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第2章
終わりを告げる
しおりを挟むフェオファノア家は大聖堂と同じ造りをした豪奢な屋敷と、馬を一刻十分に走らせても回りきれない広大な敷地を持つ。古代式の門を開いた先、屋敷までは一本の馬車道が通り、召使と執事は馬車の色で客人の身分を判断して到着までの間に用意を終えるようにしている。
その日、昼頃に門を通った馬車の色は紺だった。後に数頭の馬が続いたが、その家の長女が夜会に出席していたこともあり、誰もがお帰りなさったのだと準備をして待ち構える。
屋敷の入り口に二人の召使が並び、馬車の到着に合わせて低頭した。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「お父様はどちらにいらっしゃいますか」
「は……」
キイと扉の開く音とともに唱和すれば、返ってくるはずの柔らかな声は無く。険しさと緊張を孕んだ言葉が確りと彼女の存在を支持して、召使を気配で圧した。
「どちらへ」
「は、はい。旦那様は別館にてお寛ぎでいらっしゃいますが……」
「人払いをお願いします」
「承りました」
見慣れたはずの横顔に昨日までとの違いを見取ったか、召使は平素よりも慎ましく行動に移る。凜然とした面持ちでリアナは同行者を振り返った。
空と同じ色の瞳に、紺色の法衣と軍服が映る。
「ご案内します」
一刻後、彼ら五人は別館の部屋の前に立っていた。
耳障りな嬌声や鼻に付く臭いが扉の前からも感じられて、透火は顔の下半分を覆う。そんな彼を慰めるように肩を叩き、晴加がリアナの前に進み出た。
ノックを二回すれば、間もなく声はピタリと止む。
「誰だ。ここへ人は通すなと命じたはずだ!」
どこから出てくるのかを疑うほど威勢のいい声が飛んだ。声の主を確かめ、大きく息を吸ってリアナが頷く。
晴加と月読が、扉を開いた。
「失礼致します」
彼女の背後から室内を見た透火は、予想できなかった光景に顔を顰めた。
気を失って倒れている白磁色の髪の女性が数名。血を流したまま壁に磔にされている銀髪の女性が一人。そして、部屋の中央でフェオファノアの周りに寝転がっている白髪の少女と女性が、二人。一糸纏わぬ姿の彼女達の中心に、老齢とは思えぬ痩身の身体を晒したレムが座っている。
「……どうした。お前がここに来るとは、珍しい」
一歩室内に入ったきり口を開かぬ娘を見て、彼は場に似合わぬ落ち着いた言葉をかける。彼女の連れてきた複数名の顔を眺めていき、背後に佇む透火と目を合わせた途端、下卑た笑いで目を歪めた。
「王子の差し金か? 昨夜、夜会で問題があったと聞いている」
「……父上」
暗に示された父親の意図を察して、リアナの声が強張る。躊躇うように肩を一度落とし、それから、彼女はきつと実の父親を見据えた。
「レム・フェオファノア侯爵に通達致します。他の貴族を私利私欲のために脅かし、王制で廃止された色差別および制限のある他種族差別を正さず、多くの無関係の人間を辱めた罪により、只今を持って侯爵位を剥奪。国を悪しき過去に繋ぎ留める脅威とみなし、第二王位継承者リアナ・フェオファノアの名に以って、投獄します」
「なに……?」
「心魔の寿命を思えば、貴方の終わりも遠くない未来でしょう。罪を犯した年数を思えば、数年の投獄など刑が軽い。この度私が証人となり、国王紫亜様の監視の下に貴方の犯した数々を調べ直した結果、教会・王族双方から終身刑が言い渡されました」
夏の日差しに似た強さと気高さを持つ声が、朗々と罪深き人間の未来を読み上げる。
見る見るうちにレムの顔が青ざめ、代わりに、周囲の女性達の顔色が生気に満ちていく。意識のある者は涙を流し、その場に蹲る。
「馬鹿を言うな!」
下肢に布をまとっただけのレムが、怒号と共に立ち上がり、側に立てかけられた槍を取った。流石教会貴族というべきか、魔石を備えた槍で媒介物としても武器としても役に立つ特別使用。それをぶんと振り回し、醜悪な顔を歪めて彼はベッドから下りる。
「お前を継承者にしたのは誰だと思っている! その髪と瞳を理由に、私がどれだけの金と時間をつぎ込んだと! リアナ!」
「なにも」
会合や夜会で見かけた姿を思えば、男性の怒号に微塵も揺らがぬ彼女の姿は、別人のようだった。
そしてそれは、レム自身も感じたことだろう。怯まぬ娘にわずかに上半身を逸らし、返す言葉がなくなったのを悟って動き出す。
「……では、お前も、母親と同じ用無しだ!」
身構えた月読と透火に対し、リアナは晴加に手を差し出し、彼は主人に従い槍を渡す。
前以って指示されていたこととはいえ、透火はいつでも動けるように半歩片足をずらした。
ヒュン、と風を切る音がした。
「ぐぬっ!」
突き出された槍と槍が重なる音も立てず、レムが勢い余って身を崩し、リアナは構えを取ったまま静止している。
攻防でもない。彼女は槍を一振りするだけでレムの攻撃を受け流し、その足を掬って転ばせた。
「今まで私を生かしてくれた恩を、感じないわけではありません」
無様に顔から床に衝突した父を振り返り、リアナは言う。
「ですが、貴方は変わらない。三十年以上も古い時代に縋りつき、周囲の変化を受け入れず、耳を塞いで周りに押し付ける。そこに、私はおりません」
たん、と床を打ち鳴らして、一息。
「貴方が過去で塗りつぶしてきた時間を、どうぞ後悔なさってください」
感情を押し殺した表情に負けて、淡い青色が瑞々しく潤っていく様を、透火は見ていた。
——その日の夕刊にて、フェオファノア侯爵の爵位剥奪が王都中に知らされた。
王族への反乱を企てようとした疑いを掛けられていた当氏は、珠魔を利用して貴族の誘拐を多発させていただけでなく、王制により制限された色差別を横行し続けていたことにより多くの人間が被害を被っていたことが第二王位継承者リアナ・フェオファノアにより明らかにされた。彼女は自らも人質となることで候の策を阻止し、若者たちに現状を知らしめた。
現状を国王へ伝えたフェオファノア嬢は、他の王位継承者と協力することで候を訴え、投獄に成功し、自らが爵位を受け継ぐことを表明。
続けて、王位継承者として、教会を中心に地域に多く残る色差別の撤廃に努めることを宣言した。
「『残る王位継承者の二人もそれぞれ今後の活動について宣言する準備をしていると予測される。自然界の異変に続くこうした国内の動向は基音の誕生を契機としており、種族代表という意味でも彼の存在について我々国民は注意を払うべきなのかもしれない。』……か」
頭の痛くなるような思いで先日の出来事を振り返っていた透火は、溜息をつきながら新聞を折り畳んだ。
食卓の上に置いて、両腕を投げ出し突っ伏す。
新調されたばかりの上着が、動きについていけず透火の腕にまとわりついた。
「あー、やだなあ……」
「仕方ないんじゃないの」
愚痴を零した兄の隣にカップを置いて、透水が素気無く言う。
彼は兄が見終わったばかりのそれを拾い上げて、ふーん、と興味もなさげに文面を目で読む。
「そうかなあ。もうこりごりだよ」
「始まったばかりなのに」
「あんまり俺が出るとさ、お前にも影響出るでしょ、っ熱!」
礼を述べて飲み物に口をつけると、思ったよりも熱い液体に襲われた。感覚の飛んだ舌を口内で動かして痛みを堪え、弟を見上げる。
「透水! 熱い!」
「ごめんごめん。俺、熱いのが好きだから」
「もー……。すぐ忘れる兄ちゃんも悪いけどさ」
ぶつくさと言いながら吹き冷ましていれば、段々と湯気の量が減っていく。
一通り読み終えたか、透水が新聞を置くのと同時に飲めば、ちょうどよい温度にまで下がっていた。
珈琲の苦味と温かさに、ほうと一息をつく。
「そういえば、なんでまた服変わってんの」
「これから芝蘭達に会いに行くからだよ。……所属できないにしても、王族とか教会の偉い人に会うから、それなりの服装をしろって支給されてさ」
「ふーん」
突っ張った上着を気にしながら体勢を戻し、改めて自分の着ている服を見下ろす。
上着は薄水色の生地を臀部までを覆う長さで整えられ、肩口・手首の周囲は軍服と同じ仕立てとなっていた。衣嚢はないが王族のように肩口と首元を結ぶ飾り紐と鎖があり、銀釦の数は軍服よりも多い。
首元から下ろした青灰色の直線は胸元で左右対称に広がり、途中から向きを変えて垂直に落ちる。下肢を纏うズボンにはこれまでのどの衣装とも異なって一本の線が入り、大腿側面に創生虹記の表紙にある紋章の刺繍がある。
これだけならまだ悪くないかと思った透火だが、時と場合によって多用するからと白と黒の手袋を大量渡された時は流石に顔が引きつった。どの衣装にも紋章が記されていて、辟易していたのである。
「似合う?」
「ぜんっぜん」
「そ、そう」
冗談で尋ねたのに回答は辛辣で、思いがけず落ち込む。
せめて弟にだけでもかっこいいよと言ってもらえれば着る気持ちも変わるのに。胸中で言い訳をして悲しみを追い払う。
「……というかさあ」
新聞とカップを食卓に置き、透水が重心を右足に移した。
「いい加減に、そういう態度やめてくんない?」
「……ん?」
今まで一度も聞いたことのない雰囲気の声に、思わず笑顔で静止する。
「俺、もう十五になったよね」
「うん」
「透兄は十七。祝う間も無くあっという間だったよね」
「うん……」
「基音だってわかって色々あって、まああの王子が駄々こねたんじゃないかと思うんだけど、それでも透兄は自分の立場と身分を手に入れたわけだ」
「そう、だね」
淡々と透水が知っている限りの時系列で事実を突きつけられて、頷きに戸惑いが生まれる。
ずい、と人差し指を鼻先に向けられて、透火はのけぞった。
「俺、結構長いこと一人で暮らしてるよね」
「それは、……ごめんな、出ずっぱになって」
「そうじゃねーよばか!」
「ば、ばか?」
喧嘩することもなく仲良く睦まじく暮らしてきたと思っていた透火としては、透水にそんな言葉を投げつけられたことに衝撃を受けた。
一方、兄が余計なところに反応しているとも知らず、必死に透水は訴える。
「馬鹿だよ。大馬鹿だ! 別に俺が十分大人になったとか、そういうところまで言うつもりはないけどさ……いい加減、話をしてよ」
「はな、し」
拙いながらも話してくれた内容から、何を言いたいのか段々とわかってくる。
透火は、これまで自分の身に何があったのかを、きちんと弟に説明していない。これから再び学園生活に戻る弟に余計な心配をかけたくないというのもあるが、勝手に、彼には関係のない話だからと割り切っている自分がいた。
兄弟だ家族だと思っていながら、話をしなくてもわかってくれると思っていた。
嘘はついていない。代わりに、本当のことは何も言ってこなかった。
(あれ……それって、もしかしなくても)
もしかしなくとも、それは芝蘭が透火にしてきたことに他ならない。嘘をついている分彼の方が厄介だが、どのみち、透火も同じことを透水にしていたのは事実。
「基音のこととか、王子と何があって従者をやめたのかとか、なんで銀髪美少女と一緒に行動してるのかとか、全部話してよ。じゃないと、俺、学園行くのやめて働くからね、ここで」
「え、はあ!?」
「透兄が……ああもう、面倒くさいな」
考えながら話を聞くせいで反応の遅れる透火に、透水が苛立ちを募らせる。
乱暴に前髪をかきあげて、幼い額を晒す。
「透火がこれまでしてきたんだから、俺だってできるのはわかってる。王子も、俺がいた方が都合がいいだろうし、いざという時俺が取引材料にだってなるだろ」
「は、ちょ、ちょっとまって透水」
実の弟に呼び捨てにされる経験など、できればないままでいたかった。突然の変化に普段は海よりも広い余裕がカップの大きさにまで縮んでしまう。
立ち上がり、声を荒げようとする弟の肩を掴んで向き合った。
「透水」
「なに。わかったなら、説明を」
「わかったんだけど、そろそろ時間なんだ」
真剣に黄緑がかった瞳を見つめれば、壁掛け時計が時間を知らせる。
呑気な音が鳴る中、しばし兄弟で意地を張り合い、ややあって、透水が折れた。
「……行ってくれば?」
「ごめんなっ! また帰ってきたら説明するから! 絶対!」
「っ抱きつくなよいい年して! 暑苦しい!」
申し訳ない気持ちを身体表現で示せば、やはり厳しい言葉が返されて悲しくなる。
透火だけではない。透水とて、気付いて、考えて、変わっていくのだ。
透火の知らない環境で、色んな人間と出会うだけではない。
透火との時間の中でも彼は変わっていく。
芝蘭にとっての、透火のように。
(ほんとに、気付かなくてごめん)
心からの謝罪を込めて強く抱きしめ、離す。
それ以上言い募られる前に、身体を翻した。
「行ってきます」
「……行ってらっしゃい」
在り来たりな挨拶ですら、こうも変化してしまうのだと思うと、かなしいようで嬉しいような気持ちになった。
透火は、呼び出された通り、執務室に向かった。
警備体制が変わり、芝蘭が在室中も常に複数名が近くで待機することになっていた。扉に近い一人に声をかけ、中へ通してもらう。
「来たか」
部屋の奥、大窓を背景にして芝蘭が椅子に座っている。その背後には光河と日向が並び、異なる表情を張り付けて王子の背後を守る。
いつもの枯れ草色の軍服を着た芝蘭は、透火の登場とともに心持ち空気を張り詰めた。左手に巻かれた包帯を右手でさっと隠すのを見て、皮膚一枚下で表情を堪える。
あれから、芝蘭はリアナを庇って負傷した左手の治療を拒んでいた。大した傷ではないからの一点張りで、それ以外の理由は一切口にしない。剣が使えなくなるかもしれないという脅し文句でやっと組織部位の治癒魔法を受けたものの、皮膚までを治そうとすると逃げるため、現在は一日二回、包帯を交換することで掌に傷跡が残らぬよう宮廷薬剤師によって管理されていた。新しい包帯であるところを見るに、薬剤師による包帯の交換は終わったばかりのようだ。
透火と同じく、芝蘭の前に立つ琉玖と占音の二人は、常と変わらぬ様子で透火を振り返る。従者の姿が見えないなと視線を動かせば、季翼は扉の近くに立っていた。占音の従者は、姿がない。
「待たせてごめん。透水とちょっともめて」
「兄弟喧嘩なら程々にしろよ、透火」
「喧嘩じゃないって」
茶々を入れる占音に軽口で返して、透火も二人の間に並ぶ。
琉玖は普段着用している式服を、占音は褐色の式服を着ていた。後頭部で結わえていた黒髪は、室内だからか一本の三つ編みにまとめられている。
「月読は、フェオファノア嬢が無事引き取ることとなった」
「そう。やっぱり、当たってたんだ」
「そうだな。彼女の方は顔もわからないと言っていたが……まあ、そうせざるを得ないんだろう。彼女の人柄を思えば」
優しげな面差しで琉玖が話題を引き取る。
後で判明したことには、月読の狙いはリアナを縛る教会内の色差別の撤廃だった。彼女は暗殺者として王城に送り込まれたものの、白髪赤目という特徴から月読として迎えられ、紫亜の世話係として王城に居座ることとなった。その過程で紫亜との接触が増え、彼自身について知ることが増えたという。
それは同時に、紫亜が教会内でのアルビノ・銀髪を持つ者への扱いを知ることに繋がった。彼は自身の思想に基づき、月読に働きかけていった。紫亜が大きく動いては、他の教会貴族に影響が出ることも理由の一つだった。
彼は、自分の代わりに月読を使うことで、教会内の薄汚れた古い価値観を壊そうとしたのである。
——これが、月読の見解であって、透火達にとっては異なる意味を持つことは言うまでもない。
珠魔への蔑視を残し、色差別を王制で廃止したことを思えば、紫亜の行動は不思議なことではないが、それならばなぜ月読は芝蘭を襲ったのか。琉玖を含めた王子二人を、追い詰める必要があったのか。
教会内部へ目を向けさせるためか、それとも。
考え得る可能性は多く、絞ることはできない。
(いやだなあ……)
関わっていることが明確に分かるのに、彼への対策が取れない事実が苦味となって口の中に広がる。
透火が基音となった時と、同じだ。
「話はもういいか?」
「うん」
芝蘭に尋ねられて、大人しく思考を止める。
ふと三人を見比べて、銀環がそれぞれ片耳に付けられていることに気付いた。占音の耳にもある以上、継承者の証というわけではないだろうが、一体どういうことだろう。首を傾げたい気持ちで話を待つ。
「これからの話について、確認と、提案がある」
先日の夜会をきっかけにして、変わったことは二つあった。
一つ目は、占音の提示した通り、彼が芝蘭の参謀・側近として迎え入れられたこと。それに伴い、こちらでは朱瑠占音という名を使うことが決められた。
二つ目は、リアナを含む王位継承者三人は、それぞれ異なる差別に取り組むことで余計な争いも余分な協定も結ばぬようにしたことだ。話し合いとそれぞれの背景を鑑みた結果、リアナは心魔の中に根付く色差別や性差別を、琉玖は羅魔との種族差別、芝蘭は珠魔への極端な差別にそれぞれ取り組むこととなっている。
これから話し合わねばならない話題は多く残されているものの、彼らがまず定めておきたいとしたのは継承者同士の関係と、基音の扱いについて。
「正直な話、俺はフェオファノア嬢を助けたい。
婚約者候補だからと狙われるんだ、その理由にあたる者としては放っておけない」
誰の婚約者であれ、唯一の女性であるリアナが狙われたのは事実。それを警戒して琉玖が口火を切れば、占音がにやりと口元を歪めた。
「好きだから守りてえって言えばいいのに」
「なっ、ば、馬鹿を言うな! 何を根拠に!」
「はいはい。純情王子のそれはともかく、強ち間違ってはいないと思うぜ? 俺は」
素直に顔を赤らめて怒鳴る琉玖を素気無く去なし、占音が琉玖の案を推す。
「俺らがどう思おうがあのお姫さんがどうであろうが、使いやすいのは確かだ。問題を一つ起こすだけで批難も混乱も何もかも思いのままだしよ」
「……それって、教会所属だから?」
含むところを考えてはみるものの、あまり自信はない。大人しく口を挟めば、占音は丁寧に話を割った。
「教会所属で、父親が今問題を起こして捕まった。
姫さんが再び問題を起こせば、民の信用は落ちるし、採用した王族にも不信感を抱かせかねない。
んで、問題を起こさなくても姫さんは今、動きにくい状況にいる。専属の騎士もいねーし、侯爵位を受け継いですぐだからお決まり行事もあんだろ。
なにより、大司教のいない教会をまずどうにかうまく立たせねーとまずい。基音を信仰するのは聖虹教会なんだから」
「あー……っと、つまり、今の王族を存続させたり次期国王を決めたりする上で成り立つべき前提が、崩れかねないってことだね?」
「そうそう」
両腕を組んだ占音が神妙に頷くので嬉しくなる。
「そして、同盟を組むにしろ協力関係を築くにしろ、力関係を安定させる必要がある」
「フェオファノア侯の件は協力したと伝えるように徹底したが、裏を探ってくるものもいるだろう。夜会で月読が言っていたように、無闇に喚く者も出てくる。……まあ、他にもあるが」
芝蘭と琉玖が現状の問題点を挙げ、溜息を吐く。数え出せばキリのない問題があることを、二人とも身を以て知っていた。
苦笑いを浮かべて、透火も頷くしかできない。
「俺は別に、琉玖がリアナと手を組んでも問題はないと思っている」
一呼吸の余白を置いて、芝蘭が話し出す。
「条件の一つである差別に関して、どのみち民に公表するんだ。公にしないとはいえ、壱音と組む以上、基音を使う場面も増える。協力関係を結んでいるからとお前達に影響が出るより、敵対関係として描かれた方が楽だ」
「またお前はそうやって一人で背負い込もうとする」
琉玖が溜息をつきながらぼやいた言葉に、透火は全力で頷く。
「それさ、芝蘭ばっかり面倒なこと引き受けようとしてない?」
「誰が面倒だ」
「うっ」
聞き捨てならなかったか、占音が透火の脇腹に手刀を入れる。動きは軽く素早いのに、腰に直接響いた痛みは強く、ぷるぷると震える。
「そ、そういう意味じゃない……」
「そういう意味だろ」
「そうじゃなくて……条件に俺が入ってはいるけど、俺と協力しろとか、そういう話じゃなかったじゃん。それをわざわざ協力って形にするから面倒になるんじゃないかと……」
なんとか言いたかったことを伝えれば、三人がそれぞれ何かに気付いたような顔をした。琉玖と占音はじとりと芝蘭へ視線をやり、芝蘭の方は目線を逸らす。
(……なんだこれ?)
奇妙な沈黙が、室内を満たす。日向も光河も、この時だけは素知らぬ顔だ。
嫌な予感を察しながらも何も言えないままでいると、溜息をついて芝蘭が立ち上がった。
「これはリアナも含め三人で話し合って決めたことなんだが」
「? うん」
机を迂回して彼は透火の前までやってくる。
一歩進めばぶつかってしまうほどの近い距離だ。珍しい行動ながらも、警戒する理由もないので大人しく芝蘭を見上げる。
(ほんと、背高いよなあ……)
久しぶりに感じる、彼との違いだった。
呆然と次の言葉を待っている透火に対し、芝蘭は視線を左右へ散らし、落ち着かない様子で咳払いを一つする。
「婚約者の件で余計な問題を起こさぬよう、互いに存在を借りあうことにした。差別に関する話を宣言する際に、それぞれに婚約者ができたと拡める。見合いの申し込みを断ったからといって反感を抱く者もいないわけではないから、そういった輩を排除するためにそうする」
「うん」
「顔も名前も公表しない。ただし、どうしてもしつこい相手はいる。そういった者への対処を行う際に、琉玖と俺とリアナの三人で協力することにした」
「それで?」
話の内容と芝蘭の挙動不審な様子があまりにも一致せず、小首を傾げる。
肩を落として大きく溜息をつき、ようやっと、芝蘭が透火を見つめた。
「それでも対応できないとき、例えば俺と琉玖が二人呼び出された場合、人手が足りなくなるだろう。その時の対応を、お前に頼みたい」
「…………」
言葉と意味の理解はできたが、意図を計りかねて笑顔が固まる。
「……つまり?」
「いざとなったら婚約者として、表に出て欲しいと、……そういうことだ」
「…………はい?」
戸惑いと混乱と理解したくない心が焦って、透火の思考を鈍らせる。
芝蘭が、懇願するように透火の両肩を掴んだ。
は、と意識を目の前に戻せば、真剣さと羞恥の入り混じった面持ちで、芝蘭が透火を見つめる。
「基音としてのお前じゃなく、透火自身の存在を、貸して欲しい。……頼む、透火」
意味がわからないのに、掴まれた肩から、彼の隠しきれない照れが伝わってくる。
理性が言葉に喜んで、感情が羞恥と照れで混乱し、これまでの話を総合していた思考が筆舌しがたい衝動に砕け散る。
それまで流れていた時間が、唐突に止まったようだった。
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