて出逢ったアンドロイドだ。人の家のアンドロイドではあるが、古くから見知った関係性である。
 まるで身内の死を体感している様だと、真生は思う。
 
 
「………………の確認をさせて、申し訳ないです」
 
 
 前嶋という警察官はそう言って、切なげな表情を浮かべる。
 真生はこの時に前嶋が、アンドロイドに対して情が持てる人間なんだとすぐに気付いた。
 
 
「あ…………いえ、大丈夫です…………。でも、これだと再生は難しそうですね………」
 
 
 真生はそう言いながらエナの頭の潰れた部分から、折り曲がった機器を見つめて嘆く。
 博嗣がエナのデータのバックアップでもとっていなければ、再生は難しいだろうと真生は推測をする。
 ふと『再生』という言葉を口にしながら、あることを思う。昔の博嗣であれば、エナを甦らせることを望んだ筈だ。
 けれど今、エナに美桜共々襲われた博嗣は、エナの再生を望むのだろうか。
 
 
 物悲しい感情を抱いたままの真生は、警察署の出入り口から外に出る。
 門の前では綾香がすすり泣き、ロイに肩を撫でられ宥められていた。
 幹彦の姿は其処にはなく、真生は一瞬で昼間の会話を思い返す。
 けれど、すすり泣く綾香を必死に宥めるロイを見ていると、だんだん自分の感情の整理が付いた。
 
 
 綾香はロイにだったら色々な表情を見せる。それに甘えているように思える。
 綾香と付き合っていた頃に、自分にはこの表情を引き出す事は出来ただろうか、と真生は考える。
 そして『自分には出来なかった』と思ったのだ。
 それは綾香にも同じ事が言える。綾香には自分の本当の表情を、引き出す事が出来なかったに違いない。
 
 
「…………今日は、お互い辛いな。気を付けて帰ろう。また明日」
 
 
 真生はとても久しぶりに、綾香に向かって声を掛ける。綾香は泣きはらした顔で目を見開き、真生の方を見た。
 綾香に対して労わる言葉を口にしたのは、とても久しぶりだと真生は思う。
 頭に浮かんだ光景は、ロイを綾香が自分の家に迎えた日だった。
 
 
「…………また明日」
 
 
 綾香の言葉に真生は微笑み、眼鏡を押し上げる。真生は静かに自宅に向かって歩き始めた。
 ロイは茜色の虹彩で、真生の背中を見守っているようだった。
 暫くの間、研究室の中の人間は真生と綾香の二人だけだ。せめて明日からは朝の挨拶を、まともにしようと真生は思う。
 真生は物思いに耽りながら電車を乗り継ぎ、自宅へと戻る。
 エントランスに立ちエレベーターの中に乗り込んだ瞬間、どうしようもない切なさが胸に込み上げてきた。
 
 
 自宅の玄関のカギを開くのと同時に、パタパタと騒々しく素足の足音が響く。
 真生の姿を空色の虹彩でとらえたマリアは、何時もと同じ満面の笑みを浮かべていた。
 マリアの笑顔を見た真生の視界が急に揺らめき、頬を生ぬるい液体が伝って落ちてゆく。
 真生の視界の中のマリアの表情が、急に戸惑いを見せ始めた。
 
 
「…………ご主人様…………!?大丈夫ですか…………!?!?」
 
 
 華奢で細いマリアの肢体に縋り付き、真生は泣きながら崩れ落ちる。
 自分の本当の表情を見せられるのは、マリアだけだと改めて思った
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