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第六話 西宮北口
第六話
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聖人へ報告した翌日、由紀恵は悩んだ末、花屋で樒(しきび)を買ってホテルに戻った。
日和佐家に代々伝わる予知魔法は、樒の葉に火をつけ、その煙を吸うことで未来の様子を幻覚のように見るやり方だった。まるで大麻でトリップするようなやり方なので、由紀恵は嫌いだった。実際、数回しか試したことがない。
予知魔法はかなり難しい魔法だ。由紀恵はオールマイティに魔法を使うタイプで、予知魔法のプロではない。由紀恵の力では、再来週の水曜日にこころが起こす事件について、断片的に知ることしかできないだろうと思われた。
魔法庁によって禁止されているとはいえ、由紀恵が予知魔法を使ったところで、聖人にバレる心配はなかった。
由紀恵はホテルの一室で、樒の葉を一枚だけ灰皿の上に置き、マッチで火をつけた。
* * *
トリップに成功した由紀恵が見たのは、とある学校の女子トイレだった。
建物の雰囲気からして、この前由紀恵が訪れたこころの通う高校で間違いなかった。
由紀恵は、女子トイレの入り口から、中を覗く視点にいた。
トイレの中には、朝日こころの後ろ姿が見える。
そして、こころより奥で、一人の女子高生が倒れていた。
倒れているのでよくわからなかったが、茶髪がかった髪の、こころとは少し雰囲気が違いそうな女子に見える。
その女子はうつ伏せに倒れ、顔は見えない。
腰のあたりは、真っ赤な血で染まっていた。
(おいおい、もしかして、これ)
由紀恵はそう思って、こころの手元を見た。
右手に、茶色い柄の出刃包丁を持っていた。
しかし、包丁の刀身からこころの手まで、血と思われる赤い液体の跡はなく、綺麗なままだった。
やがてこころは包丁を落とし、腰を抜かせ、その場に尻もちをついて座りこんだ。
* * *
「やっっば……」
トリップから戻った由紀恵は、部屋の火災報知器が鳴らないように素早く火を消し、換気扇を回してから、ベッドに倒れ込んだ。
とんでもないものを見てしまった。
客観的に見れば、こころが相手の女子を殺害しているようにしか見えなかった。
相手の女子は、誰かわからないが、両親の話に出てきた近藤結花という女子だと思われた。突発的な喧嘩だとしたら、わざわざ包丁を準備しているのはおかしい。ある程度計画性がなければこのような事件は発生しない。こころの少ない交友関係の中で、殺害に至るような関係性になれるのは、黒澤大地との間で三角関係を構成できる近藤結花だけだ。とはいえ、誰なのかはあとで調べるしかなかった。
問題は、殺害の様子だった。
こころが包丁を持ち、相手は血を流して倒れている。どう考えても、こころが相手を刺殺したとしか思えない。
しかし、包丁には血痕がなかった。
それで由紀恵が疑ったのは、包丁ではなく、こころがこのタイミングで何らかの魔法を『発現』してしまい、相手に身体的ダメージを与えてしまったのではないか、ということだ。
どのような形の魔法なのかはわからない。例えば、高速の空気の流れを発生させ、刃のようにして相手を刺すようなことも可能だ。由紀恵が見たのは、相手の女子が倒れた後だったので、傷を負わせる手法はわからなかった。
そうだとすると非常にまずい。今回の場合、凶器の包丁が揃っているから、魔法警察に送られる可能性は低く、通常の刺殺事件と思われるだろう。魔法警察が出てくるのは、どうしても通常の科学では解明できない時だけだ。
再来週の水曜日、こころは殺人を犯すことになり、それは魔法の仕業だと解明されることなく、とある高校で起こった十代の若者の犯罪として処理される。
最大の問題は、由紀恵がその未来を変えてはならない事だった。
仮に由紀恵が、こころの殺害を阻止したとしたら、未来予知をした由紀恵は、『タイムパラドックス症候群』に襲われ、ただではすまない。
『タイムパラドックス症候群』の症状は、改変した未来の内容に比例すると言われる。これで由紀恵が相手の女子の運命を死から生へと変えてしまった場合、由紀恵自身の運命が生から死へ変わってしまう可能性もある。
ああ、なんてものを見てしまったんだ。
聖人さんの言うとおり、予知魔法なんて使うんじゃなかった。
由紀恵は自分の行いをひどく後悔した。まさかこんなに重い事件だとは思っていなかった。
どうにかして、由紀恵が見た未来を改変せずに済む方法を考えたが、これといって良い策は浮かばなかった。
例えば、倒れた女子から流れていた真っ赤な液体は、血ではなくケチャップだったとか。いや、女子高生がケチャップ持ち歩く訳ないだろ。じゃあ野菜ジュースならどうだ? 女子高生、若くて健康なんだから野菜ジュースなんて飲まないだろ普通……
ミステリ小説じゃないんだから、そんな都合のいいトリックなんて思い浮かばないわ。
由紀恵は悩んだ。
これ以上のことはもう知りたくないので、勝手に西宮北口を離れることも考えた。
しかし――
『魔法士の方って、みんな日和佐さんみたいに綺麗な若い女性なんですか』
由紀恵の頭の中に、朝日こころが口にしたあの言葉がまた蘇った。
あんなにピュアなことを言うこころが、殺人に至るとは一体何事なのか。
やはり、本当にそんなことが起こると、由紀恵はまだ信じられない。
まだ、こころを見捨てたくない。
あの子のために何かしてあげたい。
今の由紀恵にできることは、見てしまった未来を変えないよう極力配慮しつつ、朝日こころを取り巻く問題について、調査することしかなかった。
日和佐家に代々伝わる予知魔法は、樒の葉に火をつけ、その煙を吸うことで未来の様子を幻覚のように見るやり方だった。まるで大麻でトリップするようなやり方なので、由紀恵は嫌いだった。実際、数回しか試したことがない。
予知魔法はかなり難しい魔法だ。由紀恵はオールマイティに魔法を使うタイプで、予知魔法のプロではない。由紀恵の力では、再来週の水曜日にこころが起こす事件について、断片的に知ることしかできないだろうと思われた。
魔法庁によって禁止されているとはいえ、由紀恵が予知魔法を使ったところで、聖人にバレる心配はなかった。
由紀恵はホテルの一室で、樒の葉を一枚だけ灰皿の上に置き、マッチで火をつけた。
* * *
トリップに成功した由紀恵が見たのは、とある学校の女子トイレだった。
建物の雰囲気からして、この前由紀恵が訪れたこころの通う高校で間違いなかった。
由紀恵は、女子トイレの入り口から、中を覗く視点にいた。
トイレの中には、朝日こころの後ろ姿が見える。
そして、こころより奥で、一人の女子高生が倒れていた。
倒れているのでよくわからなかったが、茶髪がかった髪の、こころとは少し雰囲気が違いそうな女子に見える。
その女子はうつ伏せに倒れ、顔は見えない。
腰のあたりは、真っ赤な血で染まっていた。
(おいおい、もしかして、これ)
由紀恵はそう思って、こころの手元を見た。
右手に、茶色い柄の出刃包丁を持っていた。
しかし、包丁の刀身からこころの手まで、血と思われる赤い液体の跡はなく、綺麗なままだった。
やがてこころは包丁を落とし、腰を抜かせ、その場に尻もちをついて座りこんだ。
* * *
「やっっば……」
トリップから戻った由紀恵は、部屋の火災報知器が鳴らないように素早く火を消し、換気扇を回してから、ベッドに倒れ込んだ。
とんでもないものを見てしまった。
客観的に見れば、こころが相手の女子を殺害しているようにしか見えなかった。
相手の女子は、誰かわからないが、両親の話に出てきた近藤結花という女子だと思われた。突発的な喧嘩だとしたら、わざわざ包丁を準備しているのはおかしい。ある程度計画性がなければこのような事件は発生しない。こころの少ない交友関係の中で、殺害に至るような関係性になれるのは、黒澤大地との間で三角関係を構成できる近藤結花だけだ。とはいえ、誰なのかはあとで調べるしかなかった。
問題は、殺害の様子だった。
こころが包丁を持ち、相手は血を流して倒れている。どう考えても、こころが相手を刺殺したとしか思えない。
しかし、包丁には血痕がなかった。
それで由紀恵が疑ったのは、包丁ではなく、こころがこのタイミングで何らかの魔法を『発現』してしまい、相手に身体的ダメージを与えてしまったのではないか、ということだ。
どのような形の魔法なのかはわからない。例えば、高速の空気の流れを発生させ、刃のようにして相手を刺すようなことも可能だ。由紀恵が見たのは、相手の女子が倒れた後だったので、傷を負わせる手法はわからなかった。
そうだとすると非常にまずい。今回の場合、凶器の包丁が揃っているから、魔法警察に送られる可能性は低く、通常の刺殺事件と思われるだろう。魔法警察が出てくるのは、どうしても通常の科学では解明できない時だけだ。
再来週の水曜日、こころは殺人を犯すことになり、それは魔法の仕業だと解明されることなく、とある高校で起こった十代の若者の犯罪として処理される。
最大の問題は、由紀恵がその未来を変えてはならない事だった。
仮に由紀恵が、こころの殺害を阻止したとしたら、未来予知をした由紀恵は、『タイムパラドックス症候群』に襲われ、ただではすまない。
『タイムパラドックス症候群』の症状は、改変した未来の内容に比例すると言われる。これで由紀恵が相手の女子の運命を死から生へと変えてしまった場合、由紀恵自身の運命が生から死へ変わってしまう可能性もある。
ああ、なんてものを見てしまったんだ。
聖人さんの言うとおり、予知魔法なんて使うんじゃなかった。
由紀恵は自分の行いをひどく後悔した。まさかこんなに重い事件だとは思っていなかった。
どうにかして、由紀恵が見た未来を改変せずに済む方法を考えたが、これといって良い策は浮かばなかった。
例えば、倒れた女子から流れていた真っ赤な液体は、血ではなくケチャップだったとか。いや、女子高生がケチャップ持ち歩く訳ないだろ。じゃあ野菜ジュースならどうだ? 女子高生、若くて健康なんだから野菜ジュースなんて飲まないだろ普通……
ミステリ小説じゃないんだから、そんな都合のいいトリックなんて思い浮かばないわ。
由紀恵は悩んだ。
これ以上のことはもう知りたくないので、勝手に西宮北口を離れることも考えた。
しかし――
『魔法士の方って、みんな日和佐さんみたいに綺麗な若い女性なんですか』
由紀恵の頭の中に、朝日こころが口にしたあの言葉がまた蘇った。
あんなにピュアなことを言うこころが、殺人に至るとは一体何事なのか。
やはり、本当にそんなことが起こると、由紀恵はまだ信じられない。
まだ、こころを見捨てたくない。
あの子のために何かしてあげたい。
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