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思惑
六十.不穏の信孝
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天正十年六月二十日 未の刻
秀吉が安土城二の丸から琵琶湖畔を見下ろす中、信孝と頼隆の軍勢が眼前を通り過ぎる。
(大殿の城址に拝みもせんと通り過ぎよる・・・。そないにわしが嫌いかぁ・・・。)
秀吉の手には昨晩、土山から寄せられた秀政からの文が握られており、足元の文机の上には信雄からの書状が置かれている。
(三介殿が心変わりされて、あちらはやりやすぅなったわぃ。じゃが久太郎の見立てでは三介殿も三七殿をよぉ思うとらんようじゃのぉ。三七殿はますます孤立するのぉ・・・。)
そこへ小兵が近づき、告げる。
「ただいま、勝入様がお越しになられておりますが、如何致しましょうか。」
「『勝入』・・・、あぁっ、勝三郎のことかぁ、慣れんのぉ。通せっ、通せぇ。」
恒興がのしのしと座間に入ると、秀吉と対峙して座す。
「あぁっ、ようやく解き放たれたわぃ。三七殿の側におると肩が凝るわぃ。」
「すぐに戻らんでえぇんかぃ・・・。」
「五郎左に任せたぁ。今宵はここに泊まって久しぶりに羽を伸ばさせてもらう。兵はさほど連れてきとらんから構わんじゃろっ。」
「そりゃえぇが、ところでお主も清洲へ行くんかぇ。」
「五郎左に会議に加わるよう頼まれたぁ。一益殿が戻れそうにないからといってなっ。何でも大殿が身罷られて間もなく、北条が先の武田攻めの遅れを取り戻さんと上州・甲斐に攻めてきよって、数日前には滝川勢が大敗北を喫したらしい。武田が滅んでまだ三月ほどで、敵味方が定まっておらんかったじゃろうから、この混沌はまだまだ続くんじゃろうのぉ・・・。せっかく獲った信濃からも撤退が始まっとるらしい。」
「結局、武田を滅ぼしても甲斐どころか信濃も手に入れられんっちゅうことかぁ。じゃが北条にこのまま好き勝手にさせるわけにはいかんのぉ。ちぃと手を回すかぁ。」
「今はやめとけ。織田のがたいが整っとらんうちに勝手にお主が東に手を出しゃあ、親父殿も一益殿も黙っとらんぞぉ。」
「そりゃそうじゃが、ぐずぐずしちょる場合でもねぇんじゃがのぉ・・・。」
「東は親父殿らに任せて、お主は西に集中せぃ。今は落ち着いちょるが、そんうち毛利、いや公方様がまた動き出すぞぃ。」
「収穫の時期までは大丈夫じゃぁ。毛利に体力はねぇ。それより、三介殿から書状をいただいたぁ。御褒めの御言葉じゃぁ。」
秀吉は信雄からの書状を恒興に見せる。熟読しながら恒興は疑ってかかる。
「騙しちょるんじゃなかろうのぉ。」
「どうも本心のようじゃ。久太郎もそう伝えちょる。」
「そいつはよかったのぉ。これで三介殿には悩まされんで済むわなぁ・・・。問題は三七殿じゃぁ。三七殿はもはやわしを信用しとらん。これ以上わしが見張り役を務めるんは難しかろう。五郎左も信用されちょらんが、きつく当たればまだ云うことは聴く奴と思われとるじゃろう・・・。三七殿が当てにしちょるんは親父殿だけじゃ。」
「そうかっ、京では御苦労じゃったのぉ。」
「そんでよぉっ・・・、京でのことを話しちゃるぅ。お主が安土から警戒しちょったように、三七殿はやはり公家どもにやたらと接触しようとしちょった。大方の連中はお主が銭で黙らせとったようじゃが、中にはわざわざ三七殿に会いに来る輩もおってのぉ。其奴らを追い返すためにわしも身銭を切ったわぃ。じゃがどうしても親父殿とのやり取りまでは断てなんで、三七殿が勝手に京を抜け出さんよう見張るんが精一杯じゃったぁっ。」
「いやっ、それで十分じゃ。小一郎の調べでは、三七殿が親父に長浜まで兵を寄せろと指示しちょったんは確からしい。あの折に親父と合流でもされたら、戦になっちょったやもせん。それんしても『重臣会議』は妙案じゃ。」
「わしもそう思うたんじゃがぁ・・・。」
恒興が腕組みをしながら溜息一つ吐く。
「何か気掛かりでもあるんかぇ。」
「そもそも『重臣会議』は三七殿を京から連れ出し、明智の残党狩りを手っ取り早く済ませるための『小細工』じゃった。お主も五郎左と喋って分かったと思うが、『重臣会議』っちゅうても結論はほぼ出とる。改めてこんな面倒なことせんでもえぇんじゃが、どうも三七殿は何か企んどるようでのぉ・・・。五郎左の申し出以来、親父殿とのやり取りが妙に増えとるようなんじゃぁ。」
「『企んどる』っちゅうんは五郎左殿の案を覆すっちゅうことかぁ。」
「五郎左の考えはまだ知らんじゃろうから、『覆す』っちゅうのとはちぃと違うが、三介殿を押し退けて、自分が三法師様の後見になろうとしとるんじゃなかろうかのぉ。」
「うぅんっ、三七殿らしいっちゃぁらしいが、三介殿が黙っとらんじゃろぅ。」
恒興は呆気となる。
「それどころじゃねぇっちゅうのに、お主も呑気よのぉ・・・。」
「どういうこっちゃ。」
「三七殿が名代にでもなってもうたら、それこそお主は『第二の明智』に祭り上げられるっちゅうこっちゃぁ。織田の兄弟喧嘩どころではねぇぞぉっ・・・。」
「御得意の『濡れ衣』かぇ。まさかあぁ・・・。」
「いやっ、わしは京で三七殿のお主や十兵衛に対する尋常じゃねぇ憎しみを散々感じ取ってきたわぃ。三七殿はただただ攻を挙げるんに焦ってるんじゃねぇ。十兵衛同様、お主が織田家を乗っ取ろうとしちょると本気で思い込んどるぅっ。そんでもって本気でお主を潰しにかかるぞぃ。」
「そっ、そんなぁ・・・。」
「三七殿はこれから岐阜あたりで親父殿と合流して、清洲へ向かう間にもいろんな謀を講じるじゃろう。その一つ一つが『羽柴潰し』じゃ。親父殿と佐久間の連中が三七殿を見限ることはねぇじゃろうし、もはや彼奴らの謀議を制することは誰にもでけん。」
「わっ、わしはどうしたらえぇんじゃあ・・・。」
「覚悟を決めぇぃっ、筑前っ・・・。お主が親父殿に代わって『織田家筆頭家老』にならん限り、お主、いや羽柴の皆々は本当に殺られるぞぃっ。」
秀吉が安土城二の丸から琵琶湖畔を見下ろす中、信孝と頼隆の軍勢が眼前を通り過ぎる。
(大殿の城址に拝みもせんと通り過ぎよる・・・。そないにわしが嫌いかぁ・・・。)
秀吉の手には昨晩、土山から寄せられた秀政からの文が握られており、足元の文机の上には信雄からの書状が置かれている。
(三介殿が心変わりされて、あちらはやりやすぅなったわぃ。じゃが久太郎の見立てでは三介殿も三七殿をよぉ思うとらんようじゃのぉ。三七殿はますます孤立するのぉ・・・。)
そこへ小兵が近づき、告げる。
「ただいま、勝入様がお越しになられておりますが、如何致しましょうか。」
「『勝入』・・・、あぁっ、勝三郎のことかぁ、慣れんのぉ。通せっ、通せぇ。」
恒興がのしのしと座間に入ると、秀吉と対峙して座す。
「あぁっ、ようやく解き放たれたわぃ。三七殿の側におると肩が凝るわぃ。」
「すぐに戻らんでえぇんかぃ・・・。」
「五郎左に任せたぁ。今宵はここに泊まって久しぶりに羽を伸ばさせてもらう。兵はさほど連れてきとらんから構わんじゃろっ。」
「そりゃえぇが、ところでお主も清洲へ行くんかぇ。」
「五郎左に会議に加わるよう頼まれたぁ。一益殿が戻れそうにないからといってなっ。何でも大殿が身罷られて間もなく、北条が先の武田攻めの遅れを取り戻さんと上州・甲斐に攻めてきよって、数日前には滝川勢が大敗北を喫したらしい。武田が滅んでまだ三月ほどで、敵味方が定まっておらんかったじゃろうから、この混沌はまだまだ続くんじゃろうのぉ・・・。せっかく獲った信濃からも撤退が始まっとるらしい。」
「結局、武田を滅ぼしても甲斐どころか信濃も手に入れられんっちゅうことかぁ。じゃが北条にこのまま好き勝手にさせるわけにはいかんのぉ。ちぃと手を回すかぁ。」
「今はやめとけ。織田のがたいが整っとらんうちに勝手にお主が東に手を出しゃあ、親父殿も一益殿も黙っとらんぞぉ。」
「そりゃそうじゃが、ぐずぐずしちょる場合でもねぇんじゃがのぉ・・・。」
「東は親父殿らに任せて、お主は西に集中せぃ。今は落ち着いちょるが、そんうち毛利、いや公方様がまた動き出すぞぃ。」
「収穫の時期までは大丈夫じゃぁ。毛利に体力はねぇ。それより、三介殿から書状をいただいたぁ。御褒めの御言葉じゃぁ。」
秀吉は信雄からの書状を恒興に見せる。熟読しながら恒興は疑ってかかる。
「騙しちょるんじゃなかろうのぉ。」
「どうも本心のようじゃ。久太郎もそう伝えちょる。」
「そいつはよかったのぉ。これで三介殿には悩まされんで済むわなぁ・・・。問題は三七殿じゃぁ。三七殿はもはやわしを信用しとらん。これ以上わしが見張り役を務めるんは難しかろう。五郎左も信用されちょらんが、きつく当たればまだ云うことは聴く奴と思われとるじゃろう・・・。三七殿が当てにしちょるんは親父殿だけじゃ。」
「そうかっ、京では御苦労じゃったのぉ。」
「そんでよぉっ・・・、京でのことを話しちゃるぅ。お主が安土から警戒しちょったように、三七殿はやはり公家どもにやたらと接触しようとしちょった。大方の連中はお主が銭で黙らせとったようじゃが、中にはわざわざ三七殿に会いに来る輩もおってのぉ。其奴らを追い返すためにわしも身銭を切ったわぃ。じゃがどうしても親父殿とのやり取りまでは断てなんで、三七殿が勝手に京を抜け出さんよう見張るんが精一杯じゃったぁっ。」
「いやっ、それで十分じゃ。小一郎の調べでは、三七殿が親父に長浜まで兵を寄せろと指示しちょったんは確からしい。あの折に親父と合流でもされたら、戦になっちょったやもせん。それんしても『重臣会議』は妙案じゃ。」
「わしもそう思うたんじゃがぁ・・・。」
恒興が腕組みをしながら溜息一つ吐く。
「何か気掛かりでもあるんかぇ。」
「そもそも『重臣会議』は三七殿を京から連れ出し、明智の残党狩りを手っ取り早く済ませるための『小細工』じゃった。お主も五郎左と喋って分かったと思うが、『重臣会議』っちゅうても結論はほぼ出とる。改めてこんな面倒なことせんでもえぇんじゃが、どうも三七殿は何か企んどるようでのぉ・・・。五郎左の申し出以来、親父殿とのやり取りが妙に増えとるようなんじゃぁ。」
「『企んどる』っちゅうんは五郎左殿の案を覆すっちゅうことかぁ。」
「五郎左の考えはまだ知らんじゃろうから、『覆す』っちゅうのとはちぃと違うが、三介殿を押し退けて、自分が三法師様の後見になろうとしとるんじゃなかろうかのぉ。」
「うぅんっ、三七殿らしいっちゃぁらしいが、三介殿が黙っとらんじゃろぅ。」
恒興は呆気となる。
「それどころじゃねぇっちゅうのに、お主も呑気よのぉ・・・。」
「どういうこっちゃ。」
「三七殿が名代にでもなってもうたら、それこそお主は『第二の明智』に祭り上げられるっちゅうこっちゃぁ。織田の兄弟喧嘩どころではねぇぞぉっ・・・。」
「御得意の『濡れ衣』かぇ。まさかあぁ・・・。」
「いやっ、わしは京で三七殿のお主や十兵衛に対する尋常じゃねぇ憎しみを散々感じ取ってきたわぃ。三七殿はただただ攻を挙げるんに焦ってるんじゃねぇ。十兵衛同様、お主が織田家を乗っ取ろうとしちょると本気で思い込んどるぅっ。そんでもって本気でお主を潰しにかかるぞぃ。」
「そっ、そんなぁ・・・。」
「三七殿はこれから岐阜あたりで親父殿と合流して、清洲へ向かう間にもいろんな謀を講じるじゃろう。その一つ一つが『羽柴潰し』じゃ。親父殿と佐久間の連中が三七殿を見限ることはねぇじゃろうし、もはや彼奴らの謀議を制することは誰にもでけん。」
「わっ、わしはどうしたらえぇんじゃあ・・・。」
「覚悟を決めぇぃっ、筑前っ・・・。お主が親父殿に代わって『織田家筆頭家老』にならん限り、お主、いや羽柴の皆々は本当に殺られるぞぃっ。」
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