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第一章 社畜と女子高生と湾岸タワマンルームシェア
6.女子高生と猫
しおりを挟む「にゃ、にゃ~ん……にゃ~ん」
俺の愛猫・三郎太を前にして、招き猫のように手を丸め、会話を試みている理瀬。
ペットを飼ったことがなく、公園で野良猫と遊んだこともない理瀬は、三郎太にどう接していいかわからないらしい。当の三郎太はというと、豊洲のタワーマンションの高層階に来ても相変わらず図々しく、部屋じゅうを物色したあとソファの上に陣取ってごろごろしている。
最近は飼い主以外誰とも会わず、人見知りな猫も増えているそうだが、実家で何人もの家族や親戚に可愛がられるのが日常だった三郎太は全く遠慮しない。理瀬のことは認識しているが、それよりも柔らかいソファでくつろぐことのほうが大事なのだ。
「にゃあ……」
理瀬が猫の鳴き真似をした程度で、興味を示す三郎太ではない。高級なソファが俺の家のクッションより快適だとわかり、今にも眠りそうだ。
理瀬はうまく会話できず、しょげている。
「猫と会話できるわけないだろ。ほら、サブ!」
三郎太は名前を呼ぶと寄ってきてくれる。むっくと起き、くっと頭を上げてのどを撫でるよう指図してくる。図々しいやつだ。俺は要求通りに三郎太を撫でてやる。
「こいつは名前呼ぶと反応するから。鳴き真似するより触るほうがいいぞ」
「名前、なんていうんですか?」
「三郎太。呼ぶときはサブだけど」
「……せめてタマとかになりませんか?」
「タマもセンス古い名前だが……いまさら別の名前なんて覚えないだろうな」
理瀬はすこし緊張しながら「サブ、サブっ」と呼ぶ。
三郎太はそれに応じ、理瀬にすり寄る。俺のときは近寄っただけだったのに、ソファに座っている理瀬のお腹あたりに顔をすりつけている。猫もアラサー社畜おじさんの俺なんかより若い子のほうがいいのだろうか。
「うわっ、どうすればいいんですか」
「適当に撫でてやりな。首とか背中とか」
理瀬がおっかなびっくり三郎太の背中を撫でてやると、三郎太は理瀬の膝の上で丸まった。
堕ちたな。
「サブちゃん……あったかい……」
理瀬は満足そうだ。
「……俺はどこにいればいい?」
「あっ、はい、余ってる部屋があるのでそこを使ってください」
この日、俺はシェアハウスするために大量の荷物を抱えていた。しかし理瀬はクレートに入っていた三郎太の姿に釘付けで、俺のことを全く見ていなかった。
やっぱり、俺より猫のほうが大事なのだろうか。
これまでの俺はこの3LDKのリビングにしか入ったことがないのだが、理瀬の寝室の隣部屋に通された。ベッドと、小机とクローゼットのあるちゃんとした部屋だ。
「ここはお母さんが帰ってきたときのための部屋なんですけど、多分一年以上は帰ってこないと思うので、しばらくは好きに使ってください」
「お前のお母さん、そんなに忙しいの?」
「はい。シルバーウーマン・トランペットのアメリカの本社にいるので、数年先まで予定決まってるんですよ」
シルバーウーマン・トランペット。
外資系のなんかすごい会社、という認識しか俺にはない。理系だから金融系の会社のことはよく知らない。自分に関係ない業界のことなんて知らなくて当たり前なのだが、シルバーウーマン・トランペットみたいな社名を出されると、なんというか、理瀬と俺との身分差みたいなものを感じてしまう。そこはおそらく、俺が頑張っても一生たどり着けない場所なのだろう。
「使ってないのにホコリ一つないな。毎日掃除してるのか?」
「掃除と洗濯は家事代行サービスです」
なるほど。案外ずぼらだった理瀬の家がきれいな謎が解けた。豊洲のタワーマンション高層階を買える理瀬なら、家事代行サービスくらい余裕で払えるだろう。女子高生とはいえ、一人暮らしですべての家事を完璧にこなすなんて無理だ。
「私はここの部屋、今日から入りません。呼ぶときは必ずノックします。宮本さんが私を呼ぶ時も同じようにしてください。それでいいですか?」
「いいけど、よくそんなルールちゃんと考えられるな。ネットで調べたのか?」
「お母さんに聞きました」
「お、俺のことお母さんに話してんの?」
「してますよ。シェアハウス始めることも、相手が若いサラリーマンっていうことも」
若いサラリーマン。いい響きだ。
いや、そんなことに感激している場合ではない。常に事案発生のリスクを負う立場の俺としては、理瀬とシェアハウスしているなんてことは誰にもバラしたくないのだ。
「お母さんは、なんて言ってた?」
「なんて、ですか?お母さん、私の考えたことなら特に反対とかしないですよ。この家も一応お母さん名義になってますけど、買うって言ったのは私だし、その時から経済的には独立できていたので、私のことは大人として見ているみたいです。お母さんはアメリカでルームシェアとかやってたから、トラブルにならないために生活ルールは最初に決めておけってアドバイスもらいました」
女子高生とのシェアハウスが、母親公認だと……?
世間体はともかく、親の同意があれば事案疑いのリスクはぐっと減るだろう。理瀬の母親のゆるさが心配になってくるが。
「あの、宮本さん」
「何だ?」
「もしよければ午後はペットショップに行きませんか?トイレと給餌器は持ってきてくれましたけど、運動不足にならないためのキャットタワーとか必要なんですよね」
「別にいらないと思うが……」
「そうなんですか?猫の動画とか見てたらほぼ必ずありますよ」
「最近の猫好きは意識高いんだよ。特に動画アップしてるような連中はみんな筋金入りの猫好きだ。猫なんて餌とトイレ掃除さえしっかりやれば勝手に生きてるぞ」
「それはそれで、適当すぎだと思いますけど……」
「まあ、ちょうど餌も残り少ないし、近所のペットショップの場所も把握しておきたいから、行ってみるか」
「はい!」
理瀬は嬉しそうに返事をした。
胃潰瘍が治り、料理を覚え、そして三郎太という新しい家族を迎え。
理瀬はずいぶん明るくなった気がする。
** *
ペットショップは豊洲のららぽーとに大型のものがあった。販売されている動物は小型犬と猫ばかりだ。最近は犬も室内飼いになって小型犬が人気なのだという。俺がガキの頃、じーちゃんの家で飼っていた犬は犬小屋だったが、ここでも時代が変わっている。
猫用品は一通り揃っていた。餌は何種類もあったし、理瀬の言っていたキャットタワーや爪とぎ、色々なおもちゃ、猫用ベッドなど様々だ。
「キャットタワー買うか?三郎太が気にいるかどうかわからんけど」
「そこそこ値段しますね」
少し高級めなペットショップのためか、キャットタワーの値段は一万円前後。俺にも、理瀬にも買えない値段ではない。
「お前、豊洲の新築マンション買えるほど金持ちなのに一万円は高いって思うのな」
「運良くまとまったお金が入っただけで、今後も同じ収入があるとは限りませんから」
意外としっかりしてるんだな。もし俺が投資で何億も稼いだら、家だの高級車だの海外旅行だのでぱーっと使ってしまいそうなものだが。
「運動不足になってるかどうかはよく猫を見ればわかるから、今日は保留にしてまた今度必要なときに来るか」
「そうします」
俺は理瀬にいつも買っている餌と猫砂の種類を教え、ついでにネズミのおもちゃを買った。
「なんでネズミなんですか?」
「あんまりおもちゃとか買ってやらないんだけど、あいつ、昔は外でよくネズミ狩ってきてたから好きかなーと思って」
「い、意外とワイルドなんですね……」
「外飼いの猫はネズミとかスズメとかしょっちゅうくわえて来るぞ。最近の猫は室内飼いだからそうでもないけど」
「あんなにかわいいのに、そんなことするんですね……」
理瀬はちょっとショックを受けていた。だがこれでいい。愛玩動物として定着した猫とはいえ、引っ掻かれたりしたら危険なところもある。動物を飼うなら、動物本来の残酷性にも向き合わなければならないと思う。
俺たちは会計を住ませ、理瀬の家へ戻るためららぽーとを出た。
「理瀬!やっと見つけた!」
二人で歩く俺と理瀬の前に、女子高生くらいの若い女の子が立ちはだかる。
十代特有のはりのある肌と、クソ寒い真冬なのにキュロットスカートを履いているあたり、理瀬と同じ女子高生なのだろう。軽い茶髪と巻いた髪、アイドルみたいに整った顔。理瀬のような落ち着いたタイプではないが、女子高生っぽい可愛さが満載の女の子だった。
「エレン?どうしてここに」
理瀬はこの子を知っているらしく、あまり驚かずに話している。
「クラスで豊洲に住んでる子から聞いたのよ。最近、理瀬が大人の男の人と出歩いてるって」
そう言ってエレンと呼ばれた少女は、俺をきっと睨んだ。
やばい。
そう思った瞬間、エレンはスマホを取り出し、電話をかけ始めた。
「事件です」
エレンが短く電話に答える。
なんか聞いたことがある受け答えだな。あれは確か、俺が社有車で事故った時、警察に通報してまず最初に「事件ですか?事故ですか?」と聞かれて――
「っておいおい!いきなり通報かよ!」
アラサー社畜が女子高生と一緒に過ごすという業が、ここにきて爆発しようとしていた。
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