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第3章
第4話 希(こいねが)う
しおりを挟む空も底もない空間に佇んでいた。
闇に埋もれぬ淡黄色が白金の様に輝き、肌の内に光を宿す白い身体が浮かんでいる。たおやかな腕に空色の髪の少女を抱き、体温を失った頬に一雫を落とす白金の少女の横顔を、芝蘭は見つめていた。
『どうして』
泣いているようにも聞こえる、か細い声が耳の良い芝蘭の鼓膜に響く。震える空気の波が彼女の存在を確かにする。
『占音。……もう私は、貴方に願うしかできないのか』
さめざめと呟かれた言葉が、波紋に諦めを乗せる。
つと、後頭部から何かに強く引き摺られた。身体の内部だけがずるりと抜け出してしまいそうな強い力に、は、と意識を取り戻す。
目の前に映るのは、天井に透ける透火と似た顔。
『お願い、兄様を解放して』
「っ、わ、待て」
ずいと眼前に近寄る整った顔に驚いて仰け反り、芝蘭は椅子ごと後方へ倒れた。石灰の砕ける音が静寂を切り刻む。大理石に傷が付き、半透明な表面が白く汚れる。
「何だ、……誰、だ」
身体の透けた少女の顔に、喉が痙攣する。
この世は、顔の似た人間が三人同時に存在するという。大抵は存在を知ることもなく死に別れると言われ、芝蘭とて己に似た顔と出会った経験はない。
『お願い』
それが、どうしてこうも、彼に似た者ばかり出会うのだろう。触れることのない指先が芝蘭の頬に近付き、染み渡ることのない涙が少女の頬を伝う。
「誰かと、勘違いしているのか」
上体を起こし、少女の影を振り払う。質量のない影に腕がすり抜けて、芝蘭は慌てて後ずさった。一方、芝蘭の腕に触れた部分から少女の姿が構築し直され、白い光が棺桶から溢れ出てくる。
表情が消え、見慣れた造形が芝蘭を見下ろす。
『私は魔石に遺された記憶。占音の魔力を授受すれば、起動します』
「……占音の?」
言われた意味を理解するまで、少しの時間を要した。芝蘭の腕が触れたことがきっかけか、あるいは芝蘭自身がこの部屋に入ったことがきっかけか、何れにしろここにいるのは芝蘭であって占音ではない。だが、魔力の授受が発生したということは、芝蘭を媒介に、占音の魔力が彼女に供給されたということになる。
そこまで考えてようやく、思い当たる節を見つけた。
「これか」
衣嚢にしまい込んでいた術符を取り出す。
占音の魔力を形にしたそれは、万一の為にと、船を降りる前に渡されたものだ。
一度は夜会で世話になった術符だが、あの時預かったものは、会場を守るためにほとんどを使い切ってしまっていた。これは追加の分で、占音がどうしてそこまでして芝蘭に協力するのか、理由は知れない。
生まれ持った魔力を授受できない心魔と違い、珠魔は魔力を形に変え、他人に授与できる。故に、心魔は寿命が長く、魔力を失えば消滅する珠魔は短命なのだと合点がいったのは、船で占音と話をしてからだ。
命を削る行為を、芝蘭は他人に許したことはない。経緯がなんであれ、知り合ってまだ数ヶ月しか経っていないとはいえ、占音も例外ではない。それなのに、彼は芝蘭とは真逆のことをする。
(まさか)
こうなることも分かっていたのではないかと、疑念が芝蘭の中に生まれる。
『貴方が占音かどうかは気にしません。ここに辿り着いた貴方に、私の願いを託します』
まるでこちらの声が聞こえていたように、沈黙を挟んで少女が口を開く。ねじ巻き式の人形のような朴訥さと唐突さを伴って、綺麗な黄色の瞳が閉ざされる。
『占音に罪を遺さぬように、彼が全てを背負わぬように。
……これは、禍根を残した私にできる、唯一の手段』
彼女の手の内から白い光が生まれ、その眩しさに芝蘭は目を瞑った。
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