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プロローグ 王の王たる所以
朝議の鐘
しおりを挟む私は淋しかった。
恋情は孤独を吸って大きくなった。
あの背中を思い出すたびに、胸が痛んだ。
* * *
「王、早くお支度ください」
扉の外から、控え目ながら少々いらだった声がかかった。
そう急かす声を無視して、ベッドの横置いてある葡萄を一粒手に取り口へ運んだ。
瑞々しい甘みが口いっぱいに広がる。
横で慌てて着替えている女の髪を撫でてやると、形の良い唇からくすくすと笑い声が漏れた。
すると、大きな鐘の音が鳴り響いた。朝の謁見の時間を告げる合図である。
「……入りますよ」
痺れを切らせたように、近衛隊長であるレナードが部屋へ入ってくる。
大きな足音に、ため息をつく。
「無礼な奴だ」
「王、早くご支度を――」
レナードは真っ直ぐに寝室へと入ってくると、王が未だ寝そべっているベッドの天蓋の布を乱暴にめくった。
横に寝ていた女はまだ着替えている最中で、きゃっ、と小さく悲鳴が上がる。
「し、失礼した」
レナードが耳まで真っ赤にしてすぐに後ろを向いたのを、王はベッドに肩肘をつきながら面白そうに見ている。
「ではまたな」
昨日夜を共にした女の耳にそっと声を掛けてやる。
女は恥ずかしそうにうつむきながら、早足に部屋を去っていった。
その後ろ姿を見送って、レナードは再び王に向き直る。
「王、夜遊びも良いですが、きちんと執務もしていただかないと」
「お前は頭が固い」
悪びれもなく笑っていて一向に支度をする気配のない王に、レナードは自身の髪を掻いて、小さく苛立ち紛れをすると、部屋の奥の衣装室の扉を開けて王の正装を取りに行く。
何故私が召使いのような真似をせねばならないのですか、と不平を言いながら、その大きな衣裳部屋の扉に手を掛ける。
すると、開けた扉の中で、上半身を露出させた屈強な男が、今まさに服を着替えている最中だった。
まさかそこに人がいるとは思わなかったレナードは驚き、反射的に腰に下げている剣の鞘に手を伸ばした。
中に居た男はバツの悪そうな顔をして、すぐに会釈をすると、ろくに服も着ないまま部屋を出て行ってしまった。
見覚えのあるその顔は、今年入ったばかりの近衛隊の若い騎士だったはずだ。
「ああ、そういえばお前の部下だったな。
叱るなよ? あやつは昨晩良い働きをした」
悪びれもせず、あどけなさを残す顔で王はくつくつと笑っている。
一人では飽き足らず、一晩で二人も。
頭を抱えるレナードの横を通り、王は男が隠れていた衣装室の前へ行き、そのまま着ていた服を乱雑に脱ぎ捨てた。
裸体が、朝の光に照らされて露わになる。
肌の色は白く、腰は細く。
銀色の長い髪が垂れ、背中の筋の曲線がなんとも妖艶である。
中性的な体を目の当たりにして、レナードはすぐに目を反らし後ろを向く。
その初な姿を見て、王が再び笑うのにも気がつかずに。
居心地が悪そうに腕を組みながら、しかし小言を唱える口を閉じる事は無い。
「少しは控えていただかないと、部下に示しがつきませぬ」
「なんだ、嫉妬か?」
「王!」
レナードは近衛隊長として、長年王の近くに居るが、真面目ゆえにからかい甲斐のある男だ。
ひとたび戦場に出れば、銀の甲冑に身を包み、大剣一振りで敵を薙ぎ断つ強者の癖に、城の中では王の一挙一動に振り回されている。
「私にそこまで強く言えるのはお前ぐらいか。
可愛い奴よ」
深紅の正装を身にまとい、髪を一つに結び、王は振り返る。
「侍れ」
その胸には双頭の鷲の文様。
この広い大陸で唯一の王国であり、その王国で唯一、王だけが付けることを許される王家の象徴の紋章。
王国近衛隊の衣装を身に付けたレナードも、まるで召使いのように顎で使われ、口では不平を言ってはいるが、一度命令されれば王のために簡単に命を捧げるだろう。
長い廊下を歩いて行く。
アーチ型の天井に皮靴の音が反響する。後ろにレナードを従えながら謁見の間まで向かう。
騎士、近衛隊、女中、軍師、宮廷音楽家。
全ての者が頭を垂れ、王に敬意を表していく。
深紅の絨毯の敷かれた玉座までの道を、堂々と胸を張り歩いて行く王は、見た目だけでは二十歳前後の美しい若者にしか見えない。
銀色の瞳が、廊下の端にお気に入りの部下を見つけるとすっと細くなる。
大理石の段を上り、金色に輝く玉座へと座る。
背後の窓から光が差す。
謁見の時間に登った陽が、後光のように玉座に差すよう計算されて作られているのだ。
しかしその光よりも自身がまばゆく輝いて見えるのは、王の王たる所以か。
不安定な美しさと完全な体。
銀色の髪に瞳。
王に見つめられると、どんな屈強な男も、どんな頑なな生娘もその足元にひれ伏す。
チャームの魔法でも使えるのではないかという、神話が具現化したような存在。
謁見の間に集められた老若男女、全ての者達が、左胸に手を当て片膝を床につく。
頭を垂れる臣下達のはるか向こう、眼下には治めるハーディス王国が一望できる。
王は朝の恒例であるその情景を見て頷く。
「大事ない」
四十三代目ハーディス王国、その頂点に君臨する「王」こと、ナギリは不敵に笑った。
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