虹の向こうへ

もりえつりんご

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第1章

月読の塔へ

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 聖光国の冬は長い。
 土地柄、春と冬の二つの季節で巡るためだ。芝蘭の誕生日は冬の終わり頃、春を望む世界が冬の厳しさを恋しく思う時期になる。
 昼間は澄んでいた空も太陽が西に傾き始めるとともに曇り始め、夕暮れ前にはすっかり曇天になっていた。今朝方積もった雪がなくならないうちに、追い討ちのように雪が降り始める。 
 透火は、自作のマフラーを首元に巻き、軍から支給された濃紺の外套を羽織った。
 赤色のマフラーに白毛皮の外套を着たソニアが後方を振り返り、待機していた使用人の手を借りて洋燈に火を灯す。透火は別の者から温かい水筒と布袋を受け取る。布袋の中には容器が入れられており、もちろん三人分入っていた。
 雪深いこの地域では、夜間は相当冷え込む。
 被り布で頭部を覆った芝蘭がソニアと透火の後ろに並んだ。 

「行くわよ」 

 門扉を開けると、凍えた風がさっと頬の熱を奪う。 
 月読の塔は王城より北東に位置する。
 その名の通り、月読が月を読む場所で、月を観ることで明日の天気や作物の収穫、少し前の時代には戦の吉兆を占ったという。紫亜が王位についてからは専ら気候を占うことに使われ、あるいは、今日のように式典で使用した宝飾を保管する場所として利用されていた。 
 利用できるのは、王族より許しを得た者のみ。
 実質、月読と呼ばれる神官二人と、紫亜と芝蘭、そして透火とソニアの二人の従者に限られている。  
 王城は小高い丘の上にあり、月読の塔はその坂を越えなければならない。歩くに連れて雪は深くなり、皮で放熱を遮断したはずの長靴から体温を奪いとっていく。

「寒い!」
「もうすぐだから踏ん張れ、ソニア」 
「わかったわよ~、もう」 

 そうして、同じような会話がもう一度繰り返される頃、三人はようやっと月読の塔に到着した。 
 風が強くなり、白い息が流れる。 
 赤茶けた煉瓦で組み立てられた砦は、ソニアの持つ洋燈の光を淡く反射して、闇の中に薄ぼんやりと建っていた。入り口の両側に並ぶ蝋燭に火を分け、三人は砦の中に入る。壁伝いに火を灯すにつれ、部屋は明るくなっていく。 
 一階は、かつて戦争で使用された王族の武器が保存されており、透火は勝手に武器庫と呼んでいた。国が国として機能するまでの戦に使用されたものもあれば、今より百年以上前の大戦で使用されたものもある。 中に入ることの出来る者が限られるため、基本的に従者が砦の掃除を行った。呪い道具や拷問器具などがひょっこり顔を出すので、日中とはいえ、薄ら寒い思いをすることもしばしばだ。夜となれば、尚のこと。
 しかし、二階はまた別だった。 

「行ってくる」 
「行ってらっしゃい」 

 芝蘭の背中を見届けて、透火とソニアは外に出る。 
 入り口から入って、左奥の部屋。唯一小窓が設えてあるそこには、二階へ続く螺旋階段がある。
 階段を上った先に扉があり、開くと円形の広間に出る。そこが、王族と一部の者しか入ることの許されない、宝飾品を保管する祭壇の間だ。透火たち従者もその場所への立ち入りは禁止されており、破れば重い罰が科せられると忠告されている。

「なんでわざわざ寒い外で待たなきゃいけないのよ」 
「俺に言われてもなあ……」 

 王族が祭壇に入るとき、砦内には誰一人として居残ってはならないという忠告がある。 
 宝飾品は古くから伝わる魔法具であり、それらは一日身につけていただけで、持ち主の魔力に馴染む。すると、持ち主が魔法具を手放す時を危機に陥った時と勘違いし、魔法具の方が主人を護ろうと近くにいる者を攻撃してしまうらしい。
 理に適っている魔法だが、それでは、昔の人は四六時中それを持ち歩いていたのかと思うと、なんとも言えない微妙な気分になる。 勿論、近くで魔法を使用することも禁じられている。魔法具が反応しやすくなるためだ。

「身を守る為だと思ってさ。蜂蜜水飲む? 温かいよ」 
「それは芝蘭のでしょ」 
「そうでもないよ。ほら」 

 話を変えるついでに一息つくべく、持ってきた容器に中身を注ぐ。水筒に炎魔法がかけられていて、中身はまだ熱をもっていた。
 湯気が立ち、檸檬の香りが漂う。 
 口を尖らせていたソニアだったが、差し出されると大人しくそれを受け取った。
 ふうと吹き冷まし、そっと口を付ける。二つに結わえた髪が仕草に合わせて揺れる。
 そうしていると、まだ可愛い方なのに。横目に彼女を眺めながら、透火も自分の分を吹き冷ました。猫舌だから直ぐには飲めないが、手指を温めるには十分だ。手袋のお陰で火傷をすることもない。
 風は冷たく、被り布の下でも耳の感覚が遠い。
 手元の容器とソニアの持つ洋燈しか熱を分けるものはなく、魔法を使ってしまいたい衝動に駆られる。
 しばらくの間、風の音だけが響いていた。
 雪は音も無く降り積もり、静寂を呼ぶ。
 帰りは魔法を使うのだし、芝蘭が帰って来たらさっさと帰ろう、と少し先のことに意識を飛ばして、現実の厳しさを忘れる。
 やがて風が凪ぐ頃、透火はふと彼女に声をかけた。 

「ねえ」 
「なに」 

 マフラーの中に口元を隠すと、白い息が溢れて宙を舞った。なんとなく、彼女の顔は見れない。 

「ソニアはさ、どうして芝蘭と結婚したいの?」 
「はあ!?」 

 芝蘭は今日で、ソニアに至っては数ヶ月前に誕生日を迎えており、揃って二十二歳になる。
 貴族の嫡子は二十歳を過ぎる頃から見合いや結婚を考え始めなければならないという。
 芝蘭はさておき、ソニアにはそういった話が既に出ているものだと数年前までは思っていた。
 けれど、今なお彼女は従者を続けており、彼女の家の大黒柱は芝蘭との婚約を望んでいる。王子との婚姻以外は考えないのだと推測するのは当然だ。
 何も、彼女が芝蘭を好いていることにどうこう言いたくて訊いたわけではない。言うつもりはないが、公私混同は避けておいた方がいいと思うだけだ。
 芝蘭がそれに応じるつもりでも、立場を利用して近づけば王子を簡単に籠絡できると示してしまうような気がして、嫌だった。
 周囲からの評価も、良くはなるまい。

「好きだから、一緒にいたいと思うのは当然でしょ」 

 冷ややかな風に負けず、はっきりと彼女は言った。 

「お祖父様が、大丈夫だと仰ったもの」 
「そっか」 

 雪の中に沈黙が落ちる。 
(面倒だなあ……) 
 ソニアの祖父・エドヴァルドにも、透火はあまり良い印象を持っていない。他人の、孫の恋慕ですら利用して王族に関わろうとする明け透けな態度や、その強引さが好きではないのだ。本人が満足すれば、他人を利用してもいいと思っているのだろうか。
 気に入らない。
 それはあちらも察しているようで、だからこそ昼間のような嫌味や皮肉が飛んでくるわけである。 

「あの子を、幸せにしたいの」

 透火の沈黙をどう受け取ったか、ソニアは真っ直ぐに空を見上げて言い切る。

「ソウデスカ……」 
「なによ!」 
「なんでもないよ」 

 鳥肌の立った腕を、布越しにさする。恋慕に突き動かされるとは、どんな感じなのだろう。恋愛の類とは無縁に生きてきた透火には、彼女の気持ちは理解し難い。
 たった、十六年。芝蘭と出会い、十二年の月日が経ったが、透火が生きた年数などたかが知れていて、その時間の大半は今隣にいる彼らと過ごしてきた。
 拾われたあの時からずっと、透火の世界は変わらない。変わらないのに、こんなにも違っていた。
 目線を明後日の方向に逸らして、そろそろ飲める温度かなと容器に口を付ける。が、直ぐに容器を遠ざけた。容器から溢れた液体が、ばしゃっと雪の上に散る。 

「なにしてんの?」 

 鼻をかすめた香りが信じられなくて、水筒を開けて中身を戻す。今度は水筒に鼻を近付けて、香りを嗅いだ。やはり、そうだ。 

「これ、蜂蜜酒ミードじゃん」 
「そんなことないわよ。美味しいもの」 
「美味しいかどうかは判断材料にならな──うわ! ソニア、顔真っ赤だよ!?」 
「はあ~? そんなわけないでしょ……っと」 

 近付く彼女の身体が傾いて、透火の方へ倒れた。 

「うわ、ちょ、ちょっと」 

 重いとは言えず、肩口を掴む。酒特有の匂いに顔が引きつった。

「なんか眠くなってきた……ふあ」 
「寝ないでよ……あとさ、水筒溢れるから、起きて」 
「おやすみなさい……」 
「えっ本気なの!?待って待って待ってソニア!」 

 耳元で叫んでいるはずなのに、彼女はあっという間に安らかな寝息を立て始める。ソニアに抱きつかれたまま、透火はなんとか水筒と容器をしまった。 

「全く……、なんで気付かないかな」 

 この国では、十八を越えれば酒を飲むことが許される。飲み慣れている者でなくとも、酒特有の香りに気付いてもおかしくない。それなのに、この体たらく。だらしないまではいかないにしても、従者として役に立っているとは思えない。 
 頭の中で巡る数多の文句を溜息に変える。

「よい、しょ」 

 身長差は言うほどないので、抱き上げるよりも肩に腕を回した方が動きやすい。背後の扉を押し開け、ソニアを中に運んだ。中にいても危ないが、外にいても凍えてしまう。階段の扉越しに声をかけて、芝蘭に事の次第を伝えた方が早いと考えた。 
 近くの樽の上に座らせる。毛布か何かを掛けてやりたいが、生憎ここは武器庫でそういった物は見当たらない。 
 仕方なく、自分のマフラーを膝にかけてやった。 
 これでいいか、と腰に手を置き背筋を伸ばす。水筒と容器をソニアの膝上に置いて、身を軽くした。
 一先ず透火は、芝蘭の元へ行かねばならない。彼が全て魔法具をしまい終えた後であることを願いながら、慎重に行こう、と気を引き締めた。
 階段の方へ上体を捻る。不思議なことに、雪が降っていても、あの階段はいつも仄かに明るかった。 室内の明かりもまだ十分で、足元だけ気をつけようと壁に手をつき視線を落としたとき。
 さっと、視界の端で、月明かりが消えた。
 驚いて顔を上げるも変化はなく、影が通り過ぎたのだとわかる。

「……芝蘭?」 

 応じる声はなく、聞こえるのは微かな足音。
 片手に柄を握り、頭にはいつでも詠唱できるように祝詞を並べる。
(侵入者だ)
 透火は急いで、階段を駆け上った。

 
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