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第二章 社畜と新しい彼女と親子仲のかたち
8.女子高生とありがちな話
しおりを挟む『お前、親と喧嘩してんの?』
俺は仕事中に江連エレンへ短いLINEを打った。俺がもっと若い頃は、いきなり話題を出す前に『ちょっといいか?』とか、ヘンな顔文字とかをきっかけにしてメールを始めたものだが(今はスタンプなんだろう)、アラサーおじさんになった今はそんな小洒落た真似をする気になれない。ヘンに色目を使っている、と思われても困る。
『えっ?』
『してませんけど』
『通報していいですか?』
ちょっと作業の合間に、という気持ちで送ったのに返事はすぐ来た。女子高生の返信が異常に早いのは今も昔も変わらないようだ(性格にもよるが)。
『いや通報はすんな』
『LINEの通報なんで警察には捕まりませんよ』
『俺からのメッセージ全部迷惑行為かよ』
『今更気づいたんですか?』
『俺からブロックとかしといた方がいいのかな?』
『だめです!』
相変わらず俺に敵意むき出しのエレン。元気なら心配ないな、と思って一度スマホを置き、仕事に集中しようとする。
『なんで私が親と喧嘩したって思ってるんですか?』
三分足らずで追い打ちが来る。はええ。俺なんか同僚相手なら二、三日既読スルーだぞ。
『理瀬の家に来たんだろ? 篠田から聞いたよ』
『あ』
『そうでした』
『そういう設定で理瀬の家に入り込んだんです』
『なんか理由ないと入れてくれませんから』
『この前は理由あっても入れてくれなかったんですけど篠田さんがいて助かりました!』
『理瀬になんか用事でもあったのか?』
『用事はないですけど』
『最近学校であまり話してくれないから心配しているんです』
『あの子自分から悩みとか言わないので』
『お前が嫌われてるだけじゃね?』
『通報しますね』
『待て』
『ってか宮本さん最近理瀬と会ってないんでしょ?』
俺の指が止まる。エレンにはそういう設定になっているから、どう言えばいいかわからない。だが沈黙が長いと疑われそうなので、適当に話を進める。
『篠田に任せてるからなあ』
『篠田さん、理瀬のことなんか言ってませんでした?』
『特に変わりはないらしいが』
『ってか篠田さんめちゃくちゃいい人ですね』
『宮本さん弱みでも握ってるんですか?』
『流石に失礼だぞ』
一瞬、返信が止まる。あー、無邪気なJKにちょっとイラッときてしまったのは事実だが、怖がらせてしまったか。おじさんに怒られたら怖いよね。
『ごめんなさい』
『わかったならいいよ』
『あの』
『今度宮本さんと篠田さんと私の三人でお話しません?』
『なんで三人?』
『二人なわけないじゃないですか。即通報ですよ』
『何か悩みでもあるのか?』
『理瀬の近況を教えてください』
『お前本当に理瀬のこと好きだよな』
『好きというか』
『別に俺はいいぞ』
『あっ今のなし』
微妙にメッセージが交錯した。『好きというか』の後につづく言葉は、エレンの本音である何かがあるはずだが、いま無理に吐かせなくてもいい。俺はおじさんだから、待ちきれないような物事はないのだ。
『それじゃ』
『篠田さんとLINEして決めますね』
『おじさんとLINEしてるのバレたらやばいので今後は篠田さん経由でLINEしてください』
地味にひどいことを言われて会話は終わった。
* * *
そんなわけで、俺と篠田と江連エレンによるパンケーキ会が開催された。
理瀬には秘密にしょうと思っていたが、篠田が誘ってしまっていた。しかし「別に行きたくない」と断られ、三人での開催になった。
エレンは篠田をいい人だと言っていたが、もう篠田とは十分話しているらしいし、今回の話し相手は俺のはず。しかも三人で、と言っていたから理瀬には聞かれたくない内容なのだろう。もしかしたら、篠田にも聞かれたくない話題かもしれない。
そんなことを思いながら、俺たちは三人で豊洲のららぽーとにあるカフェに入った。
俺はブレンドコーヒーだが、エレンと篠田は二千円くらいするパンケーキ。おい篠田、お前は女子高生じゃないぞ。エレンは平気でもお前がそれ食ったら全部体脂肪になるんだぞ。
「篠田さん! この前の話の続きなんですけど!」
「リンツくんの話?」
篠田とエレンは出会った時からずっとハイテンション。どうやらエレンの彼氏であるリンツくんのことを話しているらしい。さすが女子どうし。
俺、ここにいる意味ある?
「そうですその話! 実は夏休みに、部活の大会で栃木まで行くんですけど」
「えっ栃木? 私の実家の近くかも! 栃木のどこ?」
「宇都宮です」
「あー、じゃあ違うね」
都内と違って、地方は街が違えばそう簡単に移動できないからな。俺も地方出身者だから篠田の気持ちはわかる。
「それでですね……遠いので、前日から宇都宮に移動して一泊する予定なんですけど」
「宇都宮に? 何もないよ。餃子はおいしいけど」
自分の地元は遠慮なくディスる。これもまた、地方民の特技だ。
「練習するので、出歩くわけじゃないから別にいいんです。それよりその、私が気になるのは……ホテルの部屋が、全部シングルなんです」
「そ、そうなの? 部活の合宿とかって、四人で相部屋とか普通だと思ってた」
「相部屋とかのほうが良かったんですけど……」
「どうして? 一人のほうが落ち着くでしょ? みんなでワイワイ騒ぎたかった?」
「いえ、その……シングルだと、その、リンツの部屋に行ったほうがいいのかなって」
篠田が固まった。
昔聞いたのだが、篠田は高校時代陸上部の短距離走選手で、ほとんどの時間を部活に費やしてきたらしい。恋愛イベント的なものは一切なかった。本人いわく『練習の鬼と思われていて、男子が近寄ってこなかった』らしい。
だから部活といえば全身全霊をこめて集中するもの、と思っている篠田と、部活でもきゃっきゃしながら生きているエレンの会話は、微妙に噛み合っていなかった。
「り、リンツくんと一緒の部屋に……? 一緒に寝る……? そ、それって」
「……」
エレンは恥ずかしそうに下を向いている。
「だ、だめだよそんなこと! 部活中にそんなことするなんて! 他のみんなに迷惑だよ!」
くすっ、とエレンが笑った。その時だけ、エレンは俺の目を見ていた。
こいつ、篠田が大人のお姉さんぶっていながら、実は恋愛経験ゼロの女だと気づいてやがるな。エレンはリア充界のトップのような女子高生だから、本能的に非モテの匂いを嗅ぎ分けたに違いない。
「……あはは、そうですよね! でも部のみんなが、リンツと私が二人きりになるために、リンツの周りの男子を足止めする計画立て始めてて~」
「あ、あはは、そうなんだ」
篠田は顔を引きつらせ、エレンを別の生き物のように見ていた。
* * *
『豊洲駅で別れたら、ちょっと別のところでお話いいですか』
パンケーキを食べている途中、エレンは篠田に気づかれないようLINEで俺に伝えていた。
俺は豊洲駅から下りで千葉へ、篠田は上りで女子寮のある方面へ行く予定だから、このタイミングで二人になるつもりらしい。篠田と俺は、電車に乗ったあとまた引き返して理瀬のタワーマンションへ戻る予定。俺と篠田が二人で理瀬のタワーマンションに戻るところを見られるのは、後ろめたいところがある。
三人は自然に別れ、俺とエレンで下りホームに向かった。
「ホームまで来ちゃいましたけど、どうします?」
「長話じゃないんなら、ここで話せばいいだろ。お前と二人でどっかの喫茶店とか入って知り合いに見られたら、それこそ通報される」
「そうですね。じゃあさっさと話しちゃいますけど……宮本さん、篠田さんと一緒に理瀬の家に住んでますよね?」
「……なんでそう思う?」
「この前理瀬の家に行った時、奥の部屋が見えたんです。篠田さんのものっぽいスーツと、明らかに男ものの服が見えました」
「……」
あー、やっぱり見られていたか。
「本当なんですね?」
「……ああ。実は」
「そこから先は言わないでください」
「知りたくないのか?」
「理瀬から聞きたいんです。あの子が自分の許可なく誰かを家に入れるなんて思えませんし、宮本さんや篠田さんが理瀬を脅ているようではないので」
「……理瀬が秘密にしているから、その気持ちを守りたいと?」
「そういうことです。私としても、理瀬が一人でいるより見守ってくれる人がいたほうが安心できます。私がその役割じゃないのは、ちょっと寂しいですけど」
「家では俺と篠田、学校ではエレンが理瀬を見守る。それでいいじゃないか。高校生を二十四時間監視するのは、親でも無理だぞ。無駄に賢くなる時期だからな」
「……今のなんか犯罪者っぽいですね。通報しますよ」
「人生の大先輩が、過去を回想してるだけなんだが」
高校生になれば、親にも教えてない秘密を一つや二つ、隠し持っているもの。エレンが過保護とはいえ、理瀬の全てを知るのは無理……と言いたかったんだが。
「で、理瀬になんかあったのか?」
「えっ?」
「わざわざ家に上がり込むってことは、心配になった理由があるんだろう?」
「何かあったというか……最近、何も話してくれないんです」
「いつもの事じゃないのか?」
「基本誰とも話さない理瀬ですけど、私とはたまに目を合わせたり、話してくれてたんです。でも最近、私ともほとんど話さなくなってしまいました」
「……いつ頃からだ?」
「ゴールデンウイークの後くらいです」
俺と篠田が同居しはじめた頃と、ほぼ一致している。
黙ってしまったので、エレンはそのことを察知したらしい。こいつも理瀬と同じで、勘がいいやつだ。
「一応聞きますけど、宮本さん、篠田さんと一緒にヘンなことしてませんよね?」
「理瀬が嫌がるようなことはしてない……が、理瀬が嫌がっているのかもしれないな。自分の家に最近知り合った男女が住んでるなんて、おかしいよな」
「……これ、話したら理瀬にすごく怒られると思うんですけど、一つ聞いてもらっていいですか。話したこと、理瀬には内緒にしてもらって」
エレンが深刻そうな顔をしている。どうやら、今日の本題らしい。
「お前が言いたいなら、言いな」
「私、理瀬と同じ中学だったんですけど……中三の最後のほう、理瀬はほとんど学校に来てなかったんです」
不登校。
俺が中学生だった頃も、少しだがそういうやつはいた。いじめを受けたり、そもそも友達がいなかったり、あるいは学校へ行くより家にいた方が楽しいと気づいてしまったり。
あくまで理瀬の保護者としてやっていくなら、知っておくべき情報かもしれない。
「原因はわかるのか?」
「……いじ、め、でした」
エレンの顔が崩れそうになる。
俺は、俺自身が見た学生時代のいじめのことを思い出した。突然強い悪意を持ち始めたクラスメイト、それを傍観している他のやつら。いじめられて涙を浮かべていたあの子。
エレンがどの立場だったとしても、それは辛い思い出のはずだ。エレンはいい子なのだから。
「辛いなら全部話さなくていい。とにかく理瀬がいじめられていた。多分、理瀬は悪くない。だがいじめで不登校になったのは事実だ。そこまででいいな?」
「そういうことです……でも、もうちょっと聞いてもらっていいですか」
「無理はするな」
「はい……いじめは本当につまらないきっかけで始まったんですけど、それを受けた理瀬の態度が、他の子とは全然違うかったんです。いじめられた子って、だいたいクラスではずっと暗い顔をして、いつか学校に来なくなるんじゃないかって噂されながら、最後は登校できなくなるパターンが多いじゃないですか。でも理瀬はいじめを受けて、誰とも話せなくなっても顔色一つ変えず、ある日突然学校に来なくなりました。その時は理瀬が自殺したんじゃないかって思って、ものすごく心配になって……家まで押しかけました」
「お前、昔から理瀬の家に押しかけるのが好きなんだな」
「好きってわけじゃないですけど!」
あまりに深刻な顔をしていたので、まだ大丈夫かチェックするため冗談を入れたら、エレンは少し笑った。ここで泣かれたらマジで通報されるからな。
「……家に行ったら、理瀬はけろっとしていました。全然、普段と変わらないんです。事情を聞いたら『お母さんと相談して、卒業まで保健室登校することにした』って、普通に言うんです。そんなの、おかしくないですか」
理瀬のことを知っている俺としては、ありそうな話だ、と思う。
なんとなく『義務だから』という理由で学校に通うほとんどの若者と違って、理瀬は学校へ行くことにちゃんとした目的を見出している。
おそらく、その瞬間から理瀬は、学校へ行く目的を『勉強すること』に絞ったのだろう。
あいつは頭がいいから、普通の中学校の授業なんて聞かなくても、受験勉強はできる。むしろ低レベルな授業を聞かず、自分の勉強に集中したほうが効率的まである。
「勉強だけなら一人でもできますけど……そのほかには何もいらない、学校なんてどうでもいい、なんてすぐに結論出せるの、おかしくないですか。私は、その時の理瀬のこと、ちょっと怖かったです」
「……あいつは、そういうとこあるからな。気持ちはわかる」
俺は、曖昧な返事しかできなかった。エレンの言うことにものすごく納得していたからだ。
目的の遂行のためなら手段を選ばない、というのは理瀬の特技だと思っていたが。
もしかしたら、いじめられた時の絶望が、元へは戻れない大きな変化を与えてしまったのかもしれない。
「それで……ここからは、ただの勘なんですけど……今の理瀬、いじめられてたあの頃と同じ顔してるような気がするんです」
「何かあったのか?」
「学校では何もないです。いじめもありません。今の学校、ものすごく空気がいいし、いじめは学校側に通報できるシステム整ってるから誰もしようとしません」
今どきの学校のセキュリティすげえ。俺の時代にもほしかったな、それ。
「理瀬の様子が変わったけど、その理由がお前にはわからないってことか」
「そうなんです。このままだと、あの時みたいに学校からふらっと消えるような気がして」
「で、俺と篠田を疑ってるんだな」
「疑うとかじゃないですけど……」
「いや、お前の気持ちは正しい。ここ最近で一番大きな変化を疑うのは当たり前のことだ。ただ、俺にも、篠田にもマジで心当たりがない。俺が心配になってきたくらいだ」
「理瀬は、何かを決めたと思うんです」
「決めた?」
「はい。中学のときは、学校にこなくなる直前で、少しだけ理瀬の印象が変わったな、ってタイミングがありました。あの子、気持ちが強いから、そういうの出ちゃうんだと思います」
「わかった。そこまでヒントをもらえたら十分だ。理瀬が何を決めたのか、それが危険なものじゃないのか、俺が観察する。もし俺と篠田のせいだったら、すぐにあのマンションから出ていく。ついでに、何なのかわかったらお前に報告する。それでいいか?」
「ついでじゃなくて、絶対です!」
「ああ、わかったわかった」
「あの、本当に、冗談抜きで理瀬のこと頼みます。中学の時も、私だけじゃ理瀬を守りきれなかったんです。もう二度と同じことを繰り返したくないんです」
「大丈夫だよ。大人がついてるからな」
「宮本さんはおっさんですけどね」
「おっさんでも大人だ。悲しいけどな」
ちょうど電車が来て、エレンは「じゃあ私帰ります」と言って俺から逃げるように電車のドアをくぐった。
あいつの家、上り方面のはずなんだけど。
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