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第三話 大多喜
第2話
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北原家の畑は、家のすぐ近くだった。農家だったら当然の事なのだが。
五歳の怜菜は、「まほうつかい」と一緒にいられるので、とても上機嫌だった。麻里よりも先に歩いて、「こっちこっち!」と先導してくれた。
主に野菜を扱っている畑らしく、春大根が実っていた。何のことはない、ごく普通の畑だった。周囲には動物よけの網が張られていたが、電流が流れるタイプではなく、ただの障害物でしかない。あまり効果はなさそうだな、と由紀恵は思った。
相談されていた野生動物は、見当たらなかった。
「人間がよく通る時間帯には出ないんですよね」
「ですよねー」
麻里にそう説明されたが、田舎育ちの由紀恵は、野生動物がとても狡猾なことを知っていたので、特に驚かなかった。
「あっ! なんかいる!」
その時、怜菜が畑の奥の方を指差して叫んだ。
鹿のようだが、それにしては小さく、角の生えていない四足歩行の動物がいた。
由紀恵は見たことがない動物だった。
「あれ、なに? 子鹿?」
「キョン!」
怜菜が答えた。さすが地元の子供、よく野生動物を見ているらしい。
「きょん……?」
「千葉ではよくいるんですよ。昔ペットとして導入されたのが野生化して、千葉県じゅうに生息してるみたいです」
「ははあ」
大体この手の野生動物は鹿かイノシシ、それにサルくらいなので、キョンを見た由紀恵は驚いた。鹿よりも小さいし、イノシシみたいな攻撃性もなさそうなので、弱々しい動物に見えた。駆除対象としてはそんなに苦労はしなさそうだった。
「キョンあっちいけー!」
ぼうっと見ていたら、怜菜が長い木の枝をぶんぶん振り回しながらキョンを威嚇していた。
「あー、危ないよ!」
あわてて由紀恵は、怜菜を止めようとした。
大人の由紀恵や麻里はともかく、まだ体の小さな怜菜は、おとなしい小型草食動物のキョンであっても襲われる可能性はある。由紀恵は小さい頃から、野生動物は恐ろしいから絶対近寄らないように、と教えられていたので、怜菜の行動に焦った。
しかし、キョンはそんな怜菜を見て、驚いたのかさっさと山の中へ逃げてしまった。
「あはは。キョンは臆病だから大丈夫ですよ。でも夜中になると集まって泣くので、うるさいんですよね」
「はあ」
怜菜が、したり顔で由紀恵のところへ駆けてきた。
「わたしがまほうでキョンやっつけた!」
「魔法? お姉さんには見えなかったけどなあ」
実際、怜菜は本当に大声を出しただけで、魔法の気配は感じなかった。ただの魔法ごっこだ。
「わたし、まほうつかいになってわるいどうぶつやっつけるの!」
麻里は隣で笑っていたが、怜菜は真面目にそう言っていた。
「ふうーん」
由紀恵は、そのことを記憶にとどめ、畑を後にした。
* * *
その日の夜。
由紀恵は、滞在先のホテルから歩いて、また北原家の畑を訪れた。
麻里には、いつ畑へ入ってもいいように許可を取ってある。魔法を使うところは一般人に見せられないので、もしいても見ないでくれ、とも伝えた。
畑に近づいてみると、真っ暗で何も見えなかったが、ギョーウ、ギョーウというなんとも耳障りな動物の鳴き声が聞こえた。
ライトで照らしたら驚かれるので、由紀恵は魔法で暗視をした。
北原家の周りに、十数匹のキョンが集まっていた。キョンたちは畑を荒らしたりはせず、ひたすら北原家の建物に向かって、なにかを訴えていた。
「あー……やっぱ、呼び寄せちゃってるか」
野生動物の行動を完全に読むことはできないが、それにしても異常な光景だった。
キョンたちが北原家に呼び寄せられている。そういう風にしか見えない。
麻里たちと別れた後、由紀恵はキョンについて調べていた。もともと中国や台湾に生息していた鹿の仲間で、近年は天敵のいない千葉県周辺で大増殖中。特定外来生物であり、捕獲された個体は駆除されるという。
野生動物を駆除していいのは、猟友会など一部の人間に限られるが、魔法士は自らの職務に必要であれば、希少種を除き駆除してもよいという特権的な制度がある。フリーの魔法士の中には、害獣駆除ばかり引き受けて荒稼ぎしている者もいる、という噂もあるほどだった。
由紀恵は静かにキョンの群れに近づき、大きめの一匹に狙いを定めた。
狙われたキョンは、ゆっくりと浮遊し、一メートルくらいの高さまで上昇した。
自分が何をされるのか察したらしいキョンは、突然ビアーオウ、ビアーオウ、とまるで赤ん坊が泣き叫ぶ時のような、大声をあげはじめた。
「なんだこいつ、やりにくいなあ」
農家の人たちは、日が暮れたら仕事を終えると決まっているから、こんなにうるさい声が聞こえてもいちいち外には出てこないだろう。しかし北原家の人々に魔法の使用を感づかれるのはまずかったので、由紀恵は慈悲もなく、手を下すことにした。
「害獣は殺してもよい。これは人類と動物との競争であって罪ではない」
急に表情を変え、真剣な眼差しでキョンを見つめながら、由紀恵はそう言った。
これは、かつて実家近くに出没したイノシシを捕獲した由紀恵の祖父が、まだ幼い由紀恵に言い放った言葉である。このあとイノシシは祖父の手で処分された。由紀恵の祖父も魔法士であり、その時と同じ魔法を使う。
由紀恵が念じると、キョンの全身が青白い炎に包まれた。
ビギャッ、と断末魔の叫びをあげたキョンは、すぐに静かになり、青白い炎の中へ消えた。
数秒にしてキョンの姿形はなくなり、白い灰が畑に待った。それすらも、春先の強い風に吹かれ、大多喜町の空へ散逸してしまった。
異常を感じた他のキョン達は、一目散に逃げてしまった。
「はあ。これで収まってくれたらいいけど」
由紀恵はため息をつきながら、ホテルへ歩いて戻った。途中コンビニで由紀恵の好きな『雪見だいふく』を買って、寝る前に食べた。日本全国どこへ行っても、いやな仕事の後であっても、雪見だいふくは美味しかった。
五歳の怜菜は、「まほうつかい」と一緒にいられるので、とても上機嫌だった。麻里よりも先に歩いて、「こっちこっち!」と先導してくれた。
主に野菜を扱っている畑らしく、春大根が実っていた。何のことはない、ごく普通の畑だった。周囲には動物よけの網が張られていたが、電流が流れるタイプではなく、ただの障害物でしかない。あまり効果はなさそうだな、と由紀恵は思った。
相談されていた野生動物は、見当たらなかった。
「人間がよく通る時間帯には出ないんですよね」
「ですよねー」
麻里にそう説明されたが、田舎育ちの由紀恵は、野生動物がとても狡猾なことを知っていたので、特に驚かなかった。
「あっ! なんかいる!」
その時、怜菜が畑の奥の方を指差して叫んだ。
鹿のようだが、それにしては小さく、角の生えていない四足歩行の動物がいた。
由紀恵は見たことがない動物だった。
「あれ、なに? 子鹿?」
「キョン!」
怜菜が答えた。さすが地元の子供、よく野生動物を見ているらしい。
「きょん……?」
「千葉ではよくいるんですよ。昔ペットとして導入されたのが野生化して、千葉県じゅうに生息してるみたいです」
「ははあ」
大体この手の野生動物は鹿かイノシシ、それにサルくらいなので、キョンを見た由紀恵は驚いた。鹿よりも小さいし、イノシシみたいな攻撃性もなさそうなので、弱々しい動物に見えた。駆除対象としてはそんなに苦労はしなさそうだった。
「キョンあっちいけー!」
ぼうっと見ていたら、怜菜が長い木の枝をぶんぶん振り回しながらキョンを威嚇していた。
「あー、危ないよ!」
あわてて由紀恵は、怜菜を止めようとした。
大人の由紀恵や麻里はともかく、まだ体の小さな怜菜は、おとなしい小型草食動物のキョンであっても襲われる可能性はある。由紀恵は小さい頃から、野生動物は恐ろしいから絶対近寄らないように、と教えられていたので、怜菜の行動に焦った。
しかし、キョンはそんな怜菜を見て、驚いたのかさっさと山の中へ逃げてしまった。
「あはは。キョンは臆病だから大丈夫ですよ。でも夜中になると集まって泣くので、うるさいんですよね」
「はあ」
怜菜が、したり顔で由紀恵のところへ駆けてきた。
「わたしがまほうでキョンやっつけた!」
「魔法? お姉さんには見えなかったけどなあ」
実際、怜菜は本当に大声を出しただけで、魔法の気配は感じなかった。ただの魔法ごっこだ。
「わたし、まほうつかいになってわるいどうぶつやっつけるの!」
麻里は隣で笑っていたが、怜菜は真面目にそう言っていた。
「ふうーん」
由紀恵は、そのことを記憶にとどめ、畑を後にした。
* * *
その日の夜。
由紀恵は、滞在先のホテルから歩いて、また北原家の畑を訪れた。
麻里には、いつ畑へ入ってもいいように許可を取ってある。魔法を使うところは一般人に見せられないので、もしいても見ないでくれ、とも伝えた。
畑に近づいてみると、真っ暗で何も見えなかったが、ギョーウ、ギョーウというなんとも耳障りな動物の鳴き声が聞こえた。
ライトで照らしたら驚かれるので、由紀恵は魔法で暗視をした。
北原家の周りに、十数匹のキョンが集まっていた。キョンたちは畑を荒らしたりはせず、ひたすら北原家の建物に向かって、なにかを訴えていた。
「あー……やっぱ、呼び寄せちゃってるか」
野生動物の行動を完全に読むことはできないが、それにしても異常な光景だった。
キョンたちが北原家に呼び寄せられている。そういう風にしか見えない。
麻里たちと別れた後、由紀恵はキョンについて調べていた。もともと中国や台湾に生息していた鹿の仲間で、近年は天敵のいない千葉県周辺で大増殖中。特定外来生物であり、捕獲された個体は駆除されるという。
野生動物を駆除していいのは、猟友会など一部の人間に限られるが、魔法士は自らの職務に必要であれば、希少種を除き駆除してもよいという特権的な制度がある。フリーの魔法士の中には、害獣駆除ばかり引き受けて荒稼ぎしている者もいる、という噂もあるほどだった。
由紀恵は静かにキョンの群れに近づき、大きめの一匹に狙いを定めた。
狙われたキョンは、ゆっくりと浮遊し、一メートルくらいの高さまで上昇した。
自分が何をされるのか察したらしいキョンは、突然ビアーオウ、ビアーオウ、とまるで赤ん坊が泣き叫ぶ時のような、大声をあげはじめた。
「なんだこいつ、やりにくいなあ」
農家の人たちは、日が暮れたら仕事を終えると決まっているから、こんなにうるさい声が聞こえてもいちいち外には出てこないだろう。しかし北原家の人々に魔法の使用を感づかれるのはまずかったので、由紀恵は慈悲もなく、手を下すことにした。
「害獣は殺してもよい。これは人類と動物との競争であって罪ではない」
急に表情を変え、真剣な眼差しでキョンを見つめながら、由紀恵はそう言った。
これは、かつて実家近くに出没したイノシシを捕獲した由紀恵の祖父が、まだ幼い由紀恵に言い放った言葉である。このあとイノシシは祖父の手で処分された。由紀恵の祖父も魔法士であり、その時と同じ魔法を使う。
由紀恵が念じると、キョンの全身が青白い炎に包まれた。
ビギャッ、と断末魔の叫びをあげたキョンは、すぐに静かになり、青白い炎の中へ消えた。
数秒にしてキョンの姿形はなくなり、白い灰が畑に待った。それすらも、春先の強い風に吹かれ、大多喜町の空へ散逸してしまった。
異常を感じた他のキョン達は、一目散に逃げてしまった。
「はあ。これで収まってくれたらいいけど」
由紀恵はため息をつきながら、ホテルへ歩いて戻った。途中コンビニで由紀恵の好きな『雪見だいふく』を買って、寝る前に食べた。日本全国どこへ行っても、いやな仕事の後であっても、雪見だいふくは美味しかった。
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