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第八章
第三話
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天蠍は嘉生館の玄関に立ち、一度操さんの方に振り返る。
厭味ったらしい笑みを浮かべ、揶揄する様にこう言った。
「操ォ………テメエの気が変わるの待って、また来るわァ………。よし、行くぞ龍二」
連れ立って出て行く地上げ屋二人の背中を、操さんは睨み付ける。
すると事務所から大きな塩壺を持ち、横さんが飛び出して来た。
横さんは小走りで玄関に向かい、塩を掴んで投げ付ける。
「もう二度と来るなぁ!!うちの女将をいじめるなー!!馬鹿野郎っ!!馬鹿野郎ぉぉぉぉ!!!!」
大きな声を出す横さんを見て、操さんの顔が綻ぶ。操さんの表情から一気に険が消えた。
操さんは横さんに駆け寄り、小さな背中を抱きしめる。
操さんは怒る横さんを窘める様に、八重歯をみせて微笑んだ。
「有難う横さん………!!本当に有難う!!!有難うねぇ………!!!」
何度も繰り返し有難うと呟く操さんを、俺はただ見つめる事しか出来なかった。
何故なら俺はこの時に、操さんの過去の職歴を知って、まだ戸惑っていたからだ。
情けないのは解ってはいるが全く頭が整理出来ない。
子供が居ると知った時も、物凄く驚いたのを覚えている。今回の事に関してはそれ以上の衝撃だった。
「虎ちゃん、地上げ屋の連中大丈夫だった………!?!?」
我に返ると俺の肩を叩く林さんが目に入る。
そして怯えた様子の佐京と侑京が、フロントのカウンターに顔を出す。
俺は佐京と侑京の顔を見た瞬間、これじゃあ駄目だと自分で自分に叱咤する。
地に膝を付けて、二人に向かって腕を広げる。佐京と侑京は俺の胸に飛び込んできた。
「大丈夫です………!!有難うございます!!!」
今この状態で、しっかりしてなきゃどうする。
そう思った瞬間に、佐京と侑京はボロボロ泣き出す。俺は泣いている二人をきつく抱き留めた。
俺にとって操さんは大事な人だ。俺の原動力で生き甲斐だ。
その操さんの大事なものは、俺にとっても大切なもの。それを、泣いている佐京と侑京を見て感じる。
操さんが命より大事だと言っているものが、悪い奴らに狙われている。
それなら守らなければいけないと、心の底から思った。
***
守るという意思を固めた所で、俺は一体何をするべきなんだろうか。
流石に冬空の下でコーラを飲むのはしんどくて、ミルクココアを買ってきた。
夜の嘉生館のベンチに腰掛けて、空を見上げながら黄昏る。吐き出した吐息が白くなり、星空に靄を掛けてゆく。
そういえば最近俺は黄昏て無かったななんて、ふと突然思い返す。
昔はよく学校をさぼって、お気に入りの路地裏で黄昏ていた。
何時もくだらない事を懸命に考えては、悩んでいた気がする。
嘉生館に来て以来、俺の日常は黄昏る暇が無かった様に思う。
というか考えているよりも行動あるのみで、大体が体当たりだった。
今はあの時とは違って、本当に何かを考えなければならない。
なのに俺は自分が取るべき行動が、何なのかが解らないでいた。
「………虎ちゃん」
砂利と砂利がぶつかり合う足音と共に、着物用コートを羽織った操さんがやってくる。
操さんは手に缶コーヒーを持って、俺の隣に腰掛けた。
「やー、虎ちゃん御免ねぇ??ビックリしたよねぇ??今日の事ぉ!!!」
わざと明るく振る舞う操さんは、無理して笑う時の顔をしている。
地上げ屋の問題が起きて以来、操さんの笑顔はこれで固定してしまっている。
俺は首を左右に振り、操さんの肩を引き寄せた。
普段なら誰かに見られるかもしれないと、なるべく外での接触はしていない。
けれど、今日はどうしても抱きしめたいと思ったのだ。
「大丈夫です………気にしてません…………。でも出来たら、アイツらの話を教えてください」
地上げ屋の連中と戦う事を心に決めても、奴らの事を俺は何一つ解らない。
まずは敵を知らなければいけないと、操さんに問いかける。
操さんは今までに無い程真剣な眼差しで、俺の事を見つめた。
「アイツらは………彼の元々の部下。問題行動が多くて、彼が破門にした男達………」
「破門…………??」
ほんの少し気がかりな単語に俺は思わず固まる。
過去の風俗勤務を知ってしまった俺としては、次に何が飛び出してもおかしくないと思う。
俺は更にトンでもない事実を知る覚悟を決めた。
今この状態なら、操さんの男が悪い組の人だったと、言われた所で驚かないだろう。
今のところ操さんからは、俺が驚く様な事しか出てきてない。
「うん、破門。彼と初めて会った時、彼は現役の組員だったんだよねぇ………。もう堅気に戻ってるけど………」
ああ、想像よりもマシだった。現役じゃない。元ヤバイ人だ。
まぁ操さんに手を出した俺は、多分詰められることは間違いないけれど。
現役じゃない事に少々安堵しつつも、半殺しの目に遭う覚悟は決めておく。
操さんは遠くを見る様な眼差しをして、小さく囁いた。
「もうさっき天蠍がばらしちゃったから話すけど、俺グレて身体売っててねぇ。
Ω風俗で働いてる時に、誠治さんに出逢ったんだぁ。彼が居なかったら、俺身体を売ったままだった。
あの人が居なかったら、俺は嘉生館で働いてない。身体を売る事だって、きっと辞められなかった………」
誠治という名前をさっき、操さんが口にしていた事を思い出す。
そして遥か昔に操さんが、ヤンチャをしていたと言った事を思い出していた。
この時、俺は少しだけ、例の男を見直していたのだ。
操さんに寂しい思いをさせている事は確かだし、辛い思いを強いている事も事実。
けれど彼は確かに、操さんが惹かれるだけの功績を持っていた。
彼は操さんに嘉生館という居場所を与えたのだ。命より大切なものと、言い切る事が出来るものを。
俺は身体を売っていた頃の操さんの事は知らない。どんな風に生きていたのかなんて解らない。
けれど嘉生館で働く操さんは、とても生き生きしているように思う。彼は操さんに生き甲斐を与えたのだ。
そんな根底がある様な男と、ただただ操さんに恋をしているだけの俺では、どうやったって同じ土俵には立てない。
「ごめんね虎ちゃん。こんな話をして………。多分聞きたくなかったよね??
俺、虎ちゃんが思ってる程、綺麗じゃないんだぁ………」
「いや、大丈夫です………!!全然そんな事思ってないです!!確かにびっくりはしましたけど………!!!」
操さんは静かになった俺に、寂しそうに微笑みかける。
この時に操さんは、俺に嫌われたくないと思っている事を察した。
好かれてるかどうかなんて解らない。愛していると言われた事は俺には無い。
けれど操さんが俺に嫌われたくなくて、不安になっている事は解る。
俺の肩に操さんが凭れ掛かる。その体は小さく震えていた。
満天の星空の下で華奢な体を抱き寄せて、奪うようにキスをする。
少しでも安心させたくて、甘ったるいキスを繰り返していた。
キスの合間に漏れた吐息が、白く染まってゆくのが解る。
肌に触れる空気はとても冷たいのに、操さんの唇はとても暖かい。
操さんとキスを繰り返していると、どうしても抱きたいと思ってしまう。
操さんの身体に腕を回して、背中を指でなぞる。すると操さんは名残惜しそうに囁いた。
「…………虎ちゃん、俺、今日は帰らなきゃ………。佐京と侑京がずっと愚図ってるみたい………」
そういえば今日の二人は、俺の腕の中でワンワン声を上げて泣いていた。
二人を安心させるためにも早く操さんの事を、家に帰した方が良い。
「送ります」
操さんの手を引っ張り、真っ暗な嘉生館の庭を歩く。
時刻は夜22時。もう大分遅くなってしまった様に思う。
庭を抜けて渡り廊下を通り過ぎ、出入り口から門に向かう。
その時に暗闇の中を、誰かが走り去ってゆくのが見えた。
俺と操さんは顔を見合わせて、門の方へと走る。
携帯電話のライトをつけて門を照らせば、嘉生館の門には夥しい程の張り紙がしてあった。
罵詈雑言の書かれているものもあれば、卑猥な言葉を書いてあるものもある。
特に操さんの過去の風俗勤務を詰るものや、出て行けという言葉がダイレクトに書かれているものが多い。
よく目を凝らして見て見ると、張り紙だけには飽き足らず、門自体にも落書きがされていた。
犯人はきっとアイツらだろうと、地上げ屋の連中の顔を思い出す。
俺は操さんの前でその紙を剥がし、懸命に門の状態を元に戻した。
「悪趣味な嫌がらせだな………」
門の落書き以外は何とかできたものの、門に書かれた言葉は消せない。
すると俺の背後で何かが落ちる様な音がした。
「えっ?」
音に驚いて振り返ると、操さんが倒れている。
俺は操さんの身体を抱き上げて、声にならない叫びを上げた。
厭味ったらしい笑みを浮かべ、揶揄する様にこう言った。
「操ォ………テメエの気が変わるの待って、また来るわァ………。よし、行くぞ龍二」
連れ立って出て行く地上げ屋二人の背中を、操さんは睨み付ける。
すると事務所から大きな塩壺を持ち、横さんが飛び出して来た。
横さんは小走りで玄関に向かい、塩を掴んで投げ付ける。
「もう二度と来るなぁ!!うちの女将をいじめるなー!!馬鹿野郎っ!!馬鹿野郎ぉぉぉぉ!!!!」
大きな声を出す横さんを見て、操さんの顔が綻ぶ。操さんの表情から一気に険が消えた。
操さんは横さんに駆け寄り、小さな背中を抱きしめる。
操さんは怒る横さんを窘める様に、八重歯をみせて微笑んだ。
「有難う横さん………!!本当に有難う!!!有難うねぇ………!!!」
何度も繰り返し有難うと呟く操さんを、俺はただ見つめる事しか出来なかった。
何故なら俺はこの時に、操さんの過去の職歴を知って、まだ戸惑っていたからだ。
情けないのは解ってはいるが全く頭が整理出来ない。
子供が居ると知った時も、物凄く驚いたのを覚えている。今回の事に関してはそれ以上の衝撃だった。
「虎ちゃん、地上げ屋の連中大丈夫だった………!?!?」
我に返ると俺の肩を叩く林さんが目に入る。
そして怯えた様子の佐京と侑京が、フロントのカウンターに顔を出す。
俺は佐京と侑京の顔を見た瞬間、これじゃあ駄目だと自分で自分に叱咤する。
地に膝を付けて、二人に向かって腕を広げる。佐京と侑京は俺の胸に飛び込んできた。
「大丈夫です………!!有難うございます!!!」
今この状態で、しっかりしてなきゃどうする。
そう思った瞬間に、佐京と侑京はボロボロ泣き出す。俺は泣いている二人をきつく抱き留めた。
俺にとって操さんは大事な人だ。俺の原動力で生き甲斐だ。
その操さんの大事なものは、俺にとっても大切なもの。それを、泣いている佐京と侑京を見て感じる。
操さんが命より大事だと言っているものが、悪い奴らに狙われている。
それなら守らなければいけないと、心の底から思った。
***
守るという意思を固めた所で、俺は一体何をするべきなんだろうか。
流石に冬空の下でコーラを飲むのはしんどくて、ミルクココアを買ってきた。
夜の嘉生館のベンチに腰掛けて、空を見上げながら黄昏る。吐き出した吐息が白くなり、星空に靄を掛けてゆく。
そういえば最近俺は黄昏て無かったななんて、ふと突然思い返す。
昔はよく学校をさぼって、お気に入りの路地裏で黄昏ていた。
何時もくだらない事を懸命に考えては、悩んでいた気がする。
嘉生館に来て以来、俺の日常は黄昏る暇が無かった様に思う。
というか考えているよりも行動あるのみで、大体が体当たりだった。
今はあの時とは違って、本当に何かを考えなければならない。
なのに俺は自分が取るべき行動が、何なのかが解らないでいた。
「………虎ちゃん」
砂利と砂利がぶつかり合う足音と共に、着物用コートを羽織った操さんがやってくる。
操さんは手に缶コーヒーを持って、俺の隣に腰掛けた。
「やー、虎ちゃん御免ねぇ??ビックリしたよねぇ??今日の事ぉ!!!」
わざと明るく振る舞う操さんは、無理して笑う時の顔をしている。
地上げ屋の問題が起きて以来、操さんの笑顔はこれで固定してしまっている。
俺は首を左右に振り、操さんの肩を引き寄せた。
普段なら誰かに見られるかもしれないと、なるべく外での接触はしていない。
けれど、今日はどうしても抱きしめたいと思ったのだ。
「大丈夫です………気にしてません…………。でも出来たら、アイツらの話を教えてください」
地上げ屋の連中と戦う事を心に決めても、奴らの事を俺は何一つ解らない。
まずは敵を知らなければいけないと、操さんに問いかける。
操さんは今までに無い程真剣な眼差しで、俺の事を見つめた。
「アイツらは………彼の元々の部下。問題行動が多くて、彼が破門にした男達………」
「破門…………??」
ほんの少し気がかりな単語に俺は思わず固まる。
過去の風俗勤務を知ってしまった俺としては、次に何が飛び出してもおかしくないと思う。
俺は更にトンでもない事実を知る覚悟を決めた。
今この状態なら、操さんの男が悪い組の人だったと、言われた所で驚かないだろう。
今のところ操さんからは、俺が驚く様な事しか出てきてない。
「うん、破門。彼と初めて会った時、彼は現役の組員だったんだよねぇ………。もう堅気に戻ってるけど………」
ああ、想像よりもマシだった。現役じゃない。元ヤバイ人だ。
まぁ操さんに手を出した俺は、多分詰められることは間違いないけれど。
現役じゃない事に少々安堵しつつも、半殺しの目に遭う覚悟は決めておく。
操さんは遠くを見る様な眼差しをして、小さく囁いた。
「もうさっき天蠍がばらしちゃったから話すけど、俺グレて身体売っててねぇ。
Ω風俗で働いてる時に、誠治さんに出逢ったんだぁ。彼が居なかったら、俺身体を売ったままだった。
あの人が居なかったら、俺は嘉生館で働いてない。身体を売る事だって、きっと辞められなかった………」
誠治という名前をさっき、操さんが口にしていた事を思い出す。
そして遥か昔に操さんが、ヤンチャをしていたと言った事を思い出していた。
この時、俺は少しだけ、例の男を見直していたのだ。
操さんに寂しい思いをさせている事は確かだし、辛い思いを強いている事も事実。
けれど彼は確かに、操さんが惹かれるだけの功績を持っていた。
彼は操さんに嘉生館という居場所を与えたのだ。命より大切なものと、言い切る事が出来るものを。
俺は身体を売っていた頃の操さんの事は知らない。どんな風に生きていたのかなんて解らない。
けれど嘉生館で働く操さんは、とても生き生きしているように思う。彼は操さんに生き甲斐を与えたのだ。
そんな根底がある様な男と、ただただ操さんに恋をしているだけの俺では、どうやったって同じ土俵には立てない。
「ごめんね虎ちゃん。こんな話をして………。多分聞きたくなかったよね??
俺、虎ちゃんが思ってる程、綺麗じゃないんだぁ………」
「いや、大丈夫です………!!全然そんな事思ってないです!!確かにびっくりはしましたけど………!!!」
操さんは静かになった俺に、寂しそうに微笑みかける。
この時に操さんは、俺に嫌われたくないと思っている事を察した。
好かれてるかどうかなんて解らない。愛していると言われた事は俺には無い。
けれど操さんが俺に嫌われたくなくて、不安になっている事は解る。
俺の肩に操さんが凭れ掛かる。その体は小さく震えていた。
満天の星空の下で華奢な体を抱き寄せて、奪うようにキスをする。
少しでも安心させたくて、甘ったるいキスを繰り返していた。
キスの合間に漏れた吐息が、白く染まってゆくのが解る。
肌に触れる空気はとても冷たいのに、操さんの唇はとても暖かい。
操さんとキスを繰り返していると、どうしても抱きたいと思ってしまう。
操さんの身体に腕を回して、背中を指でなぞる。すると操さんは名残惜しそうに囁いた。
「…………虎ちゃん、俺、今日は帰らなきゃ………。佐京と侑京がずっと愚図ってるみたい………」
そういえば今日の二人は、俺の腕の中でワンワン声を上げて泣いていた。
二人を安心させるためにも早く操さんの事を、家に帰した方が良い。
「送ります」
操さんの手を引っ張り、真っ暗な嘉生館の庭を歩く。
時刻は夜22時。もう大分遅くなってしまった様に思う。
庭を抜けて渡り廊下を通り過ぎ、出入り口から門に向かう。
その時に暗闇の中を、誰かが走り去ってゆくのが見えた。
俺と操さんは顔を見合わせて、門の方へと走る。
携帯電話のライトをつけて門を照らせば、嘉生館の門には夥しい程の張り紙がしてあった。
罵詈雑言の書かれているものもあれば、卑猥な言葉を書いてあるものもある。
特に操さんの過去の風俗勤務を詰るものや、出て行けという言葉がダイレクトに書かれているものが多い。
よく目を凝らして見て見ると、張り紙だけには飽き足らず、門自体にも落書きがされていた。
犯人はきっとアイツらだろうと、地上げ屋の連中の顔を思い出す。
俺は操さんの前でその紙を剥がし、懸命に門の状態を元に戻した。
「悪趣味な嫌がらせだな………」
門の落書き以外は何とかできたものの、門に書かれた言葉は消せない。
すると俺の背後で何かが落ちる様な音がした。
「えっ?」
音に驚いて振り返ると、操さんが倒れている。
俺は操さんの身体を抱き上げて、声にならない叫びを上げた。
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