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第1章
闇あれば光あり
しおりを挟む次に目を開けたとき、透火は森の中にいた。
辺りに雪は残っているものの、王都と比べると深さはなく、雪が降ってくる気配もない。陽が落ちたせいで空は藍色、足元の影は濃くなり地面との区別がつかなくなっていた。
持たされた魔石だけが、淡く輝く。
「……なんで、こうなるんだよ~」
頭を抱えたい気持ちで唸る。壱音だろうと基音だろうと、あんな逃げ方をしたら反逆者か何かと疑われるではないか。
(一体全体、どうなっているんだ?)
しかし、占音がもたらした情報は、透火にとって有り難いものだ。彼の言っていたことを信じるなら、今回の流れは透火を基音にするためのものと言える。
そもそも何もかもを信じたくはないのだが、こうまで流されてくると信じるしかないような気になってくるので困る。
一呼吸置いて、空を見上げる。
従者を辞めた今、例え透火が基音になっても、継承権を得た者同士での権力や力の差が生じることはない。何か言われるようなら、芝蘭が不利にならぬ様こちらが気をつければいい。
基音であれば、立場など気にせずとも彼を護れる。
「……地図、開くか」
提げた袋から地図と方位を示す魔石を取り出し、近くの木にもたれる。
地図をなぞりながらも、思考は止まらない。
占音は、紫亜の話に乗ったと言っていた。
彼の本来の目的は透火を基音にさせないことであるが、紫亜は基音にさせるつもりだった。
正反対の取り組みに乗って透火と接触し、彼はここまで透火を逃した。その可能性もあるが、種族について言及したのだから、紫亜の話に乗らない限り、彼は透火と接触する隙を得られなかったという可能性も十分にある。
とどのつまり、全ての元凶は紫亜だ。
握り拳を木に叩きつける。
「……むっかつく」
始まりを探すことは、不可能。透火が生まれる前から計画されていたことも有り得る。父親も、母親も、弟についてすら、彼は全て知っていた。意図して情報が遮断され、結果的に透火たちは、何も知らないまま育ってしまった。
芝蘭に引き取られたのは紫亜の意志ではない。
それは彼にとって好都合であったから見逃されたことであり、そうでなければ透火も弟もここまで生きてこられなかった。
(好都合って、なんだ?)
内乱を止め、一つの国にまとめあげた。自分の子が生まれて成人するまで、平穏な国を維持し続けた。
基音が味方をしたからといって、彼の評価がこれ以上高くなるとは限らない。
今回の基音が、再び空の神となるかはわからない。
(だから種族差別をして、可能性を広げた? まさか)
思考が落ち着いてきたところで、ある程度の場所が分かった。
王都の外というのは本当で、現在、透火は南地区と王都の中間に位置する森の中にいるようだった。南に行くほど気候の安定する大陸だ。雪の深さが違うのも、心無し暖かく感じるのもそのせいだろう。
このままここに居ても、飢えか凍死か野獣に襲われるのが関の山。地図と魔石をしまい、魔石の灯りを片手に跳躍した。
風魔法を利用して、樹上に到達する。遠くに民家か何か、集落でもないかと見渡す。
地図に記載されていたよりも森の規模は小さく、そう遠くない場所に目的の光を見つけることができた。
「行くかー……」
夜風が頬を撫でる。方向を定めて、さて降りようかと下を向いた。
「こんばんは」
目が、合った。
輪郭のぼやけた顔が、透火の足元に浮かんでいる。
「うわっ! ごめんなさい!」
「あはは、慌てないで、それは本体じゃないから」
幹にしがみついて足を浮かせた透火に、顔は笑って風に消える。
流れた方角、透火の背後を振り向くと、同じ顔をした青年と小柄の少女が浮かんでいた。
青年の髪は、光が少ないために判別がつかないが、おそらく白か銀。眼鏡をかけているせいで瞳の色は分からなかった。釣鐘型の外套で全身を隠しているものの、身の丈は透火と同じ程。
ふわふわと四方八方に跳ねた髪が、本人の気質を表しているように見えた。
「貴方は、占音に、ここまで飛ばされた」
一つ一つ単語で区切るように、少女が言う。
こちらも明るい髪色だが、薄暗闇のせいで茶色に見えた。人形のような胡桃型の瞳が、無表情に透火を見つめる。
町娘のような格好は彼女の顔立ちには地味であったが、そこらを歩いても誰も意識しないくらいの自然さがある。
「……誰?」
占音という名前に少しの信頼を置いて、尋ねる。
「俺たちはね、君を助けるように言われて、待ってたんですよ」
「そうなんですか……」
占音の仲間については、何も聞かされていない。
彼との共通点もなく、怪しい二人組とまではいえないにしろ、あまり近づかない方がいいのではとすら思う。
透火の心情を察したか、青年は眼鏡の奥に優しさを滲ませ、手を広げる。
「突然言われてもまあ、困りますよね。夜になってしまいますし、一先ず、俺たちの泊まる宿までどうぞ。逃げるも何するも、話を聞いてからでいいでしょう?」
応じる前に、彼の足元に魔法陣が現れ、風が三人を取り込む。
「こちらへどうぞ」
足元が木の枝から地面に変わる。目の前の景色が、民家の連なる村になる。
移動したのだ。
呆と突っ立っている透火の背中を、小さな掌が強く押す。
「早く」
「ご、ごめんなさい」
焦げ茶色の瞳に睨まれ、慌てて足を動かした。
仕事上、南地区まで来ることがあっても夜間に回ることはない。灯りをたよりに、見覚えのある街ではないかと建物を眺める。
案内された宿は、透火がこれまで見かけることはあっても、足を踏み入れることはないくらいに廃れた場所だった。
「これを着て」
遠慮なく表情で嫌だと訴える透火に、青年は自分の外套をまとわせ、顔を隠させる。宿屋の灯りでやっと、彼の神の色が薄い水色だとわかった。
煉瓦造の建物で、そう大きな宿屋ではない。ロビーにあたる場所は食堂兼酒場、肝心の部屋は二階に四部屋あるのみの、造も簡素であれば管理その他も雑そうな宿屋だ。
酒の臭さと酔っ払いの笑い声、食器や足音などの騒音に微妙な顔になる。同時に、今まで自分のいた環境が、いかに品のある、落ち着いたものだったかを学んだ。 少し、恋しい。
「さて、どうしようか」
部屋は一番奥にあった。外観と比べるとまだ綺麗な室内には、ベッドが三つと小テーブル、ソファがあり、小さなキッチンが備わっている。
「占音から頼まれている話を先にしてもいいし、君の話を先に聞いてもいい。選んでいいよ」
三人分の紅茶が、程よい飲み頃になる。
左右で瞳の色の異なる青年は、少女に紅茶を渡しながら柔らかい口調で話を切り出す。
透火も自分の分の紅茶を取った。
「……じゃあ、質問から」
「どうぞ」
にこやかに微笑んで、彼が手を向ける。
笑顔を使い分けて生きてきた透火には、その笑みがどういう類のものか嫌でも理解できて、乾いた笑いが溢れた。手早く済ませよう。
「貴方達は俺を基音というけれど、俺は今日まで、そういうことを知らないで過ごしてきました」
「だろうねえ」
「なので、基音とかそういうものについてと占音、さんの言ってた話について、聞きたいです」
名前を口にしたところで、少女が透火を筆舌しがたい形相で睨み、青年が目を眇めたので咄嗟に敬称をつけてやり過ごす。
透火も大概だが、彼らも大概、主人に一途だ。
「だいたいは占音が話すって言ってたけど」
「途中で兵士が乱入してきて、なぜか俺だけ飛ばされたんです」
「それは、彼らの目的が、貴方だから」
物静かに思われた少女が、口を挟む。
「占音が鈴を、奪う。貴方が、従者を、やめる。捕まえて、基音に、する」
「順を追って話したほうがよさそうだ。君は渦中のど真ん中にいるのに、知らないことが多すぎる」
全くもってその通りなので頷くしかない。
「……それだけ、愛されてたんだね」
付け足された言葉は、あえて無視した。
「種族関係なく存在し、受け継がれている創生虹記。あれがあるから銀の守護者は今も守られ、各種族は平等不平等を交互に繰り返して生存してきたわけだけど、基音・壱音・始音というのは、銀の守護者にとって命綱に等しい存在でもある。
だから彼らは集落に神の啓示を示す魔石を──神の石とでも呼ぶとして──置いている」
命綱、という言い方が奇妙だった。
「存在を感知したら、その魔石の欠片を使って、ヒトを宿した親に予言する。予言は本人とその周囲に伝えられるから、創生虹記の伝説がよく浸透している地域なら本人は庇護された。
そして、予言と同時に、彼らはその子の魔力を魔石に変えて持ち帰る。生まれた子供が成長し、力を目覚めさせても問題のない年頃になったとき、再び彼らの前に現れるためにね」
種族の特性によって力の目覚める年は異なるが、大抵はその種族でいう十五を過ぎると、銀の守護者が再び現れることになっていた。
占音は壱音として数年前に目覚め、始音に至ってはその前より力に目覚めていたという。
「基音に話を限定するよ。魔力を魔石に変えて持ち帰るという話だけど、何者かによって邪魔をされたという話だ。基音だけ、魔石を作れなかった」
「邪魔……?」
要するに、あれだけ信仰が浸透しているこの国で、銀の守護者に刃向かう者がいたということだ。
「困ったことに、魔石が揃わなかったことで、神の石が壊れ始めた。それが壊れてしまうと、銀の守護者は基音の存在を感知することも、神の啓示を受けることもできなくなる……ただの人間になってしまうわけだね。だから、銀の守護者はその国の王に話を持ちかけた。基音を探すため、基音を目覚めさせるために」
「それ……まさか、」
彼が俯くと、眼鏡に光が反射して透火の瞳を刺した。
「占音たちの種族はもとより、この国の王によって虐げられてきた。占音が壱音になることも知っていたはずだ。さらに、基音の存在を利用して、中立を守ってきた銀の守護者の立場を危め、引きずり落とそうとしている」
「占音は、それをどうにかしたいの」
予想以上に事は大きく、透火一人が気付いたところでどうにもできないほどになっていた。
彼らの話と占音の話を総合して、これまでの自分の生活を振り返る。国王についてできるだけの情報をまとめて、最後に占音の言っていた頼みごとを思い出した。強引に話の流れを作るとしたら、それしかない。
「そのまま基音を目覚めさせず、種族の争いを止めて、……率直に言って、平等にすればいいんじゃないか、ってこと?」
「そう。この国だけじゃなく、この世界自体が創生虹記に縛られている。それを払拭すれば、こんな理不尽で意味のない争いもなくなるかな、と」
「無茶にも程がある」
「無茶でも、占音なら、叶えられる」
キッと少女が睨む。
「占音は、先代の壱音のために、種族からも阻害されてきた。でも、問題はそこじゃない。根本から叩かないと、ダメだって」
「……私情はそこらへんで止めておくとして。そういうわけで、よかったら協力して欲しいわけだね。
直ぐに返事が欲しいとは言わないけれど、」
少女の前に手をかざして、青年が少女の気を削ぐ。それからゆっくりとカップを置き、一呼吸置いてから立ち上がった。
部屋の中を照らす明かりが揺れる。
「第一王子は今の所無事で、予定どおり南地区までいらっしゃるそうです」
文字盤を見つめながらそう言い、青年は見上げた透火に微笑む。嫌な顔だ。
「交渉する以上、相手の事は知っておくべきでしょう?」
「どういう意味だ」
「彼が国務を終えるまで待つ……と言いたいところだけど、困ったことに、どこの手のものか、国務を阻害しようとしている者がいるようだ」
「……その情報を渡す代わりに、俺に従えって?」
「そう。俺たちも、占音に無駄骨を折らせたくない」
伸びてきた手を払い、殺気を感じて椅子を立つ。
「主人が今この時もひどい仕打ちをうけているかもしれないのに、何もできない屈辱を君はよく知っているでしょう?」
青年の怒りは、殺気は、透火に向けられたものではない。今直ぐにも主人の元に駆けつけたい自分を、抑えているのだ。
震えて自分までもを傷つけかねないその腕を少女が抑え、小さく呟く。
「お願い」
今度ははっきりと、聞こえた。
「占音を、助けて」
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