生残の秀吉

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思惑

八十三.謝罪の秀吉

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天正十年七月二日 巳の刻

昨晩の夜半に長浜ながはまに着いた秀吉ひでよしはそのまま寝所しんじょにつき、翌朝羽柴はしばの者たちを呼び寄せるが、長浜ながはまに残っていた者たちは既に配置換えのしらせを受けて立退たちのき支度したくを始めており、小一郎こいちろう秀勝ひでかつ輝政てるまさ・おね・なかなどらも特段の動揺どうようは持ち合わせていない。一同が座間ざまで輪になって座し、それにひかえるように官兵衛かんべえ秀吉ひでよしの右斜め後方に座す。そして唐突に秀吉ひでよしが頭を下げる。

秀吉ひでよし「皆っ、すまんっ。長浜ながはまを出て行かなぁあかんようになってもぉたぁ。」

その場は一瞬静寂せいじゃくとなるが、小一郎こいちろうを嫌う。

小一郎こいちろうあにさぁっ、頭上げてくんろっ。そんしらせは一昨日おとといにもう訊いちょるから、もはやわしらは驚かん。そんにしても何があったんじゃぁ。」

秀吉ひでよしすすきしながら説明する。

秀吉ひでよし権六ごんろく三七殿さんしちどのには美濃みのだけでのぉて北近江きたおうみ寄越よこせというてのっ・・・、そんで勝三郎かつさぶろうがそりゃぁ欲張りじゃとさからってのっ・・・、そんで五郎左殿ごろうざどのが妥協して長浜ながはま権六ごんろくゆずれと決めてのっ・・・、そん代わりにわしは河内かわち山城やましろもらったっちゅうわけじゃ。」

小一郎こいちろう「うぅぅんっ、よぉ分からんが、信孝様のぶたかさまがごねたっちゅうこっちゃな。そりゃぁ、しゃぁねぇわなぁっ。」

秀勝ひでかつ「ですが、代わりに河内かわち山城やましろを頂いたということは、結局加増かぞうされたということでございましょう。しかも丹波たんばの東西で義父上ちちうえの領と接しているのですから、わたくしは大層心強こころづよぉございます。これはめでたいことではありませぬかぁ。」

輝政てるまさ「私もそう思いまする。義父上ちちうえの領と秀勝様ひでかつさま丹波たんば池田いけだ摂津せっつを合わせれば、織田領おだりょうの西半分はわれらの領でございまするぅっ・・・。これは、これはすごいことになってきましたよぉ。」

しかし天狗てんぐになりかける若者をなかがめる。

なか「これこれっ、若いのぉっ・・・。ぎょうさん土地をもろたらえぇっちゅうわけではねぇ。わしもせがれのおかげでこれまで贅沢ぜいたくな暮らしをさせてきてもらぉたが、自分が耕した畑を手放てばなたびさびしい思いをせちょった。別にせがれに文句があるわけではねぇが、愛着のある土地から離れるっちゅうんは心痛いもんよぉ。こん土地はせがれが初めて頂いた土地じゃし、こん城はせがれが初めて建てた城じゃし、こん街はせがれが初めて築いた街じゃ。そんでここにはぎょうさんの家族が此奴こやつしたって住みついとるんじゃぁ・・・。わしにはなんとなくじゃが、此奴こやつつらさが分かるわぃ。」

秀吉ひでよし「おかぁっ、ありがとなっ・・・。」

小一郎こいちろう「そんでぇっ、わしらはこん後、どぉすればえぇんじゃぁ。」

秀吉ひでよし小一郎こいちろうっ、とりあえず秀勝殿ひでかつどのと共に丹波たんばに出向くもん播磨はりまかえもん、わしと共に山城やましろ河内かわちに出向くもんを整えてくれやぁ。おねとおかぁはとりあえず安土あづちのわしの屋敷に移ってくれ。もぉ修繕が済んだ頃じゃから、心配ねぇじゃろう。」

おね「かしこまりました。わたくしどものことはお気になさらずに・・・。」

これから丹波たんばを治める秀勝ひでかつには、なかの言葉はぐぐと刺さる。自分も数年もすればそのように感じる領域に入るのかと思うと、身が引き締まる上、何だか大人になることの期待感もいだかざるを得ない。そう思いながら柱やりょうをじっくりと感慨深く見ると、この長浜ながはまの城に一層の愛着感が押し寄せてくる。それは輝政てるまさも同様である。

輝政てるまさ「ところでこの城にはどなたが入るのでしょう。勝豊殿かつとよどのならよいのですが・・・。」

秀吉ひでよし「んっ、何故なにゆえじゃぁ。」

輝政てるまさ「はいっ、もう勝豊殿かつとよどの秀勝様ひでかつさまへの御執心ごしゅうしんは極めて強いものがありましてぇ。」

秀勝ひでかつ輝政てるまさっ、余計なことは云わんでえぇ。」

小一郎こいちろう「いやっ、訊いてもらったほうがえぇ。あにさぁが清洲きよすに行っちょる間、とにかく毎日のように勝豊殿かつとよどのがこん城を訪れてのぉ。やれ近くの川で魚が取れただとか、やれ米を分けてもろうただとか、つまらん土産みやげを手にしては秀勝殿ひでかつどのに会いにきとったんじゃぁ。」

秀吉ひでよし「そりゃぁ、こん城を探っとったんじゃねぇんかぁ。」

小一郎こいちろう「そんなのとっくに勝豊殿かつとよどのの頭に入っとるわぃ。そんでもしつこく、れしくやってくるんじゃ。」

秀勝ひでかつ「いやっ、義叔父上おじうえっ、そのぉ・・・、そんな悪い奴ではございませんよ。」

輝政てるまさ「とっ、とにかく勝豊殿かつとよどのは確かにこの地を既に知り尽くていると見受けますが、狼藉ろうぜきを尽くすどころか、百姓ひゃくしょうどもとも随分と懇意こんいに付き合っております。これも皆、秀勝様ひでかつさまられるからだと思われまする。そういう御人ごじんなら、われらがこの地を離れても、この城下をお任せできると思いましてぇ・・・。」

秀吉ひでよしは少し考え込む。そして秀吉ひでよしの眼からは先ほどまでの申し訳なささが薄れていき、徐々に狡猾こうかつな鋭さが増していく。

秀吉ひでよし「こりゃっ、使えるのぉ・・・。官兵衛かんべえっ、何とかならんかぁ。」

官兵衛かんべえ早速さっそく、探らせよう。事によってはそぉ仕向しむけましょうぞ。」

小一郎こいちろう「どういうこっちゃぁ。」

秀吉ひでよし其方そなたらの望み通り、勝豊かつとよにこん城に入ってもらうんじゃ。すればこん城を権六ごんろくから取り戻せるやもせん。」

小一郎こいちろう「ますます分からんっ。勝豊殿かつとよどの権六殿ごんろくどのを裏切って、わしらに長浜ながはまを返してくれるとでも云うんかぁ。」

秀吉ひでよし「じゃからそぉ仕向しむけるっちゅうこっちゃぁ。」

官兵衛かんべえがほくそむ。

官兵衛かんべえ「わしらが手を出さんでもよいかもしれませんぞぉ。勝豊殿かつとよどの修理亮殿しゅりのすけどのらにけむたがられておる。彼奴きゃつらが勝豊殿かつとよどの越前えちぜんから遠ざけようと、長浜ながはま退けるやもしれん。」

小一郎こいちろう勝豊殿かつとよどのは口にはせんが、家中かちゅうではそんなに肩身の狭い思いをしちょるんかぁ。」

秀吉ひでよし「それにおいちさまのこつもある。ますます勝豊かつとよ居場所いばしょがなくなるわぃ。」

小一郎こいちろう「おいちさま・・・。」

官兵衛かんべえ「何じゃっ、まだ訊いとらんのかぁ。皆も存じておろう・・・、『おいちさま』とは大殿おおとの妹君いもうとぎみで、浅井あざいとの間に三人の姫をもうけて今は岐阜ぎふに移られておる。そのおいちさまが此度こたび修理亮殿しゅりのすけどのの元へとつがれることとなり申したぁ。」

一同が驚愕きょうがくする。

「えぇえぇえぇっ・・・。」
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