生残の秀吉

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思惑

六十九.山上の長益

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 天正十年六月二十四日 申の刻

 秀吉ひでよし小牧山こまきやまの城からこの一帯を見回す。

「久しぶりじゃのぉ。こん山に登るんは・・・。」

 小牧山城こまきやまじょうは、かつて信長のぶなが美濃みのめの拠点とした城で、その後『城砦じょうさい』としての役割はさほど果たしてはいないが、美濃みのめを契機に山麓さんろくに移り住む住人が増え、若干のにぎわいを見せるようになった。

なつかしいのぉっ。二十年ほど前、わしはここで大殿おおとの墨俣すのまためを申し出て、それを足掛かりに大殿おおとの美濃みの攻略を成し遂げられたんじゃぁ。それ以来、こん山は通り過ぎるだけじゃったが、こうして久しぶりに周りを見渡すと、感慨深いもんがあるもんじゃなぁ。」

 小牧山城こまきやまじょうの座間で、官兵衛かんべえ秀吉ひでよしの感動をただ訊いてるだけである。それよりも官兵衛かんべえはなぜこの山城やまじろを訪れたのか不思議がる。

筑前殿ちくぜんどのぉっ。何故なにゆえ今日はここにとどまるんじゃぁ。清洲きよすは目の前じゃぁ。今からでも夜がけるまでには屋敷に辿り着けよぅにぃ・・・。」

「まぁっ、そう云うな。あわてんでもえぇ。」

 秀吉ひでよしは今朝、岐阜ぎふにていちかたへの目通りを申し出たが、体調がすぐれぬと云うことで会えずじまいであった。いちかた秀吉ひでよしを毛嫌いしていることを知っていたので、官兵衛かんべえは『もありなん。』と思いつつ、なればとっとと岐阜ぎふを出て清洲きよすへ向かうものと思っていた。しかし秀吉ひでよし岐阜ぎふったのは昼過ぎで、しかも道中いきなり『久しぶりに小牧山こまきやまに登るかぁ。』と云いだし、結局はこの地に泊まるよう命じた。

「昔話はもぅ良かろう。用がねぇのなら、わしは山降りて酒でも引っ掛けてくるぞぉ。」

「待て待て、官兵衛かんべえっ。もうじきに、ある御人ごじんがここにおいでになる。そん御方おかたにお会いしていけぇ・・・。」

 官兵衛かんべえは『やはり筑前殿ちくぜんどののやることにはそつがないなっ。』と思いつつも、らされるのは良い気がしない。しばらくすると、城の奥から明るく乾いた声が聞こえる。

「やぁっ、待たせたのぉっ・・・。思ったほどひげっちゅうんは伸びるんじゃのぉ・・・。」

 あごを触りながら現れたのはひげった長益ながますであり、その後ろを一豊かずとよがついている。

長益様ながますさまぁっ、もぉえぇ頃合ころあいじゃぁ・・・。わしの右腕の官兵衛かんべえですわぃ。」

 いきなり現れたのが信長のぶながの弟、織田長益おだながますであることに気づき、官兵衛かんべえあわててぎこちなく左膝ひだりひざを立て、腰高こしだかになる。

「こっ、これは失礼しつれいつかまつりまする。羽柴筑前守はしばちぜんのかみが家臣、黒田官兵衛孝高くろだかんべえよしたかと申しまする・・・。このようなところで御目おめに掛かり、恐悦きょうえつ至極しごくに存じまするぅ。」

 長益ながます官兵衛かんべえの前にしゃがみ込み、官兵衛かんべえの眼をのぞむ。

其方そなた官兵衛かんべえかぁ。筑前ちくぜん播磨はりまで見つけてきた凄腕すごうで軍師ぐんしじゃと訊いとる。堅苦かたくるしいのは抜きじゃぁ。これからよろしゅう頼むぞぃ。」

 官兵衛かんべえは『これから』という言葉に引っ掛かるが、長益ながますにはうわさどおりの気さくな印象を持つ。官兵衛かんべえは視線を真下から秀吉ひでよしの方に移すと、秀吉ひでよしわずかににやとほくそ笑んでいるのがうかがえる。長益ながますは少し後ろに身を引いてそのまま官兵衛かんべえの正面に座り込み、長益ながます官兵衛かんべえを両隣にして秀吉ひでよしが座す。

官兵衛かんべえっ、黙っちょってすまなんだぁ。実はのぉ、長益様ながますさま三七殿さんしちどのらから逃れて、ずっと又左またざかくまわれちょったんよぉ。昨日、又左またざから長益様ながますさまを預かり受け、ここに着くまでわしの家臣のふりをしてもらっとったんじゃぁ。」

何故なにゆえ然様さよう芝居しばいじみたことを・・・。」

三七殿さんしちどの三法師様さんぽうしさま名代みょうだいになられようとしちょる。そんこつを長益様ながますさまに取り付けてもらわんと、長益様ながますさまを閉じ込めようとしちょったみたいじゃ。長益様ながますさまはそれに勘付かんづかれておおせたが、それはそれで三七殿さんしちどのらは清洲きよすで待ち構えればえぇと踏んどるわけじゃ。」

「なるほどぉっ、それで筑前殿ちくぜんどのと一緒なら信孝様のぶたかさまらも手が出せんというわけかぁ。」

「あぁっ、一応建前たてまえは偶然にこの小牧山こまきやまでわしが大殿おおとのしのんでおられた長益様ながますさまにお会いして、そん後一緒に清洲きよすへ入ったっちゅうことにする・・・。それとわしがだらだらと清洲きよすへ行くんは、その間に又左またざ清洲きよすに入ってもらうためじゃ。又左またざにいらん疑いをかけられんようにのぉ。」

「やはり面倒臭めんどうくさ御人ごじんよのぉっ、信孝様のぶたかさまは・・・。」

清洲きよすに着いたらとりあえず長益様ながますさま護衛ごえいをつけるが、権六ごんろくがしゃしゃり出てくるかもしれん。官兵衛かんべえっ、すまんがお主の間者かんじゃもつけてくれんかのぉ。」

「承知したぁ。手前のくの一を女御にょうごとしておそばに置かせましょう。」

然様さようもんぐに支度したくできるとはっ・・・、さすがじゃのぉ。いやいやかたじけないっ。」

 一礼する長益ながます官兵衛かんべえ恐縮きょうしゅくする。手持ても無沙汰ぶさたになってきた秀吉ひでよし一豊かずとよに確かめる。

伊右衛門いえもんよぉっ、酒の支度したくできちょるかぁ・・・。」

「はいっ、あゆが手に入りましたので、それも焼いてお持ちいたします。」

 一豊かずとよは一礼し、奥へぜん支度したくに下がる。

「酒とあゆかぁっ・・・。えぇのぉっ・・・。洞穴ほらあなでは飲むわけにいかんかったんで、身体からだが冷えきっとったもんなぁ。」

洞穴ほらあな御隠おかくれになられてたのですかぁ。」

「おぉよぉっ・・・、又左またざの屋敷に皆の知らん洞穴ほらあなが通じてたんじゃぁ。岐阜ぎふはよぉ知っとる地じゃと思ぅとったが、なかなか面白いのぉ・・・。洞穴ほらあなといえばぁ・・・。」

 長益ながますはたわいのない話を続けて、そのままうたげに入ろうとしたが、秀吉ひでよしさえぎる。

長益様ながますさまっ、ぜんが来る前に、一つだけお聞かせくだされ。」

「何じゃっ、あらたまって・・・。」

三七殿さんしちどのの心を変えさせるこつは、万に一つもございませんでしょうかぁ。」

 真剣な目つきの秀吉ひでよしに対して、長益ながますは腕組みしながら応える。

「うぅむっ・・・、そりゃぁねぇなっ。三七さんしち母御ははごが低い身の上の者じゃったから、余計に『身分』っちゅうもんに執着しゅうちゃくするんじゃぁ。母御ははごのせいで自分は織田おだ家の嫡子ちゃくしになれんというのに、お主は百姓ひゃくしょうの出にも関わらず、実りのあるりょうを頂き、城を持ち、官職ももらえたぁ。三七さんしちにとってはお主は矛盾むじゅんかたまりなんじゃ。その矛盾むじゅんをこの世から消し去らんと気が済まんのじゃ。元々血筋のえぇ三介さんすけ秀勝ひでかつとはそういうところが違うんじゃな。」

御母上おははうえの出自に三七殿さんしちどのかくがあるんなら、改心のさせようもありませんなぁ・・・。」
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