83 / 93
思惑
八十三.謝罪の秀吉
しおりを挟む
天正十年七月二日 巳の刻
昨晩の夜半に長浜に着いた秀吉はそのまま寝所につき、翌朝羽柴の者たちを呼び寄せるが、長浜に残っていた者たちは既に配置換えの報せを受けて立退の支度を始めており、小一郎・秀勝・輝政・おね・なかなどらも特段の動揺は持ち合わせていない。一同が座間で輪になって座し、それに控えるように官兵衛が秀吉の右斜め後方に座す。そして唐突に秀吉が頭を下げる。
秀吉「皆っ、すまんっ。長浜を出て行かなぁあかんようになってもぉたぁ。」
その場は一瞬静寂となるが、小一郎が間を嫌う。
小一郎「兄さぁっ、頭上げてくんろっ。そん報せは一昨日にもう訊いちょるから、もはやわしらは驚かん。そんにしても何があったんじゃぁ。」
秀吉は啜り泣きしながら説明する。
秀吉「権六が三七殿には美濃だけでのぉて北近江も寄越せというてのっ・・・、そんで勝三郎がそりゃぁ欲張りじゃと逆らってのっ・・・、そんで五郎左殿が妥協して長浜を権六に譲れと決めてのっ・・・、そん代わりにわしは河内と山城を貰ったっちゅうわけじゃ。」
小一郎「うぅぅんっ、よぉ分からんが、信孝様がごねたっちゅうこっちゃな。そりゃぁ、しゃぁねぇわなぁっ。」
秀勝「ですが、代わりに河内と山城を頂いたということは、結局加増されたということでございましょう。しかも丹波の東西で義父上の領と接しているのですから、わたくしは大層心強ぉございます。これはめでたいことではありませぬかぁ。」
輝政「私もそう思いまする。義父上の領と秀勝様の丹波と池田の摂津を合わせれば、織田領の西半分はわれらの領でございまするぅっ・・・。これは、これは凄いことになってきましたよぉ。」
しかし天狗になりかける若者をなかが絞める。
なか「これこれっ、若いのぉっ・・・。ぎょうさん土地を貰たらえぇっちゅうわけではねぇ。わしも倅のおかげでこれまで贅沢な暮らしをさせてきてもらぉたが、自分が耕した畑を手放す度に淋しい思いを馳せちょった。別に倅に文句があるわけではねぇが、愛着のある土地から離れるっちゅうんは心痛いもんよぉ。こん土地は倅が初めて頂いた土地じゃし、こん城は倅が初めて建てた城じゃし、こん街は倅が初めて築いた街じゃ。そんでここにはぎょうさんの家族が此奴を慕って住みついとるんじゃぁ・・・。わしにはなんとなくじゃが、此奴の辛さが分かるわぃ。」
秀吉「お母っ、ありがとなっ・・・。」
小一郎「そんでぇっ、わしらはこん後、どぉすればえぇんじゃぁ。」
秀吉「小一郎っ、とりあえず秀勝殿と共に丹波に出向く者、播磨に還す者、わしと共に山城と河内に出向く者を整えてくれやぁ。おねとお母はとりあえず安土のわしの屋敷に移ってくれ。もぉ修繕が済んだ頃じゃから、心配ねぇじゃろう。」
おね「畏まりました。わたくしどものことはお気になさらずに・・・。」
これから丹波を治める秀勝には、なかの言葉はぐぐと刺さる。自分も数年もすればそのように感じる領域に入るのかと思うと、身が引き締まる上、何だか大人になることの期待感も抱かざるを得ない。そう思いながら柱や梁をじっくりと感慨深く見ると、この長浜の城に一層の愛着感が押し寄せてくる。それは輝政も同様である。
輝政「ところでこの城にはどなたが入るのでしょう。勝豊殿ならよいのですが・・・。」
秀吉「んっ、何故じゃぁ。」
輝政「はいっ、もう勝豊殿の秀勝様への御執心は極めて強いものがありましてぇ。」
秀勝「輝政っ、余計なことは云わんでえぇ。」
小一郎「いやっ、訊いてもらったほうがえぇ。兄さぁが清洲に行っちょる間、とにかく毎日のように勝豊殿がこん城を訪れてのぉ。やれ近くの川で魚が取れただとか、やれ米を分けてもろうただとか、つまらん土産を手にしては秀勝殿に会いにきとったんじゃぁ。」
秀吉「そりゃぁ、こん城を探っとったんじゃねぇんかぁ。」
小一郎「そんなのとっくに勝豊殿の頭に入っとるわぃ。そんでもしつこく、馴れ馴れしくやってくるんじゃ。」
秀勝「いやっ、義叔父上っ、そのぉ・・・、そんな悪い奴ではございませんよ。」
輝政「とっ、とにかく勝豊殿は確かにこの地を既に知り尽くていると見受けますが、狼藉を尽くすどころか、百姓どもとも随分と懇意に付き合っております。これも皆、秀勝様が居られるからだと思われまする。そういう御人なら、われらがこの地を離れても、この城下をお任せできると思いましてぇ・・・。」
秀吉は少し考え込む。そして秀吉の眼からは先ほどまでの申し訳なささが薄れていき、徐々に狡猾な鋭さが増していく。
秀吉「こりゃっ、使えるのぉ・・・。官兵衛っ、何とかならんかぁ。」
官兵衛「早速、探らせよう。事によってはそぉ仕向けましょうぞ。」
小一郎「どういうこっちゃぁ。」
秀吉「其方らの望み通り、勝豊にこん城に入ってもらうんじゃ。然すればこん城を権六から取り戻せるやもせん。」
小一郎「ますます分からんっ。勝豊殿が権六殿を裏切って、わしらに長浜を返してくれるとでも云うんかぁ。」
秀吉「じゃからそぉ仕向けるっちゅうこっちゃぁ。」
官兵衛がほくそ笑む。
官兵衛「わしらが手を出さんでもよいかもしれませんぞぉ。勝豊殿は修理亮殿らに煙たがられておる。彼奴らが勝豊殿を越前から遠ざけようと、長浜に押し退けるやもしれん。」
小一郎「勝豊殿は口にはせんが、家中ではそんなに肩身の狭い思いをしちょるんかぁ。」
秀吉「それにお市さまのこつもある。ますます勝豊の居場所がなくなるわぃ。」
小一郎「お市さま・・・。」
官兵衛「何じゃっ、まだ訊いとらんのかぁ。皆も存じておろう・・・、『お市さま』とは大殿の妹君で、浅井との間に三人の姫をもうけて今は岐阜に移られておる。そのお市さまが此度修理亮殿の元へ嫁がれることとなり申したぁ。」
一同が驚愕する。
「えぇえぇえぇっ・・・。」
昨晩の夜半に長浜に着いた秀吉はそのまま寝所につき、翌朝羽柴の者たちを呼び寄せるが、長浜に残っていた者たちは既に配置換えの報せを受けて立退の支度を始めており、小一郎・秀勝・輝政・おね・なかなどらも特段の動揺は持ち合わせていない。一同が座間で輪になって座し、それに控えるように官兵衛が秀吉の右斜め後方に座す。そして唐突に秀吉が頭を下げる。
秀吉「皆っ、すまんっ。長浜を出て行かなぁあかんようになってもぉたぁ。」
その場は一瞬静寂となるが、小一郎が間を嫌う。
小一郎「兄さぁっ、頭上げてくんろっ。そん報せは一昨日にもう訊いちょるから、もはやわしらは驚かん。そんにしても何があったんじゃぁ。」
秀吉は啜り泣きしながら説明する。
秀吉「権六が三七殿には美濃だけでのぉて北近江も寄越せというてのっ・・・、そんで勝三郎がそりゃぁ欲張りじゃと逆らってのっ・・・、そんで五郎左殿が妥協して長浜を権六に譲れと決めてのっ・・・、そん代わりにわしは河内と山城を貰ったっちゅうわけじゃ。」
小一郎「うぅぅんっ、よぉ分からんが、信孝様がごねたっちゅうこっちゃな。そりゃぁ、しゃぁねぇわなぁっ。」
秀勝「ですが、代わりに河内と山城を頂いたということは、結局加増されたということでございましょう。しかも丹波の東西で義父上の領と接しているのですから、わたくしは大層心強ぉございます。これはめでたいことではありませぬかぁ。」
輝政「私もそう思いまする。義父上の領と秀勝様の丹波と池田の摂津を合わせれば、織田領の西半分はわれらの領でございまするぅっ・・・。これは、これは凄いことになってきましたよぉ。」
しかし天狗になりかける若者をなかが絞める。
なか「これこれっ、若いのぉっ・・・。ぎょうさん土地を貰たらえぇっちゅうわけではねぇ。わしも倅のおかげでこれまで贅沢な暮らしをさせてきてもらぉたが、自分が耕した畑を手放す度に淋しい思いを馳せちょった。別に倅に文句があるわけではねぇが、愛着のある土地から離れるっちゅうんは心痛いもんよぉ。こん土地は倅が初めて頂いた土地じゃし、こん城は倅が初めて建てた城じゃし、こん街は倅が初めて築いた街じゃ。そんでここにはぎょうさんの家族が此奴を慕って住みついとるんじゃぁ・・・。わしにはなんとなくじゃが、此奴の辛さが分かるわぃ。」
秀吉「お母っ、ありがとなっ・・・。」
小一郎「そんでぇっ、わしらはこん後、どぉすればえぇんじゃぁ。」
秀吉「小一郎っ、とりあえず秀勝殿と共に丹波に出向く者、播磨に還す者、わしと共に山城と河内に出向く者を整えてくれやぁ。おねとお母はとりあえず安土のわしの屋敷に移ってくれ。もぉ修繕が済んだ頃じゃから、心配ねぇじゃろう。」
おね「畏まりました。わたくしどものことはお気になさらずに・・・。」
これから丹波を治める秀勝には、なかの言葉はぐぐと刺さる。自分も数年もすればそのように感じる領域に入るのかと思うと、身が引き締まる上、何だか大人になることの期待感も抱かざるを得ない。そう思いながら柱や梁をじっくりと感慨深く見ると、この長浜の城に一層の愛着感が押し寄せてくる。それは輝政も同様である。
輝政「ところでこの城にはどなたが入るのでしょう。勝豊殿ならよいのですが・・・。」
秀吉「んっ、何故じゃぁ。」
輝政「はいっ、もう勝豊殿の秀勝様への御執心は極めて強いものがありましてぇ。」
秀勝「輝政っ、余計なことは云わんでえぇ。」
小一郎「いやっ、訊いてもらったほうがえぇ。兄さぁが清洲に行っちょる間、とにかく毎日のように勝豊殿がこん城を訪れてのぉ。やれ近くの川で魚が取れただとか、やれ米を分けてもろうただとか、つまらん土産を手にしては秀勝殿に会いにきとったんじゃぁ。」
秀吉「そりゃぁ、こん城を探っとったんじゃねぇんかぁ。」
小一郎「そんなのとっくに勝豊殿の頭に入っとるわぃ。そんでもしつこく、馴れ馴れしくやってくるんじゃ。」
秀勝「いやっ、義叔父上っ、そのぉ・・・、そんな悪い奴ではございませんよ。」
輝政「とっ、とにかく勝豊殿は確かにこの地を既に知り尽くていると見受けますが、狼藉を尽くすどころか、百姓どもとも随分と懇意に付き合っております。これも皆、秀勝様が居られるからだと思われまする。そういう御人なら、われらがこの地を離れても、この城下をお任せできると思いましてぇ・・・。」
秀吉は少し考え込む。そして秀吉の眼からは先ほどまでの申し訳なささが薄れていき、徐々に狡猾な鋭さが増していく。
秀吉「こりゃっ、使えるのぉ・・・。官兵衛っ、何とかならんかぁ。」
官兵衛「早速、探らせよう。事によってはそぉ仕向けましょうぞ。」
小一郎「どういうこっちゃぁ。」
秀吉「其方らの望み通り、勝豊にこん城に入ってもらうんじゃ。然すればこん城を権六から取り戻せるやもせん。」
小一郎「ますます分からんっ。勝豊殿が権六殿を裏切って、わしらに長浜を返してくれるとでも云うんかぁ。」
秀吉「じゃからそぉ仕向けるっちゅうこっちゃぁ。」
官兵衛がほくそ笑む。
官兵衛「わしらが手を出さんでもよいかもしれませんぞぉ。勝豊殿は修理亮殿らに煙たがられておる。彼奴らが勝豊殿を越前から遠ざけようと、長浜に押し退けるやもしれん。」
小一郎「勝豊殿は口にはせんが、家中ではそんなに肩身の狭い思いをしちょるんかぁ。」
秀吉「それにお市さまのこつもある。ますます勝豊の居場所がなくなるわぃ。」
小一郎「お市さま・・・。」
官兵衛「何じゃっ、まだ訊いとらんのかぁ。皆も存じておろう・・・、『お市さま』とは大殿の妹君で、浅井との間に三人の姫をもうけて今は岐阜に移られておる。そのお市さまが此度修理亮殿の元へ嫁がれることとなり申したぁ。」
一同が驚愕する。
「えぇえぇえぇっ・・・。」
1
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
マルチバース豊臣家の人々
かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月
後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。
ーーこんなはずちゃうやろ?
それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。
果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?
そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?
戦国三法師伝
kya
歴史・時代
歴史物だけれども、誰にでも見てもらえるような作品にしていこうと思っています。
異世界転生物を見る気分で読んでみてください。
本能寺の変は戦国の覇王織田信長ばかりではなく織田家当主織田信忠をも戦国の世から葬り去り、織田家没落の危機を迎えるはずだったが。
信忠が子、三法師は平成日本の人間が転生した者だった…
信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~
佐倉伸哉
歴史・時代
その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。
父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。
稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。
明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。
◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
勇者の如く倒れよ ~ ドイツZ計画 巨大戦艦たちの宴
もろこし
歴史・時代
とある豪華客船の氷山事故をきっかけにして、第一次世界大戦前にレーダーとソナーが開発された世界のお話です。
潜水艦や航空機の脅威が激減したため、列強各国は超弩級戦艦の建造に走ります。史実では実現しなかったドイツのZ計画で生み出された巨艦たちの戦いと行く末をご覧ください。
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる