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第三章 幽閉された姫君

第九話

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 メグはガウンのようなものを手にし、リリスにそれを羽織らせる。リリスはされるがままにガウンを着せられ、真生の事をジッと見た。
 東郷はリリスに歩み寄り、リリスの肩に腕を回す。リリスは東郷に背中を押されながら、真生の前へと歩きだした。
 
 
「うちの会社で最も知能が高いAIがリリス。この子がLILITHシリーズの大本のデータの基盤だよ。
従来のものと違って、今度のLILITHは連携がとりやすくなるんだ。
LILITH6の入っているアンドロイド同士で、電気信号が送り合える。協力を仰ぐことが出来るんだ。
例えば戦争の現場や、レスキューの必要な場所だと便利だ。仕事がやりやすくなる。前よりビジネス用途が広がったかな。
でも…………感情も人間らしいものが更に揃えたよ。少しだけネガティブな感情もあるけれど、それが人間らしさなんだと思うよ」
 
 
 ベラベラと話す東郷を横目に、リリスの顔をじっと見る。オリジナルのリリスの筈なのに、彼女の表情は自棄に乏しく感じられた。
 人格が売られているかの様なAIソフトの、オリジナルの表情が乏しい理由が解らない。
 真生は東郷にそれを問いかけるべきか悩む。すると東郷はその感情を見抜いたかの様に、真生の耳元で囁いた。
 
 
「…………壊れてしまった人はね、リリスに入れ込んでしまったんだ。だから今、表情の機能を切ってる」
 
 
 それを聞いた瞬間、真生の表情が強張る。
 真生の耳元で話していた東郷は、真生の目を見つめながら小さく頷いた。
 
 
「確か穂積君の所のマリア、は簡単なAIなら自分で作る事が出来るんだろう??
其処迄とはいかないけれど、リリスは伝達能力に関してはとても強いんだよ。多分それはマリア以上だ。
ネットワークさえ組んでおけば、AI同士の情報の共有も簡単。もっと高次元の人間の世話が出来る様になる。
…………さぁ穂積君、リリスだよ。話してみてくれ」
 
 
 真っ赤な虹彩を見つめながら、真生は小さく息を呑む。
 するとリリスの方が真生に対して、ゆっくりと手を伸ばした。
 握手をするかの様に伸ばされた手に、恐る恐る手を重ねる。リリスは真生の手を握り目を伏せた。
 
 
「初めまして」
 
 
 手の温度も人間そのもの、肌の質感もまるで人間。けれど表情ばかりが自棄に乏しく、アンドロイドだとちゃんと解る。
 真生はリリスが表情豊かに過ごせていた頃に、どんな笑顔で笑っていたのだろうかと思った。
 
 
「…………初めまして。真生といいます………」
 
 
 真生はそういいながら微笑み、リリスの顔を覗き込む。リリスは首を傾げて『真生』とだけ呟く。
 リリスの話声はとても穏やかで、まるで儚く消えてしまう泡沫の様だと思った。
 
 
***
 
 
 真っ赤なスポーツカーをマンションの前に横付けした東郷は、何時も通りの爽やかな笑みを浮かべる。
 助手席から降りた真生は、東郷に向かって深々と頭を下げた。
 
 
「…………今日は、有難うございました…………!!!」
「こちらこそ!!わざわざ時間を有難うね!!…………今度はマリアと逢わせて欲しいな!!」
 
 
 東郷はそう言うと、夜の街並みをオープンカーで駆けてゆく。
 真生は小さくなってゆく車を見送りながら、眼鏡を押し上げ深いため息を吐いた。
 アダム社は真生にとっては憧れの企業ではあるけれど、アンドロイドに対する愛情の向け方が真生に合わない。
 東郷と働いていくことは、真生には難しい事かもしれないと思う。
 真生は疲れた身体を引きずりながらマンションの中に入り、エレベーターの中に乗り込んだ。
 
 
 アンドロイドに特別な感情を抱く事が禁忌であるなら、真生はとうに禁忌を犯している。身体の関係を持ち、恋人の如くに交わっているのだ。
 マリアと自分の距離感がおかしくなっている事位、真生が一番よく解っている。
 この距離感の近さを、東郷だけには見られたくない。そう考えると東郷には、マリアを逢わせる訳にいかないと真生は思った。
 
 
 部屋の鍵を開けて家の中に入ると、ふわふわと美味しそうな匂いが漂う。
 今日の食事は和食なのだろうか。仄かに鰹出汁の香りがする。
 炊きたての御飯の香りも、空腹の真生の胃袋を刺激した。
 
 
 玄関で靴を脱いでキッチンへと向かえば、軽快な鼻歌を歌いながら料理をするマリアが視界に入る。
 真生はマリアの姿を見た瞬間、甘えたい感情に駆り立てられた。
 マリアの身体に腕を回し、細い背中に頬を擦り付ける。マリアは料理をする手を止めて、真生の方を見た。
 
 
「お帰りなさい、ご主人様!!」
 
 
 優しい微笑みを浮かべるマリアを見ながら、真生は思う。
 例え今自分が禁忌を犯していようとも、その禁忌を誰かに咎められる事があろうとも、この笑顔だけは絶対に絶やさない。
 表情を奪う真似はしたくないと、心の底から感じていた。
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