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第五話 怪獣香水を調合せよ
第五話(4)
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島崎にしてみれば嬉しすぎるのだろう。ビールを追加して一人で二瓶をさくっと空けてしまった。
それを見て岡田が不思議そうに尋ねた。
「島崎くん飲めるんだっけ? 今まで見たことないわね」
「僕は飲めるんですが、実は大学院の時に飲み過ぎて助教授を殴っちゃって、それ以来遠慮していました」
このときみんな初めて島崎が飲めることを知ったという。
かれこれ一時間ほど飲んだだろうか。十時にもなっていないが早めに帰ろうということでお開きにすることにした。
ウエイトレスの差し出した請求書には『¥140,000ー』の文字が入っている。
みんなはそれを見て目を丸くした。
ウイスキーの水割り四杯
ビール瓶四本
無料のおつまみ一皿とこちらが頼んだおつまみ四皿。
「桁が違ってるでしょ」
そう言って南原が女に請求書を返そうとした。
「水割りが一杯二万円、ビール一本一万円、おつまみ一皿五千円、合計で十四万円となります。何も間違っておりません」
いつのまにか客引きの男がドアのところに立っており、逃げ道を塞いでいる。
「ふざけんじゃないわよ!」
そう言って岡田が南原から請求書をもぎ取り破り捨てた。
するとカウンターに座っていた目つきの鋭い男がいきなり立ち上がり、片手で岡田の右手首を掴んだ。
「払わねえとこのまま東南アジアに売り飛ばしてもいいんだぜ」
その瞬間岡田の左掌が男の横面でパチンといい音を立てた。
「このアマ! てめえ何すんだ」
かっとした男はテーブルの皿にあったフォークを握ると岡田の肩に振り下ろした。
岡田は驚いて身をすくめ一瞬目をつぶる。
痛くはない、が……、重い。
そう思ってそっと目を開けると、島崎が岡田に覆い被さって、背中にフォークがズブリと突き刺さっていた。
さすがにバーテンダーも慌てたらしく声を荒らげた。
「ユージ、てめえ何やってんだ」
「すいやせん。かっとなりやして」
「お客さん、悪いが警察に行かれても面倒なんでね、このまま拉致させてもらうよ」
店側の男はバーテンダーとカウンターに座っていた二人、そして客引き男、計四人である。
とっさに南原がユージと呼ばれた男の腹にきつい一発を決めて、もう一人ともみ合いになると、それを見た貴志がすかさずバーテンダーを押さえにかかった。ドアに一番近かった林が客引きの男を殴り倒すと素早くドアを開けた。
「早くみんなこっちから出て!」
そう叫んで最初に森野を逃す。
南原と貴志が二人の男達を抑えている間に岡田が顔面蒼白になった島崎をドアから外へ連れ出した。
南原が相手の脛を蹴飛ばして、怯んだ男の隙を狙ってドアへと脱出する。貴志もバーテンダーを押し倒すと、すかさず外へ出てドアを閉めた。
「僕がドアを押さえてる間に早く警察を呼んできてください」
林の誘導で森野、岡田、島崎が先ほどの狭い路地を走って逃げたのを見て南原が、
「俺も手伝う」と言って一緒にドアを押さえにかかるが、とうとう力負けしてドアが開かれ、先程の男四人がバラバラと出て来た。
二人がビルから逃げようとすると、ちょうど玄関脇の階段から何事かと男達たちがゾロゾロ降りて来るではないか。
顔を見ると、どう見てもヤクザ連中である。南原と貴志の二人に対し、前に六人後ろに四人の併せて十人が二人を取り囲んでいた。さらに島崎にフォークを突き立てた男とバーテンダーは手にナイフまで握っている。
林達四人が通りまで行くと、一番後ろにいた森野が「二人の様子を見てくる」と言って引き返した。よほど心配なのだろう。
林が止めたが既に姿が見えない。
岡田は島崎の体を林にあずけると、警察に連絡するため目の前の店に入って行った。
一方、森野は細い路地を抜けて古いビルの入り口付近まで来ると、身を隠してそっと中の様子を窺った。
すると南原が床に倒れており、隣にヤクザも三人倒れていた。流血の跡は見えないので気絶しているようだ。
貴志は七人に取り囲まれて、残りを相手にするには明らかに分が悪い。
バーテンダーが「観念しやがれ」とドスの利いた声で脅した。
森野は今にも飛び出して『あなた達! 観念しなさい。警察がすぐにやって来るわよ』と叫ぼうかと思った瞬間、自分の目を疑った。
貴志が自分からナイフを持ったバーテンダーに近付いて行ったのだ。
バーテンダーは驚いてのけぞった。まさか自分からナイフを持った男に近付いてくるとは思わなかったのだろう。
「やれやれしょうがない」
貴志はそう言うと余裕の風情で拳を天に突き上げた。
「メル、俺に力を貸せ!」
そう叫んだ途端、貴志の体から青白い炎が吹き出した。
森野はそれを見て、ヤクザが貴志の体に火を付けたのかと思って肝を冷やしたが、違うようだった。
一番近くにいたヤクザが叫んだ。
「そりゃ、何の手品だ。そんなもんで俺らがひるむとでも思ってんのか?」
貴志もそんな恫喝にひるむわけが無い。
頭の中でメルの声が響く。
「ヤレヤレ、気持ちよくまどろんでいたところを起こしたということは、まずい状況なのかい。なるほど、多勢に無勢か。この力を使うのはいいが手加減しないと、こいつら死ぬぞ。熊も蹴り倒すパワーだからな!」
「そんなの分かっているさ」
「てめえ一人で何ぶつくさ言ってやがんだ」
貴志はそのわめいているやつに近づくと、向こうも興奮して殴りかかってきた。その手を払いのけて胸ぐらを掴むと簡単に投げ飛ばした。
流れるような一連の動作であった。
「おい兄ちゃん、合気道でもやってんのかい」
貴志はそんなものはできない。空手の体裁きから後は単に腕力で投げただけである。
今度は二番目に近くにいた男が殴りかかっていったが、この男もやはり同じような動作で投げ飛ばされた。面倒なのは投げ飛ばした二人がまた起き上がってきたことである。
やはり手加減はだめなようだ。きりがないと貴志が考えた瞬間、バーテンダーが
「みんなで押さえ込め」と叫んだ。
その声を合図に後ろから二人、あと二人が正面から抑えにかかる。両腕を捕まれた貴志は体を駒のように回転し始めた。四人は公園の回転遊具に乗っているようにぐるぐると数回転すると手を離してみんな地面に転がった。
「おまえタフだな」
客引きの男が感嘆の声を上げた。
一人が素早く起き上がり「チキショー」と叫びながらまた掴みかかっていったが、貴志は軽く相手のすねあたりを蹴り上げた。するとバキという鈍い音がして、男はすねを抱えながら大声を出して地面をのたうち回った。
バーテンダーはナイフを持ったユージとかいう男に合図を送ると、男はこっそり後ろへ回り込み、突っ込んでいくタイミングを計っているようだった。
男が動いた。
森野は思わず「後ろ!」と大声で叫んでいた。
貴志は森野の声が無くとも分かっていた。既にメルが背後の気配を察知していたのだ。
腕を伸ばしてナイフを突き出した男の手首を掴み、そのまま逆方向へねじ曲げた。
「うわー」という悲鳴とともに、その男の手首がだらんと垂れている。
最後はバーテンダーがナイフを握り、貴志の腹をめがけて突進してきた。貴志は半身で体をかわすと、そのままナイフを握っている手に手刀を振り下ろした。
まるで練習用の丸太に手刀を打ち込んだような鈍い音が聞こえた。これまた前腕の中央あたりから腕がくの字に曲がり、バーテンダーは声を出してそのまま地面に跪いた。
他のものは戦意喪失したようで、腰が抜けたかのように地面に座ったままだった。
森野は貴志の強さに見とれていた。まさか貴志がこんなに強いなんて。身震いすると同時に何か胸にぐっと突き刺ささるような感動を覚えた。
そのとき森野の後ろから誰かが走ってくる気配がして振り向くと、数人の警察官が森野の脇を走り抜け、倒れているヤクザ達に駆け寄って行った。
警察官は無線で負傷者を確認すると、すぐさま署に連絡して救急車を依頼した。数分で救急車が来て怪我人を乗せて走り去ると、怪我をしていない者も警察のパトカーで署に連行されて行った。
当然貴志たちも事情聴取のため、署に行くことになったのは当然である。
ヤクザ連中は、南原達が飲食代を踏み倒して一方的に殴りかかってきた、と主張したようだ。
まあ南原達にしてみれば、あの時点ではまだ飲食代金を踏み倒しているわけではなく、まぁ払うつもりもなかったが、ヤクザが言い逃れをしているだけである。
今回は双方の言い分が食い違って怪我人も出ているため、治療の必要な怪我人は病院へ、その以外の者は留置場へ入ることとなった。もちろん双方を分けての留置である。
これが所長が警察署に呼ばれた顛末である。
実際あの店がぼったくりバーというのは警察も把握していたようで、以前にも何回かトラブルで警察が介入していたようである。
その後の調査で、支払いを拒否した客はそのまま拉致して借用書を書かせた上、マグロ漁船に乗せるなど相当酷いこともやっていたらしい。警察も本格的に余罪を追及し始めたようだ。
今回怪我人も多数出たが、相手がヤクザで人数が多かったこと、刃物を持っていたこともあり正当防衛が成立した。
とりあえずこれで一件落着となったわけだが、そもそもぼったくりに有効な法律がないというのが一番の問題なのだ。国会議員の皆さんにはちゃんと法律を作っていただきたい。
貴志達は本気でそう思うのだ。
その後、島崎は所長に新たな報告書を提出した。所長もその内容に驚いたようである。なにせ目撃者が複数いるのだから。
残った他の香水も分析され、複数の特許が出願された。問題はその原料が入手困難ということである。北海道に送られた怪獣の残骸も研究に必要な部分を残して製薬会社に販売された。特許使用料も含め、数億円以上の利益を出している。
その後製薬会社から数量限定で一本十万円の超高級香水が販売されたが、飛ぶように売れたという。
島崎には研究所から特別ボーナスが出たようだが、むしろ来年分の研究費が大幅に増えたのが嬉しいようだ。
事件後の最初の飲み会で、森野はこっそりと貴志に尋ねた。
「あの日、あなたが戦っているのを建物の陰からこっそり見ていたけど、体から吹き出した青い炎は何? それとも見間違いかしら」
貴志は宴会芸のマジックを使ってハッタリで炎を出したと言い逃れた。
森野もまさか本当に炎が吹き出るとは思っていなかったのだろう。それで納得したようだがどうにも腑に落ちないような顔をした。
この話はともかく、飲み会での話題はもっぱら島崎と岡田の映画館デートの話である。
結果はどうなったかと言うと、まあ普通にうまくいったようである。
岡田は「人をからかうのもいい加減にしなさいよ」と怒ってはいたものの、楽しい飲み会であった。
その後、島崎がちょくちょく酒の席に顔を出すようになり、会社帰りに岡田と二人で待ち合わせて、酒を飲みに行く姿が目撃されるようになった。
森野の話では、ヤクザから庇って傷を受けたことに男らしさを感じたとか、酒が強くて一緒に飲みに行けるのが楽しいとか、岡田から色々のろけ話があったらしい。
そんなこんなで結局、岡田と島崎は一年後に結婚したのであった。
第五話 完
それを見て岡田が不思議そうに尋ねた。
「島崎くん飲めるんだっけ? 今まで見たことないわね」
「僕は飲めるんですが、実は大学院の時に飲み過ぎて助教授を殴っちゃって、それ以来遠慮していました」
このときみんな初めて島崎が飲めることを知ったという。
かれこれ一時間ほど飲んだだろうか。十時にもなっていないが早めに帰ろうということでお開きにすることにした。
ウエイトレスの差し出した請求書には『¥140,000ー』の文字が入っている。
みんなはそれを見て目を丸くした。
ウイスキーの水割り四杯
ビール瓶四本
無料のおつまみ一皿とこちらが頼んだおつまみ四皿。
「桁が違ってるでしょ」
そう言って南原が女に請求書を返そうとした。
「水割りが一杯二万円、ビール一本一万円、おつまみ一皿五千円、合計で十四万円となります。何も間違っておりません」
いつのまにか客引きの男がドアのところに立っており、逃げ道を塞いでいる。
「ふざけんじゃないわよ!」
そう言って岡田が南原から請求書をもぎ取り破り捨てた。
するとカウンターに座っていた目つきの鋭い男がいきなり立ち上がり、片手で岡田の右手首を掴んだ。
「払わねえとこのまま東南アジアに売り飛ばしてもいいんだぜ」
その瞬間岡田の左掌が男の横面でパチンといい音を立てた。
「このアマ! てめえ何すんだ」
かっとした男はテーブルの皿にあったフォークを握ると岡田の肩に振り下ろした。
岡田は驚いて身をすくめ一瞬目をつぶる。
痛くはない、が……、重い。
そう思ってそっと目を開けると、島崎が岡田に覆い被さって、背中にフォークがズブリと突き刺さっていた。
さすがにバーテンダーも慌てたらしく声を荒らげた。
「ユージ、てめえ何やってんだ」
「すいやせん。かっとなりやして」
「お客さん、悪いが警察に行かれても面倒なんでね、このまま拉致させてもらうよ」
店側の男はバーテンダーとカウンターに座っていた二人、そして客引き男、計四人である。
とっさに南原がユージと呼ばれた男の腹にきつい一発を決めて、もう一人ともみ合いになると、それを見た貴志がすかさずバーテンダーを押さえにかかった。ドアに一番近かった林が客引きの男を殴り倒すと素早くドアを開けた。
「早くみんなこっちから出て!」
そう叫んで最初に森野を逃す。
南原と貴志が二人の男達を抑えている間に岡田が顔面蒼白になった島崎をドアから外へ連れ出した。
南原が相手の脛を蹴飛ばして、怯んだ男の隙を狙ってドアへと脱出する。貴志もバーテンダーを押し倒すと、すかさず外へ出てドアを閉めた。
「僕がドアを押さえてる間に早く警察を呼んできてください」
林の誘導で森野、岡田、島崎が先ほどの狭い路地を走って逃げたのを見て南原が、
「俺も手伝う」と言って一緒にドアを押さえにかかるが、とうとう力負けしてドアが開かれ、先程の男四人がバラバラと出て来た。
二人がビルから逃げようとすると、ちょうど玄関脇の階段から何事かと男達たちがゾロゾロ降りて来るではないか。
顔を見ると、どう見てもヤクザ連中である。南原と貴志の二人に対し、前に六人後ろに四人の併せて十人が二人を取り囲んでいた。さらに島崎にフォークを突き立てた男とバーテンダーは手にナイフまで握っている。
林達四人が通りまで行くと、一番後ろにいた森野が「二人の様子を見てくる」と言って引き返した。よほど心配なのだろう。
林が止めたが既に姿が見えない。
岡田は島崎の体を林にあずけると、警察に連絡するため目の前の店に入って行った。
一方、森野は細い路地を抜けて古いビルの入り口付近まで来ると、身を隠してそっと中の様子を窺った。
すると南原が床に倒れており、隣にヤクザも三人倒れていた。流血の跡は見えないので気絶しているようだ。
貴志は七人に取り囲まれて、残りを相手にするには明らかに分が悪い。
バーテンダーが「観念しやがれ」とドスの利いた声で脅した。
森野は今にも飛び出して『あなた達! 観念しなさい。警察がすぐにやって来るわよ』と叫ぼうかと思った瞬間、自分の目を疑った。
貴志が自分からナイフを持ったバーテンダーに近付いて行ったのだ。
バーテンダーは驚いてのけぞった。まさか自分からナイフを持った男に近付いてくるとは思わなかったのだろう。
「やれやれしょうがない」
貴志はそう言うと余裕の風情で拳を天に突き上げた。
「メル、俺に力を貸せ!」
そう叫んだ途端、貴志の体から青白い炎が吹き出した。
森野はそれを見て、ヤクザが貴志の体に火を付けたのかと思って肝を冷やしたが、違うようだった。
一番近くにいたヤクザが叫んだ。
「そりゃ、何の手品だ。そんなもんで俺らがひるむとでも思ってんのか?」
貴志もそんな恫喝にひるむわけが無い。
頭の中でメルの声が響く。
「ヤレヤレ、気持ちよくまどろんでいたところを起こしたということは、まずい状況なのかい。なるほど、多勢に無勢か。この力を使うのはいいが手加減しないと、こいつら死ぬぞ。熊も蹴り倒すパワーだからな!」
「そんなの分かっているさ」
「てめえ一人で何ぶつくさ言ってやがんだ」
貴志はそのわめいているやつに近づくと、向こうも興奮して殴りかかってきた。その手を払いのけて胸ぐらを掴むと簡単に投げ飛ばした。
流れるような一連の動作であった。
「おい兄ちゃん、合気道でもやってんのかい」
貴志はそんなものはできない。空手の体裁きから後は単に腕力で投げただけである。
今度は二番目に近くにいた男が殴りかかっていったが、この男もやはり同じような動作で投げ飛ばされた。面倒なのは投げ飛ばした二人がまた起き上がってきたことである。
やはり手加減はだめなようだ。きりがないと貴志が考えた瞬間、バーテンダーが
「みんなで押さえ込め」と叫んだ。
その声を合図に後ろから二人、あと二人が正面から抑えにかかる。両腕を捕まれた貴志は体を駒のように回転し始めた。四人は公園の回転遊具に乗っているようにぐるぐると数回転すると手を離してみんな地面に転がった。
「おまえタフだな」
客引きの男が感嘆の声を上げた。
一人が素早く起き上がり「チキショー」と叫びながらまた掴みかかっていったが、貴志は軽く相手のすねあたりを蹴り上げた。するとバキという鈍い音がして、男はすねを抱えながら大声を出して地面をのたうち回った。
バーテンダーはナイフを持ったユージとかいう男に合図を送ると、男はこっそり後ろへ回り込み、突っ込んでいくタイミングを計っているようだった。
男が動いた。
森野は思わず「後ろ!」と大声で叫んでいた。
貴志は森野の声が無くとも分かっていた。既にメルが背後の気配を察知していたのだ。
腕を伸ばしてナイフを突き出した男の手首を掴み、そのまま逆方向へねじ曲げた。
「うわー」という悲鳴とともに、その男の手首がだらんと垂れている。
最後はバーテンダーがナイフを握り、貴志の腹をめがけて突進してきた。貴志は半身で体をかわすと、そのままナイフを握っている手に手刀を振り下ろした。
まるで練習用の丸太に手刀を打ち込んだような鈍い音が聞こえた。これまた前腕の中央あたりから腕がくの字に曲がり、バーテンダーは声を出してそのまま地面に跪いた。
他のものは戦意喪失したようで、腰が抜けたかのように地面に座ったままだった。
森野は貴志の強さに見とれていた。まさか貴志がこんなに強いなんて。身震いすると同時に何か胸にぐっと突き刺ささるような感動を覚えた。
そのとき森野の後ろから誰かが走ってくる気配がして振り向くと、数人の警察官が森野の脇を走り抜け、倒れているヤクザ達に駆け寄って行った。
警察官は無線で負傷者を確認すると、すぐさま署に連絡して救急車を依頼した。数分で救急車が来て怪我人を乗せて走り去ると、怪我をしていない者も警察のパトカーで署に連行されて行った。
当然貴志たちも事情聴取のため、署に行くことになったのは当然である。
ヤクザ連中は、南原達が飲食代を踏み倒して一方的に殴りかかってきた、と主張したようだ。
まあ南原達にしてみれば、あの時点ではまだ飲食代金を踏み倒しているわけではなく、まぁ払うつもりもなかったが、ヤクザが言い逃れをしているだけである。
今回は双方の言い分が食い違って怪我人も出ているため、治療の必要な怪我人は病院へ、その以外の者は留置場へ入ることとなった。もちろん双方を分けての留置である。
これが所長が警察署に呼ばれた顛末である。
実際あの店がぼったくりバーというのは警察も把握していたようで、以前にも何回かトラブルで警察が介入していたようである。
その後の調査で、支払いを拒否した客はそのまま拉致して借用書を書かせた上、マグロ漁船に乗せるなど相当酷いこともやっていたらしい。警察も本格的に余罪を追及し始めたようだ。
今回怪我人も多数出たが、相手がヤクザで人数が多かったこと、刃物を持っていたこともあり正当防衛が成立した。
とりあえずこれで一件落着となったわけだが、そもそもぼったくりに有効な法律がないというのが一番の問題なのだ。国会議員の皆さんにはちゃんと法律を作っていただきたい。
貴志達は本気でそう思うのだ。
その後、島崎は所長に新たな報告書を提出した。所長もその内容に驚いたようである。なにせ目撃者が複数いるのだから。
残った他の香水も分析され、複数の特許が出願された。問題はその原料が入手困難ということである。北海道に送られた怪獣の残骸も研究に必要な部分を残して製薬会社に販売された。特許使用料も含め、数億円以上の利益を出している。
その後製薬会社から数量限定で一本十万円の超高級香水が販売されたが、飛ぶように売れたという。
島崎には研究所から特別ボーナスが出たようだが、むしろ来年分の研究費が大幅に増えたのが嬉しいようだ。
事件後の最初の飲み会で、森野はこっそりと貴志に尋ねた。
「あの日、あなたが戦っているのを建物の陰からこっそり見ていたけど、体から吹き出した青い炎は何? それとも見間違いかしら」
貴志は宴会芸のマジックを使ってハッタリで炎を出したと言い逃れた。
森野もまさか本当に炎が吹き出るとは思っていなかったのだろう。それで納得したようだがどうにも腑に落ちないような顔をした。
この話はともかく、飲み会での話題はもっぱら島崎と岡田の映画館デートの話である。
結果はどうなったかと言うと、まあ普通にうまくいったようである。
岡田は「人をからかうのもいい加減にしなさいよ」と怒ってはいたものの、楽しい飲み会であった。
その後、島崎がちょくちょく酒の席に顔を出すようになり、会社帰りに岡田と二人で待ち合わせて、酒を飲みに行く姿が目撃されるようになった。
森野の話では、ヤクザから庇って傷を受けたことに男らしさを感じたとか、酒が強くて一緒に飲みに行けるのが楽しいとか、岡田から色々のろけ話があったらしい。
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