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第四章 社畜と女子高生と青春ラブコメディ
22.社畜と妹
しおりを挟む大晦日の午後。実家でぐうたらしていると、三時過ぎに妹の真由が帰ってきた。
真由はどたばたと家中を駆け回り、俺の部屋へノックもなしに入ってきた。
「ぎゃー! 兄ちゃんがおる!」
ベッドでスマホをいじっている俺を見て、真由が大げさに騒ぐ。
「車停めてるんだから気づけよ」
「見てなかったわ。せっかく兄ちゃんの部屋で寝ようと思ったのに!」
「なんで俺の部屋なんだよ。自分の部屋で寝ろよ」
「私の部屋、和室やけん嫌! ベッドがいい!」
妹とは、昔から仲がいい。久しぶりに会っても、とくに違和感なくいつものノリで話せる。
「照子先輩は?」
「とっくに別れたつっただろ」
「さっさとより戻しな!」
「なんでだよ」
「兄の嫁さんが有名人やって自慢したい」
「お前の希望かよ」
嵐のような妹は、荷物を俺の部屋に置いて、別の部屋に移った。
妹は二つ年下で、喧嘩ばかりしていてもおかしくないのだが、俺はガキの頃から妹とあまり喧嘩をしなかった。身体的にはどう考えても俺のほうが強く、弱い相手をいたぶる気になれなかった。見たいテレビ番組は妹にゆずっていたし、家のお菓子も取り合いはせず妹にやっていた。おかげである程度は信頼してくれているようだ。
夕食は年越しそば。家族四人で一緒に食べた。
主に、妹の東京旅行の話だった。俺が働いている豊洲周辺にも行ってみたという。「あんなきれいなタワーマンションに住んでみたいわ」と何気なく言われ、俺は一瞬どきりとした。住んだことがある、とは口が裂けても言えなかった。
夕食のあとはしばらく皆で紅白歌合戦を見ていたが、父と母はさっさと寝た。俺と妹がリビングに残り、だらだらとテレビの前で過ごしていた。
「あ、これ照子先輩の作った曲!」
とある女性歌手が出たところで、真由が反応した。俺はそのことに全く気づかなかった。身近な人間が超有名になると、畏れ多い感じがする。俺にスピリタスを飲ませてげらげら笑うアホ女が、いまや日本中のお茶の間に曲を届けているのだ。照子が近くにいる時はいいが、このような形で照子の力を見ると、やはり俺とは違う天才なんだな、とあらためて思う。
「にーちゃんは彼女おらんの?」
「いねえよ」
「ふーん」
真由は結婚を控えている。兄である俺の動向は気になるだろう。俺と違って、真由は高校時代から付き合っている彼氏との結婚を真剣に考えていて、俺より頭がいいのに偏差値の高くない地元の大学を選んだくらいだから、婚期が早くてもおかしくない、と俺は思っている。
「もし結婚しても、徳島には帰ってこんのやろ」
「まあな」
徳島では、今俺がやっている電機メーカーの仕事が存在しない。今更業種を変えるつもりもないし、そこは確定だった。親にも、帰るつもりはない、と言ってある。
「真由が徳島にいるから、俺は安心だよ」
「何が安心じゃ。わけわからんわ」
「親父とおかんが寂しくないだろ、お前がいれば」
「ほんなことないわ。まあ、兄ちゃんの決めたことやけん仕方ないけどな」
真由はこたつに足をつっこんだまま横になった。この妹は口うるさいのだが、大事なところはいつも理解してくれている。俺が譲らないものを理解しているのだ。
「こんなところで寝るなよ。冷えて風ひくぞ」
「毛布かけて」
「自分でもってこいよ」
「めんどくさい」
俺は仕方なく毛布を部屋からとってきて、真由にかけてやった。一方的なわがままなのだが、真由がこんなふうに露骨な甘え方をするのは久しぶりだった。数年会っていないこともあるが、それにしても久しぶりだと思う。妹に甘えられると、兄は弱い。もしかしたら、結婚直前でいわゆるマリッジブルー状態になり、誰かに甘えたいのかもしれない。
「兄ちゃん」
「なんだ」
「ほんまに彼女おらんの?」
「いない、って言ってるだろ」
「うそお……」
真由が横になったまま、俺のズボンの裾を引っ張る。東京旅行で疲れているから、半分寝ぼけているようだ。
「……まあ、照子以外の彼女は最近できたんだが、もう別れたよ」
「ふーん」
この話をすれば納得するかと思ったが、あまり興味がないようだった。なぜそこにこだわるのか、俺にはわからなかった。
「彼女はおらんけど、好きな人はおるんとちゃう?」
そう言われて、俺ははっとした。この一年に俺の周囲で起こったドタバタ劇が走馬灯のように思い出され、最後には理瀬の、吉野川の堤防で深々とお辞儀をする姿が脳裏に残った。
「なんでそう思うんだよ?」
「ほなって兄ちゃん、今、照子先輩と付き合い始めた時みたいな顔しとる」
どういう意味だ、と聞き返そうと思ったが、真由はもう眠ってしまっていた。
俺は自分の部屋に戻り、スマホを確認した。夕方ごろ、理瀬へちゃんと飛行機へ乗れたかどうかLINEを送ったのだが、返信はなかった。
** *
翌朝。元旦だ。
母が作ったおせち料理で朝食をとり、午後に真由の結婚相手である佐田健と、その両親とで会食をした。近所の、よく法事で使う料亭だった。
佐田健は俺の合唱部の後輩。俺の後を継いで部長になった。無骨な男で、言葉は少ない。何事においても真面目なので信頼はできる。高校時代、ストイックに練習へ取り組んでいた俺を尊敬していた、と高校を卒業した後に真由から聞いた。
「おう佐田、久しぶりだな」
「うす」
数年ぶりに会って、いきなり交わした言葉がこれだ。言葉は本当に少ないのだが、不思議と気持ちはつたわるので、俺からすればいい後輩だった。今も変わっていないようで何よりだ。
会食は、おしゃべりな真由を中心に進んだ。俺が正月にしか帰ってこれないことを理由にわざわざ元日を選んだので、一応そのお礼は言っておいた。
佐田の両親は、高校時代に佐田と同じステージに立っていた俺のことをよく覚えていた。社畜になって当時よりみすぼらしくなった、と思われていたかもしれないが、そう口には出さなかった。俺としては、真由の幸せな結婚の邪魔にならないよう、とにかく『まともな兄』のふりをした。
途中で、照子の話も出た。俺の高校時代ではいちばん有名人になった子だから、当然話題にもなる。佐田の両親は、俺が昔照子と付き合っていたことも知っているだろう。今どうしているのか、と聞かれたので、さあ、と適当に返しておいた。
会食は平和に終わった。料亭を出る時、少しだけ佐田と二人で話す機会があった。
「先輩、今日は、ありがとうございました」
「ああ、うん。真由がお前と結婚できて、俺はほっとしたよ。あんな騒がしいやつ、誰かが保護者にならないと収拾つかないからな」
「うす」
「今更お前に言うことなんて、ないな。まあせいぜい頑張れよ」
「うす」
どこまでも硬い奴だった。
無口な佐田とおしゃべりな真由のペアは、意外にバランスが取れていて、はたから見てもいいカップルだ。
俺が完全な社畜になったように、佐田も社会人生活で疲弊しきっていないかと少しは心配したのだが、何も変わっていなかった。俺は安心した。岩尾のように数年で大きく変わったものがあれば、いつまでも変わらないものもあるのだ。
その後、徳島を出るまで俺はほとんど寝て過ごした。長時間の運転と、理瀬との行動で疲れが溜まっていた。外出したのは、祖父母の墓参りくらいだった。
永遠の眠りについてしまった祖父母は、もう何も俺に言わなくなってしまった。祖父母はおそらく天国でも俺が人並みに結婚して、家庭をもつことを願っているだろう。でもそれは実現しそうにないので、ごめんな、と謝っておいた。
こうして徳島での正月を過ごし、最終日には再び渋滞にうんざりしながら東京へ車を走らせ、仕事初めの日の朝には、俺は完全な社畜に戻り、徳島の土産を同僚たちへせっせと配っていた。
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