【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清

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第三章 社畜と昔の彼女と素直になるということ

13.社畜昔ばなし ⑫進路

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 高校時代、一度だけ照子と別れたことがある。俺は『別れた』と思っているのだが、照子いわく『距離を置いた』という扱いらしい。女心に鈍感な俺は、未だにその違いがわからない。

 高二の終わり、三月の定期演奏会に向けて合唱部の練習に集中していた頃だ。部長だった俺は、後輩の指導やステージ運営の準備に追われ、照子との付き合いをないがしろにしていた。

 皆が遅くまで学校に残るため、隠れて照子と触れ合う機会もなかった。

 それに、これは俺の性格なのだと思うが、集中できるものがあると女はいらなかった。社畜時代をずっと彼女なしで通したのもそうだった。覚えることが多すぎて、合コンに行ってみても女の子と話す気が起きなかった。

 会って話すどころかメールの返信すらしない日々が続き、ついには照子から「ちょっと距離を置きたい」と話があった。

 俺は賛成した。部活に集中したかったのだ。俺がそこで抵抗しなかったことで、照子は大いに傷ついた。部活で一緒にいても、目も合わせなかった。

 どちらかというと苦い思い出ではある。だがこの変化で、一つ助けられた事があった。

 照子の作曲が大きく変わったのだ。

 俺と付き合い始めてからの照子の曲は、明らかに有頂天なものが多かった。恋愛に対して、特に不満がなかったからだ。岩尾は「いーじゃんこれ」と言っていたが、赤坂さんは「楽しいけど刺激的じゃない」と評していた。

 それが俺と別れて、豹変した。

 あんなに仲が良かったのにどうして今は話せないのか?

 もう一度近づくにはどうすればいいのか?

 あるいは諦めることができないのか?

 どうしてあの人でなければならないのか?

 やっぱりあの人のことが好きなのではないか?

 そういったことが書き殴られた、激しい歌を書いていた。

 この時期、俺は部活に集中するためバンド活動を休んでいた。はなはるバンドコンテストでまた合流するつもりだった。すると赤坂さんからメールが来た。


『照子の曲、超進化しとるんやけど』


 俺は気になって、一度だけバンド練習に参加した。照子は超不機嫌で、俺が気持ちよく歌っているのにいきなりテンポを上げてかき消すなど、音楽的な嫌がらせをしてきた。

 練習後は岩尾と一緒に帰った。二人になったあと、岩尾はずっと爆笑していた。


「ははははは、照子ちゃんの曲聞いたら、剛と照子ちゃんに何があったか嫌でもわかるんおもろすぎじゃ、はは、ははは」

「うるせえな。そういうお前は赤坂さんとどうなんだよ?」

「あー? 順調やぞ。二人で音楽聞きよってなんとなく始めるんが多いな」

「そんな生々しいことまで聞いてないわ」


 結局、定期演奏会の直前で「全部俺が悪かった」と照子に土下座し、二人の仲を戻した。


「宮本部長はうちより合唱のほうが大事なんだろ~?」


 照子はそうやって煽ってきた。俺は「照子も大事にします」と言って切り抜けた。そもそも部活と恋愛の優先度など比べられるものではない、ということは照子も理解していた。そこをわかってくれない女なら、そもそも付き合ってなかっただろう。俺が謝罪モードになり、下に見れるのを楽しんでいただけだ。別れていたと言っても、本質的にはお互いのことを考えあっていたから、すぐ関係は戻った。

 心が離れていた訳ではなかった。長い恋愛にはこのような倦怠期がどうしても発生するものなのだ、と俺は思った。

 そして定期演奏会は大成功に終わり、高校生活最後のはなはるバンドコンテストがやってきた。


** *


最後のはなはるコンテストは、照子と別れていた時の失恋ソングで出演した。

曲を決める時、照子は「ぶー!」と言って親指でゴートゥーヘルしたり「この曲恥ずかしいけんいやじゃー!」と言いながらドラムを乱打して反抗したが、岩尾の「いや絶対この曲がおもろい」、赤坂さんの「今までで一番感情的になれる」という意見に勝てなかった。結局、俺が二人に流され、三対一で可決された。

本番。同じ四人で一年間練習してきた俺たちのバンドは、前回より遥かに大きな飛躍を遂げていた。大学生のバンドにも負ける気がしなかった。

実際、俺たちのバンドは一位に輝いた。

 だが皆の注目は、前回と同じく東京から来たレコード会社のディレクターのコメントだった。前回とは違う有名レーベルのディレクターが来ていた。

 表彰式での講評では、一つのバンドを持ち上げるような話はしなかった。

 その式の後、俺たち全員がそのディレクターに呼ばれた。「来た!」と岩尾が小さくガッツポーズ。他の三人は緊張して固くなりながら、審査員の控室に向かった。


「あの曲、誰が書いたの?」


 中年で小太り、いかにも傲慢そうな大企業のサラリーマンという風貌のディレクターは、開口一番そう言った。


「わ、私です」


 照子が前に出て、名乗りあげた。


「ふうん」


 ディレクターのおっさんは照子の体をぎょろっ、とした目で見つめた。ただのおっさんだと思っていたが、その眼力は隣で見ている俺が震えるほどの凄みがあった。

 そのあと赤坂さんをちらりとだけ見て、急に興味を失ったように、目を伏せた。


「君たち、進路は地元なの?」


 俺は固まった。

 そんなことを聞かれるとは思っていなかった。

 はなはるバンドコンテストが高校時代の集大成であり、その先のことなど考えていなかった。

 それぞれ学力に合った大学へ進学するはずだが、お互いにまだ話していないのだ。


「私は、東京でバイトしながらバンドやります」


 赤坂さんが胸を張って答えた。

 初耳だった。

 彼女はもう、バンド活動に命を捧げる決意をしているのだ。


「ふうん。辛いと思うけど。ま、止めても無駄か」


 ディレクターのおっさんはそそくさと片付けを始めた。隣には運営スタッフが待機している。この人も昨年の人と同じく、飛行機の時間を気にしているのだ。


「メジャーデビューしたかったら、東京にいないと話にならないからね」


 ディレクターのおっさんはそう言い残して、去っていった。

 その後、俺達は昨年と同じ近くのマクドナルドで軽い打ち上げをした。

 興奮と絶望。二つが入り混じっていた。その中で岩尾は、全員のテンションを気遣ってか、いつもどおり明るく振る舞っていた。


「あのおっさん、俺たちが売り物になるか品定めしよったんじゃ。まず照子ちゃん見て、その後涼子をちらっと見ただろ? 作曲したんが涼子だったら、美人やしベースも上手いしプロでも通用すると思っとったんちゃうか」

「えー、うちは美人でないってことー?」


 照子が口を尖らせる。昔から照子は背が低く、寸胴で幼児体型だった。可愛らしさはあったが、ロックバンドのメンバーに求められるタイプの魅力ではなかった。


「まあ涼子と比べたらな」

「もー、のろけんな!」


 場が温まりつつある中、赤坂さんはまだ冷めていた。

 岩尾の考察はおそらく正しい。俺も、言葉にはできなかったが、ディレクターのおっさんの最初の期待が赤坂さんにあり、それが照子に向けられて消えたのを感じ取っていた。

 みんな、この中に本物の天才がいるとしたら、赤坂さんか岩尾だと思っていた。演奏技法は合唱と半々でやっている俺たちより一回り上だった。

 実際は、照子だったのだ。

 人一倍努力している赤坂さんの悲しみは、想像に難くない。


「なあ、一個真面目な話していいか?」


 岩尾が唐突に切り出してきた。この話をするために場を暖めていたのだろう。皆無言だったが、岩尾は話し続けた。


「この後の話なんやけど……俺、一回ギターは辞めて、勉強に集中する」


 予想はできていた。俺も、照子もおそらく同じだ。

 ここまで盛り上がったバンド活動だが、大学受験と天秤にかけるようなものではない。

 ただの進学校の生徒なのだ。


「ほんで、さらにその先の話なんやけど……俺、地元の大学行く。家が印刷会社やけん、親父の後継がなあかんのじゃ」


 岩尾は信念を持った、硬い口ぶりでそう言った。

 自営業だというのは前から聞いていた。ただ、バンド活動よりもさらに硬い決意を家業のために持っていた、というのはここで初めて知った。


「涼子には、前から言っとったんやけどな。俺がはよ働いて親父を楽させたい。会社って言うても社員十人以下の小さい会社で、ほとんどの仕事を親父がしよる。俺がのんびりしよる訳にはいかん。バンドは別に、徳島におってもできるけんな」


 おっさんディレクターの「東京にいないと話にならない」という話を踏まえて、岩尾はそう言っている。

 俺たちにも話せ、というメッセージなのは明白だった。


「うちは……まだ決めてないんよな。剛もそうだろ?」


 照子が言った。

 実際、そうだった。はなはるバンドコンテストは四月末だが、合唱コンクールで四国大会に出場すれば、部活は八月まで継続する。それが終わってからの話だった。

 最後に残ったのは、沈黙を続ける赤坂さんだった。


「うちは、あんたらがどこにおろうが、東京いってベース続ける。べつにこのバンドばっかりこだわる訳とちゃう。みんな好きにしたらええわ」


 早々に地元へ残る宣言をした岩尾、まだ決めかねている俺と照子のことを踏まえて、赤坂さんはそう言った。

 誰がどう言おうと、自分の意思は変わらない。

 うちのことは気にしないで、自分で決めて。

そう言いたいのだ。

 しかし――

 目があった一瞬、赤坂さんの瞳から涙がこぼれそうだったのを、社畜になった今でも鮮明に覚えている。
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