69 / 108
思惑
六十九.山上の長益
しおりを挟む
天正十年六月二十四日 申の刻
秀吉は小牧山の城からこの一帯を見回す。
「久しぶりじゃのぉ。こん山に登るんは・・・。」
小牧山城は、かつて信長が美濃攻めの拠点とした城で、その後『城砦』としての役割はさほど果たしてはいないが、美濃攻めを契機に山麓に移り住む住人が増え、若干の賑わいを見せるようになった。
「懐かしいのぉっ。二十年ほど前、わしはここで大殿に墨俣攻めを申し出て、それを足掛かりに大殿は美濃攻略を成し遂げられたんじゃぁ。それ以来、こん山は通り過ぎるだけじゃったが、こうして久しぶりに周りを見渡すと、感慨深いもんがあるもんじゃなぁ。」
小牧山城の座間で、官兵衛は秀吉の感動をただ訊いてるだけである。それよりも官兵衛はなぜこの山城を訪れたのか不思議がる。
「筑前殿ぉっ。何故今日はここに留まるんじゃぁ。清洲は目の前じゃぁ。今からでも夜が更けるまでには屋敷に辿り着けよぅにぃ・・・。」
「まぁっ、そう云うな。慌てんでもえぇ。」
秀吉は今朝、岐阜にて市の方への目通りを申し出たが、体調がすぐれぬと云うことで会えずじまいであった。市の方が秀吉を毛嫌いしていることを知っていたので、官兵衛は『然もありなん。』と思いつつ、なればとっとと岐阜を出て清洲へ向かうものと思っていた。しかし秀吉が岐阜を発ったのは昼過ぎで、しかも道中いきなり『久しぶりに小牧山に登るかぁ。』と云いだし、結局はこの地に泊まるよう命じた。
「昔話はもぅ良かろう。用がねぇのなら、わしは山降りて酒でも引っ掛けてくるぞぉ。」
「待て待て、官兵衛っ。もう直に、ある御人がここにおいでになる。そん御方にお会いしていけぇ・・・。」
官兵衛は『やはり筑前殿のやることには卒がないなっ。』と思いつつも、焦らされるのは良い気がしない。しばらくすると、城の奥から明るく乾いた声が聞こえる。
「やぁっ、待たせたのぉっ・・・。思ったほど髭っちゅうんは伸びるんじゃのぉ・・・。」
顎を触りながら現れたのは髭を剃った長益であり、その後ろを一豊がついている。
「長益様ぁっ、もぉえぇ頃合いじゃぁ・・・。わしの右腕の官兵衛ですわぃ。」
いきなり現れたのが信長の弟、織田長益であることに気づき、官兵衛は慌ててぎこちなく左膝を立て、腰高になる。
「こっ、これは失礼仕りまする。羽柴筑前守が家臣、黒田官兵衛孝高と申しまする・・・。このようなところで御目に掛かり、恐悦至極に存じまするぅ。」
長益は官兵衛の前にしゃがみ込み、官兵衛の眼を覗き込む。
「其方が官兵衛かぁ。筑前が播磨で見つけてきた凄腕の軍師じゃと訊いとる。堅苦しいのは抜きじゃぁ。これからよろしゅう頼むぞぃ。」
官兵衛は『これから』という言葉に引っ掛かるが、長益には噂通りの気さくな印象を持つ。官兵衛は視線を真下から秀吉の方に移すと、秀吉が僅かににやとほくそ笑んでいるのが窺える。長益は少し後ろに身を引いてそのまま官兵衛の正面に座り込み、長益と官兵衛を両隣にして秀吉が座す。
「官兵衛っ、黙っちょってすまなんだぁ。実はのぉ、長益様は三七殿らから逃れて、ずっと又左に匿われちょったんよぉ。昨日、又左から長益様を預かり受け、ここに着くまでわしの家臣のふりをしてもらっとったんじゃぁ。」
「何故、然様な芝居じみたことを・・・。」
「三七殿は三法師様の名代になられようとしちょる。そんこつを長益様に取り付けてもらわんと、長益様を閉じ込めようとしちょったみたいじゃ。長益様はそれに勘付かれて逃げ仰せたが、それはそれで三七殿らは清洲で待ち構えればえぇと踏んどるわけじゃ。」
「なるほどぉっ、それで筑前殿と一緒なら信孝様らも手が出せんというわけかぁ。」
「あぁっ、一応建前は偶然にこの小牧山でわしが大殿を偲んでおられた長益様にお会いして、そん後一緒に清洲へ入ったっちゅうことにする・・・。それとわしがだらだらと清洲へ行くんは、その間に又左に清洲に入ってもらうためじゃ。又左にいらん疑いをかけられんようにのぉ。」
「やはり面倒臭い御人よのぉっ、信孝様は・・・。」
「清洲に着いたらとりあえず長益様に護衛をつけるが、権六がしゃしゃり出てくるかもしれん。官兵衛っ、すまんがお主の間者もつけてくれんかのぉ。」
「承知したぁ。手前のくの一を女御としてお側に置かせましょう。」
「然様な者を直ぐに支度できるとはっ・・・、さすがじゃのぉ。いやいや辱いっ。」
一礼する長益に官兵衛は恐縮する。手持ち無沙汰になってきた秀吉は一豊に確かめる。
「伊右衛門よぉっ、酒の支度できちょるかぁ・・・。」
「はいっ、鮎が手に入りましたので、それも焼いてお持ちいたします。」
一豊は一礼し、奥へ膳の支度に下がる。
「酒と鮎かぁっ・・・。えぇのぉっ・・・。洞穴では飲むわけにいかんかったんで、身体が冷えきっとったもんなぁ。」
「洞穴に御隠れになられてたのですかぁ。」
「おぉよぉっ・・・、又左の屋敷に皆の知らん洞穴が通じてたんじゃぁ。岐阜はよぉ知っとる地じゃと思ぅとったが、なかなか面白いのぉ・・・。洞穴といえばぁ・・・。」
長益はたわいのない話を続けて、そのまま宴に入ろうとしたが、秀吉が遮る。
「長益様っ、膳が来る前に、一つだけお聞かせくだされ。」
「何じゃっ、改まって・・・。」
「三七殿の心を変えさせるこつは、万に一つもございませんでしょうかぁ。」
真剣な目つきの秀吉に対して、長益は腕組みしながら応える。
「うぅむっ・・・、そりゃぁねぇなっ。三七は母御が低い身の上の者じゃったから、余計に『身分』っちゅうもんに執着するんじゃぁ。母御のせいで自分は織田家の嫡子になれんというのに、お主は百姓の出にも関わらず、実りのある領を頂き、城を持ち、官職も貰えたぁ。三七にとってはお主は矛盾の塊なんじゃ。その矛盾をこの世から消し去らんと気が済まんのじゃ。元々血筋のえぇ三介や秀勝とはそういうところが違うんじゃな。」
「御母上の出自に三七殿の核があるんなら、改心のさせようもありませんなぁ・・・。」
秀吉は小牧山の城からこの一帯を見回す。
「久しぶりじゃのぉ。こん山に登るんは・・・。」
小牧山城は、かつて信長が美濃攻めの拠点とした城で、その後『城砦』としての役割はさほど果たしてはいないが、美濃攻めを契機に山麓に移り住む住人が増え、若干の賑わいを見せるようになった。
「懐かしいのぉっ。二十年ほど前、わしはここで大殿に墨俣攻めを申し出て、それを足掛かりに大殿は美濃攻略を成し遂げられたんじゃぁ。それ以来、こん山は通り過ぎるだけじゃったが、こうして久しぶりに周りを見渡すと、感慨深いもんがあるもんじゃなぁ。」
小牧山城の座間で、官兵衛は秀吉の感動をただ訊いてるだけである。それよりも官兵衛はなぜこの山城を訪れたのか不思議がる。
「筑前殿ぉっ。何故今日はここに留まるんじゃぁ。清洲は目の前じゃぁ。今からでも夜が更けるまでには屋敷に辿り着けよぅにぃ・・・。」
「まぁっ、そう云うな。慌てんでもえぇ。」
秀吉は今朝、岐阜にて市の方への目通りを申し出たが、体調がすぐれぬと云うことで会えずじまいであった。市の方が秀吉を毛嫌いしていることを知っていたので、官兵衛は『然もありなん。』と思いつつ、なればとっとと岐阜を出て清洲へ向かうものと思っていた。しかし秀吉が岐阜を発ったのは昼過ぎで、しかも道中いきなり『久しぶりに小牧山に登るかぁ。』と云いだし、結局はこの地に泊まるよう命じた。
「昔話はもぅ良かろう。用がねぇのなら、わしは山降りて酒でも引っ掛けてくるぞぉ。」
「待て待て、官兵衛っ。もう直に、ある御人がここにおいでになる。そん御方にお会いしていけぇ・・・。」
官兵衛は『やはり筑前殿のやることには卒がないなっ。』と思いつつも、焦らされるのは良い気がしない。しばらくすると、城の奥から明るく乾いた声が聞こえる。
「やぁっ、待たせたのぉっ・・・。思ったほど髭っちゅうんは伸びるんじゃのぉ・・・。」
顎を触りながら現れたのは髭を剃った長益であり、その後ろを一豊がついている。
「長益様ぁっ、もぉえぇ頃合いじゃぁ・・・。わしの右腕の官兵衛ですわぃ。」
いきなり現れたのが信長の弟、織田長益であることに気づき、官兵衛は慌ててぎこちなく左膝を立て、腰高になる。
「こっ、これは失礼仕りまする。羽柴筑前守が家臣、黒田官兵衛孝高と申しまする・・・。このようなところで御目に掛かり、恐悦至極に存じまするぅ。」
長益は官兵衛の前にしゃがみ込み、官兵衛の眼を覗き込む。
「其方が官兵衛かぁ。筑前が播磨で見つけてきた凄腕の軍師じゃと訊いとる。堅苦しいのは抜きじゃぁ。これからよろしゅう頼むぞぃ。」
官兵衛は『これから』という言葉に引っ掛かるが、長益には噂通りの気さくな印象を持つ。官兵衛は視線を真下から秀吉の方に移すと、秀吉が僅かににやとほくそ笑んでいるのが窺える。長益は少し後ろに身を引いてそのまま官兵衛の正面に座り込み、長益と官兵衛を両隣にして秀吉が座す。
「官兵衛っ、黙っちょってすまなんだぁ。実はのぉ、長益様は三七殿らから逃れて、ずっと又左に匿われちょったんよぉ。昨日、又左から長益様を預かり受け、ここに着くまでわしの家臣のふりをしてもらっとったんじゃぁ。」
「何故、然様な芝居じみたことを・・・。」
「三七殿は三法師様の名代になられようとしちょる。そんこつを長益様に取り付けてもらわんと、長益様を閉じ込めようとしちょったみたいじゃ。長益様はそれに勘付かれて逃げ仰せたが、それはそれで三七殿らは清洲で待ち構えればえぇと踏んどるわけじゃ。」
「なるほどぉっ、それで筑前殿と一緒なら信孝様らも手が出せんというわけかぁ。」
「あぁっ、一応建前は偶然にこの小牧山でわしが大殿を偲んでおられた長益様にお会いして、そん後一緒に清洲へ入ったっちゅうことにする・・・。それとわしがだらだらと清洲へ行くんは、その間に又左に清洲に入ってもらうためじゃ。又左にいらん疑いをかけられんようにのぉ。」
「やはり面倒臭い御人よのぉっ、信孝様は・・・。」
「清洲に着いたらとりあえず長益様に護衛をつけるが、権六がしゃしゃり出てくるかもしれん。官兵衛っ、すまんがお主の間者もつけてくれんかのぉ。」
「承知したぁ。手前のくの一を女御としてお側に置かせましょう。」
「然様な者を直ぐに支度できるとはっ・・・、さすがじゃのぉ。いやいや辱いっ。」
一礼する長益に官兵衛は恐縮する。手持ち無沙汰になってきた秀吉は一豊に確かめる。
「伊右衛門よぉっ、酒の支度できちょるかぁ・・・。」
「はいっ、鮎が手に入りましたので、それも焼いてお持ちいたします。」
一豊は一礼し、奥へ膳の支度に下がる。
「酒と鮎かぁっ・・・。えぇのぉっ・・・。洞穴では飲むわけにいかんかったんで、身体が冷えきっとったもんなぁ。」
「洞穴に御隠れになられてたのですかぁ。」
「おぉよぉっ・・・、又左の屋敷に皆の知らん洞穴が通じてたんじゃぁ。岐阜はよぉ知っとる地じゃと思ぅとったが、なかなか面白いのぉ・・・。洞穴といえばぁ・・・。」
長益はたわいのない話を続けて、そのまま宴に入ろうとしたが、秀吉が遮る。
「長益様っ、膳が来る前に、一つだけお聞かせくだされ。」
「何じゃっ、改まって・・・。」
「三七殿の心を変えさせるこつは、万に一つもございませんでしょうかぁ。」
真剣な目つきの秀吉に対して、長益は腕組みしながら応える。
「うぅむっ・・・、そりゃぁねぇなっ。三七は母御が低い身の上の者じゃったから、余計に『身分』っちゅうもんに執着するんじゃぁ。母御のせいで自分は織田家の嫡子になれんというのに、お主は百姓の出にも関わらず、実りのある領を頂き、城を持ち、官職も貰えたぁ。三七にとってはお主は矛盾の塊なんじゃ。その矛盾をこの世から消し去らんと気が済まんのじゃ。元々血筋のえぇ三介や秀勝とはそういうところが違うんじゃな。」
「御母上の出自に三七殿の核があるんなら、改心のさせようもありませんなぁ・・・。」
3
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
天狗の囁き
井上 滋瑛
歴史・時代
幼少の頃より自分にしか聞こえない天狗の声が聞こえた吉川広家。姿見えぬ声に対して、時に従い、時に相談し、時に言い争い、天狗評議と揶揄されながら、偉大な武将であった父吉川元春や叔父の小早川隆景、兄元長の背を追ってきた。時は経ち、慶長五年九月の関ヶ原。主家の当主毛利輝元は甘言に乗り、西軍総大将に担がれてしまう。東軍との勝敗に関わらず、危急存亡の秋を察知した広家は、友である黒田長政を介して東軍総大将徳川家康に内通する。天狗の声に耳を傾けながら、主家の存亡をかけ、不義内通の誹りを恐れず、主家の命運を一身に背負う。

マルチバース豊臣家の人々
かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月
後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。
ーーこんなはずちゃうやろ?
それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。
果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?
そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる