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双子と桜と不思議な出来事

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 昨日までの雨が嘘のような透き通る青空の下、ほのかに桜の香りが漂う心地のよい風が吹いている。電車を乗り継いで、数十分。目的の駅西口から大通りを歩いていく。
 そして、三つ目の信号を左に折れる。そこからさらに五〇〇メートルほど足を進めると県内でも有数の人気がある花見スポット。県央桜公園が見えてくる。
 その手前にある交差点。そこが、俺にとって最悪の場所。本当なら二度と来たくもない場所だけど、二年ぶりに足を運んでいた。言い換えると、ここに再び来るまでに二年もかかってしまった。
 俺は深く息を吸って、ゆっくりと吐く。周囲を見渡すと近くの電柱に花が供えてあるのが目に入る。
 おばさんかな? それとも友達の誰か?
 正体はわからないけど、あのふたりのことを今でも想っている人が俺の他にもいる。当たり前のことなのにそれが嬉しかった。
 俺もそこに花を供えよう。
 電柱の根元にしゃがみ込んで、バッグに入れていた花束を供えて手を合わせる。

「言い訳はしないよ。ごめんな」

 言った瞬間、風に包まれるような不思議な感覚に襲われた。それが過ぎ去っても、なんとなく懐かしい匂いが鼻先をくすぐっているような気がする。
 桜か? いや、違う。桜の香りなら電車を降りた時から漂っている。これはもっと――俺にとって大切な存在の――。

「あんたが謝る必要なんてないわ。こうしてまた来てくれたじゃん」

 ――えっ? 不意に懐かしい声が背後から聞こえた。ありえない、幻聴だ。そう思いつつも俺の心臓がドクンと脈が強く波打つ。

「そうだよ。隆ちゃんが来てくれてうれしいよ」

 もうひとりの声に幻聴では無いと慌てて立ち上がり、振り返る。

「――っ」

 そこにはここ二年。写真の中でしか見ることの出来なかった、いつも一緒で造形がそっくりな、でも雰囲気の大分違う顔が並んでいた。

「隆平。久しぶり、元気にしてた?」

 吊り目がちの目を優しげに細める俺の大好きなハルの笑み。

「え、あ」

 様々な想いが頭を駆け巡り、うまく言葉を返せなかった。

「隆ちゃん、大丈夫?」

 ハルよりも目尻が下がるカナの笑み。

「あ、あぁ」

 カナにはなんとか返せたと思う。目の前には、死んだはずのハルとカナ。そのふたりがあの日と同じ恰好で立っていた。
 姉のハルはショートキャミにショートパンツ、それに薄い水色のパーカーを羽織って、腰近くまである長い髪はポニテにしていて、前髪には水色のヘアピン。
 妹のカナはTシャツにスカート、髪はショートで薄いピンク色のパーカーを着ていて、肩までの長さの髪はピンクのヘアピンで留められていて風になびいている。
 ハルは妹より背が低いのを気にして誤魔化すためにポニテにしているし、カナはカナで姉より胸が大きいせいで男からの視線を集めないようにとパーカーの前をきっちり閉じている。そんな以前と変わらない、俺の知っているままの姉妹の姿。
 思わずこみ上げてきたモノでふたりの姿が視界の中で溶けるように歪んでゆく。慌てて涙を拭ってふたりに話し掛けようと口を開き、言葉が思い浮かばず閉じる。もう二度と逢えないと思っていた――。
 その存在に再会できた喜びは言葉では表せないほど大きなものだった。
 それを知ってか知らずか、ハルが口を開く。

「隆平。悪いけど泣いている時間なんてないよ」

「わたしたち、残り時間半日くらいしかないと思うの」

 ふたりの言葉の意味が俺にはわからない。残り時間? 半日くらいしかない?

「悪い。話についていけないんだが」

「あたしとカナが幽霊として生きていられる――」

「幽霊って死んでいるけどね」

「細かいわね、なら幽霊として存在していられる時間ならいいかしら」

「うん、それなら大丈夫」

 ハルの言葉を途中で遮ってカナがツッコむ。
 それにハルが嫌な顔をしつつ訂正して、カナが頷く。
 誕生日まで近い幼馴染そして数え切れないほど見てきた姉妹のやり取り。
 このふたり、幽霊になっても変わらないんだな。それが微笑ましくもあり、俺の涙腺を刺激してくる。

「あたしたちがこの世にいられる時間?」

「お姉ちゃん……どうして疑問形?」

「いや、あたしも確証があるわけじゃないし……カナもそうでしょ?」

「うん」

 ハルの確認にカナが小さく頷く。

「隆平。死んだ人間と生きている人間がこうやって言葉を交わす。そんなの夢か奇跡でしょ? ……たぶんだけど、あたしたちがこうして幽霊でいられるのは今日まで、だと思う。いいかげん成仏しないと」

 最後に冗談っぽく、でも寂しそうに笑みを浮かべながらつけ加えた『成仏』という単語がやけに耳に残った。いつもなら目を見て話す彼女が目を伏せながらの言葉に込められた様々な感情が伝わってくる。

「わたしたちの未練って隆ちゃんのことだから、それが解消したら、ね。夢だったら覚めるだろうし、奇跡なら終わり」

 そう言ったカナが苦笑する。
 俺のことが未練?

「なあ、それって……その――」

 思い当たることはある。だが、それは今でも目に焼き付き脳裏から離れない光景も過り、一瞬言葉に詰まってしまう。

「――最期の言葉と関係あるのか?」

 ふたりの最期の言葉。『あたし(わたし)たち……今日あんた(あなた)に――』その言葉の続きと意味。もしかしたらそれがふたりの未練なのかもしれない。

「覚えていてくれたんだ」

 ハルが一変うれしそうに微笑む。また目が合ったことに、ホッとした。

「むしろ、あの状況だと記憶喪失とかにならない限りは忘れられないんじゃ」

「ねえ、隆平。いまから、さ」

「あの日の、続きをやろうよ」

 ふたりに見つめられた。俺は正面からその視線を受けとめる。
 あの日、俺達は花見という名の食べ歩きを楽しむつもりでいた。

「ああ」

 頷いたところで、ふたりの身体越しに背後の景色が薄っすら透けて見えていることに気づいた。
 あれ? 最初から見えていたか? 俺が気づかなかっただけ? それとも……こうやって話している間に? 
 ふたりは幽霊。この瞬間が夢にしろ、奇跡にしろ、長くは続かないらしい。


     ☆☆☆


 名前の通り桜が咲き誇る公園内は花見客と、それを相手に商売する屋台で賑わい、真っ直ぐ歩くのも大変なくらい混雑している。

「あたし、たこ焼き食べたい」

「わたしはたい焼きがいいな」

 ふたりに挟まれるようにして並んで歩いている。俺は両手に飲み物を持ち、両腕にぶら下がっているビニール袋の中には次々に食べ物が増えていく。ついでに財布も寒くなっていく。いや、大きいのが崩れていくから一時的に枚数は増えているけどな。ただそれも減っていく未来が予想される。

「なあ、自分で持てよ」

 無駄だと知りつつ言うだけ言ってみる。というか、持たせられないのが正解。
ハルとカナは俺以外の人間には見えない(確認済み)し触れない(未確認)。だけど物には触れる(確認済み)。ようするに、他人に見えないこと以外は普通の人間と変わらない。補足を付けると、ふたりになにかを持たせると宙に浮いているようにしか映らないってことだ。

「無理」

 きっぱりと右から拒否するハル。

「いや」

 きっぱりと左から拒否するカナ。
 なんでこの姉妹。性格はかなり違うのにこんな息合うんだ? まあ、訊いたところで、双子だからって答えしか返ってこないだろうけど。
 ん? 視線を感じて辺りを見回す。たくさんの人と目があった。この人混みだし、そりゃそうか。

「焼きそば見つけ」

「わたしも欲しい」

 ハルの言葉にカナが続く。

「……はいはい」

 その結果。また一枚。俺の財布から英世が旅立った。

「はぁ……それにしても人多すぎでしょ」

 ハル。ため息混じりに言うわりには楽しんでるよな。とは口に出さない。

「春休み最後の日曜だし」

「雨で桜散らなくてよかったね」

 今日も雨だったらいいのに。朝、家を出るまではそう思ってたとはカナには言えないな。もっとも、察してるだろうけど。

「そーだな」

「隆平」

「ん?」

 少し真面目なトーンの声にハルを見る。

「なんか、素っ気なくない? カナもそう思うでしょ?」

 カナを見ると、うんうんと頷いている。
 表には出さないようにしていたんだけどな……。

「……お前らと、どういう距離感で接せばいいのかわからない……前と同じでいいんだろうけど、その感覚がわからない……というか思い出せない?」

 ふたりに素っ気ないと思われている以上、誤魔化せないと思って、正直に答えた。
 って、ん? 素っ気ないと思われているってことは……もっと近かった?

「うーん。前より隆ちゃんが距離を置いている気がするな」

「そう言われるとそうね」

 カナの言葉にハルが納得したような声を上げた。
 距離が遠いって言われても……というか『距離』ってなんだ? 肩を並べて歩くときの俺たちの距離? ……違うな。そういう目に見える距離じゃなくて、……心の距離。関係? 

「隆ちゃん。わたしたちのこと……なんだと思っているの?」

 どことなく冷たさを感じる声だった。

「なにって、幼馴染の幽れ――」

 慌てて言葉を切る。ふたりの表情に、はっきりと悲しみの色が交ざっていた。でもそれを見て、やっと気づくことができた。
 ふたりは生前と変わらず、俺のことを幼馴染って認識してその距離感でいるのに、俺は違う。彼女たちを幽霊、死者として、終わったものと認識してしまっている。そりゃ、ふたりからしたら違って感じるよな。長年一緒に生きてきた幼馴染なんだから。

「……幼馴染だ」

「最初からそうじゃん」

「そうだよ」

 俺の言葉にふたりは、にこやかに頷いた。

「ところで、まだ何か買うのか?」

 ハルとカナは顔を見合わせて視線だけで相談。

「もういい」

 小さく首を振ったハルに安堵の息を吐いた。どうやらこれ以上、財布の中から偉人たちが新たな持ち主の元へ旅立つことはないらしい。

「そろそろ食べたいかな」

 カナの視線は俺が持つビニール袋に注がれている。

「じゃあ、人の居ない……ふたりが物を持っても大丈夫なところに行くか」

 いくら人出が多くても、昨日の雨で足元が悪い林の中とか、日陰にはそんなに居ないだろうし。

「林の奥?」

 とりあえず案を出しておこうって感じでハル。

「トイレの裏?」

 キラキラとなにかを期待した瞳でカナ。
 実質的に、選択肢はひとつの気がする。

「……林の奥を採用」

「えーっ? トイレの裏でいいでしょ?」

 どうやらカナは納得できないらしい。

「カナ。今日みたいな日は、トイレとか人多いからな」

 そう言って、少し離れた位置にある公衆トイレを指差す。そこには短いものの順番待ちの列ができている。
 それに、たとえ人が居なくてもそんな場所で飲み食いするのには抵抗があった。

「で、でも――」

 ハルも俺と同じ気持ちなのか、

「ほ、ほら、早く行かないと冷めちゃうでしょ」

 とカナの言葉を遮り背中を押し始める。

「う、うん」

 渋々といった感じで頷くカナ。安堵の息を吐く俺とハル。
 俺たちは人混みを避けるように、林の中に入っていく。林の中は、木々の匂いと、湿った土の匂いが強かった。桜香りも、通り以上に感じられる。
 そんな俺たち……正確には、俺に集まる好奇の視線。中にはジッと見てくるものもある。
 まあ、傍から見ると独りで大量の食べ物や飲み物を持って、わざわざ足元の悪い林の中に行こうとしてるんだもんな。俺だって立場が逆なら同じように見るだろうし。そうわかっていても気持ちの良いものではない。

「ところでカナ。トイレの裏になにか拘りでも?」

 それを紛らわせるように、どうでもいいことを訊いてみた。

「んー、なんて言えばいいんだろ。萌えない? あの、限界に近い人がトイレに駆け込んでくるときの顔とか最高っ! 列で焦らされてる表情と、やっとスッキリした表情の違いとか見るの楽しいよ?」

 心から楽しそうに説明するカナ。
 そういえば、こんなやつだったな……。

「カナ……」

 ハルが妹の発言に本気で引いていた。それを見たカナが意地の悪い笑みを浮かべる。

「もちろん、わたしにいじめられて泣きそうなお姉ちゃんの表情の方が見応えあるよ」

「んなっ」

 妹の言葉に一瞬で真っ赤になる姉の図。

「お姉ちゃん。普段はあんなに気が強いのに、ちょっと触ると涙目になって可愛い声で鳴――」

 カナの言葉でハルの身体に視線を走らせてしまった俺は悪くないと思う。目の前であんな会話されたら誰だって見ちゃうだろ?

「カナっ!」

 そんな俺の様子にハルが慌ててカナの口を塞いで言葉を止める。いや、止めてもナニをやってたのかバレバレだけど。……この姉妹、幽霊になってもやること変わらないんだな。むしろそれ以外やることがなかったのか?

「……相変わらず仲が良いようで」

 気づいた時には言葉が口に出ていた。

「隆平っ、あんたも変に悟らないでっ!」

 涙目で言われても困る。可愛いとか思っちゃったし。てか、そんな反応するからカナにイジられるってことに気づけよ。

「お姉ちゃん。バレてるんだか隠す必要ないと思うよ」

 いつの間にか、カナがハルの手から逃れていた。実は――いや、見たままだな。この姉妹、力関係は妹の方が断然上だったりする。まあ、気が強いように見せているドがつくMの姉と、同じく内気のふりをしたドがつくSの妹だし、こうなるか。

「誰がドMよっ!?」

「どう考えてもお姉ちゃんだと思うよ。ちなみに隆ちゃん。わたしはSじゃないよ」

 …………。

「いや、どう考えてもSだろ。あとふたりとも、人の表情から心読むのをやめような?」

 前から気になってたんだけど、俺ってそんなに考えてること顔に出るのか? 自分じゃわからないし……。

「そんなことより、ここまで来れば平気でしょ」

 確かに、この辺なら周りから見えないし、遊歩道もない。一応、人の気配が無いことを確認してから俺は頷いた。
 ところでハルよ。『そんなこと』っていうのは、この会話か? それとも俺の悩みか?

「隆ちゃん。どっちでもいいよ」

 ハッキリしているのは、この姉妹には今も昔も隠し事ができないってことだな。

「わかったよ。とりあえず、座れそうな場所探そう」

 言いながら、歩く。
 いくら、昨日の雨でぬかるんでいても、探せば乾いた木の根とか椅子代わりになる大きさの石くらいはあるだろ。そう思いながら周囲を見渡すと、すこし離れた位置に、よさそうな石を見つけた。
 近づいて触ってみると、木々の間から日の光が当たる場所なのか乾いていた。大きさも、腰ほどの高さと、詰めればふたり並んで座れるくらいの幅があった。しかも、すぐ近く、向い合って座れる距離に太く乾いた木の根。文句なしだった。

「わたしと隆ちゃんが石で、お姉ちゃんが木の根かな」

「えっ? 普通は隆平が木の根なんじゃ?」

 カナの提案に、ハルが不思議そうに訊いた。

「俺も木の根のつもりだったんだけど」

 ハルに続く。

「お姉ちゃんだし」

「なるほど」

 思わず納得してしまう。

「……あんたたち、いい加減にしなさいよ」

 本人は怒ってるつもりなんだろうけど、全然怖くない。なぜなら、これとは比べ物にならないものが身近にあるのを知っているから。

「わたしスカートだし隆ちゃんが下に座るのはちょっと」

 そう言うカナは笑顔を浮かべている。ん? いまのセリフで笑顔? 違和感。

「カナ次第で、ちょうど見える高さだな。」

 念のために言っておくけど、いまのハルだからな。俺は、そんなこと思ってもない。って、どこの誰に言い訳してるんだか。

「……お姉ちゃん?」

 聞いたものを震え上がらせるような声だった。

「~♪」

 俺は口笛を吹きながら一歩、また一歩と距離をとって無関係をアピール。さっきから笑っているのは、ハルが罠に掛かるって確信してたからか。

「え……あのカナさん?」

「ふふっ。お姉ちゃんにはお仕置きが必要みたい」

 カナさん。にこにこ笑顔。

「いらないです。調子に乗りました。ごめんなさい」

「そうだよね」

「――いっ、痛いっ」

 『そうだよね』と言いつつ右足のつま先(それも小指付近)をグイグイと踏みつける妹と、『痛い』と言いつつも逃げる様子のない姉。いろんな意味でいいコンビだなと思った。

「……」

 そんなふたりを尻目に、俺は静かに石に腰を掛け、袋のからたこ焼きのパック(八個入り)を取り出し食べ始めるのだった。

「って、隆平っ! なにひとりで食べてんのよ、しかもあたしのたこ焼きっ」

 ほら、カナは怒らせると怖いし。なんてもちろん口には出さない。その代わりに、自分の口を塞ぐとばかりに爪楊枝で二個目を放り込む。

「うまいぞ」

 こういうところの屋台は、高くて味はイマイチってイメージあるけど、ここのは違った。

「隆ちゃん。たい焼き取ってよー」

「はいよ」

 ハルを開放して、俺の隣に座ったカナにたい焼きを手渡した。カナはたい焼きを右手で持つと小さな口で食べ始める。

「あ、おいしい」

「――おい、こら」

 俺は三個目を爪楊枝で刺し、食べようと口を開いたところで、横からハルに奪われた。

「ほんとだ、意外といける」

「……ハル。ちょっと待て」

「なに?」

 なにか問題でも? と視線をぶつけてくる。
 自然と至近距離で見つめ合う形に。吐息が鼻先に掛かってくすぐったい。

「目の前からたこ焼きが消えた俺はどうしたらいいんだ?」

「あたしにもう一個食べさせればいいんじゃない?」

 俺は無言で、たこ焼きをハルの口元に持っていく。そしてひとこと。

「ほら、あーん」

 わざとらしく言ってやる。

「っ、あ、あーん」

 そう言って、躊躇いながらたこ焼きにパクついたハルの顔はこれ以上がないほどに真っ赤になっている。普段は気の強いハルがたまに見せるらしくない表情。俺はこれに弱い。自分でもニヤけてるのがわかる。

「……はぁ」

 俺たちを見ていたカナがなぜかため息をついた。どことなく怒っているようにも見える。俺にはその理由がわからず、首を傾げるしかなかった。

「隆平? ひとりでなにやってんだ?」

 不意に背後から聞こえた男の声に、俺たちは見事に石化した。
 誰かいたのか? しかも知り合いが。
 カナが真っ先に状態異常から回復し、食べかけのたい焼きを背中に隠した。直後に自分の姿が俺たち以外に見えないせいで、傍から見るとたい焼きが空中に浮いているという状況を察したのかささっと木の陰に逃げこむのが見えた。
 俺は自分を落ち着かせるために大きく深呼吸。
 ハルは固まったままだ。幸い、カナと違って手に持っていたりはしてないから、不自然に物が空中に浮いていたりなんてはしてないはず。
 ゆっくりと振り向いた先には見慣れた姿があった。

「……達也?」

 俺たち、正確には俺を訝しげに見ていたのは悪友の達也だった。こいつとは中学時代に、出会って、反発。喧嘩。理解。和解。それらを経て今では自信を持って、親友と言える仲だ。そういえば喧嘩の理由ってなんだっけ? 思い出せないんだから大したことじゃなかったんだろうな。

「こんなところに食べもん持ち込んで……誰かと待ち合わせでもしてんのか?」

 達也視点だと、俺は数人分の食べ物や飲み物をわざわざ足元の悪い林の中に持ち込んでるように見えるもんな。そりゃ訝しげな表情にもなる。俺だって逆の立場ならそうだ。

「ああ、別の所に行っちゃった奴らと偶然会って、一緒に花見しようってことになったんだけど、姿が見当たらなくなって捜索中だったんだけどな。俺も腹減って休憩中。あいつら人混み苦手だから、もしかしたらこの辺に居ればひょっこり出てくるかなぁなんてな」

 嘘は言ってないよな。
 どうやら『あーん』は見られてなかったらしい。達也に気付かれないように安堵の息を吐いた。傍から見ると、たこ焼きがいきなり消えたようにしか見えないはずだからヤバかった。幽霊なんて言っても信じてもらえないだろうし、どうやって誤魔化せばいいのかわからな――。

「ふーん。お前、ずっとひとりだった気がするんだけど」

 なんとか動揺を表情と声に出さずに済んだ……よな? 

「そんなわけないだろ」

「いーや、屋台まわってるときも林に入るときもひとりだったぞ」

「――なっ」

 まさか、公園に入ってから何度か感じた視線ってこいつだったのか?

「なにか隠してないか?」

 達也の疑うような視線。

「……」

 俺は幽霊と花見なんて言えずに黙りこむしかない。

「……言いたくないのか? オレに言えないことなのか?」

 こいつに嘘を吐きたくないし、隠し事なんてしたくない。だからと言って本当のことを言っても信じてもらえないだけならいい、それよりも頭の心配をされそうな気がする。

「悪い。今日は勘弁してくれ」

 ならばと隠し事を隠さずにこの会話を終わらせることを選び、思いっきり頭を下げた。それに真剣に頼めばわかってくれるはずだ。

「……わかった。いつか話してくれるんだよな?」

「ああ」

 俺ははっきりと頷いた。
 達也は見るからに不満そうな顔をしている。だけどなにも言わずに林を出ていってくれた。すごくありがたい。俺ならいつか話してくれるだろうという信頼。絶対に裏切らないようにしないとな。

「隆平。いいの?」

 やっと石化から回復したハルの言葉。昔から予想外の出来事が起きると思考が飛んじゃうのは幽霊になっても相変わらずなんだな。ふと、彼女自身が幽霊だと気づいた瞬間どういう反応だったのかが気になる。

「……」

「……隆平?」

「悪い、考え事してた」

「そう、もう一回訊くけどいいの?」

「ん? どういう意味だ?」

 どういう「いいの?」なのかわからずに訊き返した。

「その――」

「達也くんに、んぐ。あんなに冷たくしてよかったの?」

 ハルが切った言葉をカナがたい焼きを口に入れながら引き継いだ。って、ちょっと待てカナ。そのたい焼き何匹目だ? 明らかに最初に渡したやつと中身が違うんだが。そう思ったけど藪蛇になりそうな確信があり、口には出さない。

「あいつなら大丈夫だよ」

 ただそれだけを答えた。
 そのあとは、思い出話に花を咲かせることになった。
 そして……こうやって楽しく過ごしている間も、最後の時は刻一刻と近づいていることに、俺は気づいていなかった。ふたりの言葉を、俺自身こういう奇跡は長くは続かないと感じたことすら忘れていたんだ。

「隆平。場所を変えようよ」

「静かな場所がいいな」

 太陽が完全に沈み、提灯や街灯の明かりが頼りになり始める頃、ふたりがそう言った。林の外では、夜桜を見ながら宴会を始めるグループが増え笑い声や叫び声が鬱陶しかったから異論はなかった。不意に酔っ払いや、テンションのおかしくなった人なんかが近づいてきそうな気配もあり、この場から離れることは賛成だった。
 三人で並んでゆっくりと林から出て、提灯の吊るされた桜並木の中を歩く。周囲の喧騒に反比例するように徐々にハルとカナの口数が減り始めたことに、段々と楽しい時間が終わってしまうような予感が大きくなっていた。そのせいか歩幅がふたりよりも狭くなったが、文句は言われない。むしろ、ふたりの歩幅は俺よりもさらに小さくなっていた。俺を挟むようにして歩いていたふたりは、いつの間にか俺の二歩後ろにいる。俯いているせいで表情はわからない。やがて、夜桜を楽しむ人達から逃げるように公園の北側にある丘の上にたどり着く。ここは灯りがほとんどなく、桜並木からも距離があるため人の姿はなかった。

「ここでいいか?」

 立ち止まり後ろにいるふたりに確認した。もう俺の足は止まっているのにふたりが並ぶことはない。移動中に出来た距離そのままにふたりも歩みが止まっていた。

「いいよ」

「うん」

「じゃあ――」

「隆平っ」

 俺が、話題の提供をしようとしたのを遮るように、ハルが俺の名前を呼んでくる。しかしその先が続かない。

「隆ちゃん。わたし達の話覚えてる?」

 そんな姉の様子にカナが引き継いだ。
 話って、真っ先に思い浮かんだのはついさっきまでしていた思い出話か? いや、言葉の雰囲気に違うと思った。それならハルが俺の言葉を止める理由もないだろうしな。

「話?」

 だから訊き返した。

「あたし、あんたが好き」

「わたし、あなたが好き」

 まったく予想していなかった言葉に思わずふたりを凝視してしまう。わずかに届く光の中で俯いているハルと、正面から見つめてくるカナ。その姿は霞がかかったようにぼんやりとしていた。

「――っ」

 思わず息を呑む。
 林の中に居たときはここまで透き通っていなかったはず。移動中にここまでなっていたのか? まさかふたりが俺の後ろを歩いていたのは悟られたくなかったから?

「あの日の続きってカナが最初に言ったでしょ」

 ハルの言葉に、再会した時のことを思い出す。確かにそんなことを言っていたような気がする。

「わたしたち、あの事故の日ね……こんなふうに告白するつもりだったんだよ」

 ふたりの未練は俺に関係あると言っていた。関係あるどころが、未練の対象じゃんか。

「それがこんな形になるなんて思っていなかったけど」

 顔を上げ苦笑するハル。視線が絡まり、俺は思わず目を逸らした。顔が熱い。あれ? さっきまではなんともなかったのになんでだ? 告白を聞いて意識したのか?

「しかたないよ、事故に遭って、しかも……死んじゃうなんて誰も予測できないもん」

 困ったような、諦めたような声だった。表情が気になってカナを見ると声から感じた通りの表情。目が合った。けどカナがすぐ視線を逸らした。

「カナ?」

「……隆ちゃんのなかで答え出てるみたいだね」

「――っ…………」

 答えってなんのだよっ。咄嗟にそう訊き返そうとして、だけど思い当たることがあって口を噤んだ。
 朝、写真の中の誰に声をかけて家を出た? ふたりに? いや、ハルしか見ていなかったんじゃないのか? もちろんカナを無視したわけじゃない。強く意識していたのはハルだ。
 幽霊になったふたりに声を掛けられたとき、どう反応した? カナには言葉を返せたのに、ハルに返せなかったのはなんでだ? それだけ衝撃が大きかったってことだよな?
 そして、いま。ふたりに告白されて、変わらず対応できるカナと意識してしまって目すら合わせられないハル。
 ……そっか、俺はハルのことが――気づいてしまった気持ちと、壊したくない三人の関係。勝ったのは前者のほうだった。
 意識して目をハルに向ける。体温が上昇し、心臓がうるさいくらいに脈打つ。

「隆平?」

 絡まった視線にハルがなにかを期待するような目をして小さく首を傾げる。その仕草が俺の知っているハルとは違っていて新鮮で素直にかわいいと思ってしまった。思わず笑みを浮かべてしまう。ここ最近、笑顔が無理してると言われることが多かった俺が自然と笑みを浮かべられる存在。やはり彼女は大切な者だという思いが湧いてくる。
 視線をカナに戻す。カナの姿は、どんどん薄くなっている。身体の輪郭は背景に溶け込んで、判別できなくなっている。何も言わないでいてもこのまま消えてしまいそうで怖い。だが、彼女たちが幽霊になってまで求めた答え。それを俺が出さないわけにもいかない。

「……カナ。ごめんな」

 言った瞬間、カナの身体が足から消えていく。

「ううん。気に――」

「カナっっ!」

 カナの姿が消えるとともに言葉が途切れる。紡ごうとしていた言葉の代わりに、残されたひとしずくの涙が地面にぶつかり砕け散った。まるでカナの気持ちのようだった。でも俺の脳裏に焼き付いている彼女の最後の表情は笑顔だった。この笑顔を俺は一生忘れない気がした。

「……隆平。いいの。あたしもあの娘もこうなるのわかってた。あたしも時間の問題だし……いまの言葉、最後まで聞かせて」

 優しく微笑んでいても、長い付き合いのせいか泣きたいのを我慢しているのがわかってしまう。カナのことで無理してるのがわかってしまう。ハルは誰よりも妹のことが好きだったのを俺はよく知っている。

「ハルっ? わかってたってどういうことだよ」

「幽霊って、未練があるからこの世に留まっていられるのよ。なによりも大切なのはそこ。未練の解消とかは問題じゃない」

「?」

 俺にはハルの言っている意味がわからない。

「あたしたち姉妹がこの世に留まるほど強く残っていた未練は……あんたに気持ちを伝えることだったのよ。今さっき告白したときに未練がなくなってる……」

「それって――」

「こうして隆平の気持ちを知ることができても、それがどんな悲しいモノでも嬉しいモノでも……もうこの世に居ることはできないのっ! 恋人になることができないのっっ!」

 最後の叫びがハルのなかの感情の防波堤を破壊してしまったのか、両の瞳から涙が溢れだす。

「ハルっ」

「え、隆平?」

 そんなハルを思わず抱きしめてしまった。人を抱きしめているような感触はなく、腕の中の大切な存在は今この瞬間にも消えてしまいそうだ。
 でも次に発する言葉はしっかりと目を見て伝えたい。そう思い、少しでも腕の力を緩めると消えてしまうんじゃないかという恐怖を抑え込み、そっと僅かに力を抜いて顔を見合わせる。

「俺は、ハルが好きだ」

 いまさっき気づいた俺の気持ち。本心。

「――っ、え、あっ」

 ボンっと音がしそうな勢いで、ハルの顔が赤くなる。たぶん、俺も似たような感じなんだろうな。お互いの呼吸と体温が伝わる距離だ。誤魔化しようもない。

「これからもずっと一緒に――」

「無理だよ」

 これも本心だった。けど、ハルの諦めたような声に遮られる。

「なんでっ!? 今こうやって話してる。消えてないじゃんかっ」

 吐息が掛かるような距離なのも忘れてつい大きな声を上げてしまった。

「これはちょっとした奇跡」

 俯き、上目遣い。一度、涙が溢れたからかその目は潤んでいる。こんなハルを見るのは初めてだった。

「だったら、この奇跡が続いたっていいだろ?」

「幽霊だってある意味、奇跡。そして、あたし自身の未練がなくなっているはずなのにまだ消えていないのも奇跡。どれだけ望んでも……いくら起きる可能性があっても簡単には起きないのが奇跡。それがふたつも起きただけでも十分恵まれてる。これ以上は欲張りだよ。だから――」

 何故かいたずらをしようとする子供みたいに笑うハル。

「なつ――んっ!?」

 ファーストキスはたこ焼きソースの味がした。

「はい、あなたにのわたしの奇跡。あげるね……隆ちゃん――」

「――」

 俺の幼なじみは恋人になり、惚れ惚れする最高の笑顔で最後の言葉を紡ぎ、腕の中から消えた。手の中にピンクのヘアピンが残った。ピンク……カナの好きな色。
 彼女は最後に俺のことを「隆ちゃん」と呼んだ。そう呼ぶのはカナだけだ。


     ☆☆☆

 今朝の自分の行動を思い出す。朝方の不思議な、それでいてやけにハッキリと覚えている夢のせいで微妙な目覚めとなってしまっていた。時計を見てデートの時間にギリギリなことに気づいて、慌てて準備をして部屋を出た。
 その時、ドア脇に置いてある棚の上。そこにある写真立てに入った一枚の写真。その写真に、

「行ってきます」

 と声を掛けた。
 写真の中では波うち際でハルがカナに後ろから抱きついてカメラに右手のVサインを向けて満面の笑みを浮かべている。ふたりともおろしたての高校のセーラー服を着ている。その隣で控えめに笑みを浮かべる俺も制服姿だ。これは、ふたりが事故に遭う数日前に撮ったもの。三人で撮った最後の写真。
 あの事故でハルは重傷を負い、カナは命を落とした。現実世界でハルは生きている。それなのに何故か夢の中ではふたりとも死んでしまっていた。そして幽霊として俺のところへ現れた。
 夢の中で俺が選んだのはハル。最後の言葉はカナ。残ったのもカナのヘアピン。つまり、ふたりはいつの間にか入れ替わっていた。その事実に俺は気づかないどころか、違和感すら感じなかった。

「折角のデートなんだからそんな暗い顔してないの」

 隣から聞こえた声に思考の海から引き戻された。退院後に付き合い始めたハルが心配そうに俺の顔を覗きこむ。朝方見た夢を思い出しとっさに目を逸らしてしまった。

「あ、悪い、ちょっと変な夢を視て……考え事してた」

 素直に謝りながら正直に夢を視たと話す。

「夢ねぇ……そういう言い方されると気になるけれど、聞かないでおくわ。聞いてほしくなさそうだし」

「流石、幼馴染から彼女になっただけあって心の内が筒抜けだな」

「良いんだか悪いんだかわからないけどね。……本当に大丈夫? なんだか元気なさそうだけど」

「カナが夢に出てきてさ……」

「あ……あの娘じゃ仕方ないわね。逆の立場なら、あたしだってあんたみたいに色々考えちゃうもの」

「悪い」

 お互いに高校では部活に入っていて、珍しく休みが重なった日曜日の貴重な一日デート。このまましんみりすることもないなと、話題の転換先を探す。
 そういえば、偶々出ていた屋台で甘味を買っていたっけな。お互いに好きなものを買っていた。ゆっくり座って食べられる場所を探そうと、取り敢えずバッグに入れてたけれど、冷めちゃうのも勿体ないしこの際、食べ歩きでもいいな。

「まったくこれでも食べて元気だしなさいよ。はい、あーん」

 なんて考えていたら、ハルが俺の口元にたい焼きを差し出してきた。どうやら同じことを思ったらしい。

「ありがと」

 遠慮なくパクっと噛むとクリームの甘味が口の中に広がっていく。

「はい、お返し。あーん」

 俺もお礼にと自分用に買ったベビーカステラの袋からひとつ取り出すと、彼女の口元に差し出す。

「あーん」

 俺が差し出したベビーカステラを、ハルは躊躇いなく口に入れた。指ごと。

「……」

 無言でハルを見る。えへへと恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべているのを見るにわざとか。デコピンでもしてやろうかと思い、視線を上げると彼女の前髪。太陽の光で光るピンクのヘアピンが目に入った。本人は形見だし、カナのことを忘れたくないからって常に身につけている。

 カナのことを忘れたくない。それは――死んだカナ? それとも、ハルとして生きることにしたカナ?

 俺にはわからなかった――。


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