虹の向こうへ

もりえつりんご

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第1章

過去には戻れない

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 月読との話を終え、透火が紅茶を入れ直す頃。
 三人と一匹の話題は昨夜のことへ移っていた。
 芝蘭と透火が盗人と対峙したところに乱入した、銀の守護者。銀竜と少女の姿に三人が気をとられたのも束の間、先に動いたのは盗人だった。
 隙を逃さず、扉を押し開き外に出る。彼は勿論、銀鎖の鈴をその手に持っていた。

「待てッ!」

 雪は止んでいたが、急激な温度変化に室内に小さな風が起こる。外壁に沿った階段。そこに点々とついた足跡を追って透火は最上階へ上がった。
 天窓を守るための硝子体が中央にあるだけ、何の変哲も無い屋上だ。王族の敷地内でも隅の位置し、晴れた日なら遠くに外塀が視認できる。外塀は優秀な部下が魔法をかけており、正門以外での物体および人の出入りは不可能となっていた。
 塔の近くには林もあるが、この雪深い夜だ。一晩越す前に凍死するのが関の山。
 実質、追い詰めたと言っても良かった。

「逃がさない」

 寒さに唇が震えそうになるのを堪え、剣を構える。

「金髪か」

 月の光を背にして彼は言う。言われてようやく、自分の被り布が消えていることに気付いた。
 それまで凪いでいた風が、再び吹き荒れる。

「お前が『トウカ』だな」

 じり、とわずかにつま先に重心を寄せる。名前が知れていたとしてもなんら不思議はないが、盗人の言い方に不信感が募る。

「弟は自分と違って、生まれた時から首元に魔石を持つ……とかな?」

 聞き返したい気持ちが動く前に、足を動かした。床を蹴って、大きく距離を詰める。突きは攻撃力があるものの避けられやすい。盗人が重心を傾けた片足を捕らえて、足払いをかける。

「図星か? それとも人違い? なわけねえよなあ」
「答える義理なんか、ない!」

 態勢を変えて、相手の右脇に踏み込む。銀鎖の鈴は右手に巻きついてあり、短剣も何も持っていない方を狙ったのだ。腕の一本、もらうつもりで。
 だが、剣を払う前に、腕を足で押さえられた。

「無茶する時は見定めろよ、ガキ」
「ッぐ、」

 そのまま手首を足がかりにして、盗人の蹴りが側頭部に入る。首を傾けて衝撃を逃すも、直撃に近い。
 頭を揺さぶられ、力が抜ける。唇を切ったか、口の中に鉄錆の味が広がった。

「透火!」

 芝蘭の声が、夜空に響く。

「またお前か」

 雪にうずくまる透火の耳に、青年の溜息が落ちる。前髪を引っ掴み、盗人に顔を上向かされる。

「お月さんはどこでも人気者で困るな、トウカ」

 漆黒の髪と、同じ色の瞳だった。声の割に大人びた顔つきで、体格の割に力があり、顎を掴まれると骨が軋んだ。
 青年が口を開こうとしたところで、炎球が飛んでくる。 

「おっと」
「離れろ」

 青年に突き飛ばされ、後方に尻をついた透火を、主人の声が支えた。息を乱しながらも、芝蘭は術符を構えて次の攻撃に備えている。

「そこは『返せ』って言っておくとこじゃねえ?」

 熱で溶けた床に手をつき、立ち上がる。守られていては意味がない。透火は守るべき立場の人間だ。
 指先で炎の紋章を描き、掌をかざす。
 狙い定めるは、盗人の右腕。

「『火は熱を 熱は風を』」

 轟と塔を中心に熱風が吹き荒れる。無数の炎の矢が空間に現れ、透火が構えると同時に放たれる。

「『風に呼ばれ 水は巡る』」

 透火の紡いだ祝詞に重ねて、新たな言葉が付け足された。足元の水が宙に浮かび、炎の矢を残さず押しつぶす。

「なっ──」

 魔法で負けたことなどない透火は、その圧倒的な速さと力に驚いた。

「基音しか太刀打ちできねーよ。じゃーなっ」
「っ待て!」
「お前こそ待て!」

 後を追わんとした透火の腕を芝蘭が掴む。
 止められた理由が分からず、振り払うように彼を見る。咄嗟のことで、表情を取り繕うこともできない。

「なんで?」

 吹き荒む風に、白い息が流れる。

「いいから、中に、戻るぞ」

 たった一発の攻撃魔法ですら体力を消耗する彼の姿に、透火はどうしようもない悔しさを覚えた。
 芝蘭は生まれつき魔力が弱く、術符や魔具がなければ魔法が使えない。得意な魔法も状態異常を起こすものばかりで、大々的に使うものではなかった。
 そんな芝蘭を前に、透火を圧倒するばかりの魔法を見せつけたあの青年。

「……いっ」

 気を抜いた一瞬、芝蘭の大きな手が頬に触れて悲鳴にならない声をあげる。痛みに肩が竦んだ。

「……ソニアに頼んで、早急に迎えの兵を呼べ」

 舌打ちの後、解放されたかと思えば、今度は手首を掴まれる。
 引きずられるようにして塔の中に戻ると、そこには先程の銀竜の姿はなく、小型の銀竜が少女の隣に浮かんでいた。
 手を離し、芝蘭が透火の背中を押す。戸惑い振り返るも、彼は透火を見ずに少女の元へ歩いていく。収まりきらない感情を抑えて扉に向かう。
 ソニアはあの状態だ、透火が呼ぶしかない。

「すまない。待たせた」

「構いませんわ。こちらも早とちりで邪魔をしてしまいました」
 身長差がある為、少女は顎を持ち上げないと芝蘭の顔が見えないようだった。少女の苦労を思ってか、一歩引いたところで芝蘭が言う。

「どういった理由でこちらへ?」
「月のない夜が近付いておりますので、こちらはどうかと様子を見に来ましたの」

 二人の会話を聞きながら、壁に手をつく。
 青家の敷地には、王城の他、小さな城が幾つかと小さな塔や砦が点在している。その為、どの場所でも共通して、太陽の沈む方角の壁に通信用の魔石を飾ることが決まりとなっていた。天窓を見上げて、魔石の位置を定める。
 壁伝いで魔石までたどり着き、素早く魔力を込めた。光が明滅し、向こう側で待つ兵士が応答する。

『どうしましたか?』
「侵入者がいました。急いで兵を連れてこちらに」
『承りました』

 手短に用件を告げて、通信を切る。

「壱音、始音は既に目覚めたと聞いております」

 透火の背後で、銀の少女が告げる。

「始音は前回の者がそのまま引き継いだようですわ。

 壱音は監視の目を欺いて活動していると。目覚めていないのは基音だけ。情報は日々共有されますの、他のふたりが基音の目覚めを阻害せぬよう、僭越ながら私が……失礼」

「それが、お前たちの役目なのか」

 らしからぬ声に振り返ると、険しい顔をして芝蘭が少女に問い詰めていた。
 銀の守護者は口元こそ掌で隠しているが、表情に配慮することもなく目を細め、静かに瞬きをする。
 長い銀色の睫毛が、場に似合わず月光に輝いた。

「全ては、空の神が願うように」





「それで、基音が目覚めなければ、どうなるんですか?」

 ティーカップを並べながら、透火は尋ねる。
 落ち着いた漆塗りの長卓は楕円型で、芝蘭とハークは向かい合うようにして座っている。二人の間には使用人が持ってきた三段トレイが置かれてあり、ジャムの甘い香りが鼻先をくすぐる。
 銀竜にスコーンを差し出し、ハークはサンドイッチを取って自分の小皿に移す。芝蘭は紅茶を取ってから自分の隣の席を指した。
 透火が席についてようやく、ハークが口を開く。

「力が目覚めなくとも、ヒトは役目を果たさねばなりませんわ。役目を放棄すれば、そのヒトを崇める種族には報復が」
「つまり、基音を目覚めさせなければ、種族は衰える」
「そうですわね」

 前回戦争にまで発展したヒトの役目争いは、心魔が勝つことで終結した。
 最初に負けたヒトは、壱音。彼に属した珠魔は、百年経った今もなお種族の衰退を続けている。
 基音が目覚めず、役目を放棄すれば、次同じ道を辿るのは透火たちの種族だ。

「基音・壱音・始音は、銀の守護者により力の制御を解かれると、本来の力を取り戻します。
 元より、彼らは魔力や身体能力などが高い肉体を持っており、解放された後でも生きていられるのは、そのためだとか」
「器がもともと大きく作られているから、魔力が溢れても壊れない、と」
「ええ。貴方達の種族は智慧こそ恵まれていますが、膨大な魔力に耐えられるほどの肉体を持ちません。もとより、基音だけが違うということですわ」
「褒められているのか貶されているのか、悩む台詞だな……?」

 辟易とした顔で芝蘭がスコーンを口にする。紅茶で喉を潤し、ハークはサンドイッチを一口かじる。
 小鳥の啄む姿を彷彿とさせるのは、透火が同年代の異性と触れ合ってきていないからだろうか。
 仕草の一つ一つが微笑ましく、頬が緩む。

「熱っ」

 自然な動作で淹れたばかりの紅茶を口にした。
 女性の手前、吐き出すことは堪えられたけれど、喉の奥から内腑まで熱の塊に侵食される。猫舌であることを失念していた。

「馬鹿。お前は熱いまま飲めないだろ」
「間違えた……いっつ」

 火傷の痛みに顔をしかめると、今度は切った口の端が痛む。泣き面に蜂ではないけれど、思わぬ痛みの連鎖に透火は柳眉を下げた。
 冷やすための水を取りに席を立つ。

「慌ただしくてすまない……二度目だな」

 これほど彼のため息が耳に痛いと思うことはなかった。口の中を冷やし終え、静かに席に戻ると、話が再開される。

「このままでは、大地は割れ、人間は空と海に呑み込まれると言われております。早急に基音を目覚めさせなければ、世界は混乱に陥ることでしょう」
「他のヒトの出方にも寄るだろう」
「話によれば、壱音は共生派。戦を起こす気でいるのは、始音。種族内でも内乱が続いており、かなり困窮している状態だそうですわ」
「基音の目覚めを邪魔して有利なのは、後者か」

 二人を中心に、話は進む。透火が席を共にするのは命じられたからだが、話に乗ることは許されていないのでどことなく居心地が悪い。
 ハークの隣でビスケットを食べる銀竜だけが透火の味方だ。親愛の気持ちも込めてそっとパウンドケーキを乗せた小皿を差し出すと、ご丁寧に鼻先で突き返された。とても、かわいくない。

「銀鎖の鈴ですけれど、銀竜によれば、そう遠くは行っていないとのことですわ」

 自分のことが話題に出て嬉しいのか、銀竜が尻尾を揺らす。

「敷地は広い、探索に数日はかかる。できれば外回りの前にカタをつけたいところだな……」

 ハークの告げた情報に半分安堵し、半分険しい顔をして芝蘭が言う。後半は独り言も同然だった。
 芝蘭の誕生式典で行うべき儀式は、昨日で終了している。
 ただ、この季節はどうしても人々が外出する機会が少なくなる。王都周辺は貴族が多い分、冬の生活に支障は少ないが、王都より離れた町村では食糧など必要物資が枯渇しやすくなる。
 盛大な祝いで人々に活気を、それと同時に必要な食糧物資を王城から配給していくことで、王族は立国後も支持を得ていた。
 彼が話しているのはその一部、南地区での配給だ。南地区は、五つある地区の中で最も住人が多くかつ貴族より下の身分、労働階級が大半を占める場所である。
 継承権を得た王族繋がりの人間は他数名いるが、彼らは中流階級以上の人間に手を回して支持を得てきた。そこで、芝蘭はあえて彼らと競わない形で、下流階級より下の身分の者を優遇していた。
 その為、南地区訪問及び物資配給は、彼にとって大きな意味を持つ。
 今後の王位継承にも関わることでもあり、欠席するわけにはいかない。従者として透火も勿論、参加するつもりだ。

「……本当に、基音は見つかっておりませんの?」

 ハークの言葉に、隣で紅茶を飲んでいた芝蘭の空気が変わった。それがわかるのは、隣に座っているからか、単に透火の考えすぎか。
 確かめたい気もするが、今はまだ素知らぬ振りを決め込む。

「ああ」
「私たちは、ヒトが誕生する前に予言を告げに参ります。それに、鈴の音はどう説明しますの?」
「この国が混乱時期の話だ、言い伝えられていることもない。鈴は、相手が始音か壱音の関係者なら、十分にあり得ることだ。でまかせかもしれない」
「まあ、そうですわね」

 青の瞳が伏せられ、隣の銀竜と視線が重なる。
 おそらく、この場にいる全員が同じことを、乃至その可能性を考えているだろう。ハークは確信が薄く、芝蘭は何かの意図でもって語らず、透火は芝蘭のために口を噤む。

『見つけたぞ、基音』

 青年は、透火を見つめてそう言った。考えられるのはなにも、彼が壱音や始音の可能性だけではない。
 もし、鈴を託された芝蘭がいるだけで鈴が鳴る仕組みなら、消去法で誰が基音かわかるというものだ。

「鈴を鳴らせる者は一人だけと決まっている」
「そっか。芝蘭に託された鈴だったら、他の人が鳴らせるわけないよね」
「……そういうことだ」

 昨日の演説を思い出して相槌を入れるも、芝蘭は透火から視線を逸らしたまま頷く。そのわざとらしさに何か読み間違えたかと不安になる。
 微妙な沈黙で部屋が満たされようとした時、空気を変えるように扉が叩かれた。失礼します、と挨拶をして入ってきたのは、九条日向だ。

「どうかしたのか」
「国王様より透火くんの呼び出しを承りまして」
「分かりました」

 救いの主だと思った。
 この気まずい空気を変える意味でも逃げる意味でも、国王からの呼び出しは透火にとって都合がいい。

「銀の守護者の方ですね、初めまして。お食事中にすみません」 

 日向は長卓より一歩離れた場所で礼をした。

「私は九条日向と申します。普段は芝蘭王子の騎士、しばしば従者補佐となることもあります。王子の元で過ごされるようでありましたら、顔を合わすことも増えるでしょう。以後、お見知り置きを」
「初めまして、九条様」

 二人が挨拶を交わし合ったところで、部屋を出ることにする。彼の分の紅茶は用意していないが、召使に頼めばいいだろう。

「それでは失礼します」
「透火」

 笑顔と早口の挨拶で取り繕い、扉の前まで来たところで、呼び止められる。

「お前は俺の従者だ。忘れるなよ」

 はっきりと力強い言葉を使うくせに、瞳が揺れている。それは王族としてこの場所で生きてきたからこその癖で、声音に現さないのは彼の見栄だ。

「分かっていますよ、王子様」

 なるべく柔らかに微笑んで、不安を掬いとる。
 一礼を置いて、透火は部屋を出た。通りすがりの使用人に声をかけてから、先を急ぐ。
 向かう先は、玉座の間だ。
 つい少し前に通った廊下を戻りながら、頭の中を整理する。あの場では助かったとはいえ、賢王と呼ばせしめる相手に呼ばれたのだ。間違いなく、呼ばれた内容は銀鎖の鈴と従者の職務について。
 自然、気も引き締まるというものだ。
 隙を見せれば付け込まれる――透火が紫亜の手にかかれば、芝蘭やソニアにも影響が出る。そう考えれば、余計に緊張した。
 なんとしても、避けなければならない。
(やっぱり、昨日の盗人は捕まえるべきだよな)
 選ばれた者しか鳴らすことのできない銀鎖の鈴を、いとも容易く鳴らせてみせた長髪の男。
 彼は透火を探して、あるいは透火のことを『知っている』ようだった。普段、透火は自身や芝蘭の利益になることが多いために金髪金目を隠さない。他人にも気軽に名乗るし、弟の存在についても隠すことは少ない。
 だが、弟の所属や、透水の身体に透火や他の人間とは異なる物が付随していることは、誰にも言ったことがなかった。
 首元の宝石。他種族の特徴とも言われるそれを透水は持っていて、幼い頃から飾りや襟で不自然に見えないように誤魔化してきた。
 理由は、二つ。子供にとって自他の違いは小さなものだが、周囲から見たとき、差は大きく映る。偏見や謂れのない理由で、学校に通うことに支障が出るのは嫌だと透火は思うから、隠すことを教えた。
 そして、もう一つ。

「おはようございます」
「おはよう」

 まだ十も満たないだろう幼い少年が、にこりと微笑んで通り過ぎる。手紙の入った鞄から察するに、今回の式典に出席した貴族たちへの御礼状だろう。
 小綺麗な格好に、見目の整った可愛らしい顔。
 そして、手の甲の魔石。
 彼は王族気に入りの小姓で、他種族の子供だ。
 生命の輝きと称される身体に付随する魔石。それは透火たちの種族でいう心臓に値する。
 珠魔は、魔力のみで生きる種族と考えられている。一つの魔法に特化し、身体機能が他の二種族よりも高く、短命。先の大戦でかなりの数が戦死し、さらにはその繁殖能力の低さのために、今では最も数の少ない人種だといわれている。
 それが、彼らの身体に宿る魔石の価値を高くした。
 彼らの住む場所は、この大陸から南東の方角、海峡を挟んだ向こう側の小さな島にあった。そこから見目のよく従順な子供を買い、こちらの大陸で奴隷として売りさばく。そういう商売が、今もある。
 敗戦した結果とはいえ、なかなかに容赦がない。敗戦後数十年の間に数が急激に減ったため、渡航制限が設けられて二十年。現在は王族と一部の貴族しか渡航が許可されておらず、新たな奴隷の輸入も制限されている。それでも、種族は衰退の一途を辿っている。
 透火たちの種族は、一部を除いて彼らを下等種族と見なす傾向が強い。小姓として働いている彼も、どこか市場で売買されていた奴隷の子供だ。王族に仕えている以上、他の奴隷と比べて生活はまともなほうだが、怯えた空気を纏って見えるのは、透火の考えすぎではない。
 弟の特徴を隠すことを決めたのは、そのためだ。
 決断をしたのは紫亜だが、おかげで今、彼は普通の人間としてここで生活できている。うまくやれている。 他に思うところはあれど、弟が不都合を被らなくてよかったと思ってしまう。
 種族が違ったとしても。
(複雑だ……)
 透火の身体には弟のような魔石は何もない。顔形が似ているだけで、髪や目の色も異なれば体格も異なる。誰かに聞いていたとしても、一目では透水が透火の弟だと見抜けるはずがないのだ。だから、透火と透水について知っていること自体、おかしい。
 式典の時から、少しずつ嫌な変化が生じている。
 よくない何かが、始まろうとしている。

「国王様よりお呼びいただきました、直井透火です」
「中へ」

 扉の両脇に控える近衛兵に名乗ると、彼らは槍を片手に扉を開く。会釈をしても反応はない。
 場所を守る兵士と、人を守る軍人と、ここではどちらも存在し、どちらも地位の区別はない。とはいえ、個個人の思惑までは操作できないもので、透火の見るからに若い外見に、大抵の兵士は良い顔をしなかった。
 扉が閉まり、空間に一人になる。

「遅かったな」
「こんにちは、ルーカス卿」

 一人ではなかった。部屋の中央へ進み、膝をつく。

「国王様よりお呼び出しいただきました」
「来たか」

 裾の端から現れた紫亜が、ゆったりとした動作で玉座に着く。

「ソニアとお前のことで、少し話がある」

 予想外の話題に、目を見張った。
 ソニアと並べられたということは、芝蘭の従者として何か問題があったということだ。

「……昨夜の件でしょうか」

 慎重に、言葉を選ぶ。さっきの今でその話を持ち出すのなら、考えられるのはソニアが途中で寝てしまった件だ。
 芝蘭にも伝えてはいるが、彼女は昨晩の蜂蜜酒の件で午前は休みとなっている。彼女が出勤してから事情を聞こうと考えていたが、先に連絡をつけておくべきだったかもしれない。
 紫亜が薄く笑う。それだけでぞわりと肌が粟立つ。

「あの蜂蜜酒には毒が入っていたらしい。微量で、睡眠効果が主な毒だ。……大量に飲めば致死する、確かな毒だがな」

 毒、という一言に本来起こりえた出来事が想定できて、肝が冷える。

「ソニアが最初に飲んだことで、あれが毒を口にすることはなく済んだ。身を以て守ったとみても、悪くはない話だ」

 頬が一瞬、引きつった。
 エドヴァルドの顔色がやけにいいのはそういうことか。表情には出さずに、心の中で舌打ちをした。おそらく、きっと、いや確実に、エドヴァルドが紫亜に口をきかせたに違いない。

「先程言ったように、ソニアの件はあれに任せた。再び面倒をかけるようなら、従者の地位は剥奪するがな……それは透火、お前にも当てはまる話だ」
「申し訳ありません」

 立ち入りを許されていない場所とはいえ、主人を危険な目に合わせたことは間違いない。

「お前は、あの青年とは顔見知りか」
「とんでもございません。初対面にございます」

 それは、青年が透火の名を知っていたことを指しているのだろうか。あの場にいなかった彼が、どうしてそこまで知っているのか。疑問が脳裏を駆け抜ける。

「お前が従者として果たせることは、何だ」

 目を伏せると、紅色の絨毯が視界に入った。
 その上にある自分の脚は空色に覆われている。 
 透火は芝蘭の従者として、その色を身に纏う。主人を守り、支える存在として、隣に立つことができるように。それが透火にとって、恩を返す最善の手段だった。
「銀鎖の鈴を、取り戻すことです」
 言ってから羞恥に顔全体が熱くなる。
 従者の責が主人の責となるのなら、責を取り返すことも道理となる。一を失ったから一を取り戻す。
 とても単純で、何の捻りもない発想。
『お前は俺の従者だ。忘れるなよ』
 それは本当に、彼の望んだ役目だろうかと思ってしまった。

「──」

 開きかけた口を閉ざす。この場に彼は居らず、透火に問うているのは上司であれど主人ではない。
 運良く、紫亜には気付かれなかった。

「分かっているならそれでいい。期限はあれが南部から戻るまでだ。急ぐことだな」
「はい」

 話は終わりかと、小さく吐息する。 
 ここでは、国王が退席してからようやく動くことが許される。後は紫亜たちが出るのを待つだけと、透火が頭を垂れたときだ。

「一つ、お前に聞きたいことがある」

 衣擦れの音がして、紫亜が立ち上がったのだと分かった。歩きながら、彼は話を続ける。

「もし私が、基音を味方に付けたがためにあれに継承権を与えるといえば、お前はどう思う?」

 顔を上げれば、壇上を降りた紫亜が横目でこちらを見ていた。エドヴァルドが錫杖を手渡し、紫亜は一歩進む。部屋を出るまでの時間に答えろということだろうか。 ︱︱判断を下すのに、それほどの時間は必要ない。

「国王様は、御子息について些か評価を誤っていたのだと思います」
「何故だ?」

 遠い場所で、紫亜が問う。衣擦れの音、エドヴァルドの咳払い。完全に紫亜がこちらを振り返ったとみて、口元の歪みが酷くなる。
 笑顔でなければならないこの世界で、笑わないように意識しなければならない時があるなんて、透火は知らなかった。

「芝蘭王子は、ご自分の力でその座を手にすることのできる御方です」

 知らない表情を見ることが、こんなにも愉しいことだと、思わなかった。

「貴様、国王になんと無礼な!」
「従者の願いは主人とともに、主人の願いは国とともに。どうぞ国王様には、」

 全てを言い終える前に、錫杖が床を打ち鳴らす。

「下がれ」
「は。失礼します」

 彼にも感情があったのだと、ぼんやりと思った。
 立ち上がり背を向けると、扉までの距離がとても長く感じる。全身に感じる緊張が心地よくてそこから抜け出したくない気になる。
 高揚感とはこういうものなのだろうかと、現実味のない自分が考えていた。
 進めば距離は近くなる。扉の取っ手に手を伸ばし、ゆっくりと握り込む。扉を押し開く。

「親が親なら、子も子だな──」

 隙間から投げられた言葉だけを拾って、玉座の間を後にした。

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書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

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