馬に蹴られても死んでなんてやらない【年下αの魔性のΩ略奪計画】

如月緋衣名

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第二章 

第三話

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 嘉生館の温泉は内風呂がアルカリ性単純温泉、露天風呂が塩化物泉という泉質のものである。
 単純温泉というものは、含有成分の量が一定量に達していないものの事だ。
 即効性の効果は期待は出来ないけれど、湯あたりする人は単純温泉の方が身体に負荷が掛かりすぎない。
 それに嘉生館の温泉はアルカリ性で、肌の角質をとる故に美肌効果もある。
 
 
 露天風呂の方の塩化物泉は、文字通り塩の成分が多い泉質だ。
 海水より少しだけ塩分濃度は低いけれど、味は塩辛いらしい。
 それに嘉生館の場合はマグネシウムが多めに入っている様で、ちょっと苦みもあるそうだ。
 味に関しての話は林さんからの又聞きで、俺は飲んだことがないけれど。
 保湿力が高く湯冷めしにくいこの温泉の効能は、傷の痛みを和らげることと冷え性の改善。神経痛やリュウマチに効く。そして更にストレスさえも和らげることが出来るそうだ。
 
 
 さっき覚えた事を頭の中で復唱しながら、露天風呂で夜の海を眺める。
 気を抜いたらすぐに物思いに耽ってしまうので、なるべく仕事の事ばかりを考えていた。
 営業終了後の露天風呂を従業員で使えるのは、本当にいい福利厚生だと思う。
 此処に居ると嘉生館周辺の景色を、独り占めしている気持ちになる。
 
 
 潮の香りが漂う風を感じながら、力を抜いて湯船に身を委ねる。
 嘉生館の温泉が心身ともに身体を癒してくれていると思った瞬間、身体に眠気がどっと来た。
 色々な思いを頭の中に巡らせながら、夜空を仰ぎ静かに目を閉じる。
 このまま眠ってしまいたいと思った時、俺の真隣から声がした。
 
 
「虎ちゃん虎ちゃん、温泉で寝ると風邪ひいちゃうよぉ??」
 
 
 鈴を転がした様な甘くて可愛らしい声色に、思わず飛び起きて隣を見る。
 其処には湯船に浸かった操さんが、上気した様子で頬を桃色に染め、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
 真っ白い湯気を身体に纏わせながら、妖艶な雰囲気を醸している。
 操さんと目が合えば、眠気が吹き飛んでゆくのを感じた。
 
 
「は!?!?え!?!?ちょっと!?!?なんで!?!?!?」
「俺だって男だもん、男湯入るよぉ??もうお客さん居ないし、虎ちゃんだけだから良いかなぁって………」
 
 
 この人、本当に警戒心がない!!なさすぎる!!ていうかもう少し警戒して!!襲ったりしないけど!!
 
 
 流石にαとの混浴はよくないと、慌てて操さんと距離を取る。
 操さんはきょとんとした表情を浮かべ、大袈裟に離れる俺を笑った。
 こっちは笑い事ではないと思いながら、慌てて股間を隠す。
 操さんは汗で濡れた髪を掻き上げながら、鈴を転がした様な笑い声を上げた。
 
 
「ちょっとぉ~!!虎ちゃんびっくりし過ぎだってばぁ!!さっきは有難うねぇ!!佐京と侑京が喜んでたぁ~!!」
 
 
 湯船から透けて見える白い肢体に、思わず心拍数が跳ね上がる。
 操さんの身体付きはとても華奢で、抱きしめたら折れそうだ。
 湯気で邪魔をされて完全には見えないけれど、目を凝らせば全部が解る。
 操さんは何にも気にしない様子で、俺の近くに寄ってくる。慌てた俺は操さんに向かって叫んだ。
 
 
「………待って操さん!!俺αですよ………!!!」
「履歴書見たから知ってるよぉ??有難う、気を遣ってくれて………!!
後でお風呂あがったら、さっきのお礼で何か飲み物位奢らせて!!」
 
 
 俺の言葉に対して、操さんが素っ頓狂な返事を返す。
 どうしていいか解らない儘の俺は、カチカチに固まったままで操さんと夜空を見上げる。
 この時の俺に出来る事といえば、空を見る以外無い。操さんの全裸は見たいけれど、見る訳にはいかないのだ。
 
  
 操さんは全くなにも気にしてない様子で、湯船に身体を預けている。
 俺にはちゃんと理性もあるし、頭だってしっかりしている。
 けれど、あの操さんが全裸で俺の隣にいるだなんて、もう耐えきれない。
 俺は操さんを襲うつもりは毛頭ないが、どう逆立ちしても俺の下半身が元気になる。
 
 
 流石にこれを、操さんに見られるわけにはいかない…………。   
 
 
 誤魔化すように湯船に沈み、体育座りをする。
 心臓がやけに五月蝿く騒ぐし、汗も身体からじわじわ滲んでいる気がした。
 チラリと隣を見れば、無防備に身体を晒す操さんが髪を掻き上げる。
 どうしてこの世界には、Ω専用温泉という概念が無いのだろう。男子風呂と女子風呂という概念だけなのだろうか。
 
 
「あれー??虎ちゃん??大分汗凄くなぁい??大丈夫ー??」
 
 
 操さんが俺の方を見て、白魚の様な手を伸ばす。首を傾げて微笑んだ操さんは、俺の頬を優しく撫でた。
 ああやっぱり、この人はとても綺麗だ。この人の笑顔を見ているだけで胸が苦しい。
 諦めるつもりでいたけれど、この人を見ていたい。
 
 
「………大丈夫ですよ、そんな………」
「え、でもほんとに汗凄いよぉ………??顔茹蛸みたい………」
「いや………そんなことないですよ………!?!?」
 
 
 操さんの整った綺麗な顔が、俺に近付く。
 ふわふわと纏わりつく湯気が幻想的で、惑わされているみたいに頭がくらくらしてきた。
 自然と身体が揺れて、操さんに向かって落ちてゆく。滑らかな肌の感触を、その瞬間に知った。
 
 
 …………でも今、吐きそう………。滅茶苦茶気持ち悪い…………。今俺のぼせてる………。
 
 
「………ごめんなさい操さん。俺多分今、のぼせてます………」
「あっは!!!嘘でしょぉ!?!?ウケる!!ちょっと虎ちゃんしっかりしてぇ!?!?!?」 
 
 
 操さんの鈴を転がした様な声を聞きながら、苦笑いを浮かべる。
 けれどのぼせたお陰で俺の下半身は落ち着き、なんとか操さんにものを見られずに済んだのだった。
 
 
***
 
 
 くらくらする思考の中で、昔の記憶が甦る。母さんが生きていた頃に、俺は良く本を読んで貰っていた。
 小さな頃から本を読み聞かされて育った俺は、今だって変わらず本を読む。
 だから俺は少しだけ、人より古い言葉を知っている。
 そういえば『恋は思案の他』なんて言葉があったなと、ぼんやりと思う。
 恋は常識では律しきれないし、恋のなりゆきは常識で推し量る事が出来ない。
 今まさにその状態だと、靄が掛かった思考の中で思っていた。
 
 
 扇風機の回る脱衣所のソファーで寝転がれば、操さんが冷えたタオルを俺の額の上に置く。
 奢ってあげると言われていた飲み物として、体調不良時に飲むスポーツ飲料を頂いた。
 
 
「虎ちゃん虎ちゃん、大丈夫ぅ………??まさかのぼせちゃうと思わなかったぁ………」
 
 
 額に乗ったタオルをずらし、心配そうに俺の顔を覗き込む操さんを見上げる。
 不安げな表情を浮かべる操さんも、物凄く可愛いくて眼福だ。
 誰のせいでのぼせたのかは置いておいて、コロコロと表情を変える眼差しを見ていると、幸せな気持ちになる。
 こんなに可愛い操さんと、番になっているαがとても羨ましくて仕方なかった。
 
 
「………大丈夫ですよ。もう起き上がれます」
 
 
 ソファーから身体を起こして、操さんに微笑みかける。
 操さんは嬉しそうに、八重歯をチラリと見せて笑い返した。
 この笑顔も、この人の持ってる人間関係も壊さずに、こっそり好きで居られたらいい。
 せめて踏ん切りがつくまでの間は、まだもう少しだけ好きでいたい。
 大分頭もスッキリして、身体も楽に動かせる。まだ少し頭は痛いけれど、これ位なら大丈夫だ。
 部屋に戻ろう。そして、今日は早く寝よう。そう思いながら立ち上がろうと、ソファーの手摺に手を掛ける。
 すると操さんが残念そうに溜め息を吐いた。
 
 
「虎ちゃんと今日、お庭お散歩しながら呑みたかったなぁ………!!!!」
 
 
 え、今なんて??
 
 
「………俺、今もう元気ですし行けますよ??」
 
 
 合法的に二人きりになれると思った瞬間、さらっと言葉が飛び出す。
 此処で行かなきゃ男が廃る。そう思いながら、まだぐらついているのを上手く誤魔化す。
 そんな俺の状態を横目に、操さんが不審な目を送る。
  
 
「………マジでぇ??復活強くない??」
「俺、体力だけが取り柄なんで………」
 
 
 いや、嘘なんですけどね。頭まだ痛いです本当は。
 
 
 これ位なら根性で乗り切れると思い、気合で立ち上がり平気なフリをしてみせる。
 操さんは安心した様に目を細めて笑い、俺の背中を撫でた。
 二人で顔を見合わせて笑い、渡り廊下から庭へと下り立つ。
 庭のベンチに腰掛けながら、操さんは缶ビール、俺はコーラで乾杯をした。
 
 
「プチ虎ちゃん歓迎&息子お世話になりました会だねぇー??」
 
 
 とても良い歓迎会の開かれ方に、思わず顔が綻ぶ。
 ほんの少しお酒で頬を染めた操さんは、とても機嫌が良さそうだ。
 
 
「あはは、有難うございます。お子さん居たのびっくりしました!!」
「それよく言われるんだー!!実は産んでるんだよねぇ!!」
 
 
 操さんは見た目がものすごく若い。下手したら俺と同じ位の年齢に見える。
 改めて操さんの話す声色は、不思議と自然体で居させてくれることに気付いた。
 隣にいればドキドキするし、緊張だってしてしまう。これだけ綺麗だから当たり前なんだけれど。
 それでも話しているうちに自然と安らぐのだ。
 この人はとても不思議な人で、人を惹き付ける魅力に溢れた人だと思う。
 
 
「虎ちゃん俺よりずーっと年下だけど、こうして一緒に呑むの付き合ってくれる人、入って嬉しいなぁー♡
今日みたいなトラブルたまーに起きちゃったりするけど………嫌にならないで此処に長くいてほしいな、なんて………」
「………大丈夫ですよそんな………!!此方こそ宜しくお願い致します!!」
 
 
 そう言葉を返して深々と頭を下げると、操さんは鈴を転がした様な声で笑う。
 
 
「あっは!!嬉しいなぁー!!明日から本当に宜しくねぇ♡」
 
 
 全てが愛くるしい人だと、眩しい笑顔を見ながら思う。
 こんなに魅力的な人なら、不毛な片思いの踏ん切りをつける迄に、相当な時間を要するだろうと思った。
 操さんと別れ、社員寮に向かって歩き出す。今日は操さんの番のαの話は、一言も出て来なかった。
 何時か聞かされることになるのは解るし、逢う日だってあるかもしれない。
 でも願わくはその時に、笑って居られる位でいたいと思っていた。
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