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第四章 社畜と女子高生と青春ラブコメディ
10.社畜とクリスマスの予定
しおりを挟む「……エレンと二人で、何してたんですか?」
土曜日。
俺はまた、豊洲のタワーマンションに来てしまった。
なるべく理瀬から離れよう、と思った矢先にこれだ。やはり俺は、意思が弱い。
一時過ぎに着いて早々に、理瀬は深刻そうな顔で俺にそう聞いてきた。
「んー、ああ、いろいろ相談を受けててな」
「わざわざ車の中で、二人きりでする相談ってなんですか?」
「この前、勢いで照子とラブホに逃げただろ? 俺たちあそこでやましいことしてないって、エレンちゃんに説明してたんだよ。そうしないと通報されちゃうからな」
この話をされるのは予想済みだったので、あらかじめ用意していた言い訳をさらっと述べる。
「それ、どうしても二人っきりで、しかも車の中という密室でしなきゃだめだったんですか」
理瀬はまだ疑っている。というより、怒っているようだ。こいつは直感が鋭いので、俺とエレンの相談事がそれだけではない、と気づいている。
やはり理瀬に隠し事はできないか。俺は覚悟を決め、秘密をばらした報復としてエレンに通報されるリスクを承知で、理瀬が中学時代に受けたいじめの件を話すことにした。
「俺、エレンちゃんから聞いてたんだ。お前、中学生の頃にいじめられてたんだろ」
「……それがどうしたんですか」
理瀬はむっとした表情をあまり変えなかった。いじめられていた、という事を言われたら、誰でも少しは当時の嫌な気分を思い出す。しかし、今の理瀬はそういう感じではなかった。そんなつまらない事がなんだ、という顔だった。
「一度、いじめてた女の子が不良の男子を使って、お前を無理やりナンパしようとした、って話を聞いたんだよ。その時に腕を引っ張られたんだろ?」
「そういえば、そんなこともありましたよ」
「この前、エレンとダブルデートしたとき、山崎がお前の手を引っ張ろうとしただろ。あの瞬間、当時のトラウマを思い出したんじゃないか、ってエレンが心配してたんだよ」
理瀬は頭を抱えた。これはエレンの行動に呆れたとき、理瀬がよく見せる仕草だった。
「私、お母さんからよく言われてたんですよ。どんなに頭が良くても、女は男に力勝負では勝てない。だから少しでも力を使って何かされそうになったときは全力で逃げなさい、って。中学の時は、かなり大げさに大声を出して逃げました。それが中学で噂になったみたいです。そのせいでエレンは、私が怯えていたと勘違いしているんですよ。実際は、お母さんに教えられたとおりにしただけですよ」
さらっと話す理瀬。どうやら本当に、その時のことは特にトラウマではないらしい。
「エレンは昔から心配しすぎなんですよ。いじめられてるから、私が怖がっていると勘違いしてるんです。私は、いじめなんてどこにでも発生することだし、成績がよくて無愛想な私が標的になることくらい想定してました。むしろ、その時の騒動のおかげで、中学の先生たちが無理に学校へ来なくていいという姿勢になって、助かったくらいですよ」
俺は呆気にとられた。とてもではないが、いじめられた子の心理だとは思えない。理瀬のことだから、強がっている訳でもない。なにせ本当に強いのだ。
「ちなみにその後、私をナンパした不良はお母さんが探偵を使って追ってましたよ。なんか、暴行未遂で刑事告訴しようとしたけど、直前で面倒になって取り下げたみたいです」
「こわっ」
いじめを受けても、世間の目を案じて警察沙汰にしないのが普通だ。親子ともに肝が座っているうえ、世間の目も気にしない。どう考えても、いじめの対象を間違えている。
「……まあ、私は何も怖くなかったけど、エレンからすれば、怖がっていない私のことが怖かったのかもしれませんよ」
「ん?」
意外な言葉だった。最初に出会った頃、理瀬はエレンの事など一つも理解しない、という様子で毛嫌いしていた。でも今の言葉は、エレンの気持ちを想像している。自分が異質であることも考慮した、理瀬なりの優しさだと思われる。
「エレンのことは苦手だったんですけど……宮本さんと出会ってから、なんとなくそう思うようになりましたよ。自分のことを心配してくれる友達がいるのは、ありがたいことなんだって」
「そんなこと、俺は教えた覚えないんだが」
「なんとなくですよ」
理瀬に直接そういうことを言った記憶はない。でも理瀬は、俺が見せた行動を一つずつ感じ取り、そのあたりまえのことに気づいたのかもしれない。
どんなに能力が高く、強く生きられても、友達がいらない人間はいない。俺はそう思っている。理瀬はいつの間にか、その考えに近づいた。
「なあ、理瀬」
「なんですか?」
「あの時、なんでお前、走って逃げたんだ?」
「すごくいけないものを見てしまったような気がしたんですよ」
「うん、まあ確かに会社の同僚には見られてはいけないものだったが、別にお前はいいじゃないか」
「……本当に、あの時はその話をしただけだったんですよね?」
「そう言ってるだろ。そもそも、エレンは俺を敵と認定して、隙あらば通報しようとしてるんだぞ。やましい関係になる訳ないだろ」
「……でも、宮本さんが運転する車、私だって乗った事ないんですよ」
「車? 沖縄で一緒に乗らなかったか?」
「あの時は篠田さんがずっと乗ってました。二人で乗ったことは一度もないですよ」
「車に乗るのが珍しいなら、別にドライブくらい付き合ってもいいぞ」
「……やっぱりなんでもないですよ」
この不可解な理瀬の不機嫌が治るなら、愛車マークXでドライブするくらい安いものなのだが。どうしてしまったんだろう。まあ、友達が自分の知らないところで別の友達と仲良くなっていると、ちょっと驚くものだ。理瀬はそういう気持ちなのだと思っておく。
さて、これで予定していた話題は終わった。そう思った俺は、軽く荷物の整理をはじめた。
「……あの、宮本さん」
引き止めるように、理瀬がとても小さな、か細い声で言う。
「クリスマスの予定、空いてますか」
「クリスマス? ああ、平日だったら普通に仕事、休日なら空いてるよ」
大学卒業前に照子と別れてから、俺にとってのクリスマスは平日に近かった。それまではクリスマスライブと称してバンド活動をしていた。イベントを重ねると観客数が増すからだ。インディーズバンドにとって、このかきいれ時を逃す訳にはいかなかった。
社会人に入ってからは、クリスマスを特に意識していなかった。職場のある豊洲は家族連れが多く、みんな家で祝っているせいか、せいぜい街角のイルミネーションを見かけるくらいだ。仕事が忙しく、特に寂しさを感じることはなかった。無意識下で見ないようにしていたのかもしれないが。
「私、毎年クリスマスはお母さんと家でおいしいもの食べながらゆっくりしてたんです。お母さんの会社が外資系なので、お正月よりもクリスマスに休む人たちが多くて。私たちはべつにキリスト教徒ではないんですけど」
「そうなのか。和枝さんは退院できそうなのか?」
「無理みたいですよ。だから今年のクリスマス、ちょっと寂しいんですよ」
寂しい、という言葉が理瀬から出てきたことに、俺はまた驚きを感じる。
これまでの理瀬には、そういう弱さがなかった。いや、あったとしてもそれを他人に見せることはなかった。
理瀬にとってのクリスマスは、俺にとっての正月のようなもので、毎年恒例の行事がなくなるのは確かに、寂しいだろう。
ただ、こうも簡単に寂しい、と言われると、あれだけ強かった理瀬はどこに行ったのだろう、と逆に不安になる。俺が示すべき『大人になる』ということは、独り立ちできるという意味だった。だが今の理瀬は、どちらかというと他人に依存しようとしている。
もちろん、他人の助けを求められないようでは社会に出てから困るので、今のうちに「頼り方」を覚えておくのは、いい事なのだが。
特別な女子高生だった理瀬が、普通の女子高生になってゆく。
理瀬の行動から、俺はその事実を認識せざるをえなかった。
「なので……宮本さん、クリスマスの夜はうちに来てくれませんか。お母さんに許可はとってあります。これまでのお礼で、おいしいもの頼みますよ。毎年、エレンのお店からパーティ用の料理を取り寄せてたんですよ。女二人ではなかなか食べ切れなかったんですけど」
これまでのお礼。
それが、俺をつなぎ止め、寂しさを紛らすために理瀬が考えた理由なのか。
「そっか。まあ一日くらい早上がりできるし、別にいいぞ」
また、やってしまった。
お礼、という名目は別にいい。ただ俺は、理瀬がクリスマスを一人、寂しく家で過ごす姿を想像するだけで嫌だった。女子高生をそんな寂しい気持ちにさせるべきではない。単純に、そういう思いが強かった。
「本当ですか。ありがとうございます」
「まー、でも、俺とお前の二人だけでは寂しいだろ。せっかくだし、みんな呼ぼうぜ」
「えっ? みんな、ですか?」
クリスマスに女子高生と二人きりはまずい。
俺の軽い気持ちが、今年最大の波乱を招くことになるとは、この時は思いもしなかった。
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