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第一章 社畜と女子高生と湾岸タワマンルームシェア
19.地元の女の子と新しい幸せ
しおりを挟む「付き合うって……そんな……そんな簡単に言っちゃっていいんですか?」
突然告白した俺を、篠田は真っ赤な顔で見つめている。
嬉しいとか悲しいとかではなく、とにかく驚いているだけのようだ。
「……突然なのはわかってるけど。お前とは会社でいつも一緒にいるから、言い出すタイミングがわからなかった」
「じゃあ、宮本さん、私のこと、昔からずっと、好きだったんですか」
いい大人なんだから、好きだとか好きじゃないとか、どっちかが告白なんてもうガラじゃない。
自然に意気投合して付き合い始めればよかったのだが。
奥手な篠田の動きを待っていたら、いつまでも話が進まない。
ここは男の俺からリードするしかなかった。
「ああ……一目惚れとはいわないが、いい女だとは思ってたよ」
「いい女……!」
普段の俺は篠田を褒めたりせず、むしろ邪険に扱うくらいだった。
『いい女』という言葉が俺の口から出てきたことを、篠田は信じられないらしい。
俺は最後のとどめを刺す。
「俺じゃ、嫌か?」
「い、い、嫌なんかじゃないです!私も!私も宮本さんのこと!ずっと前から好きでした!」
人間、目の前にだされたものをさっと片付けられそうになったら、引き止めたくなるもの。
結果は予想できていたことだが。
俺は、篠田と付き合うことになった。
「……おめでとうございます」
無事に告白を終えたと思っていたら、 黙って見ていた理瀬がそう言った。
ふと理瀬の顔を見ると。
恐ろしいほどに冷静で、何かを疑っているような理瀬の表情があった。
* * *
俺と篠田は付き合い始めたわけだが、とにかく今は仕事の修羅場を抜けなければならない。
俺は会社に戻り、篠田はあと数日休むことになった。
大人の恋愛関係だから、高校生みたいにちまちまデートを続けるだけじゃなく、同棲や、いずれ結婚も考えなければならない。
篠田との関係を進めよう、という気持ちは少し前からあった。しかし昨日は勢いで告白してしまったから、そのあたり具体的なプランはない。
一度社畜というルーチンに戻り、気持ちを整理したかった。
大炎上した案件の他に、通常業務のルーチンもこなさなければならない俺は、会社に行けば無限に仕事を渡される。
俺は社有車を飛ばし、外回りに出かけた。
一人で外回りに出るのは好きだ。
会社にいながら、会社から解放されたような気持ちになれる。
社畜はいい。
会社にいる間は、仕事以外のことを考えずに済むのだから。
それでいて、決して多くはないものの給料も貰える。仕事で頭と身体を使い潰せば、土日にちょっとした贅沢をして、また平日に戻れる。
社畜、社畜と世間では蔑むように言ううが、社畜の九割は自分の環境を気に入っていると思う。
なにせ会社による拘束を受け入れるだけで、不自由なく生きていけるのだ。
こんなに豊かな世の中でも、生きていくということは意外に難しい。
皆、そう言わないだけで。
俺みたいに大した才能のない人間は、社会の歯車としてその役目を果たすのが一番なのだ。
そんなことを考えていたら、カーラジオからどこかで聞き覚えのある曲が流れてきた。
新井賢。
俺が中学生くらいの頃から有名な、高音のよく伸びる男性歌手の声。
先日、薬王寺照子が俺にアドバイスを頼んだ曲だった。
俺が聞いたときと比べ、曲の大筋は変わらなかったが、サビのメロディラインが改良されていた。
より高音が長く、しっかり声を張らなければならないように。
「……バカだな、あいつは」
俺は独り言を吐き捨ててから、社有車を近くのコンビニに停めた。
夕方四時すぎ。俺は照子にLINE通話をかける。数秒で出た。
『も、もしもし、剛?』
「そうだよ。今大丈夫か?」
『あ、今レコーディング中やけど別にええよ』
「いや、それはダメだろ」
『ええよ!剛から通話来たんや何年ぶりかわからんもん!それで、何?』
照子は喜んでいた。良いニュースだと信じているらしい。
「この前俺に歌わせた曲、新井賢が歌ってるの聞いたぞ」
『ほうなん?うまいことまとまっとうだろ」
「ああ。上手くまとまってたよ。俺が歌いやすいようにサビの高音上げただろ」
照子は黙った。心当たりがあるらしい。
「お前、ずっと前から言ってたよな。新井賢の高音は綺麗だけど、Gより上になるとかすれてくるからあんまり高い音を伸ばすと微妙だって。実際、あの曲の新井賢が歌ってるやつ、サビがきつそうだったぞ」
『……ほなって、うちにはそういうイメージしかなかったんやもん』
「俺に聞かなかったら、もともとの高音をそこまで伸ばさないサビのままだったんだろ?だったら、俺なんかに聞くより、お前だけのイメージで曲書いたほうがいい」
『ほれは、ほうなんかもしれんけどなあ……うち、今でも曲書くときは剛のために書きよる気持ちのままなんよ。有名になってもそこは変えれんかった』
「俺はもう、人前で歌なんか歌わないのに?」
『うちと剛だけわかったら、それでええけん』
「……今後、いや一生、お前の曲作りにアドバイスはしない。試し歌いもしない」
『えっ!?なんで!?』
「俺だって一応、アマチュアの歌手だったんだ。曲を書くときに、別の歌手のことを考えながら書くなんてその人に失礼だろ」
『でも実際、うちはそうやって書いて有名になれたんやし、何も困っとらんよ……もしかして、剛、うちの書いた曲が気に入らんの?』
「いや。今でもお前が書いた曲が一番歌いやすいよ」
『ほな、なんでほんなこと言うん?』
「……彼女ができたんだ」
照子は言葉を失った。
俺は、虫の息になった照子へとどめを刺すように、言おうと思っていたことを続ける。
「前から話してた、うちの会社の後輩だ。今まで男女の関係じゃなかったが、この前会社でちょっと大変な仕事があってな。その時にいろいろ助けられて、あいつへの考えが変わった。俺から告白して、付き合うことにした。曲作りの手伝いとはいえ、彼女がいるのに他の女と二人で会うのは、不誠実な気がする」
『なん、で……』
「なんでって、お前と別れてもう五年も経つんだぞ。新しい彼女くらいできるだろ」
『ほんな……この前会った時、剛が誰かを好きになったような感じ、なかったもん』
今度は、俺が黙りそうになる番だった。
篠田や理瀬と違い、高校生の頃から一緒に過ごしている照子は、俺の些細な表情の変化も見逃さない。
ハッタリは通用しない相手。
だがもう、引くという選択肢はない。
「なんで俺が誰かを好きになったかわかるのかは知らんが、ここ数日で劇的に変わったんだよ」
『剛がおらんかったら、うち、もう曲書けんかもしれんよ』
「それがお前の、作曲家としての限界ってことだろ」
『ほんまにお仕事のためだけで、ちゃんと報酬も払うって言ったら?』
「一曲につき百万だな」
『ほんな……』
ひどいことを言っているのは、よくわかっている。
だが俺には、過去と決着をつけるべき時が来ている。
二十八歳の社畜という俺に、残された選択肢は少ないのだ。
『……どうしても、うちと会いたくないんやな』
「……そういう事だよ」
『わかった。わかったよ。わかったけん。その子と幸せにな』
最後、照子は選ぶべき言葉がわからず、迷った末にそう言い残して向こうから通話を切った。
何もなしで照子と縁を切れるとは思っていなかったが。
『幸せにな』という言葉は、意外にも重く俺の心にのしかかった。
俺は、幸せになるためにこんなことをしているのだろうか?
自分で自分に問いかけても、答えは返ってこなかった。
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