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思惑
七十一.仕掛の長益
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天正十年六月二十五日 未の刻
秀吉と長益が揃って清洲に入る。清洲は五条川とそこから引かれる水濠によって区画化された城郭で、御殿を中心として東西十五里、南北二十里に渡る極めて広大な城塞都市である。守護所でもある清洲は尾張の政治的中心であるのはもちろんだが、信長の統治政策と交通の要衝という地理的条件も相まって、尾張の経済的中核も担っている。中央の御殿には既に織田信雄と信雄を補佐する叔父の信包が入っており、それに隣接する別殿には三法師が前田玄以によって保護されている。濠を挟んだ北隣の区画には信孝と勝家が入るが、勝家は利家ほか大半の勝家の兵たちをさらに北の御園神明宮付近に宿営させている。長秀は御殿の東側の区画にある自分の屋敷に入り、その近辺に秀吉と恒興に使わせる屋敷を準備させていた。秀吉は長秀に用意された屋敷に一旦入るが、間も無く長益と共に御殿へ向かい、信雄・信包と対面する。
「筑前っ、会いたかったぞぉっ。・・・。此度の仇討、よぉ果たしてくれたぁ・・・。」
信雄のいきなりの歓迎ぶりに秀吉と長益は戸惑う。秀吉は恐縮する。
「信雄様には直々に御褒めの書状をいただき、感謝しておりまする。大殿と殿は身罷られましたが、これからは三法師様と信雄様を御支えしていく所存であります。これからも永きお付き合いの程、どうぞよろしくお願い奉りまする。」
「筑前にはこれからも頼りにしておるぞっ・・・。其方は織田家第一の忠臣じゃぁ。織田家の建て直しに力を貸してくれぇ。」
安土で受け取った書状で、信雄の筑前に対する心変わりは分かっていたが、自分が知っている信雄の別人ぶりに秀吉は一層の戸惑いを覚える。
「有難き御言葉っ、畏れ入り奉りまする。」
一方で、信包は異母弟である長益が、何故秀吉の傍に座しているのか不思議に思う。
「長益よっ、三七よりも先に岐阜を経ったと訊いておったが、随分と遅かったなぁ。」
「あぁっ、そりゃそうなんじゃが、途中で小牧山を見たらついぞ登って、一句詠みたくなってのぉ・・・。そしたら偶然にも筑前と出会してぇ、いつの間にか二人で酒を酌み交わしながら大殿を偲んでおったわぁ。」
「何とぉっ、それならわしらも混じりとうござったなぁ。」
「大殿の墓が建ったら、いつでもできよう。その刻は四人で飲むかぁ・・・。」
四人が談笑しているところへ信雄の小兵が入ってきて、信雄の耳元で何かを囁く。信雄がきりとして二人に伝える。
「勝三郎が訪れてるそうじゃ。折角、皆も居ることじゃし、ここへ通してもよかろうかのぉ。」
秀吉と長益が頷くと小兵が出ていく。二人は揃って信雄の右側に座し直しながら、信雄に聞こえないよう小声を交わす。
「早速、筑前を探りに来たようじゃなぁ。」
「えっ、左様でございましょうかぁ。」
「まぁっ、見てるがいい。」
しばらくすると恒興が入ってくる。信雄の正面に座し、両手をつき、挨拶する。
「信雄様、信包様におきましては、此度、わざわざ清洲まで足を御運び頂き、丹羽惟住殿に代わって、厚く御礼申し上げまする。」
「うむっ。ここへ来て五郎左も書院に篭って忙しいと訊いておる。面倒かけるのぉっ。ところで書状にあった『重臣会議』とやらはいつ始める手筈じゃぁ。」
「はぁっ、一益殿の到着をもう一日待って明後日ということで如何でしょうか。」
信雄は一益の動向が気になって仕方がない。
「明後日というのは構わんが、一益は何処におるのじゃ。」
「近くまでは戻っているようですが、散り散りの兵を見逃せんと申して、他の者に指揮を任せんそうです。」
「そうかぁっ。一益も散々な目に遭たからのぉ。今は彼奴の好きなようにさせるのがえぇのかも知れん・・・。分かったぁ、日取については承知した。」
「畏まりました。権六殿らにもお伝え上げます。ところで信雄様、三法師様のご様子は如何でござりますか。」
「うむっ。清洲へ戻った頃に少し風邪気味になられたようだが、今はもう回復されておる。周りの女御たちがよう面倒見とるが、父君が亡くなられたことは分かっているようで、あまり外へ出たがらんらしい・・・。」
長益と秀吉は『恒興らしからぬ』問いかけに違和感を感じる。ここで長益が仕掛ける。
「殿は三法師を大層可愛がっとたからのぉ。寂しいんじゃろぅ・・・。そうじゃっ、三介ぇっ・・・。しばらくわしが三法師の側について寝泊まりしてやろう。三法師は一応わしには懐いとったからのぉ。」
すると恒興は突然慌て出す。
「いえいえっ、長益様ぁ。惟住殿が長益様のために東屋敷を用意されておりまする。是非にそちらへお入りくだされ。」
「わしは兵を連れてきておらんから、あんな人気の無いところで一人になりとうないわぃ。三法師と一緒なら、側に三介と兄上の兵もおるし、三法師と二人で身内を失ぉぅた寂しさを紛らわせることくらいできるじゃろぅ。のぉっ、筑前っ、そぉ思わんかぁ。」
「えぇお考えですわぁ・・・。そうじゃっ、明日はわしも三法師様にご拝謁させて頂いて、御元気になられるよう玩具でもお持ちしますかな。」
信雄は恒興が何故慌てるのか不思議がるも、長益の提案を後押しする。
「長益の叔父上についてくださると助かりますわぁ。三法師はなかなかわしには懐いてくれませんでのぉ。たまにしか会わんもんじゃから仕方ないことですがなっ。」
返ができない恒興に、長益は揺さぶりかける。
「よしっ、そういうこっちゃっ、勝三郎っ。五郎左に伝えとけぇ・・・。あぁんっ、何じゃ、勝三郎っ、わしが東屋敷に入らんのがそんなにまずいのかぁ・・・。」
「いえっ、滅相もございませぬ。」
視線を落とす恒興を見て、長益は不敵な笑みを浮かべる。
秀吉と長益が揃って清洲に入る。清洲は五条川とそこから引かれる水濠によって区画化された城郭で、御殿を中心として東西十五里、南北二十里に渡る極めて広大な城塞都市である。守護所でもある清洲は尾張の政治的中心であるのはもちろんだが、信長の統治政策と交通の要衝という地理的条件も相まって、尾張の経済的中核も担っている。中央の御殿には既に織田信雄と信雄を補佐する叔父の信包が入っており、それに隣接する別殿には三法師が前田玄以によって保護されている。濠を挟んだ北隣の区画には信孝と勝家が入るが、勝家は利家ほか大半の勝家の兵たちをさらに北の御園神明宮付近に宿営させている。長秀は御殿の東側の区画にある自分の屋敷に入り、その近辺に秀吉と恒興に使わせる屋敷を準備させていた。秀吉は長秀に用意された屋敷に一旦入るが、間も無く長益と共に御殿へ向かい、信雄・信包と対面する。
「筑前っ、会いたかったぞぉっ。・・・。此度の仇討、よぉ果たしてくれたぁ・・・。」
信雄のいきなりの歓迎ぶりに秀吉と長益は戸惑う。秀吉は恐縮する。
「信雄様には直々に御褒めの書状をいただき、感謝しておりまする。大殿と殿は身罷られましたが、これからは三法師様と信雄様を御支えしていく所存であります。これからも永きお付き合いの程、どうぞよろしくお願い奉りまする。」
「筑前にはこれからも頼りにしておるぞっ・・・。其方は織田家第一の忠臣じゃぁ。織田家の建て直しに力を貸してくれぇ。」
安土で受け取った書状で、信雄の筑前に対する心変わりは分かっていたが、自分が知っている信雄の別人ぶりに秀吉は一層の戸惑いを覚える。
「有難き御言葉っ、畏れ入り奉りまする。」
一方で、信包は異母弟である長益が、何故秀吉の傍に座しているのか不思議に思う。
「長益よっ、三七よりも先に岐阜を経ったと訊いておったが、随分と遅かったなぁ。」
「あぁっ、そりゃそうなんじゃが、途中で小牧山を見たらついぞ登って、一句詠みたくなってのぉ・・・。そしたら偶然にも筑前と出会してぇ、いつの間にか二人で酒を酌み交わしながら大殿を偲んでおったわぁ。」
「何とぉっ、それならわしらも混じりとうござったなぁ。」
「大殿の墓が建ったら、いつでもできよう。その刻は四人で飲むかぁ・・・。」
四人が談笑しているところへ信雄の小兵が入ってきて、信雄の耳元で何かを囁く。信雄がきりとして二人に伝える。
「勝三郎が訪れてるそうじゃ。折角、皆も居ることじゃし、ここへ通してもよかろうかのぉ。」
秀吉と長益が頷くと小兵が出ていく。二人は揃って信雄の右側に座し直しながら、信雄に聞こえないよう小声を交わす。
「早速、筑前を探りに来たようじゃなぁ。」
「えっ、左様でございましょうかぁ。」
「まぁっ、見てるがいい。」
しばらくすると恒興が入ってくる。信雄の正面に座し、両手をつき、挨拶する。
「信雄様、信包様におきましては、此度、わざわざ清洲まで足を御運び頂き、丹羽惟住殿に代わって、厚く御礼申し上げまする。」
「うむっ。ここへ来て五郎左も書院に篭って忙しいと訊いておる。面倒かけるのぉっ。ところで書状にあった『重臣会議』とやらはいつ始める手筈じゃぁ。」
「はぁっ、一益殿の到着をもう一日待って明後日ということで如何でしょうか。」
信雄は一益の動向が気になって仕方がない。
「明後日というのは構わんが、一益は何処におるのじゃ。」
「近くまでは戻っているようですが、散り散りの兵を見逃せんと申して、他の者に指揮を任せんそうです。」
「そうかぁっ。一益も散々な目に遭たからのぉ。今は彼奴の好きなようにさせるのがえぇのかも知れん・・・。分かったぁ、日取については承知した。」
「畏まりました。権六殿らにもお伝え上げます。ところで信雄様、三法師様のご様子は如何でござりますか。」
「うむっ。清洲へ戻った頃に少し風邪気味になられたようだが、今はもう回復されておる。周りの女御たちがよう面倒見とるが、父君が亡くなられたことは分かっているようで、あまり外へ出たがらんらしい・・・。」
長益と秀吉は『恒興らしからぬ』問いかけに違和感を感じる。ここで長益が仕掛ける。
「殿は三法師を大層可愛がっとたからのぉ。寂しいんじゃろぅ・・・。そうじゃっ、三介ぇっ・・・。しばらくわしが三法師の側について寝泊まりしてやろう。三法師は一応わしには懐いとったからのぉ。」
すると恒興は突然慌て出す。
「いえいえっ、長益様ぁ。惟住殿が長益様のために東屋敷を用意されておりまする。是非にそちらへお入りくだされ。」
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「よしっ、そういうこっちゃっ、勝三郎っ。五郎左に伝えとけぇ・・・。あぁんっ、何じゃ、勝三郎っ、わしが東屋敷に入らんのがそんなにまずいのかぁ・・・。」
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