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第六章 社畜と女子高生と二人の選んだ道
12.社畜と運命の日
しおりを挟む伏見は、照子が理瀬と話したことを知っていた。照子が説得して、俺と話す気になったと言った。俺はすぐに、照子へ電話した。
「どんな手を使ったんだよ」
『ふふふ。女同士の秘密やけん、剛には教えれん。剛と篠田ちゃんが結婚することはまだ言ってないよ』
照子と理瀬の話は気になったが、結局、照子は最後まで教えてくれなかった。
その後、篠田にもそのことを伝えた。篠田も驚いていたが、照子は俺たちに言うつもりがなさそうだ、と言うと納得していた。
すかさず伏見が動いた。俺、篠田、伏見、理瀬の四人で、理瀬の滞在しているホテルで話をする段取りをしてくれた。
本当は、もう少しゆっくり理瀬を説得する話し方を考えたかったが、理瀬の気が変わらないうちに、というのが伏見の意見で、俺も納得していた。
その日が来た。
土曜の午後、理瀬の泊まっている丸の内のホテルの一室で、俺たちは会うことになった。
まず伏見が先に理瀬と会い、理瀬の意向を最終確認してから、俺と篠田がホテルの部屋に入った。
理瀬は、伏見の隣で、ソファに座っていた。
「……変わってないな。ストレスで痩せていたらどうしようかと思った」
俺はそう言ったが、理瀬は無言で、目の前のテーブルを見つめたままだった。
篠田と二人で、対面のソファに座る。
「まず、宮本さんと篠田さんから、話したい事があるそうです」
伏見が司会役をして、俺から話そうとした。
「俺たち――」
「私たち――」
と思ったら、篠田と話しはじめるタイミングが被ってしまった。
俺も緊張しているが、篠田も初めて入る高級ホテルの雰囲気に気圧されていて、ガチガチになっていた。部屋に入るまでふたりとも無言で、申し合わせもしていなかったのだ。
「ちょっと、私がいま言おうとしたんですよ」
「こういう時は男からに決まってるだろ」
「知らないですよ。私だって理瀬ちゃんの友達だし、自分で言いたいんです」
突然口喧嘩をはじめる俺たちを見て、理瀬はきょとんとしていた。
「ご、ごめんね、理瀬ちゃん」
「いや、もういいですよ。二人の言いたいこと、なんとなくわかりましたよ。付き合いはじめたんですね」
「どうして、そう思った?」
俺が言うと、理瀬はとても寂しそうな顔をした。
「私、二人が仲良くなっていくところ、すごく近くで見てたので。あの頃の雰囲気に戻ったな、って思ったんですよ」
今度は俺と篠田がきょとんとする番だった。結婚の約束をしたとはいえ、たったの数日でもとの関係にまで戻れたとは、俺も、篠田も思っていなかった。
「俺たち、結婚することにしたんだ」
「……そう、ですか。おめでとうございます」
理瀬はあまり驚かなかった。もう気持ちを決めているようだった。照子との話がよほど響いたのだろうか。
「ここからは俺だけで話す。ちょっと前、和枝さんが亡くなる前に、俺と理瀬は恋人同士のような関係になろうとした。それは間違いない事実だ。俺から仕向けたともいえる。そもそも最初にお前のことを気にかけたのは俺だからな。でもそれは間違いだった。未成年の理瀬を、大人の俺が誘惑するような真似は一切すべきでなかった」
その場の空気が凍りついた。
伏見は険しい顔を続け、篠田はとても辛そうな顔をしていた。
理瀬は、あまり表情を変えず俺の言葉を聞いていた。
「だから――すまない。俺から好きだと言われたことは全部忘れてくれ。いや忘れるのは無理だろうから、おっさんのセクハラだったということにして、気持ち悪いおっさんがいたと言うことにしてくれ。それでいいだろう?」
誰も、何も言わないので、俺は焦っていた。最も核心的なことを話しているのに、気持ちが空回りして、うまく言えなかった。
まずいと思って、俺は黙ってしまった。
その後も沈黙の時間は続いた。
これまでの人生でいちばん静かで、辛い時間だった。
「……嘘、だったんですか」
長い沈黙のあと、話しはじめたのは理瀬だった。
「私のこと好きだ、って言ったはずですよ。それは全部嘘だったんですか」
いちばん苦しい指摘だった。
今はともかく、当時の俺は理瀬に心酔していたし、異性として好きだという気持ちもあった。
理瀬に忘れてもらうため、とはいえ、嘘だというのは俺自身心苦しかった。
「私、照子さんに教えてもらったんです。高校時代の宮本さんは、照子さんに会った時は毎日『好きだ』って言って、キスもしてくれたって。でも、今はもうそういう仲じゃない。どんな人にも、一時期好きだった人はいるものだから――だから、今、宮本さんが篠田さんと付き合う、っていう話は、もういいんですよ。私は、それより、私の好きな宮本さんのあの時の気持ちが、本当だったかどうか、確かめたいんですよ」
理瀬はやはり、俺の知っている理瀬だった。
自分の気持ちですらロジカルに分析して、その上で最も的確なところを聞いてきた。
篠田が隣にいる今、俺が正直に答えるのはとても危険だったのだが――もしかしたら、この質問で俺と篠田との関係をぶっ壊そうとしているのかもしれないが。
あまり長く考えている時間もなかった。
俺は、最初から用意していたセリフを、そのまま読み上げることにした。
「俺は、お前のことを親のような気持ちで見ることはあっても、異性として見たことはなかった。一瞬だけ、その気持ちを恋愛感情みたいに勘違いした事もあったが、その時の俺は、同時に色々なことがあって、精神的に弱っていた。だから、俺の弱さで、結果的にお前を傷つけることになった。全部俺のせいだ。殴ってくれてもいい」
もしかしたら、『あの時は本当に好きだった』というのが正しい答えだったかもしれない。
だが、俺は決めていた。恋愛対象としての理瀬は徹底的に突き放し、諦めさせなければならない。理瀬をさらに傷つけることになっても、ずるずると俺のことを諦められずに過ごすよりはマシなはずだ。決意をしてくれた篠田のこともある。
「……わかってましたよ」
理瀬は、声を震わせていた。
「宮本さんが、私のことをただの子供としか思っていないこと、全部わかってましたよ。あの時好きだって言ってくれたのも、子供のわがままを聞いてあげただけだって……ずっとそう思ってましたよ」
「すまん!」
俺は最終手段・土下座を実行した。
女三人の前で土下座。情けなかったが、全て自分の蒔いた種だった。
また、長い沈黙が流れる。
頭を床にこすりつけたまま、誰かが立ち上がる音を聞いた。それは間違いなく、俺の正面にいる理瀬だった。
「いっ、い、ですよ」
理瀬は泣いていた。まともに舌が回っていなかった。
「辛い、ですけど、最後まで、こうやって、ちゃんと言ってくれたのは、宮本さんの優しいところで……私はそういうところを好きになったので……最後にそれが聞けて、よかった、です、よ」
理瀬は許してくれた。
大いに傷つけてしまったが――俺は、そう感じた。
「理瀬ちゃん、ごめんね……ごめんね……!」
なぜか篠田も泣いていて、理瀬を抱きしめていた。
「篠田、さん」
「なあに?」
「最後に、一つだけ、わがままを聞いてもらって、いいですか」
「うん、いいよ。なんでも言って」
「宮本さんを一週間だけ貸してください」
「……え?」
篠田が驚いて、理瀬を離した。
俺も、何が起こったのかわからず、許可されていないのに頭を上げた。
「私、みなさんに一つだけ謝らなければいけないことがあるんですよ」
「どういうことだ?」
「お母さんが突然亡くなって、古川さんが親権を主張した時にどうするか……全部お母さんが亡くなる前に、決めてあったんですよ」
伏見も含め、皆が驚いている。初耳だった。和枝さんからもそんな話は聞いていない。
「この場合、私は親権喪失の手続きを取りつつ、古川さんがまず追ってこれないアメリカへ行って、お母さんの友達のいる街の学校へ通うことになってるんですよ」
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