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第六章 社畜と女子高生と二人の選んだ道
18.社畜とラブレター
しおりを挟むその後、俺と篠田は――理瀬にも言われたが、結婚したのだからもう篠田ではなく彩香は、コロラド州での新婚旅行を楽しんだ。
旅行会社に組んでもらった通り、ガイドつきでグランドキャニオンの雄大な大自然を周ったり、日本にはないカジノリゾートで遊んだり。
予定通り三日間の旅行を終えると、ボルダー市にいる理瀬のところへ戻ったりはせず、そのままデンバー国際空港から直行便で日本へ帰った。
「理瀬ちゃん、いい子だったなあ」
帰りの飛行機が離陸した時、彩香がそう呟いた。理瀬がしっかり成長していることを感じとっていた俺は、寂しさを押し殺して「そうだな」と返事をした。
** *
和枝さんのお墓の前で理瀬に手を握られた時、小さなものを手渡されていた。というか、手を離した時に無理やり握らされた。
それは二つの指輪だった。
宝石は入っておらず、高いものではないと思う。大きいのと小さいのがそれぞれ一つ。どう考えてもペアリングだった。
日本に帰ってから、俺と彩香は新婚旅行の次に控える結婚式という一大イベントに向けて奔走していた。その合間を縫って、彩香には内緒でこっそり、豊洲のマンションを一度訪れた。そこへ行けば謎が解けるような気がしていた。
誰かが定期的に掃除しているらしく、部屋は綺麗だった。理瀬の持ち物は全てなくなっていて、生活感はない。もぬけの殻、と言うのが正しい。
案の定、俺達が料理をするためよく一緒に立っていたキッチンに、一枚の便箋が置かれていた。女子高生らしい丸文字で書かれた、シンプルな手紙だった。
手紙の中身はこうだった。
宮本さんへ
もう知っていると思いますが、私は言葉や文章にして気持ちを伝えるのが下手なので、うまく伝えられるかどうかわかりませんが、最後に一通だけ手紙を書いてみました。
(これを書いたのは、アメリカへ行く前の日。最後にマンションを片付けていた時です。状況が変わっていたらごめんなさい)
私の作戦が上手くいっていれば、宮本さんに二つ、私からプレゼントをしているはずです。
一つは、このマンションの鍵。私は今後、日本に戻らずアメリカで就職する可能性もあるので、この部屋は好きに使ってください。もちろん彩香さんも一緒でいいです。ここにずっと住むことを希望するなら、私が日本に帰るとしても、別の家を手配してもいいです。これは宮本さんが私にいろいろ教えてくれたことのお礼なので、何も遠慮しなくていいです。
もう一つは――こちらは、上手く渡せているかどうか、自信がないんですけど。
ペアの指輪を、渡していると思います。
その指輪は、私がバレンタインデーの直前くらいに買ったものです。私が宮本さんへの気持ちをどうしても抑えきれなくなっていた頃、もし宮本さんと付き合えたら二人でこの指輪をするんだ、と思って、当時やっていたバイトのお給料で衝動的に買ったものです。
付き合う約束もしていないのにペアの指輪を買うだなんて、自分でもちょっとやりすぎだと思います……でも、一緒の指輪をつけられたらどんなに嬉しいか、想像するだけで楽しかったんです。
宮本さんが篠田さんと結婚した今、その指輪は無意味になりました。捨てようかと思いましたが、どうしても捨てられません。そんなに高いものではないので、いらないと思うのなら宮本さんが捨ててください。これは私からの最後のお願いになると思います。
手紙なので、何も遠慮しないで本音を書きます。私は今でも宮本さんが好きです。彩香さんと結婚して、どう頑張っても私のことを見てくれないのは認めますが、それでも好きです。諦められません。時間をかければ忘れられるのかもしれませんが、今はまだそういう気になりません。
指輪を渡したのは――もしかしたら、宮本さんの気が変わって、もう一度私のことを気にしてくれるかもしれない、という、何の根拠もない私の希望です。
その時は、小さい方の指輪だけ私に送ってください。もちろん、そうならない方が宮本さんや彩香さんの人生のためになることはわかっています。
私の最後のわがままです。もし気に入らなかったら、この手紙と指輪は捨ててもらってもかまいません。
約一年間にわたってこんな私の面倒を見てくれて、本当にありがとうございました。宮本さんからは、自分で勉強するだけではわからない大事なことをいくつも学びました。宮本さんがいなければ、お母さんが亡くなった後もアメリカへ行くと決心できなかったと思います。これは本当にそう思っています。宮本さんは私の、人生の恩人です。
最後になりますが……彩香さんとお幸せに。子供ができたら、私も会わせてくださいね。
常磐 理瀬
よくある女子高生のラブレターだな、と俺は思った。
しかし、理知的で大人だと思っていた理瀬が、こんな青春丸出しの手紙を書いていること自体、俺と出会ったことによる変化だと思われた。
この変化が理瀬にとっていいことだったのか、俺にはわからない。もしかしたら、俺みたいな凡人とは関わらず、和枝さんや式田さんみたいにハイスペックな人たちとだけ関わっていた方が、能力を発揮できたかもしれないのだ。
一つだけ言えるのは、理瀬が俺から受け取ったもの以上に、俺が理瀬から受け取ったものが大きいという事だった。
理瀬と出会わなければ――篠田と適当な気持ちで結婚する、という当時の俺の作戦がそのまま実行され、なんとなく適当な家庭が築かれていただろう。色々あったが、結果的にはあの時よりも、篠田とは仲が深まったように思う。一緒に困難を乗り越えた方が、信頼は深まるのだ。
感謝したいのは俺のほうなんだよ、理瀬。
俺はまた、ボルダー市の和枝さんのお墓の前でそうなったように、目から涙を落としていた。歳のせいか、涙腺というものの制御機能がなくなったのだろうか。
「元気でな、理瀬」
俺は理瀬の部屋に入り、彼女が使っていた勉強机の引き出しの中に指輪を入れた。小さい方の指輪を理瀬に送るつもりは、今のところなかった。この先、その二つの指輪がどんな運命をたどるか。それは理瀬が決めることだった。まだ若い彼女には、ただの社畜になってもう後戻りできない俺とは違って、無限の可能性がある。このマンションと二つの指輪は、その象徴だった。
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