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第4章 今夜処刑台にて
このために生まれてきた
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―――いつまで暗闇の牢の中で目を閉じていただろう。
息を漏らすような小さな悲鳴が聞こえたと思ったら、足元に、赤黒い液体が落ちて地面に染みを作った。
血だ。
そこでやっと、蝋燭立ては顔を上げた。
目の前に深紅の赤いドレスを着た、ナギリの姿があった。
ナギリは乱れた呼吸を正すために一度深呼吸をした。
見張りを油断させるのは簡単だった。
女がほとんどいないこの国では、ドレスを着た美女など、目を引くに決まっている。
大方、どこかの国から逃げて迷い込んだ貴族の娘だろうと、見張りが声をかけようとした瞬間、隠し持っていた剣で瞬時にその首を刎ねてみせたのだ。
ナギリは、女にしては強く、男にしては美しすぎた。
結い上げた銀髪が風になびく。
満月を背に血濡れの剣を持って佇む姿は、見る者の心臓を鷲掴みにし、一生忘れさせないほどの迫力と優雅さだった。
魔性の瞳は、銀へと色を変える。
「王、何故来た」
蝋燭立ては目を見開いて、何が起こったのか分からないというように、ナギリを見上げていた。
いつもの能面のような顔が、少しだけ困惑と焦りの色を帯びている。
信じられないものを見たかのように、その単調な声は密かに震えていた。
ナギリはそんな誰よりも愛しい男の姿を見下ろして、思った。
今になっては、蝋燭立ての考えていたことが手に取るように分かる。
千年族にとって、人間に一生はあまりにも短い。
一生連れ添い合う事は出来ない。子供も作れない。
ならば、王のすべてである王国を守ろう。
王が死んだ後も、次の王を、またその次の王を守る事が、自分のできる最上の行動だと。
何も語らず、何も見返りを求めず。
誰にも気にも留められないようなやり方で、千年族の男は、こんな薄汚い牢屋で死のうとしている。
ナギリはしゃがみ込んで、鉄の檻越しに、蝋燭立てと視線を合わせる。
「ずっと、お前は私の傍にいたのだな。
気付かないでいて、すまなかった」
鉄の鎖を手に巻かれた蝋燭立ては、檻を覗きこむナギリをじっと見つめた。
そして、相変わらずの口調で、ゆっくりと語る。
「―――番犬の使命は、獣を狩ること。
変わったのは、守るべき対象だけだ」
雪に埋もれた、千年族の住む山の頂上で生まれた蝋燭立て。
山を下りてから、ずっと、人知れず剣を振るっていたのだ。
「俺は、これまでもこれからも、獣を狩ることしか能のない番犬だ。
しかし、お前のおかげで生きる事の本当の意味を知った。
大切な人を包む全てを守る喜びを知った。
感謝する。お前のような明るい光の下で、俺も少しは輝けたと思う。
俺はここで死ぬが、きっとこれからも楽しい夢を見る」
そう言って、青銅の蝋燭立ては目を細めた。とても、幸せそうだ。
ナギリは思った。
自分は今この時のために生まれてきたのだと。
父の、凛々しくも美しい顔を思い出す。
国を、部下を、王を、責務を、未来を、全てを投げ出しても構わないと本気で思えるほど、愛しい相手が自分に笑いかけた、この瞬間のために生きてきたのだと。
疑問がやっととけた。もう迷いは無い。
ナギリは自身の細い腕を伸ばして、蝋燭立ての襟首を掴み、渾身の力で引き寄せた。
血のついた唇に、そっと、自身の唇を触れさせる。
檻越しの口づけは、今までしたどれよりも冷たかった。
たった数秒。
手を離すと、蝋燭立ては目を丸くしていた。ひどく驚いたのかもしれない。
「ははっ、お前、そんな顔もできるのだな!」
とても晴々しい気分だった。
いつも敵わなかった男を、ついに出し抜いてやった、と。
鉄の味のする口づけ。まるで情緒が無いが、ナギリにとっては痺れるように甘い。
ナギリは立ち上がった。もう思い残した事は無いと。
泥だらけのハイヒールで歩きだす。
「――待て、行くな王」
いつもの蝋燭立ての無表情が、今にも泣きそうな顔のように見えた。縋りつくような瞳。
「正々堂々と、お前を手に入れる方法を思いついた」
もう少し待っていろ、とナギリは笑った。
深紅のドレスに身を包んだ王は、薄汚いこの世の果てのような場所でも、どこまでも傲慢で、そして誰よりも美しかった。
息を漏らすような小さな悲鳴が聞こえたと思ったら、足元に、赤黒い液体が落ちて地面に染みを作った。
血だ。
そこでやっと、蝋燭立ては顔を上げた。
目の前に深紅の赤いドレスを着た、ナギリの姿があった。
ナギリは乱れた呼吸を正すために一度深呼吸をした。
見張りを油断させるのは簡単だった。
女がほとんどいないこの国では、ドレスを着た美女など、目を引くに決まっている。
大方、どこかの国から逃げて迷い込んだ貴族の娘だろうと、見張りが声をかけようとした瞬間、隠し持っていた剣で瞬時にその首を刎ねてみせたのだ。
ナギリは、女にしては強く、男にしては美しすぎた。
結い上げた銀髪が風になびく。
満月を背に血濡れの剣を持って佇む姿は、見る者の心臓を鷲掴みにし、一生忘れさせないほどの迫力と優雅さだった。
魔性の瞳は、銀へと色を変える。
「王、何故来た」
蝋燭立ては目を見開いて、何が起こったのか分からないというように、ナギリを見上げていた。
いつもの能面のような顔が、少しだけ困惑と焦りの色を帯びている。
信じられないものを見たかのように、その単調な声は密かに震えていた。
ナギリはそんな誰よりも愛しい男の姿を見下ろして、思った。
今になっては、蝋燭立ての考えていたことが手に取るように分かる。
千年族にとって、人間に一生はあまりにも短い。
一生連れ添い合う事は出来ない。子供も作れない。
ならば、王のすべてである王国を守ろう。
王が死んだ後も、次の王を、またその次の王を守る事が、自分のできる最上の行動だと。
何も語らず、何も見返りを求めず。
誰にも気にも留められないようなやり方で、千年族の男は、こんな薄汚い牢屋で死のうとしている。
ナギリはしゃがみ込んで、鉄の檻越しに、蝋燭立てと視線を合わせる。
「ずっと、お前は私の傍にいたのだな。
気付かないでいて、すまなかった」
鉄の鎖を手に巻かれた蝋燭立ては、檻を覗きこむナギリをじっと見つめた。
そして、相変わらずの口調で、ゆっくりと語る。
「―――番犬の使命は、獣を狩ること。
変わったのは、守るべき対象だけだ」
雪に埋もれた、千年族の住む山の頂上で生まれた蝋燭立て。
山を下りてから、ずっと、人知れず剣を振るっていたのだ。
「俺は、これまでもこれからも、獣を狩ることしか能のない番犬だ。
しかし、お前のおかげで生きる事の本当の意味を知った。
大切な人を包む全てを守る喜びを知った。
感謝する。お前のような明るい光の下で、俺も少しは輝けたと思う。
俺はここで死ぬが、きっとこれからも楽しい夢を見る」
そう言って、青銅の蝋燭立ては目を細めた。とても、幸せそうだ。
ナギリは思った。
自分は今この時のために生まれてきたのだと。
父の、凛々しくも美しい顔を思い出す。
国を、部下を、王を、責務を、未来を、全てを投げ出しても構わないと本気で思えるほど、愛しい相手が自分に笑いかけた、この瞬間のために生きてきたのだと。
疑問がやっととけた。もう迷いは無い。
ナギリは自身の細い腕を伸ばして、蝋燭立ての襟首を掴み、渾身の力で引き寄せた。
血のついた唇に、そっと、自身の唇を触れさせる。
檻越しの口づけは、今までしたどれよりも冷たかった。
たった数秒。
手を離すと、蝋燭立ては目を丸くしていた。ひどく驚いたのかもしれない。
「ははっ、お前、そんな顔もできるのだな!」
とても晴々しい気分だった。
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鉄の味のする口づけ。まるで情緒が無いが、ナギリにとっては痺れるように甘い。
ナギリは立ち上がった。もう思い残した事は無いと。
泥だらけのハイヒールで歩きだす。
「――待て、行くな王」
いつもの蝋燭立ての無表情が、今にも泣きそうな顔のように見えた。縋りつくような瞳。
「正々堂々と、お前を手に入れる方法を思いついた」
もう少し待っていろ、とナギリは笑った。
深紅のドレスに身を包んだ王は、薄汚いこの世の果てのような場所でも、どこまでも傲慢で、そして誰よりも美しかった。
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