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第三章 社畜と昔の彼女と素直になるということ

5.社畜昔ばなし ④才能

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 今から思えば、木暮先輩と付き合っている照子にやすやすと近づいたのは間違いだった。

 木暮先輩は夏の合唱コンクールが終わった後、ほとんど練習に来なくなった。実家の酒蔵を継ぐとかで、酒造りと受験勉強をさせられていたらしい。たまに部活へ来た日は、照子と一緒に帰っていた。二人がカップルらしく振る舞う姿を見る機会は、それくらいだった。

 俺は、照子に彼氏がいることで、むしろ安心して話せていた。照子は木暮先輩のことが好きだから、俺には興味ない。だから、いくら話していても、俺が照子のことを好きだと思われることはない。

 俺は他人からの(特に合唱部員からの)評価ばかり気にしていた。俺を合唱部に誘ってくれた稲田は、ソプラノの井上さんに惚れていて、練習をしている時以外はいつも井上さんと話そうとしていた。メールも毎日のように送っていたという。稲田本人には告げなかったが、「稲田は井上のことが好き」というのは暗黙の了解になっていた。当の井上さんは稲田にまったく興味がなく、稲田のいないところで絡まれないように対策会議が開かれる有様だった。自分が誰かのことを好きだとバレるのは恥ずかしい。当時の俺に耐えられることではなかった。特に俺の場合、ほとんど話したことのない江南さんが好きだなんて、絶対に言えなかった。

 その点、すでに彼氏がいる照子と話すのは、特にやましい事じゃない。

 話しているうちに照子の気持ちが変わるなんて、思いもしなかった。

 俺たちはバンド活動に精を入れた。十月の文化祭では校内ロックフェスで一位に輝いた。冬休みの十二月には、初めてライブハウスでの演奏もした。四曲だけの短いライブで、観客はほとんど照子の友達という小規模なものだったが、それなりに盛り上がった。アンコールまで求められた。俺はどんどん有頂天になっていった。

 当時のバンドメンバーは、ギターの男子一人とキーボードの女子一人を加えて、俺、赤坂さん、照子の五人。リーダーは赤坂さん。高校時代はこの五人で活動していた。

 ただ、赤坂さんとその他四人には温度差があった。赤坂さんはとにかくベースの事しか考えておらず、大学生のバンドに混じって演奏もしていた。そちらのほうが総合的な演奏力は高かった。音楽に対する姿勢も真剣だった。ロックバンドは形のある音楽であり、演奏クオリティが高くなければ認められない。上手くなるためにはストイックに練習しなければならない。それを実践しているのは赤坂さんだけだった。

 俺と照子は、バンドの練習は週一回あるかないかで続けていた。照子は才能があるからドラムなんていくらでも叩けるし、俺は合唱部の練習をしていれば歌唱力を確保できた。わざわざバンドに絞って練習する必要性を感じなかった。

 ある時、赤坂さんが練習中に突然怒り出して、スタジオを出ていってしまった事がある。明確には説明しなかったが、演奏の質が気に入らなかったらしい。

 俺は赤坂さんを追いかけて、外のベンチでコーラをがぶ飲みしているとこを捕まえた。


「すまん」

「……宮本くんは悪くない。あと照子も」


 当時の俺はひねくれていた。将来、まともな社畜として定着するのが不思議なくらいに。もっとも、世の中のほとんどの人間は青春時代をひねくれて過ごすのが当たり前なのかもしれない。どのみち社会人になったら、大きな流れに叩き直されて社畜になるのだから。

 ひねくれ者なので、まともなアドバイスはせず、むしろ否定から入る癖があった。


「このバンド、やめた方がええんちゃうか」

「はっ? 宮本くん、このバンド嫌なん?」

「いや、俺は楽しい。ほなけど赤坂さんと他のメンバーの気持ちが釣り合ってない。赤坂さんが自分のベースを弾くためには、他の上手いバンドに集中した方がええと思う」


 俺が本音でそう言うと、赤坂さんは弱々しく首を横に振った。


「確かにギターとキーボードには納得してない。あの二人があからさまに足、引っ張っとる。ほれで怒ったんよ。けど宮本くんのボーカルは絶対、徳島で他におらんくらい上手い。うちは宮本くんのボーカルを逃したくない」

「俺が?」

「最初にも言ったやろ。ボーカルにぐいぐい引っ張られることなんて滅多にないんよ。他のバンドでベース弾くのは、自分がある程度目立てるから。クオリティ的に釣り合ってるくらいやけんな。でも宮本くんがボーカルにおる時は、自分なんて風が吹いたら消えてしまいそうなくらい目立ってない。うちはそれに負けず、必要とされるベースを弾きたい」


 必要とされるベース、という言葉を、俺はよく覚えている。誰かに必要とされていることに飢えているタイプの人間なのかもしれない、と思ったからだ。ただの勘だが。


「ほれに、照子もおる。照子だけは絶対、手放したくない」

「俺よりも?」

「比べるとしたら照子のほうが大事やな。あいつ、作曲できるんよ」

「作曲?」


 俺は耳を疑った。歌とピアノ、ドラムができるのは知っていたが、作曲までできるとは。作曲は、歌や楽器と違って練習しても才能がなければうまくならない。歌や楽器は、練習を続ければまともな演奏を一曲くらいできるようになるが、作曲はまともな曲を一曲書き上げることすら難しい。俺も何度が挑戦した。でも全然、曲が思い浮かばなかった。


「バンドで目立つためにはオリジナル曲が絶対いる。うちにはその才能、ない。けど照子はすごい。頭の中で組み立てた曲をピアノでさらっと弾ける。あいつ才能の塊なんよ」


 苦しみながらも赤坂さんがこのバンドにこだわった理由が、よくわかった。

 赤坂さんはそれぞれの才能を見抜いていた。しかし、才能ある人間を五人も集めることは難しい。それをわかっていて、残りの二人は妥協しているのだ。

 

「……なら、三人で別のメンバー探すか。ほんまにクオリティ高いなら大学生とかでも付き合ってくれるだろ。赤坂さんはバンドの知り合い多いし、なんとかならんか」

「照子は、高校生以外とは組みたくないって。年上すぎるんはちょっと怖いって」

「ほうか。気持ちはわかるけど。だったら、照子は作曲だけしてもらって、俺と二人で新しいバンド作るか? 作曲と演奏、同時にせんでもええやろ」


 俺がそう言うと、赤坂さんはふふ、と笑った。


「なんで笑うんな」

「そんなん無理に決まっとるやろ」

「クオリティが高ければ、誰か乗ってくれるんちゃうんか」

「違う。そっちの理由とちゃう。照子は、宮本くんと一緒でなかったらバンドなんかせん」


 赤坂さんの言ったことの意味はよくわからなかった。ロックを通じて誰とでも仲良くなれる赤坂さんと違って、照子は知り合いと一緒でなければうまく行動できない。それくらいの意味で捉えていた。

 詳しく聞こうとしたが、赤坂さんはさっさと立ち上がり、スタジオに戻ってしまった。そして鬼のようにストイックな練習が再開された。音楽と向き合っている時間は、悩みや疑問が一切ない無の時間だった。今思えば、それはとてもありがたい時間だった。
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