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第四章 社畜と女子高生と青春ラブコメディ
3.社畜と女子高生のバイト
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翌週から、理瀬はバイトを始めた。
エレンの言った『スタバ』ではなかったが、同じようなコーヒー店だった。タワーマンションから歩いて行ける距離で、主に夕方から夜間のシフト。豊洲周辺は主婦が多いので昼間のシフトは埋まっているが、遅い時間帯に入れる人材は貴重らしい。あんな立派なマンションに住んでいる人たちは皆、パートとは無縁の富裕層だと思っていたのだが、現実は厳しいようだ。
そのお店を選んだ理由は「制服が可愛かったから」。
資産がすでにあるから時給を気にしていないとはいえ、随分女の子っぽい理由に驚いた。
どんな制服? と俺がLINEで聞いたら、自分で着ている画像を送ってくれた。どこで覚えたのか、自分より上のほうから撮影した完璧な自撮りだった。制服はたしかに可愛かった。
面白くなって、俺は職場にいた篠田とその話をした。
「理瀬、バイト始めたってよ」
「えっ? 理瀬ちゃん、お金に困ってないですよね? なんでですか?」
「普通の女子高生の生活が知りたいんだってさ。ほら、これ」
理瀬の自撮り画像を見せると、篠田は「うわー、超JKって感じ!」と素直に面白がっていた。
「私もこんな風にかわいい格好して働きたかったなあ」
「篠田はバイトしてなかったのか?」
「してません。高校も大学も、陸上ばっかりです」
「高校はともかく、大学だとバイトしないときついんじゃないか」
「衣食住と陸上にかかるお金は全部親が払ってくれてたんです。私、大学二年くらいまでは短距離でけっこう期待されてたので。その後は駄目でしたけどね」
「そっか。今どき大学出てバイトしたことないやつは珍しいな」
まあ、バイトでなくても体育会系のノリに適合できれば日本企業では戦えるので、陸上一本という選択肢も間違ってはいない。
「こんなに可愛かったら、バイト仲間とかお客さんから絶対言い寄られますよ。宮本さんはそれでいいんですか?」
「あいつに彼氏ができるんなら、それでいいだろ。なんで俺が口を出すんだ」
「えー」
篠田は思わせぶりな顔をしたが、特に何も言わずに話は終わった。
その後、理瀬の母親である和枝からも連絡が来た。理瀬がバイトを始めた件についてだ。俺の話を聞いたあと、いちおう保護者である和枝に許可を取ったらしい。
しばらく会っていなかったので、お見舞いがてら病院へ行った。
和枝さんは以前会った時よりもやつれていた。髪は乱れ、肌の張りがなくなり、一気に年相応な老化をしたようだった。
「お酒を自由に飲めないのは辛いわね」
病室に酒を持ち込んでいることがバレて、糖尿病と同時にアルコール依存症の治療も受けているらしい。生気がなくなったのはそのせいか。
「今までも、調子が悪い時は控えたりしていたんでしょう」
「そうよ。でも自分で好きな時に飲めないのは辛いわ。一滴も飲まないほうがいい、というのは理解しているのだけど、たまにはいいわよね」
「理瀬さんのために頑張ってください」
「つれないのね。で、例の件なんだけど、なんで理瀬はバイトなんか始めたい、って言い始めたのかしら?」
俺はどこまで言うか迷った。実の母親なのだから、隠し事をする必要はない。ただ、女子高生の恋心というのは実にナイーブな問題だ。誰が好き、なんて母親にも言えない子もいる。理瀬はあまり自分の気持ちをオープンにする方ではない。
それに、これは俺の偏見だが、和枝さんは恋愛に不自由しないタイプの人間だと思われる。男とまともに話せない理瀬と和枝さんとでは、価値観が違いすぎる。
そんなわけで、いきなり全部教えるのはハードルが高い、と考えた俺は、少しだけ話すことにした。
「普通の女子高生の生活が知りたい、って言ってました」
「私も理瀬からそう聞いたわ。そんなものあんたが知る必要ない、って言ったのだけど、一度言い出したら聞かないのよね。誰に似たのかしら、まったく」
「俺はいいと思いますよ。何にでも好奇心を持って経験するのは。特に理瀬さんの場合、社会性があまりなかったので、バイトはちょうどいいと思います」
「本物の天才に社会性なんて必要ないわよ。社会の方から勝手に求められるんだから」
そう言った時の和枝さんの目はとても冷たく、遠いところを見ていた。俺は一瞬、悪寒のような感触を覚えた。身体的には衰えているが、精神的な部分は鋭いままだ。
「まあ、私はそうなれなかった人間なんだけど」
「俺もそうですね」
和枝さんの言いたいことはわかる。天才的な作曲センスを持つ照子は、自分から営業しなくても今やひっぱりだこ。俺にそんな才能はなく、結果的に照子の足を引っ張ってしまった。
「そうなの?」
「そうですよ。才能がない分は社会性で補完するしかない、って事でしょう?」
「そういうことよ。会社で働いてたらそれくらいわかるものね。でもあの子には、周囲の事なんて気にせず、自分の道を行くような天才になってほしかったのだけど」
「理瀬さんは今でも研究職に就くため勉強してますし、バイトを始めたからといって頭が悪くなる訳じゃないでしょう。いい刺激になると思います」
「そうだといいのだけど」
和枝さんは一息おいて、お茶を飲んでからまた話しはじめた。
「バイト先で、悪い虫がつかないかしら?」
どう考えても男のことだ。俺は理瀬の気持ちを明かせなかったので、ぐっと息を飲む。こういう時に限って、和枝さんはしっかりと俺を見つめている。
「言い寄るヤツはいるでしょうね。そこそこ美人ですし」
「性格に難はあるけど」
「それ実の母親が言いますかね……まあでも、男なんて顔がよけりゃどんな子でもいいですよ」
「それも問題発言だと思うけど……ねえ、宮本さん、理瀬に悪い虫がつかないよう、一応気をつけてくれない? あの子、恥ずかしくて私には言わないと思うから」
「一応、気をつけときますよ」
これ以上話したら和枝さんに全て見抜かれそうだったので、俺は帰ることにした。
** *
その後、俺の周囲では何事もなく日常が進んでいった。
理瀬はバイトのことで二、三日に一回俺にLINEしてきた。スマイルが足りない、と言われて落ち込んでいたので、口角を上げるトレーニングを一日百回しろと言ったら(元合唱部での経験で知っていたことだ)、理瀬は本当に実行し、見事なスマイルができるようになっていた。
主にレジで注文を受ける係だったが、厨房にも入るようになった。そこでは自炊スキルが役に立ったらしく「最近の女子高生にしてはよくできるね」と褒められた。それは俺のおかげだと、理瀬は俺に礼を言っていた。
何度か理瀬の働く店へ行ったこともある。理瀬は手慣れた様子で「あ、宮本さん来てくれたんですね! ありがとうございます」とスマイルを見せた。まるで別人のようだったが、それはそれで可愛らしかった。以前のように、一見つんとした顔をしているよりずっとマシだ。
店内では他の店員と仲良く話していて、社会性の成長も見られた。
理瀬が元気そうにやっているのを見て、俺は満足だった。仕事が忙しくなり、タワーマンションに住んでもいないから、理瀬のことを支えてやれる人が一人もいないのは気がかりだった。でもバイトという場所を手に入れて、理瀬はすくすくと成長していった。
何事もなく数ヶ月が過ぎ、十一月の終わりが来た頃。
ほぼ毎日のようにLINEしていた理瀬から、衝撃的なメッセージが来た。
『バイト先の大学生の人に、告白されました……』
エレンの言った『スタバ』ではなかったが、同じようなコーヒー店だった。タワーマンションから歩いて行ける距離で、主に夕方から夜間のシフト。豊洲周辺は主婦が多いので昼間のシフトは埋まっているが、遅い時間帯に入れる人材は貴重らしい。あんな立派なマンションに住んでいる人たちは皆、パートとは無縁の富裕層だと思っていたのだが、現実は厳しいようだ。
そのお店を選んだ理由は「制服が可愛かったから」。
資産がすでにあるから時給を気にしていないとはいえ、随分女の子っぽい理由に驚いた。
どんな制服? と俺がLINEで聞いたら、自分で着ている画像を送ってくれた。どこで覚えたのか、自分より上のほうから撮影した完璧な自撮りだった。制服はたしかに可愛かった。
面白くなって、俺は職場にいた篠田とその話をした。
「理瀬、バイト始めたってよ」
「えっ? 理瀬ちゃん、お金に困ってないですよね? なんでですか?」
「普通の女子高生の生活が知りたいんだってさ。ほら、これ」
理瀬の自撮り画像を見せると、篠田は「うわー、超JKって感じ!」と素直に面白がっていた。
「私もこんな風にかわいい格好して働きたかったなあ」
「篠田はバイトしてなかったのか?」
「してません。高校も大学も、陸上ばっかりです」
「高校はともかく、大学だとバイトしないときついんじゃないか」
「衣食住と陸上にかかるお金は全部親が払ってくれてたんです。私、大学二年くらいまでは短距離でけっこう期待されてたので。その後は駄目でしたけどね」
「そっか。今どき大学出てバイトしたことないやつは珍しいな」
まあ、バイトでなくても体育会系のノリに適合できれば日本企業では戦えるので、陸上一本という選択肢も間違ってはいない。
「こんなに可愛かったら、バイト仲間とかお客さんから絶対言い寄られますよ。宮本さんはそれでいいんですか?」
「あいつに彼氏ができるんなら、それでいいだろ。なんで俺が口を出すんだ」
「えー」
篠田は思わせぶりな顔をしたが、特に何も言わずに話は終わった。
その後、理瀬の母親である和枝からも連絡が来た。理瀬がバイトを始めた件についてだ。俺の話を聞いたあと、いちおう保護者である和枝に許可を取ったらしい。
しばらく会っていなかったので、お見舞いがてら病院へ行った。
和枝さんは以前会った時よりもやつれていた。髪は乱れ、肌の張りがなくなり、一気に年相応な老化をしたようだった。
「お酒を自由に飲めないのは辛いわね」
病室に酒を持ち込んでいることがバレて、糖尿病と同時にアルコール依存症の治療も受けているらしい。生気がなくなったのはそのせいか。
「今までも、調子が悪い時は控えたりしていたんでしょう」
「そうよ。でも自分で好きな時に飲めないのは辛いわ。一滴も飲まないほうがいい、というのは理解しているのだけど、たまにはいいわよね」
「理瀬さんのために頑張ってください」
「つれないのね。で、例の件なんだけど、なんで理瀬はバイトなんか始めたい、って言い始めたのかしら?」
俺はどこまで言うか迷った。実の母親なのだから、隠し事をする必要はない。ただ、女子高生の恋心というのは実にナイーブな問題だ。誰が好き、なんて母親にも言えない子もいる。理瀬はあまり自分の気持ちをオープンにする方ではない。
それに、これは俺の偏見だが、和枝さんは恋愛に不自由しないタイプの人間だと思われる。男とまともに話せない理瀬と和枝さんとでは、価値観が違いすぎる。
そんなわけで、いきなり全部教えるのはハードルが高い、と考えた俺は、少しだけ話すことにした。
「普通の女子高生の生活が知りたい、って言ってました」
「私も理瀬からそう聞いたわ。そんなものあんたが知る必要ない、って言ったのだけど、一度言い出したら聞かないのよね。誰に似たのかしら、まったく」
「俺はいいと思いますよ。何にでも好奇心を持って経験するのは。特に理瀬さんの場合、社会性があまりなかったので、バイトはちょうどいいと思います」
「本物の天才に社会性なんて必要ないわよ。社会の方から勝手に求められるんだから」
そう言った時の和枝さんの目はとても冷たく、遠いところを見ていた。俺は一瞬、悪寒のような感触を覚えた。身体的には衰えているが、精神的な部分は鋭いままだ。
「まあ、私はそうなれなかった人間なんだけど」
「俺もそうですね」
和枝さんの言いたいことはわかる。天才的な作曲センスを持つ照子は、自分から営業しなくても今やひっぱりだこ。俺にそんな才能はなく、結果的に照子の足を引っ張ってしまった。
「そうなの?」
「そうですよ。才能がない分は社会性で補完するしかない、って事でしょう?」
「そういうことよ。会社で働いてたらそれくらいわかるものね。でもあの子には、周囲の事なんて気にせず、自分の道を行くような天才になってほしかったのだけど」
「理瀬さんは今でも研究職に就くため勉強してますし、バイトを始めたからといって頭が悪くなる訳じゃないでしょう。いい刺激になると思います」
「そうだといいのだけど」
和枝さんは一息おいて、お茶を飲んでからまた話しはじめた。
「バイト先で、悪い虫がつかないかしら?」
どう考えても男のことだ。俺は理瀬の気持ちを明かせなかったので、ぐっと息を飲む。こういう時に限って、和枝さんはしっかりと俺を見つめている。
「言い寄るヤツはいるでしょうね。そこそこ美人ですし」
「性格に難はあるけど」
「それ実の母親が言いますかね……まあでも、男なんて顔がよけりゃどんな子でもいいですよ」
「それも問題発言だと思うけど……ねえ、宮本さん、理瀬に悪い虫がつかないよう、一応気をつけてくれない? あの子、恥ずかしくて私には言わないと思うから」
「一応、気をつけときますよ」
これ以上話したら和枝さんに全て見抜かれそうだったので、俺は帰ることにした。
** *
その後、俺の周囲では何事もなく日常が進んでいった。
理瀬はバイトのことで二、三日に一回俺にLINEしてきた。スマイルが足りない、と言われて落ち込んでいたので、口角を上げるトレーニングを一日百回しろと言ったら(元合唱部での経験で知っていたことだ)、理瀬は本当に実行し、見事なスマイルができるようになっていた。
主にレジで注文を受ける係だったが、厨房にも入るようになった。そこでは自炊スキルが役に立ったらしく「最近の女子高生にしてはよくできるね」と褒められた。それは俺のおかげだと、理瀬は俺に礼を言っていた。
何度か理瀬の働く店へ行ったこともある。理瀬は手慣れた様子で「あ、宮本さん来てくれたんですね! ありがとうございます」とスマイルを見せた。まるで別人のようだったが、それはそれで可愛らしかった。以前のように、一見つんとした顔をしているよりずっとマシだ。
店内では他の店員と仲良く話していて、社会性の成長も見られた。
理瀬が元気そうにやっているのを見て、俺は満足だった。仕事が忙しくなり、タワーマンションに住んでもいないから、理瀬のことを支えてやれる人が一人もいないのは気がかりだった。でもバイトという場所を手に入れて、理瀬はすくすくと成長していった。
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