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第3章
朱は誘う、未来へ
しおりを挟む話は芝蘭が生まれるよりも数年前、貴族戦争が終結し、聖光国の誕生まであとひと月といった頃まで遡る。
当時、紫亜は二十三歳を迎えたばかりだった。騎士の昴は二十一と、後見人のエドヴァルドが居なければ、老獪貴族達は黙って従わなかったとも揶揄されるほどに、二人は若くあった。若い貴族と頭の柔らかい、時代に迎合した貴族とが集まって成し遂げた統合は、危ういところで安定を保ち、民となる者達へと受け入れられようとしていた。
海の向こうの話として火月がそれを聞いた時、彼は成人したばかりの十九歳、水月に至っては十六歳とまだ少女という方が正しい年頃だった。
同じ親から生まれ落ち、似た色を持った二人は同じ年頃の子供の中では魔力を多く持っていた。必然的に、族長の元へ引き取られ、同じ親を持つきょうだいとして、仲睦まじく、仲間達にも穏やかに受け入れられた。
生来の真面目さから、幼い頃より両親を支え、仲間の為に尽くし働いた火月は、十歳にもなると次期族長として見なされるようになっていた。一方、そんな火月が面倒を見た水月は、天真爛漫というのが可愛らしいほどお転婆に、不真面目ではないが非常に突飛な子供に育っていた。
畑に連れて行けば近くの木に登り鳥と戯れ、他の子供を惑わしては山や川へと出かけ、日中彼女が働くことは少なかった。しかし、彼女が齎した木の実や果実は、確実に珠魔の食生活を潤わせたのは確かだった。
『ねえ兄様、どうして心魔は私達を宝石と呼ぶの?』
『隣の畑が立派に見えるのと同義だよ。彼らは持たないものを欲しがる、貪欲な種族なんだ。それより』
『それじゃあね、兄様。珠魔はどうしてそうじゃないの?』
『問答がしたいなら、お父様のところへ行きなさい』
同胞の一人が姿を消してから、水月の関心はもっぱら海を隔てた向こう、心魔に移っていた。武術の心得もあり、賢しさだけは人一倍磨いていた彼女は、深夜抜け出しては襲い来る心魔を撃退し、問い詰めることも少なくはなかった。その度に村人達は彼女を止め、叱りつけては一晩反省部屋へと連れ込んだ。
だが、彼女の好奇心を止められる者は、誰一人としていなかった。
ある夜のこと、水月が心魔に捉えられそうになったことがあった。何故それを知っているのかといえば、心魔の青年が水月を連れて村へやってきたからである。
朝焼けの似合う、金青の髪を持った青年は、直井昴と名乗った。
『国王紫亜より、其方達に手簡を預かっている。そして、これより、我が名をもって心魔による珠魔狩りを禁じ、心魔自身が心魔を罰する』
朗々と詠みあげる声の張りは日々を生きるに疲れた珠魔の持たぬ雄壮さを持ち合わせており、年若く見えながらも力強いその存在に圧倒されたことを、火月は覚えている。
外の世界だと信じ、妹が興味を持つだけの、全く関わりのない厄介な隣人だという認識は、この日から打ち崩されていった。
水月が昴と打ち解けるのは、小川の流れよりも早く、夜明けの美しさのような眩さを伴って火月の記憶に残った。
髪を長く保つ志向の少ない心魔ながら昴は髪が長く、水月が面白がって髪結いで遊ぶ姿をよく見かけた。
聡明で、騎士ながら渉外としての才も卓越しており、族長との話は筆で絵巻物を描くように滑らかに進ませた。髪色が示すように、創生虹記を信ずる家系であったためか、珠魔の者とは考えがよく合致した。
横顔の美しい、影に佇む青年だった。
見目と中身にすっかり絆された族長は、種族の未来について助言を求めたのだろう。占音誕生の際も、彼は関与した。占音が火月達の元へ引き取られると、彼も親や兄のように子供の相手をしていた。それが、周囲にどのように受け止められたか定かではないが、悪い印象を持たせなかったのは確かだ。
紫亜が国王に着任してからも、彼が珠魔の土地から離れることはなく、半信半疑ながらも珠魔の者は昴を受け入れ始めていた。それが正しく彼の仕事だと理解していながら、裏を読むことは叶わなかったのである。
誰もが暗に了承していたように、占音が二歳になる頃、水月が昴との子を産んだ。
珠魔は、交配とは異なる手段を、この時はじめて知ったのである。
生まれた子供は、創生虹記に登場する神と同じ特徴を持った。心魔であったが、誰も気にはしなかった。水月によく似ていると皆頷いたが、昴だけは異なる見解を得ていた。
即ち、交雑によって生まれた子供ほど、洗練した色を持って生まれるという考えである。
この見解に、昴以外に興味を示した者がいた。当時の族長であった。
「私も次期族長としてその場に同席したが、嘔気を覚えたよ。心臓を体外に備える我らにとって、身体的接触は死に等しい。……それでも、第二の手を考えるほどには、窮地はすぐそこにあった」
硝子越しに頬を撫でるように、火月は水月の顔を見下ろす。
「そんな時だった。シアが上陸したのは」
昴とのこともあり、珠魔は友好的に国王を迎えた。彼の行動により、一部珠魔の者が帰郷を果たしており、反対に、珠魔の者が立場を得て心魔の土地で生きることもできるようにもなったという話が齎された頃だった。
水月も、昴と共に子を抱いて王を迎えた。満面の笑みで迎えた彼女に、しかし、王は非情にもこう応えた。
『よくぞ、基音を産み落としてくれた』
「──もう、手遅れだった」
顔を覆う火月の姿に、芝蘭は深く同情した。偶に王城へ戻っては相手をしてくれた昴が、紫亜の下でそのようなことをしていたのかと、哀しみすら感じていた。
「我らを侮った国王に、歓迎などするはずもない。直ぐに島から追い立て、──水月は子供と夫を奪われた」
砂の山が崩れるように呆気なく、珠魔の信頼は崩れ落ちた。期待した分余計に怒りが降り積もり、その矛先は、当然ながら水月に向かった。
あの時、水月が昴を連れてこなければ、と誰もが罵り、見下げた。
一つ不幸が広まると、追い打ちをかけるように不幸が重なった。族長が寿命を迎え、火月がその座を継ぐこととなった。が、水月の一件で火月に対しても珠魔の不穏は募っており、心魔に対抗する者が次々と批判と反対を口にするようになった。
「水月とて、反省せぬほど無配慮な子ではない。聡明だったが故に心を痛め、ついには、仲間の怒りを鎮めるために島を出るか、命を賭してもいいと言い出した。……あの子が、何かしたわけではないというのにだ!」
悲痛な叫びが白亜の空間に響き、水のせせらぎを忘れさせる。
割れることのない棺の上で、火月の拳が震えている。
「私は考えた。水月が死なずとも打開できる策がないかと、必死に。そして、皮肉にも、あの男が残した方法を思い出したのだ」
「……まさか、」
心の裏側を引っ掻くような衝撃と悪寒が、芝蘭の血の気を奪う。
取引の条件としておきながら、一度として名前の出てこなかった少年。種族が異なりながら、透火と兄弟として芝蘭の下へやってきた彼の存在を、思い浮かべる。
意を決したように芝蘭を見据え、火月は静かに宣う。
「私は自ら、種族繁栄と水月自身のために、交わった」
黄緑色の瞳が、うっすらと黄色に滲んでいくのを、じつと見つめていた。
「結果的に、子は生まれ、水月は命を落とした。
君なら、少しはわかるのではないか。この……私の哀しみと、怒りが」
彼は芝蘭に詰め寄り、まるで紫亜に向けて発するように腕を強く掴み、揺さぶった。
ぎりぎりと腕の痛みが肩にまで届くほどに強く、火月のくるしみが芝蘭の瞳に刺さる。
「私と水月がどんな思いで子を生んだかも知らず! シアは私にこう言ったのだ。その子供を差し出し、娘を見守るというのなら、水月を助けると……どの口が! それを言うのかと!」
鼓膜に響く声が直接芝蘭の脳と心を揺さぶるようだ。目眩すら覚える激昂に耐え、意識して足を踏ん張る。
「だが、聞くしかない。全ては水月を生かすためだ。
だから、占音が君を連れてくると決めた時、思ったのだ。──あの二人が欲した子供は殺し、この魔石の力を強めてやろうとね」
「貴殿の目的は、最初から、……透火だったのか」
どこから仕組まれていたのかと、疑いそうになる自分を抑えた。あの占音が、まさか、透火を危険な目に合わせるなどとは思えない。これには裏が、何か理由があるはずだと、過る父の影を誤魔化す。
「当然だろう。君にはこの娘がいれば、あの子は要るまい。基音なぞ居らずとも、君は王となれるとも。私と占音が、君を助けるのだから」
引きつった頬で芝蘭の瞠目を嘲笑い、火月の本性が瞳の奥に剥き出しになる。
「しかしね、まず君には、その血と王族の証でもって、水月に尽くしてもらう。どの道、紫亜から聞いているんだろう? ここの封印を解いてこいと」
「封印?」
「とぼけるのはやめてくれ。君を不必要に傷付けないよう、精一杯努めているのだから」
手首の自由が利かぬことに気付いたのは、そのまま背後に押しやられてからだ。二藍が用意したらしい椅子が芝蘭の大きな身体を受け止め、魔法で固定する。
掌が、赤く染まっていた。治すことを止めていた傷が切りつけられたのか、内側から皮膚を裂くように血を流している。ぽたり、ぽたりと滲みが床に広がり、石灰石の部分だけが赤黒く溶けていく。溶けた後から燐光が溢れ始め、それが珠魔の魔法の術式だと察せられた。
「この魔石は制御がなされている。その制御を解除すれば、二人は目を覚まし、動けるほどの魔力を手に入れる」
火月の指す先、竜輝石の下方に描かれた小さな紋章は、青家のものである。見慣れたその絵の下に、錆びることも知らぬ鍵穴がぽっかりと空いて、番を待っている。
エイダンが光河に託した小箱を思い出した。中身を改めた時、中には挿す先のない鍵が収まっていたのだ。用途が分からぬまま預かっていたが、まさかこのような形で意図を示されるとは思ってもいなかった。
そこに到達した芝蘭は、頭から血の気の引く音を聞いた。
火月の怒りをも利用し、紫亜は芝蘭に告げているのだ。
アドアを助けるのか、透火を助けるのか、選べ、と。
息と感情を整えた火月が、愕然とする芝蘭の横を通り過ぎる。
無防備な側頭部に軽い衝撃が走り、意識が、飛ぶ。
「せいぜい、死なぬように気をつけたまえ。ここは空気が悪い」
吐き捨てられた言葉を最後に、芝蘭の意識は、そこで途切れた。
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