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第四章 社畜と女子高生と青春ラブコメディ
25.社畜と女子高生と素直になれた日
しおりを挟む少し落ち着いた俺たちは、暑くなってきたのでコートを脱いだ。理瀬にコーヒーを淹れてもらい、二人で飲みながらチョコレートを食べた。俺は理瀬が作ったプレゼント用を、理瀬は手作りした時の余りをかじった。ものすごく甘かった。この世で一番甘い食べ物のように思われた。もちろん、俺の気持ちが甘くなっているからだと思う。
ほどなくして、理瀬の方から俺の体に近づいてきた。上着を脱ぎ、シャツ同士で身を寄せ合うと、理瀬の体の細さと柔らかさがダイレクトに伝わってきた。しかし不思議と性的な気持ちにはならなかった。今までお互いに気を使いあっていた部分が一気になくなり、安心感で満ちていた。毛布の中のように心地よい暖かさだった。
そのままの格好で長い時間が過ぎた。俺は理瀬の長い髪を撫でてやった。自然にそうしたい気持ちになったからだ。理瀬は俺に身を任せ、「ふうん」と変な声を出していた。
しばらくすると、理瀬は顔を上げて、俺の顔をまじまじと見はじめた。
「どうした?」
「……ん」
すっ、と理瀬が顔を近づけてきて、俺に頬ずりをした。
理瀬は、明らかにもっと進んだスキンシップを求めていた。本当はキスがしたかったのだろう、と俺は思った。理瀬にとって、そういうことは初めてなので、どう誘えばいいかわからないのだ。
おそらく、少しずつ体を近づけて、どこまで許されるのかを試している。誰かに入れ知恵されたのか、自分で考えたのかはわからないが。
俺は、理瀬の体を離した。
「あれ……?」
「どうした?」
「……宮本さん、わかってて意地悪してますよね?」
「さあ? 言ってくれないとわからないな」
つい意地悪してしまう。こういう時、顔を赤くして「……ばか」とつぶやいてくれたら、最高なのだが。
「キスがしたいです」
理瀬はストレートに言ってきた。今度は、俺が焦る番だった。理瀬がシンプルにそういうことを伝えてくるとは思わなかった。
相手は女子高生。初日からこんなに進めていいのか。段階を踏むことにドキドキするお年頃じゃないのか。
「宮本さんには、ちゃんと言わないと伝わらないので」
「お、おう」
「しても、いいですか?」
「初めてなんだろ?」
「……子供の頃、お母さんと何回もしたので、頬にするだけならできると思いますよ」
そう言えば和枝さんは外資系の社員で、思想も生活週刊も欧米チックなのだった。ハグやキスは当たり前のコミュニケーションツールだから、案外、抵抗がないのかもしれない。
「好きにしな」
「……はい」
俺は目を閉じて待った。すぐに柔らかいものが頬に当たった。勢いがつきすぎて、頬骨にこつっと衝撃を感じた。
「下手くそだな」
「……じゃあ、お手本を見せてくださいよ」
理瀬が目を閉じた。俺は二本の指で理瀬の下顎をつかみ、顔をちゃんとまっすぐ向けてからゆっくり唇どうしを重ねた。ずっとそのままでいたら、緊張して息ができず呼吸困難になった理瀬の肩が上下しはじめた。
一度唇を離すと、理瀬はぷはあっ、と息を吐いた。
間髪を入れずにまた理瀬の顎をつかみ、今度は押し倒すように強く唇を当てた。舌で無理やり理瀬の唇をこじ開け、口の中に侵入させた。驚いてのけぞった理瀬が逃げられないように、背中に手を回してがっちりと抱いた。体を密着させたままディープキスを続け、理瀬が我慢できず、身をよじっているのを全身で感じた。
理瀬を解放してやると、さすがに驚いたのか、俺と少し距離をとって座り直した。
ここまでされるとは思っていなかったようで、理瀬はしばらく興奮ぎみに息を荒くしていた。
「すまん。やりすぎた」
「いいですよ……もっとしてほしいですよ」
俺は、自分自身のスイッチが入ってしまったことに少し後悔していた。男女であんなに近い距離にいたら、いずれそうなるとは思っていた。ただ、俺の欲望で理瀬にぐいぐい迫ったせいで、少しでも彼女を傷つけるのは嫌だった。少しクールダウンしなければ、と俺は思った。
「あの……」
「何だ?」
「シャワー浴びてきますよ」
「……何のために?」
「……わかってるくせに」
「いや、すまん、それはそうなんだが、今日そこまで進むのは早すぎないか、流石に」
「私は別にいいですよ。宮本さんは、私とそういうこと、したくないんですか」
普通にしたいし、実際シャワーを浴びさせる隙も与えないレベルで押し倒してしまったのだが、体を離して冷静になると、やはり早すぎるのではないか、という気持ちが先行した。
「未成年とそういうことしたら俺が捕まるんだよ」
「それは私、ちゃんと調べましたよ。何回も調べました。結論から言うと、性的な楽しみを目的としたみだらな行為が禁止されているだけで、愛があって普通にするのはいいんですよ」
「えっ、そうなの?」
法律をまともに調べた訳ではない俺は、とにかく未成年と何かしたらアウトなのだと思っていた。さっきのディープキスですら危険な行為で、後になってやばい、と思ったくらいだ。
「私はいいんですけど……宮本さんは、やっぱり嫌ですか」
「やっぱり、ってどういう事だよ」
「宮本さんは私のこと、子供だと思っているからですよ」
そこは否定できなかった。俺は理瀬に小さな恋心まで感じてしまったが、それでもまだ未成熟な子供だとは思っている。女子高生になれば体は大人なのだが、精神的に受け入れる準備がなかれば、それをするのは難しい。
「篠田さんとはそういうことできるけど、子供の私とは、できないんですよね」
そう言って理瀬は、俺と篠田が一緒に住んでいた部屋の扉をちらり、と見た。
これで俺は、理瀬が何を言いたいのか悟った。俺と篠田がこのマンションに住んでいた頃、理瀬は俺たち二人が夜中に何をしていたか、とっくに気づいていたのだ。
「これ、言ったらすごく怒られるかもしれないんですけど……一回、私が夜中にトイレへ行った時、扉が少し開いていたことがあるんです」
「……見たのか?」
「ごめんなさい」
理瀬がそんなことをするとは思わなかった。真面目そうに見える理瀬にそういう好奇心があって、実際に覗いてしまうとは。
「あの……、私、その……、宮本さんのことが好きなのに、宮本さんは私と違う女の人としてて……なんていうか、もう、言葉にできないんですけど……」
「……すまん。篠田と二人でここに住むなんて馬鹿な事、しなけりゃよかった」
「そう提案したのは私ですし、ちゃんとしたルームシェアだったので、文句は言えないですよ。私が宮本さんを好きになってしまったのがいけないので、宮本さんに罪はないですよ」
「それでも謝るよ。俺がもう少し気を使えればよかったんだ」
「もうその事はいいですよ。ただ、その、宮本さんが篠田さんや照子さんとしてきたことを、私にはしてくれない、というのが、どうしても悔しいんですよ」
男を好きになった理瀬はこんなにもストレートなのか。もとからそうだったのか、中途半端な俺が与え続けたストレスのせいでこうなったのか、俺にはわからない。ただ、とにかく今は理瀬の思いを全力で受け止めなければならない。
理瀬はその場から逃げるようにシャワーへ向かった。ここはもう諦めて、一線を越えるしかないのか。
シャワーが流れる音を聞きながら、俺はじっと考えた。
据え膳食わぬは男の恥。しかし、理瀬はまだ女子高生。はじめてが俺みたいなおっさんなんかでいいのか。でもこういう中途半端な気持ちで、今まで知らないうちに理瀬を傷つけてきたんだ……
堂々巡りを繰り返していたら、机の上にあった理瀬のスマホが鳴りはじめた。
最初は無視していたが、着信音はいつまで経っても鳴り止まなかった。
おかしいな、と思って画面を見ると、和枝さんの入院している病院の名前が表示されていた。
その瞬間、俺は一気に現実へ引き戻された。
ものすごく嫌な予感がしたのだ。
俺は、電話をとった。
『もしもし、常磐理瀬さんですか』
「あー、えっと、常磐理瀬の知り合いのものですが」
『落ち着いて聞いてください。常磐和枝さんが先程、心肺停止でICUへ運ばれました』
俺は、スマホを手から落としてしまった。
バスタオルを体に巻いた理瀬が、緊張しつつも無邪気に期待しているようなほころんだ顔で、俺のところへ向かっていた。
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